第17話 ヴェルデン家での夕食
街道を抜けたところで、ようやく少しだけ気が緩んだ。
脇腹にはまだ鈍い痛みが残っているし、腕も脚も重い。けれど、木の柵に囲まれた敷地と、その奥に建つ二階建ての家が見えた瞬間、今日はもう休めるのだと分かった。
木の柵で囲われた広い敷地の中に、家と納屋、それから家畜小屋らしき建物が並んでいる。夕暮れの光を受けた屋根はあたたかい色をしていて、煙突からは細く煙が上がっていた。
「ただいまー!」
ミリアがそう声を張ると、家の扉が勢いよく開いた。
「ミリア!?」
最初に飛び出してきたのは、明るい茶色の髪を後ろでまとめた女性だった。勢いのまま駆け寄ってくるあたり、たぶん母親だろう。
その後ろから、背の高い男がゆっくり出てきた。顔立ちはミリアとどことなく似ているのに、雰囲気はまるで違う。まず俺たち全員を順に見て、それからミリアへ視線を止める。
さらに、その男の脚の後ろから、ひょこっと小さな顔が覗いた。
年の頃は中学生くらいか。細身の少年だ。俺と目が合った瞬間、すっと父親らしい男の後ろへ隠れた。
「まあ、あんたたち……!」
母親は駆け寄るなり、まずミリアの肩を掴んだ。それから俺、グラウス、フィーア、エイルへと視線を走らせる。
一瞬だけ、空気が止まる。
服の汚れ。枝で裂けた跡。土の染み。戦いを終えたばかりの疲れ切った顔。
だが、その沈黙は本当に一瞬だった。
「ああ、よかった! 血がだらだら出てるわけじゃないのね! じゃあ細かい話はあとにしましょう! 中に入りなさい、冷えるでしょ!」
「母さん」
「こういう時はまずお茶とご飯よぉ!」
父親らしい男が小さくため息をつく。
「……入れ」
短い一言だったが、拒絶ではなかった。
ミリアが少しだけほっとした顔で振り返る。
「すみません。うちの母、ちょっと賑やかで」
「ちょっとか?」
グラウスが笑う。
その横で、さっきまで隠れていた少年がまだこちらを見ていた。興味はあるらしい。目が合うとまた半歩引く。そのくせ、完全に家の中へ引っ込む気はないみたいだ。
家に入ると、すぐに木の香りと料理の匂いが鼻に入ってきた。
広くはないが、きちんと手入れされた家だった。壁には農具と干した香草が掛けられ、奥の方からは鍋の煮える音がする。暖炉の火もついていて、外の冷え始めた空気とは別世界みたいにあたたかい。
「手ぇ洗って! あと座って! 料理はできてるからすぐ並べるからね!」
母親がてきぱきと動き回る。その勢いに押されるように、俺たちは食卓の方へ案内された。
父親は多くを言わず、水差しとコップを持ってくる。少年は少し離れたところから見ていたが、ミリアに「アレン、手伝って」と呼ばれると、無言で皿を運び始めた。
料理が並び始めて、俺は少しだけ意外に思った。
量はしっかりある。
ただ、皿の並びを見た時、少しだけ引っかかった。
大きな皿の中央には、香草をまぶして焼いた鹿肉。焼き目はこんがりしていて、切れば肉汁がにじみそうだ。その横に豆の煮込み。別皿に温野菜。やわらかそうな丸パン。野菜と骨で取ったらしい薄いスープ。最後に、まだ切り分けていない果物のパイまである。
見た目は質素だ。けれど、あたたかくて、うまそうで、いかにも家庭の食卓だった。
「さ、今日は鹿肉よ! 昼のうちにアレンが獲ってきたの!」
母親が胸を張る。
アレンは名前を出された途端に、少し気まずそうに目を逸らした。
「へぇ、すごいな」
そう言うと、アレンは俺をちらっと見た。
ほんの少しだけ胸を張りかけて、でもすぐに戻す。分かりやすい。
「うちの子、こう見えて狩りは上手いのよ。お父さんに似てあんまり喋んないけどね!」
「母さん」
「はいはい」
父親の低い声が入る。それだけで母親は少しだけ口数を抑えたが、にこやかな表情までは変わらなかった。
「それにしても、ミリアから聞いたわよ。街道で助けてくれたんですってねぇ。ほんと、なんてお礼を言えばいいのか……!」
そう言いながら、母親は俺の前へ肉を多めに取り分けてくる。
「いや、そんな大したことは」
「大したことあるわよ! 人の命救ったんだもの! おかげでうちの娘はピンピンしてるわよ! このままお嫁にもらってくれないかしら!」
勢いがすごい。
隣でグラウスが笑いを堪えている。フィーアはもう食べる気満々でナイフとフォークを握っていて、エイルは緊張しつつも料理を見て目を輝かせていた。
「いただきます!」
ミリアの声で、食事が始まった。
鹿肉は驚くほどやわらかかった。香草の香りも強すぎず、塩気もちょうどいい。豆の煮込みは素朴だが、じんわりとうまい。ギルドで食べた料理とはまた違った味わいがあった。
「うまい……」
思わずそんな言葉が漏れてしまった。
「でしょう! アレンが獲ってきてくれるから肉はあるのよ、肉は! もう肉料理のお店出せそうよ! あーははは!」
母親が明るく言う。
その言い方に、俺は少しだけ引っかかった。
パンをちぎりながら、もう一度食卓を見る。肉はあるし、豆もある。パンも十分あって量も足りている。
けれど、農場の夕食として想像していたより、食卓の色は少ない気がした。
それに気づいたのは、俺だけじゃなかったらしい。
グラウスも一瞬だけ皿の上を見て、それから父親へ視線を向けた。
ちょうどその時、ミリアが堪えきれないという顔で身を乗り出した。
「それで、さっきの戦いなんですけど!」
やっぱりそこその話に戻ってくるのか。道中もずっとうずうずしていたけれど、疲労感を露わにする俺たちを気遣ってか、静かに先導だけしてくれていた。
「グラウスさんも、エイルちゃんも、フィーアちゃんも、ほんっとにすごかったです! あんなに速い相手が何匹もいたのに、誰一人慌ててなくて……いや、慌ててたのかもしれませんけど、そう見えないくらい美しい連携で!」
ミリアはもう止まらなかった。
「グラウスさんは一見ただ戦ってるだけに見えたんですけど、私たちから遠ざけるように敵を受け流していましたし! エイルちゃんの魔法は、もう見えてるって感じでバンバン当たってましたし、あれグラウスさんへの敵を減らしてる役割もしてましたよね! そして何よりフィーアちゃん! グラウスさんの傷が増えるたびにすぐ回復魔法をかけてましたよね!? しかも結界まで張れるなんてヒーラー職でありながらもぅ……とてもすごかったです!」
「ま、まぁな!」
グラウスが分かりやすく胸を張る。
「前衛ってのは、ただ強けりゃいいってもんじゃねぇからな!」
「本当に格好よかったですよ!」
「お、おう……そう言われると、なんだか照れるじゃねぇか」
エイルは顔を赤くしていた。
「い、いや、私はその……必要なことをやっていただけなので……」
「必要なことがあれほどの精度で連続して続けれるのがすごいんですよ!」
「そ、そうでしょうか……えへへ」
言いながらも、少しだけ嬉しそうなのが分かる。
フィーアはスープを一口飲んで、ふんと鼻を鳴らした。
「随分と熱心にみていたようね、ミリア」
「当たり前じゃないですか! だってすごかったですし! 本当に本当にかっこよかったですよ!」
「……そ、そう。それはよかったわ?」
素っ気ない返事だったが、口元は少しだけ緩んでいた。
その時、父親が静かに口を開いた。
「……いいパーティーなんだな」
食卓の空気が少し変わる。
それまで賑やかだった母親も、ミリアも、そこで一度そちらを見る。
父親は皿に視線を落としたまま続けた。
「随分と強そうなモンスターが、すぐ近くまで来ていたということか」
ミリアの表情から、さっきまでの興奮がすっと引いた。
「父さん……?」
父親は少し黙ってから言った。
「……実はな、ここしばらく家畜が減っているんだ」
誰もすぐには口を挟まなかった。
父親はそれ以上すぐには続けなかった。
足りない説明を継ぐように、母親が口を開く。
「最初は逃げたのかと思ったのよ。でも柵に異常はないし、足跡もほとんど変わったものはなくてねぇ……」
そこで、アレンが初めて自分から口を開いた。
「森も最近ちょっと変なんだ」
小さい声だったが、はっきり聞こえた。
「前はもっと動物が多かったんだけど、最近は少しだけ少ない気がする。……あと、音が普段と違うんだ。静かなのに、騒がしいっていうか」
言い終えると、また少し視線を落とす。
父親が小さく頷く。
「食用の家畜ではなくて農作業に使う方だから、まだ大丈夫だ」
「まだ店に卸す分はあるんだけどねぇ」
母親がそう続けた。
「でも、これが続いたら、さすがに笑ってられないわ」
それを聞いて、さっきの異常種との戦いが、ただの偶然じゃなく、ここ最近起きている異変の一つなのではないかという考えが頭をよぎった。
グラウスが食事の手を止める。
フィーアも、エイルも、さっきまでの軽い空気ではなくなっていた。
ミリアはまっすぐ父親を見ていた。
その横で、俺も自然と背筋を伸ばしていた。
温かい食卓だった。だからこそ、その中に落ちた悩みの重さが妙にはっきりと分かった気がする。
「楽観視はできん」
父親が低く言う。
「だが、原因がわからんことには、ギルドにどう依頼すべきかも決められん。だから今は様子を見ていたんだ」
「……なるほどな」
最初にそう言ったのは、グラウスだった。
大きな手でジョッキを置き、父親を見る。
「そこまで聞いたら、さすがに他人事とも言ってられねぇ。こうして食事まで頂いてるんだ」
それから、いつもの少し軽い調子に戻して笑った。
「俺たちにできることがあるなら、協力させてもらうぜ」
父親がわずかに目を上げる。
「助かる」
「ちょうどいい。どうせこいつの訓練も兼ねてるしな」
そう言って、グラウスは親指で俺を指した。
「明日の朝、少し森の様子を見させてもらおう。まずは何が起きてるのか、その気配を探ってみようぜ」
ミリアの表情が、ぱっと明るくなる。
「本当ですか!?」
「おう。ただし無理はしねぇぞ。変だと思ったらすぐ引く。何もわからない状況だしな」
「それでも十分助かるよ」
母親が、今度はさっきまでとは違う柔らかい笑みを浮かべた。
「ありがたいわ。本当に」
父親はすぐには言葉を返さなかったが、やがて静かに頭を下げた。
「……よろしく頼む」
その一言が落ちると、食卓はまた静かになった。
「おう! こういう時の冒険者だ! 任せてくれってんだ!」




