第0話 プロローグ:鉄の手輪舞曲(ロンド)
午前五時三十分。湾岸第4工区の朝は、排気ガスの匂いと、朝モヤを切り裂く油圧ポンプの駆動音から始まる。
かつて「自動車」と呼ばれた四輪の移動体は、この半世紀で奇妙で合理的な進化を遂げた。
車体側面から伸びる無骨な金属腕——『アームド・ビークル』。
二足歩行ロボットというロマンが、コストと実用性の荒波に揉まれて霧散した時代。人類が行き着いた最適解は、「走りながら作業をこなす車」だった。
高架下の市道では、黄色い回転灯を回すB級の清掃用ビークルが、時速三十キロで徐行しながら道路脇のゴミ箱を器用にアームで持ち上げ、荷台へと放り投げている。
隣の車線では、朝の配達を急ぐ小型のC級バンが、荷台のアームを折りたたんだ状態で静かにシグナルグランプリを待っていた。
路地裏の古びたダイナー『ラスト・ピット』。
カウンターの端で、老店主が淹れたてのコーヒーをカップに注ぎながら、天井から吊り下げられた小さなCRTテレビを見上げていた。画面には朝のニュース番組が映っている。
『——続いてのニュースです。昨夜未明、第7工区の臨海バイパスにて、無許可で高出力油圧アームを換装した違法改造車両……いわゆる“B級闇ビークル”が暴走。トラック数台をなぎ倒して逃走しました』
画面には、車体から不自然に巨大な掘削用クローを突き出した黒塗りのダンプカーが、警察のパトカーを突っ撥ねて暗闇へ消えていく荒い防犯カメラの映像が映し出されていた。
「まったく、世の中物騒になったもんだ」
テーブル席で作業着を着た若いトラック乗りの男が、トーストをかじりながら不満げに呟く。
「最近の闇チューナーどもは節操がねえ。建設用の掘削アームを乗用車に無理やり溶接してさ。あんな重いもん振り回したら、フレームが歪んで曲がれなくなるってのに」
「だけどよ、男ってのはどうして“腕”が増えると興奮しちまうんだろうな」
向かいに座る同僚が、自慢げに自分のトラックの鍵を見せる。
「俺の愛車のC級アームだって、先週油圧シリンダーを軽量アルミに積み替えたんだ。荷揚げのスピードが1.5倍だぜ? 今週末の『ビークルデュエル』草レース、エントリーしてみようかと思ってんだ」
「やめとけって。デュエルに命売ってるプロのクラフトマン連中に揉み潰されるのがオチだ。あいつらのアーム操作は、自分の手足を動かすより滑らかだからな……」
ダイナーの外を、サイレンを鳴らした数台の警視庁治安維持課のパトカーが駆け抜けていく。それらはすべて、フロントフェンダーから最新型のチタン製抑留用アームを生やした、警察仕様のA級ビークルだった。
この街では、力の乱用が日常であり、事件であり、娯楽でもあった。
法を守る警察のアーム。
暮らしを支える街の作業アーム。
熱狂を生み出すモータースポーツのアーム。
闇で不穏なうごめきを見せる違法アーム。
アスファルトの上に刻まれた無数のタイヤ痕と、油圧オイルの滴り。
それは、この不夜城を生きる人々が織りなす、鉄と油の血痕のようなものだ。
——この街の事件は、いつも車の上で起きる。
(第0話・プロローグ:鉄の手輪舞曲 終わり )




