第19話
家畜小屋は、思っていたより静かだった。
朝食を終えて家の裏手へ回ると、乾いた藁と獣の匂いが先に鼻へ届いた。けれど、その匂いのわりに、鳴き声が少ない気がする。
小屋の横には柵で囲われた広い場所があって、そこに何頭かの家畜がいた。
牛に似ているが、少し違う。
角が太く、体も低くがっしりしている。農作業で使う家畜だと言われると、なるほどと思える体つきだった。
何頭いるのが普通なのか俺には分からない。けれど、そこにいる家畜たちの数に比べたら、この場所は少し広すぎるようにも感じた。
「消えたのは二頭だ」
ミリアの父親が、柵の奥を見ながら言った。
「一頭目が二日前。二頭目が一昨日。どちらも朝にはいなくなっていた」
声は静かだった。
昨日の食卓で話した時と同じように、余計な感情は乗っていない。けれど、軽く見ているわけではないのはすぐに分かった。
グラウスは何も言わず、柵のそばでしゃがみ込んだ。
土を指で触り、靴跡や蹄の跡を見ている。時々立ち上がって柵の高さを見たり、家畜小屋の扉を確認したりする。昨日までの軽い雰囲気とは少し違った。
「柵は?」
「壊れていない」
「鍵は?」
「開いていなかった」
「逃げたにしては、跡がおかしいな」
グラウスが低く呟く。
俺も足元を見てみたが、正直よく分からなかった。地面が踏み荒らされているようには見える。蹄の跡もある。けれど、そこから何が読み取れるのかまでは分からない。
俺にできることは、きっとない。
それが少しだけ歯がゆかった。
グラウスの横、エイルは小屋の入口近くに立っていた。
杖を両手で持ち、目を細める。魔法陣を展開するような派手さはない。ただ、空気に触れるみたいに杖の先を少し動かしている。
「……魔力が残っていますね」
しばらくして、エイルがぽつりと言った。
グラウスが顔を上げる。
「魔力が?」
「はい。でも、変です」
エイルは眉を寄せた。
「普通のモンスターの痕跡なら、もっと輪郭がはっきり残るんです。でもこれは……本当に薄く滲み出たような魔力で」
「もしかして昨日のやつとにてたりすんのか?」
グラウスが聞く。
エイルは少しだけ間を置いてから、頷いた。
「はい。似ています。昨日のジャイアントラビットの異常種から感じたものと、それから、最初に出会ったスライムの時に残っていた魔力とも、かなり近いです」
その言葉で、場の空気が少し重くなった。
俺は思わずミリアを見る。ミリアもこちらを見ていた。
ジャイアントラビットとスライム。それから、ここで消えた家畜。
別々だったものが、少しずつ一つになるような感覚がある。
「魔物でも、普通のモンスターでもないってことか」
グラウスは低く呟いた。
「厄介だな」
フィーアは少し離れたところで、柵の中を見ていた。
最初は腕を組んで、グラウスとエイルの様子を眺めているだけだった。調査に口を出す気はないらしい。ミリアも同じように、家畜小屋のそばで父親とアレンの近くに立っている。
その時だった。
柵の中にいた一頭が、ゆっくりフィーアの方へ近づいてきた。
「……な、なによ」
フィーアが少しだけ眉を上げる。
家畜は柵越しに顔を寄せ、ふん、と鼻を鳴らした。大きな目がこちらを見ている。近くで見ると、体の大きさのわりに気の弱そうな顔をしているなという感想だ。
フィーアは少し迷ったあと、柵の隙間から手を伸ばした。
頭のあたりを撫でる。
家畜は嫌がらなかった。むしろ、ほっとしたみたいに目を細める。
「……怯えてるわね」
フィーアが言った。
「怪我してんのか?」
グラウスが聞く。
「いいえ。でも、落ち着きがないの」
フィーアは家畜の額を撫でながら、目を細めた。
「何かに怯えているみたい」
「怯えてる?」
「たぶんね。小屋の奥を気にしてるようね」
そう言われて、俺も家畜の目を追った。
確かに、その家畜はフィーアに撫でられながらも、時々小屋の暗い入口の方へ目を向けていた。
ただの小屋だ。
中には藁が敷かれていて、木の柱があって、少し湿った獣の匂いがこもっている。特別なものは見えない。
「フィーア、意外と動物に好かれるんだな」
俺が思わず言うと、フィーアがこちらを横目で見た。
「何よ。いけない事みたいに言っちゃって」
「いや、意外だっただけだ。それ以上の意味はない」
「失礼ね。あなたは私のことを氷の女王みたいに見てるわけ?
そう言いつつ、手は止めない。
家畜もそれを分かっているみたいに、大人しくされるがままになっていた。
ミリアが少しだけ笑った。
「フィーアちゃん、優しいですもんね」
「う、うるさいわよ! ミリア!」
「え、なんでですか?」
「なんでもよ!」
そのやり取りで、少しだけ空気が緩む。
けれど、父親の表情は変わらなかった。
「アレン」
父親が短く呼ぶ。
父親の後ろに半分隠れるようにしていたアレンが、少しだけ前に出る。
「森のことを話してみろ」
アレンは俺たちを順番に見たあと、視線を地面へ落とした。
「……森の音が、変なんだ」
小さな声だったが、聞き取れた。
「前は、もっと小さい動物が小屋の裏の方まで来てた。でも今は来ない。鳥も少ない」
「鳥が少ない?」
グラウスが聞く。
アレンは小さく頷いた。
「川の方だけ、急に静かになるんだ。風はあるのに、葉があまり動かない場所がある。……気がする」
そこまで言って、アレンはまた父親の方を見た。
父親は何も言わず、ただ静かに頷いた。
それで、アレンは続ける。
「獣も、あそこを避けてる。普通なら通るはずのところに足跡がなくて、逆に変なところに跡があるんだ」
グラウスはしばらく黙っていた。今得られた情報を頭の中で並べているようだった。
「ここで見てても、わからねぇことだらけだな」
やがて、グラウスが言った。
「森の方へ行ったほうが情報は得られそうだな。実際に見てみるか」
それから、グラウスはアレンへ視線を向けた。
「アレン」
呼ばれて、アレンの肩が少し跳ねる。
「お前、森で狩りをしてるんだったな」
「……うん」
「昨日の鹿も、お前が獲ったんだろ?」
アレンは少しだけ戸惑った顔をした。
褒められ慣れていないのかもしれない。
「……父さんに教わったから」
「教えてもらっただけで獲れるならかなり向いてるんだろうな」
グラウスは少しだけ口元を上げた。
「正直、ちょっと見てみてぇ。森に詳しい奴がどう行動するのか」
アレンが目を上げる。
「俺たちは外から来たからな。足跡も魔力も見るが、普段の森を知ってるわけじゃねぇんだ。だから、アレン、お前の力が必要た」
その言い方は、ただ案内を頼むというより、本当に興味を持っているように聞こえた。
「案内してくれねぇか。ついでに、普段どう狩ってるのかも見せてほしい」
アレンはすぐには答えなかった。
父親を見る。
父親は少し黙ってから、静かに頷いた。
「行ってこい」
家の方から、母親も顔を出していた。いつの間にか近くまで来ていたらしい。心配そうではあったが、止めることはしなかった。
「無茶はしないのよ」
アレンは小さく頷いた。
それから、俺たちの方を見る。
「……分かった。いいよ」
声はまだ小さい。
でも、さっきより少しだけ顔が上がっていた。
グラウスが満足そうに頷く。
「よし。じゃあ準備してくれ。今日は俺たちと森に入ってもらうぞ」
アレンはもう一度、小さく頷いた。
その顔はまだ不安そうだった。
けれど、さっきまでより少しだけ、ワクワクしているというか、楽しそうにしてるように感じた。




