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第12話 最初の依頼

 受付には今朝と同じように、丸眼鏡の事務員が座っていた。姿勢はきっちりしていて、机の上の書類にもその性格が現れているのか寸分の乱れもない。俺たちが近づくと、彼女は視線だけこちらへ向ける。


「……また、コウイチさまですか」


「言い方がちょっと嫌そうだな」


「まさかとんでもない。朝から何度も会えて大変嬉しいと言ってるんです」


 真顔のまま眼鏡のつるを押し上げる。冗談なのか本気なのか、本当に判断しづらい。


 グラウスが依頼書を置いた。


「クエストの受注を頼む。一応四人だ」


「『ジャイアントラビットの討伐』ですね。冒険者証をお預かりします」


 俺は昨日もらったばかりの冒険者証を差し出した。グラウスたちも冒険者証を事務員へ差し出す。彼女はそれをそれぞれ裏返すと、記録されている番号を書面に写していく。


「期限は五日以内。討伐数は三体以上。証明部位はどちらかの耳です。三体未満は減額、ゼロなら失敗扱いとなります」


「三体か」


「難しくはありません。逃がさなければ、ですが」


「逃がしたら?」


「相当走ることになりますね。体力の少ない新人さんには地味にきつい依頼かと」


 そういう理由もあって残っていたのか。


 事務員は書類を処理し、控えをこちらへ差し出した。


「これが受注控えです。街の外で確認された際は、冒険者証と合わせて提示してください」


「ああ」


「それでは——どうかご無事でお戻りください」


 眼鏡越しに小さく頷く。


 控えと冒険者証を懐にしまと金属板の重さが、昨日よりほんの少しだけ重たいもののように感じた。


 ***


「じゃ、次はガレスのところへ行くわよ」


 ギルドの扉を押し開けると、昼に近づいた街の光がまともに顔へ差し込んできた。


 昨日と同じ広場だ。けれど人の数は増えている。噴水の縁では待ち合わせらしい人々が座り、水売りの声が飛び交い、革靴の音と荷車の軋みと遠くの金属音が混ざって、街の喧騒が重なって聞こえてくる。


 昨日は初めて目にする全部に気圧されていたけれど、今日は少しだけ、どこに何があるのかがわかる。その違いが自分で意外だった。


「店、近いのか?」


「歩いて十分ってとこだ。鍛冶屋通りの外れにある」


 歩きながら、フィーアとエイルが小声で装備の話をしている。新しい杖だの、防具の付け替えだの、半分くらいは専門用語で分からない言葉だったが、こいつらにとってはすぐ身近にある日常の話なのだろう。


 鍛冶屋通りへ入ると、空気ががらりと変わった。


 金属と油、それに炭の匂い。店先には剣、斧、盾が無造作に立てかけられ、巨大な金槌や見ただけで肩が外れそうな大鎚まで置かれている。商品を飾るというよりただ置いてあるというのが妙に鍛冶屋通りらしい光景だった。


 昨日はただ「すごい」で流した店先を、今日は自分がこれから何かを買う側の目で見ている。そう思うと、同じ通りでも視界の中にあるものの粒度が全く違った。


 通りの少し先、剣とハンマーが交差した看板の店でグラウスが足を止めた。


「ここだ」


 扉を押し開ける。からん、と軽い鈴の音が鳴った。


「邪魔するぜ、ガレス」


「おぉ、グラウスさんじゃないですか。おや、それにコウイチさんも」


 店の奥から、恰幅のいい男が顔を出した。昨日、リューベールまで送ってくれた武器商人だ。


「昨日はどうも。その節は、なんというかお世話になりました」


「いやいや、こういう時はお互い様なんです。ピンチにはそれぞれが助け合う。それが冒険者ですからねぇ」


 ガレスはにこやかにカウンターから出てくる。


「今日は例の素材の件ですか?」


「そっちはまだだ。今日はこいつの武器を見繕いに来た」


 グラウスが俺の背中を叩いた。


「新人で丸腰。予算に収まる初心者向けが欲しい」


「なるほど。予算は?」


「一万ちょいかな。雑費もあるから、武器は七千までってとこだな」


「承知しました。少しの間お待ちくださいね」


 ガレスは奥へ引っ込み、ほどなくして三本の武器を抱えて戻ってきた。カウンターの上に並べられる。


 ダガー、片手斧、そしてショートソード。


 三本の刃が並んだ瞬間、喉の奥で昨日の冷たさが疼いた。指先を粘液に埋めて、核を探っていたあの感触。ぬるついて、重くて、息ができなかったあの時の記憶だ。


「まずはこちら。ショートソード。新人さんが最初に選ぶ定番ですな。刃渡り五十センチほどで、扱いやすい。鞘込みで六千八百ルクス」


 次に斧。


「こちらは一撃重視。振りは重いですが、当たれば強い。ただ隙が多くできるので、初心者の方にはあまりお勧めできません。それでもロマンはありますよ」


 最後にダガー。


「短い分安い。ですが射程が短いので近寄る度胸が要ります。金銭的に厳しいようでしたらこちらで小物を狩って資金を貯めるのがいいでしょう」


「……グラウス。お前ならどれを選ぶ」


「お前が決めるんだ。しばらくの相棒になるんだぞ?」


 グラウスは武器を見もせずに言った。


「その手がどれを選びたいか、昨日のうちに体が覚えてるはずだ」


 その一言で、俺の指が勝手に動いた。


 触れたのはショートソードの柄だった。


 昨日、武器がないまま核へ突っ込んでいったときのことを思い出す。


 斧でも、ダガーでもない。俺はショートソードを選んだ。


「……昨日、どう戦ったと思う」


 俺は柄を握ったまま呟いた。


「武器がなかったから、近づくしかなかった。割れた瓶で突いて、最後は核を噛んで事なきを得た。でもな、怖かったよ。そうするしかなかったんだ」


「だろうな」


「だから、距離をある程度距離を取りながら戦える武器が欲しい。斧は振りきれる気がしない。短剣は……あの至近距離で戦って運よく無傷でってのは想像しにくい」


 グラウスがにっと笑った。


「上出来だ。お前は自分のやり方を一度わかってる。そこからなら教えがいがある」


 ガレスとグラウスが目配せをする。


「近距離戦闘というのは危険が伴います。戦闘に慣れないうちから近づいて戦う癖をつけてしまうと、格上の相手には押し切られる。ですので、一歩だけ距離を保ちながら戦うことを覚えるために、ショートソードはいい選択です。コウイチ様は感がいいかもしれないですよ、グラウス様」


 フィーアも頷いた。


「初心者がイキって突っ込んで死ぬのはよくあるもの。身の程をわきまえた選択ね」


「それに見栄えの良い派手な武器に手ぇ出して死ぬのはありがちだ。基本に忠実に、それが師匠である俺からの教えだ」


「師匠?」


「あぁ、師匠だろ?」


「まぁ、一応そうなるか?」


「一応って……まぁ、いいけどよ」


「ちなみにですね」


 ガレスが口を挟む。


「昨日の行動は賞賛に値します。私はあなたのように度胸と優しい心をあわせ持った冒険者には、少しばかりの支援をしているんです。今回は千ルクス引かせていただきたい」


「いいのか?」


「えぇ。もちろんです」


 朝食一食分よりはるかに大きい値引きだ。正直、かなり助かる。


「じゃあ、改めてショートソードを貰ってもいいか?」


「承知しました。では、こちらも一緒にどうぞ」


 そう言ってガレスはショートソードを鞘に入れて渡してきた。


 ずしり、と手にしっかりと重みが乗った。剣なんて触れる機会もなく生きてきた俺には少しばかり重すぎるくらいだ。柄を握ると、木と革の感触が妙に指に馴染む。


「抜いてもいいか?」


「ええ。ただ店の中ですのでお気をつけて」


 しゃらん、と澄んだ音が鳴る。


 光を受けて、刃が現れた。


 当たり前のことなのに、妙に格好が良くて息が止まる。


 漫画やゲームで何度も見たものが、今、確かな質量を持って手の中に収まっている。


 スライムに顔を塞がれた時の息苦しさが、ふと喉の奥に蘇る。


 あの時、もしこれがあったならもっと楽に戦えたのだろうな。


 そう思った瞬間、剣の重みが少しだけ頼もしく感じられた。


「……いいなこれ」


「感動もんだよな」


「あぁ、本当に」


「似合ってますよ、コウイチさん」


 エイルが笑う。


 俺はゆっくり鞘へ収め、ベルト金具を確かめた。ガレスが簡単な革ベルトもつけてくれる。


「お会計は、鞘とベルト込みで五千八百ルクスです」


 皮袋から硬貨を数えて置いていく。昨日手に入れたばかりの金が、目の前で武器に変わって、財布は分かりやすく軽くなる。


 なのに惜しいとは思わなかった。


「ちょうどですね。毎度ありです」


 そしてガレスがカウンターの下から小さな瓶と布を差し出す。


「手入れをするためのものです。使った日は刃の油を拭ってください。意外と忘れられがちですが、長持ちさせるためには重要なことですよ」


「……そうなのか、ありがとう」


「もしかするとコウイチ様はその武器だとすぐに物足りなくなるかもしれません。またお越しください。いつでもお待ちしてますよ」


「そうか。そうだな。ありがとうガレスさん。これからもよろしく頼むよ」


 店を出て、腰に剣をぶら下げて歩く。これでようやく、冒険者として駆け出した実感を得た。


 ***


 城門へ向かう道すがら、俺は何度も腰の柄を触ってしまっていた。


「そんなに気になるか」


「なるだろ」


「まぁ、初めて自分の武器を持った日ってそうよね」


 フィーアが肩をすくめる。そう言うだけで、それ以上のからかいはなかった。


「フィーアちゃんは新しい武器を手に入れたら一緒に寝ますもんね」


「ちょ、ちょっとエイル!? なにバラしてくれてるのよ!」


「え、え、えええ!! ごごごごめんなさい! ごめんなさい!」


「全く悪気が無いんだから叱る気にもならないわ」


 その二人のやりとりに思わず俺とグラウスは吹き出してしまった。


 そのまま広場を抜け、鍛冶屋通りを戻り、昨日通った道を逆に辿る。露店から漂う匂いは相変わらずだが、昨日ほど眺めることはない。


 やがて、城壁が視界いっぱいに迫ってくると、門番たちの中に知った顔がいた。


「ようヘイゼン!」


 グラウスが手をあげて大きく叫んだ。


「……またお前かグラウス」


「またはないだろうまたは」


 ヘイゼンがため息を吐きながらこちらを一瞥してくる。事務的な態度ではあるが、昨日と比べて明らかな敵意はもう薄れていた。


「お前は昨日の新人か」


 ヘイゼンは俺の前で止まる。


「身分登録は済ませたか」


「済ませたぞ」


 冒険者証を見せると、ヘイゼンは手早く確認した。


「確かに。リューベール所属、新規冒険者、カンザキ・コウイチ。……問題ない。結構」


 門番らしいと言えば門番らしいのか。


「全くヘイゼンは真面目なんだから」


 今のはフィーアの真似をしたグラウスだ。グラウスはフィーアに脛を蹴られている。


「当たり前だろう。そうじゃなければ門番なんて仕事はできない」


 そう言って俺にヘイゼンは冒険者証を返す。


「それと、これだ」


 腰袋から取り出されたのは、あの黒い板――スマホだった。


「返してくれるのか?」


「調べたが不審なものでもない。冒険者登録もしているようだし、預かる理由はもう無いだろう。返却する」


 受け取った黒い板、もといスマホの充電はとうに切れている。写真も、連絡先も、メッセージも、この世界では二度と開けない。現状ただの石みたいなものだった。


 それでも、簡単には捨てられない。


 俺は少しだけ眺めてから、ポケットへ押し込んだ。腰の剣は左に、スマホは反対のポケットに。


 少しだけ異世界を忘れて元の世界に意識を持っていかれる。そう自覚しながら、腰の柄に触れて気を紛らわせた。


「これできちんと返却したからな。ここにサインだけもらう」


 差し出された紙に、昨日と同じように日本語でサインを書く。ヘイゼンはそれを確認し、小さく息を吐きながらグラウスに問いかける。


「それで依頼か?」


「あぁ、そうだ。コウイチにはジャイアントラビットを討伐してもらう」


「ジャイアントラビット? グラウス、お前は優しいやつだと思ってたが」


「いいじゃねぇか。初心者なんだから、ちょっとは苦労してもらうさ」


 その会話を聞いた俺としては、全く優しくない依頼内容の気がしてきて、不安が募ってきていた。


「まぁ、いい。気をつけて行ってこい」


「おう、じゃあな」


 俺たちは揃って門をくぐった。すると旅人と荷馬車の向こうに、茶色の髪を後ろで三つ編みにした人影が見える。両手には大きな布袋。


「あ、ミリアだ」


「おーい、ミリアさーん!」


 グラウスが手を振ると、ミリアがこちらに気づいて表情をぱっと明るくした。小走りで駆けてくる。


「お待たせしました! もう少し早く着きたかったんですけれど、母がどうしてもって荷物を持たせるものですから……」


「いいのいいの。それよりも大丈夫だった? 親御さん。心配してなかったかしら?」


「はい、おかげさまで」


「それは良かったわね」


「父も母も、コウイチ様の話をしたら、会って直接お礼をしたいと言っていました。今日のクエストが終わったら、ぜひ皆さんでうちに来てください」


「俺としては昨日の食事で十分なんだけどな」


「そうはいきません」


 そう言ったミリアは、少しだけ姿勢を整えてからそういった。


「それからこれ、母からです。みなさんの昼食にと」


 ミリアが布袋の一つを差し出してきた。


「おっもっ!」


 受け取った途端、腕が沈んだ。


「サンドイッチとパイと果物、それにジャーキーなどなどです。もし余ったら持ち帰ってください」


「余るほど入ってるのかよ」


「五人分ですから」


 ミリアが少し申し訳なさそうに笑う。


「あの……ミリアさんのご家族、とても温かい方なんですね」


 エイルが嬉しそうに言うと、ミリアは柔らかく微笑んだ。


「ありがとうございます。ええ、本当におせっかいすぎるくらいで」


 その横から、フィーアがさっそくミリアの腕に絡みつく。


「ミリア、今日もしっかり見ててあげるから安心してね?」


「フィーアちゃん、近いです……」


「いいのよ、パーティーなんだから」


「歩きにくいです……」


 昨夜から一晩しか経っていないのに、このやり取りにも少し見慣れてきている自分がいた。


 グラウスが手を打つ。


「よし、全員揃ったな。今日の依頼はジャイアントラビットの討伐。南東の雑木林まで徒歩二時間ってとこだ。向こうで昼を食って、午後から狩る。日暮れ前には戻るってことで――いいな?」


「はい!」


「了解」


「が、頑張ります……」


「おっしゃ、初陣頑張るか」


 俺も短く頷き、腰の剣に手を添えた。


 触れるたび、昨日スライムに顔を塞がれた時の冷たさが、ほんの少しだけ指先へ蘇った気がした。門の外へ出るということは、あの危険な場所へ戻るということだ。


 それでも今はひとりじゃない。


 腰には武器があって、隣にミリアがいて、前にグラウスが歩いている。回復魔法が使えるヒーラーのフィーアもいるし、魔法で援護をするエイルだっているんだ。恐れることなんて何もない。


 息を吸い込んで緊張する体を気持ちばかりほぐした。


「よし、行くか」


 一歩踏み出すと、門の向こうから乾いた風が吹き抜けた。

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