第20話
俺たちは、アレンを先頭に森の中を歩いていた。
家畜小屋を見たあと、アレンは一度家に戻って、弓と矢筒を持ってきた。腰には小さなナイフと革袋、それから細い縄をいくつか持っている。
必要なものだけを、必要な場所に身につけている印象を受けた。
ミリアとフィーアは農場に残っている。ミリアは父親の手伝いがあるらしく残念そうな表情で俺たちを見送ってくれた。フィーアに至っては、「私が一緒にいてもできることなんて何もないわよ。私はミリアと一緒にいたいの」と、いうことだった。
だから森へ入ったのは、アレン、グラウス、エイル、そして俺の四人だった。
アレンはほとんど喋らずに先導していく。
彼は森へ入った瞬間から、家にいた時と少し違って見えた。父親の後ろに半分隠れていた少年ではなく、この場所でどう動くのが正しいのか、それを熟知している雰囲気がある。
枝の手前で足を止める、草の倒れた場所を避ける。ぬかるんだ土のふちを、音を立てずに踏み越える。
俺はそれを真似しようとして、すぐに諦めた。
アレンが避けた場所を同じように避けようとすると、次の足場が分からなくなる。足元ばかり見ていると、今度は目の前の枝に引っかかりそうになる。逆に前を見れば、乾いた小枝を踏みつけて音を立ててしまうという有様だ。
歩くだけで、こんなに違うのか。
そう思った時、アレンがぴたりと止まった。
危うく背中にぶつかりそうになる。
「……そこ踏まないで」
小さな声だった。
俺は足元を見る。
靴の先のすぐ前に、細い枝が一本落ちていた。見た目には何の変哲もない。そこらにいくらでも落ちている枝だ。
「そこ罠があるんだ」
「あ、悪い」
慌てて足を引く。
アレンはもう俺を見ていなかった。少し先の草むらへ視線を向けている。俺にはただ草があるようにしか見えない。けれど、アレンには何かが見えているらしい。
グラウスはというと何も言わずにアレンの動きを観察するように注意深く見ていた。ただ、それは随分と楽しそうに、アレンの背中を見ているようだった。
森の中は、思ったより静かだった。
鳥の声も風もある。けれど、近くではない、どこか遠いところで鳴っているような違和感を感じた。
だからなのか、感覚が研ぎ澄まされたように湿った土と葉の匂い、それから視界に入るもの全てを普段より身近に感じるようになった。
木の幹には苔がついていて、ところどころに見たこともないような不気味な虫が這っている。
(気持ち悪っ……)
元々虫は好きではない。だから人から嫌われることに特化した形と色彩をした虫を見て、平常心でいられるはずもない。すぐに目線を別のところへ向けてしまった。
しばらく進むと、アレンが片手を上げた。
俺たちはその合図で足を止める。
アレンはその場でしゃがみ込み、地面に残った小さな跡を指でなぞった。土の表面に、わずかにへこんだ跡がある。よくみると何かの動物の足跡のようだ。小さすぎて、素人の俺なら気にせずに踏んでいる。
アレンはその跡を見て、少し先の茂みに目を向けた。
何かいる、のか。俺にはアレンの行動を見て推測することしかできなかった。
おそらくアレンには何か見えているのだろう。それでもアレンはすぐには弓を構えなかった。
まず風を確かめるように、顔をわずかに横へ向ける。それから、足を一歩だけ横へずらした。踏み出すというより、体の位置をそっと置き換えるみたいな動きだった。
草の向こうで、何かが小さく動いた気がする。
俺は思わず息を止めて、小さくなった。グラウスとエイルも同じようにしゃがんでいる。
アレンは静かに弓を構え、矢を番える。
小柄な体には少し立派に見える弓だった。けれど、アレンの手にはよく馴染んでいる。体と同一の部位のように自然に構えるその姿を見て、思わずため息が溢れてしまう。全ての動作が自然で、まるで生まれた時から知っているような動作に魅せられた。
矢の先に、淡い光が集まる。
眩しいほどではなく、空気の中に細い線が引かれるような、不思議な光だった。
アレンが息を止めたのがわかった。呼吸による動きがなくなると同時に、弓を引くてが完全に静止する。
まるで森に存在する音まで止まったような気がした。
その瞬間だけ、俺は自分の心臓の音がうるさく感じた。邪魔になるんじゃないかと思うくらい、胸の奥でどくどく鳴っている。
アレンの指が離れて、カンッ!という音と弓が風を切る音が流れる。
速かった。
普通の矢がどう飛ぶのかを詳しく知っているわけじゃない。それでも、今の矢が普通じゃないことくらいは分かった。風を切るというより、狙った場所へ吸い込まれるように弧を描いて飛んでいく。
茂みの奥で、小さな音がした。
アレンはすぐには動かず、矢を放ったままの姿勢からゆっくり力を抜き、周囲を確かめる。二本目の矢に手を伸ばしてしばらく耳を澄ませていた。
それから、ようやく茂みへ向かう。
俺たちもその後ろについていった。
草の陰に、小さな獣が倒れていた。
アレンは膝をつき、手早く状態を見る。矢の刺さった場所を確認し、獣の体を片手で押さる。それから小さく息を吐いた。
「獲れた」
短い一言だった。
俺が何か言うより先に、グラウスが小さく笑った。
「今の、めちゃくちゃすげぇな」
アレンの肩が、ほんの少しだけ揺れる。
「俺なら多分近づく前に逃がしてる」
グラウスはそう言って、倒れた獣とアレンの足元を見た。
「足音もほとんどしなかったしな。森の中での戦闘でお前に勝てる想像ができねぇ」
アレンは少しだけ困ったように視線を落とす。
「……父さんに教わっただけだよ」
「教わったくらいでそのレベルまでは普通上達しねぇよ。本当に好きなんだな、それ」
そう言われて、アレンはそれ以上何も返さなかった。
ただ、弓の方を一瞬だけ見てすぐにグラウスから顔を背ける。
エイルも矢の刺さった場所を見て、小さく頷く。
「や矢に、光魔法を……乗せてるんですか?」
アレンは少し驚いたようにエイルを見た。
「……うん」
「狩り用に、かなり綺麗にまとまっています。無駄が少なくてとても、とても美しい魔法です」
エイルの声は控えめだったが、本当に感心しているのは伝わった。
アレンはほんの少しだけ表情を緩める。
「あんまり強い光と魔法だと獲物に気づかれちゃうから……」
「なるほど……確かに。気にしたこともありませんでした」
エイルは顎に手を持っていき考える。
「だからあのくらいの少量の魔法だった。目立たせるためじゃなくて、矢を補助する魔法、なんですね?」
アレンは小さく頷いた。
俺は倒れた獣を見ながら、改めてアレンを見る。
さっきまで人見知りしていた少年と、同じやつに見えななくて、俺は素直に感心していた。アレンもアレンなりの生きる術というものを持っているんだと。
アレンは獣の首元へ手を当てたあと、目を伏せた。
ほんの短い間だった。
祈り、というほど大げさなものではない。けれど、ただの作業でもなかった。
それから腰のナイフを抜く。
俺は少しだけ身構えた。
獲物をさばくところなんて、正直あまり見たことがない。現代日本で高校生をやっていれば、そんな経験をする方が珍しい。
アレンの手つきは慣れていた。動きに迷いがない。
けれど雑ではない。必要なところだけに刃を入れて、血が余計に広がらないように獣の体の向きを変える。手元だけの限られた部分を見ていると、怖さよりも先に、弱肉強食の世界なのだと改めて納得をすることができた。
俺は思わず目を逸らしそうになったがなんとか留まった。
「無理に見る必要はねぇんだからな」
グラウスが小さく言った。
「あぁ。わかってる。でも見ておきたいんだ。」
「そうか」
昨日の夕食を思い出して、出てきた肉を素直にうまいと感じたことをを思い出す。
そうした肉も、きっと誰かが獲って、処理したものだ。そんな当たり前のことを、今まで俺はほとんど考えずに食べていた。
アレンは小さな革袋に必要なものをしまい、残りを簡単にまとめる。細い縄で縛り、片手で持ち上げた。
そこまでしてから、ようやく周囲を見回す。
そして、ふと眉を寄せた。
「……やっぱり少ない」
「何がだ?」
グラウスが聞く。
「動物」
アレンは小さく答えた。
「いつもなら、ここまで来ればもっといるんだ。足跡も、鳴き声も、今日は少ない」
それだけ言って、また口を閉じる。
俺は森を見回した。
やっぱり、普通の森に見える。
けれど、普段と比較できるアレンがそう言うなら、たぶんそうなのだろう。
「処理、水場の方でやるつもりなんだけど」
アレンが獲物を抱え直しながら言った。
「水場?」
「うん」
アレンは短く答えて、森の奥へ歩き出す。
俺たちはその後に続いて歩く。でもアレンの歩き方が少し遅くなる。
最初は獲物を持っているからかと思ったけれど違う。アレンは周囲の変化を観察するように、地面を見て、木の根元を見て、草の倒れ方を見ている。俺は自然そのものの姿のようにしか見えないけれど、アレンは時々、足を止めては何も言わず、また歩き出す。
その度に、俺は少しずつ嫌な感じを覚えていった。
「……変だ」
アレンが小さく言った。
「どう変なんだ?」
グラウスの声も低くなる。
「やっぱり足跡が無さすぎる」
「獣のか?」
「うん。水場は動物たちにとって重要な場所なんだ。でもここまで足跡が少なすぎる」
アレンは地面を見たまま答えた。
「ここは、鹿も小さい獣も通るし鳥も降りる。でも今日は、あんまりない」
俺は地面を見る。
草は普通に生えているし、土にも異常はないようだ。何かの跡があるようにも見えるし、ないようにも見える。
やっぱり俺には何も分からない。
やがて、浅く窪んだ場所に出た。
「ここが、水場……というか川なんだけど」
そうはいっても水の音はしないし、水も流れていない。
端の方に濁った水たまりが少しあるだけで、流れはない。細く水が通っていたらしい跡だけが、黒い泥になって残っている。
アレンの手に持っていた獲物が、少しだけ下がる。
「……おかしいよ」
声が小さかった。
驚いているというより、信じられないものを見ているような声だった。
「昨日もこうだったのか?」
グラウスが聞く。
アレンは首を振る。
「昨日は、まだ流れてた。こんなことにはなってなかったよ」
俺は水場を見た。
水場というより、泥のたまった傷跡みたいにところどころが隆起しているだけだった。
濁った水は、ただ泥で汚れているだけには見えない。端に残った水たまりの表面が、妙に重たく沈んでいる。風が吹いているのに、そこだけ揺れ方が鈍いようだ。
周りの草も、ここだけ少し色が暗かった。
緑の中に、灰色が混ざっているような感じだ。
踏み込むと、靴の裏に泥がまとわりついた。水気はあるのに、湿っているというより、粘ついているような嫌な重さだった。
さっきまで遠くで僅かに聞こえていた鳥の声も、ここでは全く聞こえなかった
「……なんか気持ち悪いな」
思わず呟く。
アレンが小さく頷いた。
「前は、こんなんじゃなかっただ」
その一言が、妙に重かった。
ただ水が減っているだけなら、雨が少なかったとか、どこかで流れが変わったとか、そういう理由で済むのかもしれない。
けれど、目の前のこれはそういうものに見えなかった。
少なくとも、俺には。
「エイル」
グラウスが短く呼ぶ。
エイルはすでに杖を握っていた。
水場のそばにしゃがみ、杖の先を濁った水へ近づける。魔力の流れを探るように、じっと水面を見ていた。
少しの沈黙。
いつもなら少しおどおどしているエイルの横顔が、こういう時だけは妙に静かだった。
杖の先に、小さな光が灯り、その光が水面に近づいた瞬間、濁った水の表面がわずかに揺れた。何かが内側から蒸発したような、そんな揺れ方だった。
エイルの表情が曇る。
「……魔力が、あります」
エイルは水場から目を離さない。
「スライムの時と、昨日のジャイアントラビットの異常種。それから、家畜小屋に残っていたものと、やはり同じです」
「その魔力はここから出てるのか?」
グラウスが聞く。
エイルは首を横に振った。
「違うと思います。ここに溜まっているというより、流れてきて残ってしまったという感じです」
「上流か」
「……おそらくは」
グラウスはしばらく黙って、水のなくなった窪地を見下ろしていた。
それから、森の奥を見る。
水が流れてきていたはずの方向。
木々の影が重なって、そこから先は少し暗く見えた。
「上流を調べてみる価値はありそうだな」
低い声だった。
「ここが原因じゃねぇんなら、上に何かあるんだろう」
アレンも同じ方を見る。
獲物を抱えたまま、何も言わなかった。
その横顔は、家にいた時より凛々しく見えた。
けれど、胸に秘める不安が消えたわけではないのも理解できた。




