第17話 校門の外の敵
放課後の会議室は、窓が閉まっていても冷えた。
長机の上には、学校の用紙と、圭介のスマホ。
担任と学年主任、生活指導の先生。
そして母・早苗。
“家族だけでは無理”の一歩手前の顔が、早苗にはあった。
泣く顔じゃない。怒鳴る顔でもない。
ただ、決めている顔だ。
担任が咳払いをして言う。
「昨日の件については、当該生徒の聞き取りを――」
「先生」
早苗が遮った。声は丁寧で、しかし逃げ道がない。
「順番を確認させてください。いま最優先は“事実の確定”と“接触を禁止すること”ですよね。謝罪や指導は、その後です」
学年主任が目を細めた。
「……はい。おっしゃる通りです」
圭介は机の上にスマホを置き、画面を上に向けた。
DMのスクリーンショット。
時刻。アカウント名。文面。
《弟、◯◯中だろ》
《駅のとこ。毎日通るよな》
《今日、見に行くわ》
文字は短く、雑で、悪意だけが濃い。
生活指導が顔をしかめた。
「これは……外部の人間ですか」
圭介が答える。
「クラスの誰かが書いてる可能性もある。でも、アカウントが複数。文体も違う。昨日の録画が出たタイミングと一致してる」
早苗が頷いて、資料を出した。
A4の紙に、箇条書きが並んでいる。
「こちら、私の方で整理しました」
“整理”という言葉が、早苗らしかった。
感情で押すのではなく、手順で詰める。
「1)DM・投稿の保存(スクショ、URL、投稿日時)
2)学校としての事実確認(当事者聞き取り、監視カメラ有無、出欠)
3)警察への相談(脅迫・名誉毀損・業務妨害の可能性)
4)プラットフォームへの削除要請
5)本人と弟の安全確保(登下校ルート、見守り、連絡体制)
この順で、今日中に“1〜3”を動かしたいです」
担任が、息を飲んだ。
学校の中で、ここまで具体的に動く保護者は少ない。
学年主任が言う。
「警察相談は……学校としても、必要があると判断します。私も同行しましょう」
早苗は「ありがとうございます」と頭を下げた。
礼儀は崩さない。
その代わり、退かない。
圭介は、机の上の録画データの一覧を開いた。
“確保したもの”を、ここで繋げる。
・動画の元データ
・バックアップ
・共有されたアカウント名のメモ
・DMのスクショ
・投稿のURL
「これ、時系列にします」
圭介は淡々と言った。
「昨日の昼に録画が拡散。夕方、黒川が失脚。夜、外部アカウントからDMが増えた。……つまり、“教室の外”が燃料を足してる」
生活指導が頷く。
「外部の煽り屋がいるな」
圭介は、そこを狙っていた。
学校の外の敵。
敵は、“正義”を餌にして再生数を稼ぐ。
早苗が言った。
「圭介、相手とやり取りはしないで」
「しない。記録だけ」
圭介はそう答えた。
殴って勝つ戦いじゃない。
警察署の相談窓口は、蛍光灯が白かった。
担当の警察官は、スマホの画面を覗き込みながら頷く。
「なるほど……“弟の学校”と“自宅付近”の匂わせ。これは、脅しとして受理の対象になります。投稿のURLもありますか」
圭介が、保存したリンクを見せる。
早苗は、感情を抑えた声で言った。
「うちとしては、接触の禁止と削除を最優先にしたいです」
警察官はメモを取りながら言う。
「削除要請は、学校と保護者で同時に進めると通りやすい。あと、可能なら“魚拓”を取ってください。消されても証拠になります」
学年主任が「学校としても動きます」と言った。
圭介は、自分の中で“勝ち筋”が一本見えた気がした。
・記録を積む
・窓口を作る(警察・学校)
・削除要請を通す
・接触禁止の線を引く
・相手が越えたら、次の手段に進む
現実的で、冷たい。
それでいい。
警察官がふと聞いた。
「ところで、中心人物となっているアカウント、どれですか。複数あると追いづらい」
圭介は、画面をスクロールした。
複数のDMの中で、一つだけ“匂い”が違うものがあった。
言葉が整っている。煽りが上手い。
人を動かす文章だ。
《宮坂、正義ごっこ楽しい?》
《黒川叩き、気持ちいい?》
《弟のとこも燃やしてやるよ》
「これ」
圭介は短く言った。
「このアカウント、投稿のタイミングが全部“拡散のピーク”に合わせてる。あと、使ってる単語が、いちいち“配信者”っぽい」
“燃やす”“正義ごっこ”――
炎上の言葉だ。
早苗が言った。
「圭介、特定はあなたがやらないで。危ない」
圭介は頷いた。
やらない。
自分がやるべきは、特定“のための材料を揃える”こと。
圭介は、静かに提案した。
「学校の端末で、投稿のログイン履歴見られないですか。校内のWi-Fiからアクセスしてないか。あと、黒川の録画が拡散された経路。クラスの誰が最初に外に出したか」
担任が目を伏せた。
「……確認する。できる範囲で」
できる範囲。
学校はいつもそう言う。
でも今回は、それでもいい。
“範囲”を広げるのは、こちらの記録次第だ。
帰り道、駅前の空気がざらついていた。
人が多いのに、視線だけが少ない。
みんな自分のスマホを見ている。
そのスマホの中で、誰かが誰かを燃やしている。
圭介と早苗は並んで歩いた。
早苗がふいに言う。
「あなた、さっきから手、冷たい」
圭介はポケットに手を入れた。
「……寒いだけ」
嘘ではない。
でも、全部でもない。
早苗はそれ以上追及しなかった。
いまは、順番が違う。
家に着くと、弟の悠斗が玄関で待っていた。
「母ちゃん、遅い。……兄貴も。何してたの」
早苗は笑った。
「大人の用事。悠斗は大丈夫? 変な人、見なかった?」
悠斗は首を振る。
「別に。……でも今日さ、変なアカウントからフォロー来た」
圭介の中で、何かが静かに沈んだ。
心臓が鳴らないぶん、沈む音がはっきりする。
「見せて」
圭介は言った。声は平ら。
平らな声は、悠斗を不安にさせない。
悠斗のスマホには、知らないアカウント。
アイコンは適当。
でもプロフィールの一文が、妙に“慣れている”。
《面白いの、見せて》
圭介は、スクショを撮った。
早苗も、その画面を見て顔を固くした。
「……来たね」
早苗が言った。
決断の声だった。
「悠斗。今日からしばらく、登下校は友達と一緒。寄り道はしない。何かあったらすぐ電話。分かった?」
「え、なんで」
悠斗が不満そうにする。
当然だ。
自分だけルールを変えられるのは、納得できない。
早苗は、ここで初めて、嘘を使わなかった。
「あなたを守るため」
悠斗が黙る。
“守る”という言葉は、子どもにも伝わる。
圭介は、弟の頭を軽く撫でた。
冷たい手だと気づかれないように、ほんの一瞬だけ。
「ごめん。ちょっとだけ、面倒になる」
悠斗は眉をひそめた。
「兄貴、なんか最近、変」
圭介は笑えなかった。
でも、声は柔らかくした。
「変でいい。守れるなら」
夜。自室。
圭介はパソコンを開いた。
やるのは特定ではない。
“繋がり”の整理だ。
・拡散の起点になった投稿
・その投稿を引用したアカウント
・最初に煽り文を付けたアカウント
・弟にフォローを送ったアカウント
リンクを辿ると、ある名前が何度も出てくる。
学校の名前は出していない。
でも、匂わせが上手い。
《県内某所の高校で神展開w》
《正義の味方が爆誕して草》
《続き待ってる》
コメント欄には、野次馬の正義が並んでいる。
叩くことで、自分が正しい側に立てると思っている。
圭介は、画面の前で、淡々とメモを取った。
その時、DMが来た。
例の中心人物のアカウント。
《警察? 学校? 大人連れてきたのウケる》
《会おうよ》
《お前の家、わかる》
圭介は、返信しない。
ただ、スクショを撮る。
時刻も含めて、保存する。
次の一通が、さらに踏み込んだ。
《明日、駅で待ってる》
《逃げたら弟に会いに行く》
圭介の指先が、少しだけ白くなる。
冷たい抑止力が、内側で固まる。
早苗がノックもせずに入ってきた。
母は、圭介の画面を見た。
「……来た?」
圭介は頷いた。
「相手、逆ギレしてる。最後の脅しに入った」
早苗は、息を吸って、吐いた。
そして、決めた声で言った。
「会わない。絶対に会わない。……でも、逃げない」
圭介は小さく頷いた。
「記録は揃ってきた。明日、学校と警察に渡す。削除要請も、まとめて出す」
早苗が言う。
「悠斗のことは、私が手配する。あなたは、あなたの役割をやって」
役割。
それは、圭介が今いる場所だ。
圭介は、もう一度DMをスクショした。
そして、画面を閉じた。
心臓は鳴らない。
でも、勝ち筋は鳴っている。
外の敵は、校門の外にいる。
だからこそ、校門の内側の大人を巻き込める。
圭介は、机の上に置いたスマホを見下ろしながら、静かに言った。
「……弟には触らせない」
その言葉は誓いではなく、手順だった。
翌日。
相手が線を越えた瞬間に、こちらは次の段階へ進む。




