第10話 討伐報酬
目を覚ました瞬間、最初に感じたのは体のこわばりだった。
背中が痛い。腰も痛い。硬い床の上に毛布一枚で寝ていたのだから当然だ。そこでようやく、昨晩ベッドが崩壊したことを思い出した。
見慣れない天井。見慣れない部屋。少しずつ意識が覚醒してきて、ここがどこかを思い出す。
起き上がって、まず目に入ったのはグラウスだった。身軽な服装のまま壁際に転がるように眠っていて、全く起きる気配がない。起こす理由もないので、俺は特に声をかけたりはしなかった。
大きく息を吸い込んで、伸びをする。体のあちこちがみしみしと鳴るような気がした。疲労はきちんと体に表れているようだ。
俺はグラウスを起こさないよう、なるべく静かにドアの方へ移動して、そっと扉を開けた。
廊下へ出ると、窓から差し込む朝の光が目に入る。まだ外は朝方らしく、人の気配も少ない。もう少し寝ていてもよかったかもしれないと少しだけ後悔したが、この静かな空気は嫌いじゃなかった。
昨日はグラウスたちと一緒だったから、ギルドをちゃんと見て回る余裕なんてなかった。
少しこのギルドを見てみるか。
そう思って、俺は一人で宿舎から通路で繋がっているギルド本館の方へ向かった。
***
宿舎の通用路を抜けて、階段を降りる。
すると昨晩とは打って変わった、ギルドの姿がそこにあった。
昨夜は酒臭くて騒がしかったギルドが、今はまるで別の場所のようだ。冒険者たちはすでに武器を背負い、鎧の留め具を確かめ、無駄口も少ない。全身を堅牢な装備で固めた者もいれば、軽装で素早さ重視なのだとわかる格好の者もいる。背丈ほどもある斧や、岩を砕けそうな大槌を持っている奴までいて、男心をくすぐるロマンみたいなものがあった。
思わずテンションが上がってしまい、通用路の入り口で立ち止まって見入っていた時だった。
背後を通り抜けようとした大柄な男の肩が、俺の肩にぶつかった。思わず少しよろける。
「新入りか。突っ立ってんなら端の方へ行け」
「す、すまん」
素直にその忠告に従って、俺は人けの少ない端の方へと移動した。
改めて見渡すと、この場にいる人物は本当に多種多様な装備をしている。ベテランから中級者まで満遍なくと言った印象だ。そんな中にも、俺と同じように初心者なのか、この場の雰囲気に少し呑まれて縮こまっている人物もいた。
その時、ギルド職員が数名現れて、紙の束をギルド内に複数設置されたクエストボードらしいものへと貼り付けていく。
「それでは本日のクエストを貼り出します」
その後ろでは冒険者たちが、今か今かと待ち構えているようだった。
その光景は皆がうずうずしているようで、落ち着きがない。
しばらくすると、クエストボードいっぱいに依頼が張り出されて、職員が会釈した。
「——それでは、本日もよろしくお願いします」
その言葉を合図に、クエストボード前の空気が一気に動いた。騒いでこそいないが、状況だけ見ればかなりの押し合いだ。この中へ俺が入っていける自信は全くない。
呆然とそんな冒険者たちを眺めていたら、昨日、冒険者登録の際に手続きをしてくれた丸眼鏡の女性と目が合った。どうやらクエストボードに依頼書を貼り付けていたようだ。
「コウイチさま、でしたよね?」
「あ、あぁ。俺がコウイチだが?」
不意に呼び止められたのと、彼女の落ちた髪を耳にかける仕草に思わず見入ってしまって、少しおかしな返しになった。
「ちょうどよかったです。一つ仕事が減りました。昨日の討伐報酬が出ましたので、手続きいたします。こちらへどうぞ。」
「討伐報酬?」
俺は案内に従ってカウンターの方へ向かった。
思い当たるのは昨日のスライムだ。けれど、あれは正式に受けた依頼じゃなかったはずだ。そんなものでも報酬が出るのか、と少し意外に思う。
「昨日、コウイチさまが討伐されたスライムですが、近隣の農村から討伐依頼が出されていた個体です」
丸眼鏡の職員は、事務的な口調のまま続ける。
「ミリアさん、グラウスさまたちの証言に加え、エイルさまによる魔法解析の結果、異常化も確認されました。諸々の確認が取れましたので、報酬を渡すことができます。報酬は――」
彼女は書類に目を落とした。
「一万二百ルクスですね」
ルクスというのがこの国の通貨の呼び名らしい。だが、相場観が全くわからない。大金なのか、少し贅沢ができる程度なのか、それすら俺には判断できなかった。
「なぁ、それってどれくらいの価値なんだ? この国に来たばかりで、まだよくわからないんだ」
その言葉に、丸眼鏡の職員は一瞬だけ妙なものを見るような顔をしたが、すぐに説明してくれた。
「だいたい朝食が三百から九百ルクス。少し豪華に食べれば千八百ルクスほどでしょうか」
「ちなみに装備を揃えるとどれくらいするんだ?」
「品によりますが、一般的な装備一式で五万から十万ルクスほどです。上級職の方がオーダーメイドで揃えるような場合は、数百万ルクスになることもあります」
そこまで聞いて、ようやくざっくり掴めた。
スライム四体を倒して、一万円くらいを手に入れた感覚だろうか。命を落とす可能性があったことを考えれば安いとも言えるが、それでも一万円は十分に大きい。
「ちなみに、コウイチさまとグラウスさまが泊まった物置……ゴッホン! 改め物置部屋は」
「おい、言い直す必要あったか?」
「あそこは二人で七百ルクスです」
「安すぎるだろ」
いくら元物置で人気がないとはいえ、朝食代に収まるような宿代なんて聞いたことがない。
「まぁ、いいや。これはギルドで預かってもらったりもできるのか?」
「えぇ、可能です。冒険者登録の際に、ギルドでの口座も開設されております。必要であれば、このままお預かりしますよ?」
「いや、いい。このままもらってもいいか?」
「承知しました。ではこちらにサインをお願いします」
差し出されたペンを受け取って、俺は紙にサインをした。
「相変わらず、この文字は見たことのないものですね。オリジナルですか?」
丸眼鏡をくいっと持ち上げながら尋ねてくる。
「まさか。厨二じゃあるまいし」
「チュウニ?」
「なんでもねぇよ」
そう言って、俺はカウンターの上に置かれた拳大の皮袋を指さした。
「もらっていいんだよな?」
「えぇ、もちろんです。今後ともよろしくお願いします」
「あぁ。こっちこそよろしく頼む」
持ち上げた皮袋は意外と重かった。
ずしりと重さが手に伝わってくる。昨日までの一文なしが嘘のように、今はこの世界で使える貨幣が手の中にある。その事実が妙に喜ばしかった。
俺は喧騒に包まれたクエストボードを、横目で見る。
あそこに貼られた紙が、冒険者たちの一日の始まりなんだろう。
「……まずは朝食でもとるか」
あとで人が減ってきたらクエストボードを眺めようと決めて、俺は食堂へと向かった。




