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第1話:歪んだアーム(前編)

不夜城と呼ばれる湾岸第4工区の夜は、いつも重油と潮風の混ざり合った独特の匂いがする。高架下を走る臨海バイパスの街灯が、湿ったアスファルトに黄色の軌跡を描いていた。


「……ねえアニキ、本当にこっちで合ってるの? 警察の無線データベースに流れた位置情報からは、もう二ブロックも離れてるよ」

ダッシュボードに取り付けられた液晶モニターから、軽快だがどこか頼りない声が響く。後方支援を担当する相棒、純平の声だ。助手席に置かれた大型の通信用ドッキングステーションが、青いアクセスランプを明滅させていた。


「慌てるな、純平。警察の初動なんてそんなもんだ。事件が起きてから現場に到着するまでに、犯人は目と鼻の先の路地裏に逃げ込む。……俺が警察を辞めた最大の理由(わけ)だよ」

ジョウは愛車である旧型スポーツクーペのハンドルを握り直し、アクセルを踏み込んだ。


ふたりが追っているのは、数時間前に湾岸倉庫街で発生した資材強奪事件の犯人だった。盗まれたのは大型の建設用作業車両。だが、ただの車両ではない。違法に改造された『B級アームド・ビークル』だ。


ジョウたちが乗る漆黒のクーペもまた、二本のアームを後部座席付近に格納した高性能な『A級アームド・ビークル』である。だが現在は二人体制の基本形が固まっておらず、ジョウがステアリングとアーム操作の双方に気を配り、純平が助手席の端末から航法とアーム制御のシステムをサポートするという、どこか危うい運用を余儀なくされていた。


「出たよ、アニキの『元警官節』。……っと、待って! 前方の交差点、熱源反応! 来るよ!」

純平の叫び声と同時に、右手の暗がりから地響きのようなエンジン音が迫ってきた。


ガガガガンッ!


重厚な金属音が響き渡り、交差点の角にある角材の山をなぎ倒しながら、一台の異形な車両が躍り出た。ベースは一般的な四輪ダンプカーだが、その車体側面からは、本来の設計にはない筋骨隆々とした油圧式アームが、不気味な赤塗りの鉄骨として突き出している。アームの先端には、コンクリートすら粉砕する大型の油圧クロー(爪)が取り付けられていた。


「見つけた……!」

ジョウの目が鋭く光る。

「純平、戦闘シークエンスに移行! ウインドウガード展開、車高を落とせ!」

「了解! フロントウインドウガード・ロック解禁、サスペンション圧低下、低重心化完了! アニキ、無理は禁物だよ。このクーペのアーム、先週から油圧シリンダーの圧力が不安定なんだから!」


クーペのフロントガラス前に頑丈な金属格子のガードが滑り出し、車輪のトレッド幅が横に広がって地面に吸い付くような低重心フォームへと変形する。と同時に、後部サイドドアが左右に開き、折りたたまれていた二本の特殊アームが力強く展開した。


違法ダンプのドライバーがジョウたちに気づき、不敵な排気音を上げて右の巨大アームを大きく振りかざす。巨大な油圧クローが、夜の空気を切り裂いて襲いかかってきた。


「甘い!」

正面から受け止めれば、クーペの軽い車体など一溜まりもなく押し潰される。ボディの損壊は即座に行動不能、すなわち死を意味する。

ジョウは瞬時にアクセルを軽く踏み込みつつ、左手のレバーを引き倒した。


クーペの右アームが高速で突出し、敵の巨大クローの「肘」にあたるジョイント部分へ、ピンポイントで滑り込ませるように接触する。


ギギギギッ……!


激しい火花が散り、夜の街に不快な金属摩擦音が轟いた。

衝突の破壊力を正面から受けるのではなく、アームの接点を使って敵の進行ベクトルを外側へと「逃がす」——これが軽量なクーペで重量車と渡り合うための車体グラップリングの基本戦術だった。


「うわああっ! 揺れる揺れる!」

画面の向こうで純平が悲鳴を上げる。

「よし、体勢を崩した! このまま押し切る!」

ジョウは左アームを展開し、相手の車体を押し込んで路肩の防護柵へ追い込もうとした。


その時だった。


バシィンッ!


嫌な高音が車内に響き渡り、アーム操作レバーの手応えが不自然に軽くなった。同時に、ダッシュボードの警告ランプが真っ赤に点滅し始める。


「アニキダメだ! 右アームのアクチュエーターが吹き飛んだ! 圧力が完全に抜けてる!」

「くっ……!」

高度な受け流しに、調整不足だったクーペの油圧系が耐えきれなかったのだ。右アームは油圧オイルを激しく吹き出しながら、だらりと力無く垂れ下がった。


機先を制された敵ダンプは、態勢を立て直すと、不気味なエンジン音を咆哮させて逃走体勢に入った。そのまま暗い高架下の路地裏へと消えていく。


「くそっ、逃げられたか……!」

ジョウはハンドルを叩いた。折れ曲がった右アームからは、ドロリとした黒い油圧オイルがアスファルトへ滴り落ちている。


「だから言ったのに……。どうするの、アニキ? 片腕が壊れた状態じゃ、あんな化け物とこれ以上やり合えないよ。警察の指定工場に持ち込んだら、書類手続きだけで3日はかかるし……」

純平のため息混じりの声がスピーカーから漏れる。


ジョウは垂れ下がった自車の右アームを見つめ、深々と息を吐き出した。

「追うぞ。敵の目的が何であれ、この近くでアームの不調を抱えたまま逃げ回れる場所は限られている」

「えっ? でも修理はどうするのさ!」


「……心当たりがある。高架下の『ゴミ溜め』だ」


ジョウはオイルの匂いが充満する車内で、不敵な笑みを浮かべた。

それは、この街で最も腕が立つと言われながら、警察の指定業者からも外された一癖も二癖もある天才整備士——リュウのガレージがある場所だった。


(第1話・前編 終わり)

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