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第16話 異常

 結局、三匹のジャイアントラビットは捕獲することになった。


 最初に俺が捕まえた白いやつと、そのあと追加で押さえ込んだ二匹。そして、俺が二匹を前後に抱えて、そして残りの一匹は――


「……なんでお前が抱いてるんだ?」


「可愛いからに決まってるじゃない」


 フィーアは当然みたいな顔で、両腕の中にジャイアントラビットを抱えていた。うさぎの方も暴れる気はないらしく、耳をへたりと寝かせて大人しくしている。


「もふもふしてる……」


 俺は肩に食い込む二匹分の重みを感じながら、前を歩くミリアの背中を見る。


「もう少し行けば着きます」


 ミリアが振り返って言った。


 俺たちはジャイアントラビットを討伐――というより生け捕りにして、そのままミリアの農場へ招かれる形で向かっていた。


「この街道をまっすぐです。ほら、あの先。木の切れ目の向こうに見えるでしょう?」


 言われて目を凝らすと、夕暮れの光の向こうに柵らしきものと屋根が見えている。


 日はだいぶ傾いていて、木々の影も長い。ジャイアントラビットとの戦っている間は気にならなかったが、こうして落ち着くと、今日はかなり動き回ったのだと実感する。


 腕も重いし脚もだるい。


 でも、あと少し歩けば温かい飯と屋根のある場所で休めると思えば、なんとか頑張れそうだった。


「ジャイアントラビットのお肉って、ほんっとに美味しいんですよ」


 前から、ミリアがそんなことを言った。


 俺は正面に担いだジャイアントラビットを見る。


「……そうか、なのか」


「はい。臭みも少ないですし、何よりもとても柔らかいんです」


 なんでもないことみたいに返されて、俺は小さく息を吐いた。


 コイツは必死に食べられないように逃げ回っていたのかななんて思った、その時だった。


 視界の端で灰色の影が不自然な速さで膨らんだ。


「――っ!」


 避ける間もなかった。


 横腹に衝撃。次の瞬間には浮遊感と上下の感覚が消え失せる。


 景色が横に流れる。空と木と土がごちゃ混ぜになって回転し、体のあちこちに鈍い痛みが走る。肩を打ち、背中を打ち、最後は若木を何本かまとめてへし折りながら林の奥へ吹っ飛ばされた。


 担いでいたジャイアントラビットは途中で腕から抜け、どこかへ投げ出されていた。


 どさり、と音を立てて倒れ込む。


「が、っ……」


 息ができない。


 肺が上手く動かない中、視界の端で折れた枝が転がっていくのが見えた。背中から脇腹にかけて、じわっと嫌な熱が広がっていく。


 動かなきゃと思うのに、体が言うことをきかない。


 その間にも、また地面を蹴る音がした。


 顔だけをかろうじて動かす。灰色の塊が一直線にこっちへ向かってくるのが見える。普通のジャイアントラビットよりも大きく、先程までのものより速度が速い。毛並みは逆立ち、全身にぬらりとした魔力の残りかすみたいなものがまとわりついていた。


 剣に腕を伸ばそうとしたがが、体は動かない。


 そこへ、横からミリアが飛び込んできた。


「コウイチ様!」


 俺とジャイアントラビットの射線上へ、迷いなく入る。


 抜き放たれた剣が斜めに閃いた。


 正面から受けず、ぎりぎりで軌道だけをずらした。完全に動きを流したんだと思う。なのに、衝撃を流しきれなかったようで、ミリアの剣は手元から弾き飛ばされて林の奥へ空中で弧を描いて消えていった。


 しかし、ジャイアントラビットの突進はそれでも止まらなかった。


 この一瞬をジャイアントラビットは待っていたみたいに地面を蹴った。


 やばい、と思った時にはもう遅い。


 だが、その射線へ今度は別の影が割り込んだ。


 グラウスだ。


 踏み込みながら剣を振るう。突進してきた異常種の頭部へ、叩き落とすような一撃を加えた。鈍い衝撃音が響き、灰色の巨体が地面へ打ちつけられる。


 着地したグラウスは、そのまま一歩も引かなかった。


 その後ろへ、フィーアとエイルがほとんど同時に滑り込んできた。


「じっとしてなさい」


 フィーアの手が俺の胸元にかざされる。


 淡い光が流れ込み、呼吸が少しずつ戻ってきた。背中の鈍痛も、骨の奥に響く感じだけを残して引いていく。


 その横で、エイルは杖を両手で握り、地面へ深く突き立てた。


 次の瞬間、足元から光が走る。


 雑木林の地面そのものへ、巨大な魔法陣が展開されていく。円や線などで構築される見たこともない記号。それらが一気に広がり、俺たちの周囲を飲み込んでいった。


 息を呑んだのは俺だけじゃなかったはずだ。俺の隣でミリアも息をのんでいるのがよく分かる。


 魔法陣をだしたエイル本人は、もう次の処理へ移っている。


 林の奥へ飛ばされたミリアの剣が、宙に浮いて見えない手で引き寄せられるみたいに滑ってきた。そしてちょうどミリアの前で受け取りやすい高さに止まる。


 ミリアはそれを掴むと、そのまま俺たち三人の前に立った。


 その時には敵は、一匹だけではなくなっていた。


 草の向こう。木の根元。倒木の陰。


 あちこちから姿を表すジャイアントラビットがいる。そのどれもが俺の知っているジャイアントラビットではないように感じる。


 次の瞬間、それらが飛び跳ねる。


 毛並みの色は白や灰や茶とばらばらなのに、どれも目の奥に同じような濁りがあって、飛びかかるたびに薄い魔力の残滓を散らしている。


 飛び跳ねるジャイアントラビットの中心にいるグラウスは迷うことなく剣を振るう。


 真正面から受け止めるんじゃなくて突進の角度を切り、剣で流し、さらに軌道を変えながら、自分に都合のいい位置へ寄せていく。


 敵を遠ざける。


 俺たちのいる場所から、少しでも引き剥がす。


 その動きが、見ていて分かるくらいはっきりしていた。


 しかも、エイルの魔法が視覚を補うように飛んでいく。


 火でも雷でもない。光の槍みたいなものが、グラウスのいない場所だけを正確に撃ち抜いていく。グラウスの着地する場所。草の陰。木の間。まるで最初からそこに敵が来るのを知っているような攻撃だった。


 グラウスも、それをわかりきっているのか、さばける敵だけに集中している。


 グラウスの動きは退く時は退き、踏み込む時は一歩だけ深く出る。敵を押し返すんじゃなく、群れの流れそのものを捻じ曲げていくような美しさがあった。


 それでも、グラウスの体には小さな傷は増えていた。


 頬が切れる。腕を掠める。肩口を抉られる。だが、決定打になりそうな傷は残らない。


 フィーアの回復が、そのたびに入るからだ。


 フィーアは俺のそばに膝をついたまま、視線だけはグラウスから外していない。傷が深くなるよりわずかに早く光が走り、グラウスの動きが落ちないように保たれている。


 どの傷を放置できて、どの傷に今すぐ回復が必要か。そういうことが、経験によって染み込んでいるみたいな判断の速さだった。


 ミリアは俺たちの前で剣を構えたまま、いつでも飛び出せるようにしている。それでもグラウスに加勢しようとはしていない。


 出るな、と言われなくても分かる。


 俺は、今加勢しても邪魔にしかならない。


 悔しいが、目の前で繰り広げられる戦闘を見ればはっきり分かった。


 押し寄せる突進をグラウスが捌き、エイルが先回りで撃ち抜き、フィーアが傷を消していく。その連携で群れを押し返しているように見えていたのに、ふと空気が変わる。


 エイルの杖を握る指に、ふっと力がこもった。


「グラウスさん!」


 エイルの声が響いた。


 その時にはもう、グラウスは目の前の敵を無視してこちらへ駆け戻っていた。

 一瞬で俺達の元へ戻ってくると、フィーアがグラウスと入れ替わるように前へ出る。


 両手を広げるみたいにして、俺たちの周囲へ半球状の結界を張った。透明に近い膜が浮かび上がる。


 次の瞬間、外側を覆うほどの数のジャイアントラビットが、一斉に結界へ突っ込んできた。


 どん、どん、どん、と連続する衝撃。


 膜全体が歪む。


 フィーアの唇は結ばれ、額に汗が浮いている。


 それは結界にひびが走ったからだろうか。そのままあっけなく結界は砕けた。


 ――だが、その内側で、もう一枚の結界が生まれる。


 今度は透明じゃない。細い光の線が幾何学模様みたいに何重にも組み合わさった、鋭い印象の結界だった。


 そこへ、勢いのまま突っ込んできたジャイアントラビットが触れた瞬間、ぶつかった個体が爆ぜた。


 肉片じゃない。


 魔力ごと裂けたみたいに、光の粒を散らして消えていく。形を保っていたはずの体が、内側から砕けるように崩れ、残ったのは薄く尾を引く魔法の残滓だけだった。


 それを見た群れが一瞬だけ固まり、攻撃が止まる。


 何が起きたのか分からない、そんな止まり方だった。


 耳が立ち、脚が止まる。草を踏む音がぴたりと途切れる。


 その静止は長く続かなかった。


 まず一匹、草むらへ跳んだ。


 次に二匹、三匹。


 さっきまで前へ前へ押し寄せていたはずの気配が、今度は逆に引いていく。見えていた敵の影が、草の中へ溶けるみたいに消えていく。ジャイアントラビットが木の根元や倒木の向こうへ次々に沈み、あたりは静寂に包まれた。


 エイルが杖を地面へ軽くつく。


 魔法陣の光が波紋みたいに広がる。エイルは一つ瞬きをして一度だけ深く息を吐き出した


「……逃げて、いってます」


 小さい声ではっきりと言った。


 その一言で、ようやく安全が確保されたのだと理解が追いついてきた。


 俺はしばらく、その場に立ち尽くしていた。


 逃げていくジャイアントラビットの気配はもうない。目の前には折れた枝と抉れた地面、それからまだ薄く残っている魔法の残滓だけがあった。さっきまで命のやり取りをしていたはずなのに、急に音に静かになって、頭の方が現実に追いついてこない。


 今の、本当に同じジャイアントラビットだったのか。


 俺がさっきまで相手していた三匹と、同じ生き物とは思えなかった。


「……みなさん、大丈夫ですか?」


 最初に声を出したのはミリアだった。


 俺たちの顔を順に見て、全員が立っているのを確かめてから、ようやく強ばっていた息を吐く。


 その直後だった。


 目を輝かせたまま、ミリアが一歩前へ出る。


「い、今の、どうやったんですか!? 一つ目の結界が割れたあと、すぐ次の結界が出ましたよね!? そ、それから! もしかしてエイルちゃん、敵の場所、全部分かってたんですか!?」


 質問が一気に飛んでくる。


 エイルはまだ杖を握ったまま、少し荒い呼吸を整えていた。額には汗が浮いている。それでも、ミリアの言葉には小さく頷いた。


「あの、えっと、その。フィーアさんの結界で、時間を稼いで……その間に、私が次を用意していました」


「次って、あの攻撃も付与されていたやつですよね!?」


「はい……防ぐだけだと、たぶん押し切られたので」


「すごい判断力だな」


 思わず口を挟むと、フィーアが肩で息をしながら言う。


「私はヒーラーよ? 防御結界は使えるけれど長くは持たないの。だから、立て直すための場繋ぎでしかないわ」


 そう言って、エイルを顎で示す。


「私が止める。その間にエイルが反撃の準備をする。それだけよ」


「それだけって……」


 どれだけの試行錯誤を繰り返せばその連携が取れるのか想像は難しかった。


 ミリアも目を丸くしたままだ。


「じゃ、じゃあ最初から、フィーアちゃんの結界が割れるところまで見越して……?」


「まぁ、そうなるわね」


 フィーアはそこでふっと息を吐いた。


「一枚で終わるならそれでいい。でも押し切られるなら、次を重ねる。それだけ」


 グラウスはそこでようやく剣を鞘に収めると、地面を見回した。


 そこで、さっきまでいたはずのジャイアントラビットがいないことに気づく。


「……あーあ。逃げたか」


「拘束魔法、解いてしまいました。ごめんなさい」


 それを聞いたグラウスが肩をすくめた。


 その言葉で、俺もそちらを見た。


「仕方ねぇよ。あの状況でうさぎ抱えて戦えるわけねぇぜ」


「まぁ、それはそうか……」


 本当に三匹ともいない。


 ジャイアントラビットの群れが出た瞬間、俺たちはそっちに意識を持っていかれた。フィーアの腕の中の一匹も、俺が投げ出した二匹も、とっくに逃げ出していたらしい。抱えたまま戦える状況じゃなかったし、離したのは当然だったが、それでも少し惜しい気がした。


「あぁ、私のモフマロが……」


 フィーアだけは少しだけ残念そうだった。


「いつの間に名前つけたんだよ」


 ミリアはそんなフィーアを見て、小さく笑う。


「また今度、普通のジャイアントラビットを捕まえればいいですよ」


「そ、そうね! つ次はちゃんと連れて帰るわ!」


 少し焦ったようなにフィーアが言った。


 ミリアはまだ聞きたいことが山ほどありそうな顔をしていたが、さすがに今はそれどころじゃないと判断したのか、ぐっと言葉を飲み込んだ。


「……農場、もうすぐです」


 そう言って、街道の先を指さす。


「ここを抜ければ見えてきます。ひとまず、私のお家に向かいましょう」


 俺はそこでようやく、長く息を吐いた。


 疲れがどっと戻ってくる。まだ少し脇腹は痛むが、さっきみたいに立てないほどじゃない。フィーアの魔法が効いているんだろう。


「……行くか」


 そう言うと、グラウスが短く頷いた。


 俺たちはもう一度、ミリアの農場へ向かって歩き出した。

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