第15話 初陣はもふもふにて
「っ、ぶはっ!?」
目の前が、一瞬真っ白になった。
何が起きたのか分からないまま、俺は反射で両手を振り回す。もふっ、と柔らかい感触が顔面全体に押しつけられていて、鼻も口も塞がれていた。毛が鼻の奥に入り込んで、息を吸おうとしても変なくすぐったさに襲われる。
「また顔面かよッ!」
べりっと引き剥がす。
白い塊が俺の手から抜け出したかと思うと、丸い尻が一瞬見えただけで、そのまま木の陰へ消えていった。
「っはははは! 今のは見事だったな!」
後ろでグラウスが腹を抱えて笑っている。
「笑ってる場合か! 顔に飛びついてくるとか聞いてねぇぞ!」
「サプラーイズ! みたいな?」
「全然嬉しくねぇーよ!」
俺は肩で息をしながら剣を構え直した。
雑木林の中に、白や灰色、茶色など様々な色の影が見える。
木の根元、草の陰、倒れた枝の向こう。全部ジャイアントラビットだ。大型犬をそのまま太らせた様なでかいうさぎ。しかし、大型犬と違ってあまりにも動きが速すぎた。
本当に速い。
しかも、ただまっすぐ突っ込んでくるだけじゃない。木を蹴って瞬間的に軌道を変える。草の中に沈んだかと思えば足元から出てくる。正面から来ると思わせて、急に横へ抜ける。見えたと思って振ればもういない。いないと思った瞬間に、別の一匹が体当たりしてくる。
弱い、という話はどこへ行ったんだ。
「コウイチ様〜! 右です! 右〜!」
「おうよ!」
ミリアの声に反応して右へ剣を構える。
同時に、どん、と胸元に丸太でもぶつけられたみたいな衝撃が来た。だが、痛くはない。
妙な感覚で、まるでデカいマシュマロが高速でぶつかってくるみたいだった。柔らかくて、もふもふしてる。なのに、その瞬発力だけはとんでもない。
「お、いいぞ!! 押し飛ばされなかったじゃねぇーか!」
グラウスが実に楽しそうに言う。
「本当に危ねぇ時は助けてやるよ! 今手伝ったら訓練にならねぇからよ!」
そう言ってグラウスは笑っている。訓練とかこつけて、俺が無限マシュマロアタックを貰うのを見て楽しんでるだけなんじゃないのか、そんな疑問が頭をよぎる。
「さっさと倒しちゃいなさいよー!」
そう言うフィーアも木の幹に寄りかかって、さっきから面白そうに眺めているだけだし、エイルに至っては杖を握って「が、頑張ってください……!」と応援するばかりで、魔法を撃つ気配はまだない。
ミリアだけは本気で応援してくれているが、その応援もだいぶふわっとしていた。
「コウイチ様、もっとこう、ドヒャーっとですよ!」
「ドヒャーってなんだよ! ドヒャーって!」
「なんか、さっきです! さっきの感じです!」
「全く分からん!」
軽率なやり取りをしている時、左の草むらが揺れた。
来る。
俺は無理に追わないよう、足を止めて、剣先をぶらさないように意識する。グラウスに言われたことを頭の中で反芻した。
焦って追いかけるな。
突進で倒されるな。
まず相手を見ろ。
白い影が飛び出してくる。
頭の向きはこちらを向いているが、前足の着地が俺の方を向いていない。なら、跳ぶのはこっちか。
「そこ!」
剣を少し斜めに出す。
もふっ、と変な手応えが返ってきた。刃が肉を裂く感触じゃない。分厚い毛皮の上を、鈍く滑っていく感触だ。真剣になのに、まるで木刀で布を切っているような感覚だった。
「クソッ! 滑っ――」
言いかけたところで、別の一匹が横から脇腹に突っ込んできた。
「ぐぅっ!」
変な声が出た。
体が半歩流れる。だが足を踏ん張り、腰から地面を踏みつけるイメージで持ち堪えた。
「いいぞ! 今のはちゃんと反応できてたぞぉー!」
グラウスが楽しそうに叫ぶ。
「褒めるのはもういいから助けてくれ!」
「飴と鞭っていうだろ?」
「お前の言葉飴にはならんぞ!」
そのやり取りの最中にも、ジャイアントラビットは止まってくれない。
一匹が木の幹を蹴って上へ飛んだと思ったら、斜めから落下してきて顔の横をかすめる。もう一匹はわざとらしく正面で止まったかと思えば、次の瞬間に地面すれすれを滑るように突っ込んでくる。脚を狙って倒そうとしているのか。
「っ、おい、待て待て待て!」
上を見るれば下から来る。反応が間に合わない。
咄嗟にしゃがみ込んで剣を横にして前に押し出す。上から来た一匹が頭上を抜けていき、下から来た方が剣にぶつかる。勢いは殺せた。だがジャイアントラビットへの攻撃は通っていないようだった。ふわふわした白い塊がそのまま剣を押してくる。
重い。いや、重くはないのに押される。
意味が分からん。
「腕だけで受けようとするなコウイチ!」
グラウスの声が飛ぶ。
そうだ。
腕だけでじゃなくて、全身で受け止めるんだ。
俺は奥歯を噛みしめて、全身の筋力を腕の先にぶつけるつもりで力を入れた。
押される。だが押し飛ばされない。
そのまま剣を少しだけずらすと、ジャイアントラビットの突進が横へ流れた。白い塊が俺の脇を抜けて、地面を跳ねる。
「おっ」
「今の感じいいですね! ジャキーンって感じでした!」
ミリアが嬉しそうな声を上げる。
その瞬間、三匹目が真正面から顔面に飛びついてきた。
「ぐっふ!?」
まただ。
なんなんだこいつら。俺の顔面に人参エキスでもついてるってのか。顔に突進するの好きすぎるだろ。
もふもふの腹だか胸だか知らないが、とにかく毛だらけの柔らかい塊がべったり顔面へ押しつけられ、視界が真っ白になる。しかも毛が口に入って不愉快だ。
今度は慌てて振り回さず、片手で顎のあたりを押し上げるようにしてずらす。完全に塞がれる前に隙間ができた。
「はっ!」
そこから無理やり息を吸って、もう片手で引き剥がした。
ジャイアントラビットは空中で体をひねるみたいに向きを変えて着地し、そのまま何事もなかったかのように距離を取る。
「ははっ……だめ、面白すぎるわ」
フィーアがとうとう堪えきれずに笑い出した。
「顔面狙われすぎじゃない?」
「俺もそう思うぞ!」
「もしかして、コウイチさん、ジャイアントラビットに好かれやすい顔なんじゃないですか……?」
「どんな顔だよ!!
叫び返しながらも、息がきつい。
肩が上下する。それなりの長期戦になっているので腕も重い。手のひらもじんじんしてきたし、じっとり汗をかいたせいで、柄が少し滑る。足ももうだいぶだるい。
なのに、向こうはまだ余裕がありそうだ。
俺は剣を下げないように気をつけながら、ぐるりと周囲を見た。
三匹。
いや、よく見ると最初ほどは元気じゃない。
一匹は呼吸が荒いのか、肺の辺りが激しく膨らんでいる。。もう一匹は草の陰からこっちを見ているだけで、さっきみたいな勢いがない。最初に顔面へ飛んできた白いやつも、木の根元で何度か足を踏み替えている。
向こうも疲れてきてるのか。
俺は深く息を吸う。無理に全部を追わず、じっくり一匹ずつ倒していく。
まず一匹。
一匹だけに絞る。
視線を巡らせ、さっきから一番消耗している灰色の個体に狙いを定める。
灰色のやつが俺の視線を読んだみたいに、耳を伏せた。
来る。
「コウイチ様、ドーンですよ!」
ミリアの声。
俺はもう、こちらから攻めない。足をずらして、剣を胸の前で少しだけ斜めに構える。
灰色が跳び、その速さに一瞬反応が送れる。
だが、見える。
頭の向き。踏み込み。跳ぶ瞬間のわずかな沈み込み。全部が、さっきよりはっきり見えた。
「っ、ら!」
剣で正面から受けず、少しだけ流す。
灰色のラビットは体を逸らされ、そのまま勢いは消えず、近くの木にぶつかり、鈍い音を立てた。今までなら上手く着地して逃げていたのに、今回はそうではなかったようだ。
衝撃で動けないのか、よろけながら辺りを見渡すジャイアントラビット目掛け、俺は地面を蹴った。
剣を振るより先に、手を伸ばす。耳でも首元でもない。前足の付け根あたりの、もふっとしていて掴みやすそうな場所へ背後から腕を突っ込む。
「うおっら!」
持ち上げた瞬間、想像以上にふわふわだった。
ふわふわなのに、しっかり生き物の重みがある。ジャイアントラビットはじたばたと暴れ後ろ足がばたばた俺の腹や太腿に当たる。でも、もう勢いはない。完全にへばっている。
俺はそのままがっしりとホールドして動きを封じこんだ。
ジャイアントラビットは最後に一度だけ大きく跳ねようと俺の太腿をけるも、跳ねきれずに力無く脚が垂れるだけだった。耳が暴れて呼吸が荒い。鼻先だけが細かくひくついていて、目もどこか必死そうだった。首をクネクネ動かして脱出を試みている様だが、そうはさせん。
その瞬間、腕の中のデカうさぎがなんだか可愛い生物に見えた。
俺は息を切らしながら、腕の中のジャイアントラビットを見る。
でかい。速い。面倒。めちゃくちゃ疲れた。顔にも何度も飛びつかれて、正直かなり腹が立っている。
でも。
「……これ、殺すの可哀想じゃね?」
ぽろっと口から出た。
一瞬、後ろが静かになる。
「は?」
フィーアが素で聞き返した。
「いや、だって」
俺はジャイアントラビットを押さえ込んだまま言う。
「こいつ、もうへばってるし……なんか必死だっただけな気がしてきた」
「散々顔に飛びつかれておいて、それ言うの?」
「まぁ、一瞬のリラクゼーションサービスだと思えば」
「わ、分からなくはないですけど……! あのモフモフの感覚はたまりません! ですが……」
エイルが困った顔で杖を抱え直す。
ミリアは目を輝かせていた。
「た、確かに可愛いです!」
「おい、同意しちゃうのかよ!」
グラウスが笑いを堪えながら近づいてくる。
「で、どうするつもりだ?」
「エイル!」
「は、はい!?」
「魔法で拘束とかできないか?」
「え、ええっ、できますけど……え、本当に生け捕りにするんですか?」
「できるなら頼む!」
エイルは目をぱちぱちさせたあと、慌てて杖を構えた。
「わ、分かりました! でも、元気なうちは無理ですからね……! へばってる捕獲してる時しか上手く拘束魔法が使えません」
そして小さく呪文を唱える。
すると、杖の先から淡い光が伸びて、ジャイアントラビットの足元へ落ちた。そこから細い帯みたいな光が何本も走って、うさぎの体へ絡みつく。
びくっと身をよじったジャイアントラビットの動きが、そこでぴたりと止まった。
「おお……!」
初めて魔法というものを目の当たりにして少し興奮気味に見入ってしまった。
「すごいな!」
そして俺はようやく力を抜いて、その場にへたり込んだ。
疲れた。
めちゃくちゃ疲れた。
腕も足も重いし、息もまだ全然整わない。頬には毛がついてる気がするし、服は泥だらけだし、たぶん顔も今かなりひどいことになっている。
でも、一応捕まえた。
目の前では、光の帯にぐるぐる巻きにされたジャイアントラビットが、うるうるした瞳でこちらを見つめてきている。そんな顔をされても解放してやるつもりはないんだが。
耳もへにゃっと寝ていて、さっきまでの理不尽なほどの速さが嘘みたいだった。
「いやぁ……」
グラウスが腹を押さえながら言う。
「見てる分には最高だったな」
「人が必死こいてるのにお前らは……」
「だから余計に面白いんだよ」
「最低だー」
「褒めてんだぞ?」
フィーアも笑っている。
「途中で“でっかいマシュマロか!?”っていうのはいい表現だったわ!」
「だってそうだろう。デカマシュマロだぞ、あんなの!」
「確かにそうだけど、普通戦闘中にそんな感想が出るとは思わないじゃない。なかなか面白かったわよ?」
ミリアが拘束されたジャイアントラビットの前にしゃがみこむ。
「可愛いですねぇ……」
「でしょ?」
「はい! それにジャイアントラビットのお肉はとても美味しいんですよ!」
確実に見間違いだが、一瞬ジャイアントラビットの顔が青ざめる気がした。
エイルはまだ少し戸惑った顔のまま、でもどこか安心したように言った。
「コ、コウイチさんって……やっぱり、ちょっと変です」
「なんでだよ」
「普通、あそこまでボロボロにされて、最後に“可哀想だから生け捕りで”には、ならないんじゃないでしょうか……」
「ボロボロだったのか……」
自分なりに上手く動けていたと思っていたが、まぁ、側から見ていたらそんなものだろう。
グラウスは楽しそうに俺の肩を叩いた。
「ま、でも悪くなかったぜ? 俺の言ったことちゃんと守れてたじゃねぇか!」
俺は大きく息を吐いて、その場に手をついた。
疲れた。腕も足も重い。
けど、最初に動きを追えずただ振り回していた時と比べれば、終盤はずっと戦えていた。
見えなかった動きがなんとなくわかるようになった。勝った、とは言い切れない。けど、何もできなかったわけでもない。
「……で」
俺は顔を上げる。
「あと何匹やるんだっけか?」
そう聞いた瞬間、グラウスたちは揃って笑った。




