第2話:歪んだアーム(後編)
湾岸第4工区、高架下の最深部。
無数の廃車と錆びた鉄骨が山と積まれた一角に、そのガレージはある。看板すらない。周囲のドライバーからは『ゴミ溜め』と蔑まれていたが、裏社会の走り屋やワケありのドライバーたちの間では「どんな鉄くずでも走らせる駆け込み寺」として知られていた。
クーペのエンジンを切り、ジョウが車外へ降り立つと、激しい溶接の火花とスパナの打撃音が響いていた。
油臭いガレージの奥、分解されたトラックのエンジンの上に、一人の男が腰掛けている。無造作に伸ばした髪、油で汚れた作業着、そして鋭い眼光。天才整備士、リュウだ。
「おいおい、夜中に泣きついてきたと思えば……ずいぶんと不細工な壊し方をしたもんだな、探偵さんよ」
リュウは手にしていたレンチを作業台へ雑に放り投げ、だらりと油圧オイルを垂らすクーペの右アームを一瞥した。
「挨拶抜きで頼む、あんたの腕の噂は聞いている、リュウ。あのB級違法ダンプを追わなきゃならん。右アームのアクチュエーターを直せるか?」
ジョウの言葉に、リュウはハッと鼻で笑った。
「直す? お前、正気か? 純正のアクチュエーターなんてここにはねえよ。そもそも、相手は建設用の重量クローだろ。軽量スポーツカーのアームで正面から受け流そうなんてのが間違いなんだよ。……おい、ぼーず。ダッシュボードのモニターで何カサカサやってやがる」
助手席の液晶画面から、純平が顔を覗かせる。
「『ぼーず』じゃないよ! 僕は純平! アニキの相棒のハッカー……じゃなくて情報担当!」
「へいへい、ぼーず。おい探偵さん、あの暴走ダンプを止めたいなら、修理じゃねえ。『補強』だ。ただし……二度と元には戻らんぞ」
リュウはガレージの隅に転がっていた、警察の押収品解体パーツの山から、無骨な油圧増幅シリンダーと補強プレートを引きずり出してきた。
「このシリンダーを直列で噛ませる。油圧のラインをバイパスして、一時的に出力を1.5倍に引き上げるが、アームの反応速度は激重になる。それに、ボディのフレームにも凄まじい負荷がかかるぞ」
「やってくれ。逃がすよりマシだ」
「いい返事だ。……だがな、探偵さん」
リュウはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、作業ツナギの袖を捲り上げた。
「そのバカ重くなったアームを操作しながら、あんな曲がりきれねえド派手な仕様でステアリングまで握る気か? 死ぬぞ」
「……何が言いたい?」
「俺が運転してやるって言ってんだよ。お前は余計なこと考えずに、そのイカれたアームの操作だけに集中しな」
ジョウは一瞬目を見張り、すぐに不敵な笑みを返した。
「……交渉成立だ」
——それからわずか十分後。
ガガガガガッ!
湾岸バイパスの暗闇を、怪物のような排気音を立てて逃走するB級違法ダンプ。その背後から、エキゾーストノートを轟かせて迫る漆黒の影があった。
「追いついたぞ! 前方、三百メートル!」
純平の声が通信から飛ぶ。
クーペの運転席にはリュウが座り、鋭い目つきで前方の巨大な車体を捉えていた。助手席にはジョウ。アーム専用のツインレバーをガッチリと握り締めている。
「へっ、いいエンジンじゃねえか。だが、サスが死んでやがる!」
リュウがシフトレバーを素早く叩き込み、アクセルを踏み込む。クーペは滑るようなラインで違法ダンプの側頭部へ超接近した。
ダンプのドライバーが異変に気づき、不気味な赤塗りの巨大クローを横殴りに振るってくる!
「来るぞ、アニキ!」
「任せろ!」
ジョウは叫び、右レバーを渾身の力で引き倒した。
リュウが即興で溶接した増幅シリンダーが「シュシューッ!」と凄まじい放圧音を響かせ、加圧された作動油が白い霧となって周囲へ噴き出す! 無骨に補強された右アームが高速で跳ね上がった!
ガシィィィンッ!!
夜のバイパスに、これまでとは比べものにならない重厚な金属打撃音が響き渡った。
ジョウのアーム操作と、リュウの絶妙なアクセルワークが寸分の狂いもなく同調する。敵の巨大クローの破壊力を、強化された右アームで力任せに弾き飛ばし、その反動を利用して敵の車体側面へと深く割り込んだ。
「リュウ、左へ寄せろ!」
「言われなくても分かってんだよ!」
リュウがステアリングを激しく切り込み、ダンプの左側へと車体を滑り込ませる。敵ダンプの巨体が、バランスを崩して路肩のコンクリート壁へと押し付けられた。
「これで……終わりだ!」
ジョウが左アームを展開し、敵ダンプのフロントアクスル(車軸)の隙間へアームを突き立ててロック! 走行ラインを完全に奪われた違法ダンプは、凄まじい火花を撒き散らしながら高速道路の非常停車帯へと横転し、動かなくなった。
シーーーン……。
静まり返る夜のバイパス。横転したダンプから上がり出す白煙の中、クーペは滑らかに停止した。
「ふう……間一髪。アームのフレーム、歪みまくってるよ……」
純平の安堵した声が響く。
ジョウは握り締めていたレバーから手を離し、隣のリュウを見た。
「最高のドライビングだったな、リュウ」
「ハンッ、お前の指示がコンマ一秒遅れてたら、二人まとめてペシャンコだったぜ」
リュウはタバコに火をつけ、紫煙を燻らせた。だがその顔には、どこか満足気な笑みが浮かんでいた。
その時、遥か後方から甲高いサイレンの音が近づいてきた。赤と青の回転灯を輝かせた、警察仕様のA級ビークル部隊だ。その先頭車両から、トレンチコートを着た一人の男——警視庁の風見が降りてくるのが見えた。
「ちっ、美味しいところだけ持っていきやがる。警察の登場だ」
ジョウが苦笑する。
「おい探偵さん、あのポリ公どもに手柄を渡すのはいいが、俺の作業代とパーツ代はしっかり回収してもらうからな」
「分かってる。……なあリュウ、お前、うちの専属メカニック兼ドライバーにならないか?」
リュウは吹き出した煙の向こうで、冷たく、だが力強く笑った。
「……報酬が高いなら考えてやるよ、探偵さん」
油と火花の匂いが漂う夜の街で、最強のタッグが誕生した瞬間だった。
(第2話・後編 終わり)




