第3話:連続放火の影(前編)
「……で、なんであのクーペの修理費が、僕のバイト代の三ヶ月分にもなってるわけ!?」
湾岸第4工区の路地裏にある小さな雑居ビルの一室。『桐生丈一郎探偵事務所』。
散らかった室内で、純平が液晶モニターに向かって頭を抱えていた。画面には、リュウから送られてきた凄まじい金額の請求書が表示されている。
「文句ならリュウに言え。それと、あの事故のおかげで事件は解決し、風見経由で治安維持課からの『特別協力手当』が振り込まれた。パーツ代を払っても、今月の家賃くらいは残る」
ジョウはソファに深く腰掛け、マグカップのぬるくなったコーヒーを口に含んだ。
「手柄は全部警察に持っていかれて、僕らは油まみれで危険手当だけ……。割に合わないよ、アニキ」
「手柄なんて飾りだ。俺たちの目的は別に……」
ジョウが言葉を切りかけたその時、事務所のドアが無造作に開いた。
「よお、ジョウ。頼まれてたクーペの改修、終わったぞ」
つなぎ姿のリュウが、油臭い空気とともに滑り込んできた。手にはタブレット端末を持っている。
「即興で組んだシリンダーを降ろして、油圧ラインを新設計のツインバルブに組み替えた。これで激重だった反応速度もマシになったはずだ。……まあ、まだお前の無茶な操作に耐えられるかは怪しいがな」
「助かる、リュウ」
「感謝するなら即金で払え。……ところでジョウ、昨日持ち込んできた『あの現場の残骸』、面白ぇ結果が出たぞ」
リュウが画面を切り替えると、複雑な分子構造のグラフが表示された。
「第4工区で起きてる連続火災の現場から拾ってきた融解金属のサンプルだ。ただの火災やガソリンの燃焼痕じゃねえ。金属を瞬時に液体化させる特殊な高熱化学物質だ。俺の手持ちの機材じゃ、これ以上の成分特定は無理だったがな」
「……となると、あそこに行くしかないか」
ジョウが立ち上がった。
「あそこ? どこに行くの、アニキ?」
「湾岸材料科学研究所だ。あそこには……妙な特別研究員がいる」
湾岸材料科学研究所、地下の第3分析室。
無数のフラスコや精密スキャナーが雑然と並ぶ部屋の奥で、大きめのハンチング帽を深くかぶった小柄な女性が、顕微鏡を覗き込んでいた。
ダボついた白衣、ボサボサの短い髪、そして化粧っ気のない素顔。24歳の特別研究員、白石愛菜だ。
「……うーん、おかしいなぁ。この熱分解パターン、既存のデータベースにないよ……」
マナがブツブツと呟きながらハンチングを直したその時、分析室のドアが開いた。
「相変わらずのゴミ屋敷だな、マナ」
ジョウの声に、マナはガタッと椅子を鳴らして振り返った。
「あ! 桐生さん! 勝手に入ってこないでよ、今すごく大事なサンプルの解析中なんだから!」
マナは眼鏡の位置を直しながら不満そうに眉をひそめた。
「頼みたい解析がある。連続不審火事件の現場から回収した残骸だ。お前のところの最新質量分析器なら、この成分を特定できるだろ」
ジョウが金属片の入ったケースを差し出す。
マナは露骨に嫌そうな顔をしたが、ケースの中身をスキャナーにかけると、一瞬でその目が丸くなった。
「な……なにこれ!? 超高熱で金属の結晶構造が完全に崩壊してる……! これ、ただの放火じゃないよ! 特殊な超高熱触媒を使った……いわば『溶融兵器』の実験だよ! 普通のアームで直接受けたら一瞬でドロドロに溶かされちゃう!」
理系女子としての探究心に火がついたマナの瞳が、急激に輝きを増す。
「特定できるか?」
「うーん……私の手元の機材でも、この特定の反応パターンまではちょっと……解析不能かも……」
マナはしばらく頭を抱えて唸っていたが、ポンと手を叩いた。
「あ、そうだ! パパに頼もう!」
「……白石教授か」
「うん! 大学の物理学研究室にいるパパ(白石辰巳教授)なら、この熱力学パターンを一発で解明してくれるはず! 待ってて、すぐデータ送るから!」
マナは素早い手つきでデータを転送し、数分後には父親からの解析返信を受け取っていた。
「……パパから返信来た! やっぱり! この高熱反応を起こすには、特殊な加圧ノズルを備えた『高圧噴射アーム』が使われてるって!」
「高圧噴射アーム……。犯人のビークルの特定に繋がるな」
ジョウが不敵に笑う。
マナは興奮気味に白衣の裾を握りしめた。
「桐生さん、私にも追わせてください! 私の研究分野のデータが、こんな犯罪に使われてるなんて許せない!」
「フン、研究所の箱入り娘が現場かい? 足手まといにならなきゃいいがな」
後ろで見ていたリュウがタバコを燻らせながら笑う。
「失礼ね! 私は現場の化学スキャンもデータのリアルタイム解析もできるんだから! 桐生さん、私を引き抜いて現場に連れて行って!」
「いいだろう。……歓迎するよ、マナ」
ジョウは差し出されたマナの手を握った。
その日の深夜。第4工区の旧化学プラント跡地。
月明かりのない暗闇の中、一台の黒い『A級クーペ』と、その背後に停車する一回り大きな車体があった。
「へっ、これがぼーずの愛車か」
リュウが呆れ半分、感心半分でその車体を見上げる。
そこにいたのは、頑丈な装甲で覆われたワンボックスカー。純平が所有するB級シングルアーム・ビークルだ。
車内には純平のマルチモニターシステムが整然と組まれ、屋根上のルーフボックスにはリュウの予備工具一式、そして後部スペースにはマナが持ち込んだポータブル分析機材が急速増設されている。
これこそ、現場支援と解析を同時にこなす探偵チームの『モバイル・ラボ(移動基地)』だった。
「『ぼーず』言うな! これでも僕がパーツ集めて組み上げた自慢の機材車なんだからね!」
ワンボックスの運転席で純平が胸を張る。その隣には、ノイズキャンセラー付きのヘッドセットを装着したマナが座り、キーボードを叩いていた。
「桐生さん……ううん、ジョウ! プラント奥の第2倉庫付近で異常な熱反応! パパの言っていた高圧噴射の波動パターンと一致したよ!」
マナが呼称を改め、緊迫した声を通信に乗せる。
「了解だ、マナ。……行くぞ、リュウ」
「おうよ、ジョウ! 頼りにしてるぜ」
迎え入れることにより対等なチームとなったリュウが、不敵な笑みを浮かべてクーペのアクセルを踏み込んだ。
暗闇から姿を現したのは、巨大なタンクを背負った大型除雪車ベースの異形ビークル。その前面から伸びる無骨な二本のアームが、怪しく赤く発光した瞬間——
ズドォォォンッ!!
夜気を切り裂き、コンクリートの壁を一瞬で赤く溶かす強烈な超高熱の火柱が放出された。
「な、なんだよあれ! 近づいたらクーペごと溶かされるよ!?」
ワンボックスの純平が悲鳴を上げる。
「気をつけて、ジョウ! あの火炎アームの熱源、普通のアームで受けたら一瞬で溶断される! 直撃は絶対NGだよ!」
マナの声が通信越しに跳ねる。
超高熱のアームを凶悪に掲げる謎のビークル。その迫り来る脅威に対し、ジョウ&リュウのクーペと、純平&マナのモバイル・ラボが誇る「4人フル連携」の戦いが幕を開けようとしていた。
(第3話・前編 終わり)




