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2 しゃべってはいけない

 冬が間近に迫る頃、セシリアの元に侯爵家の馬車が迎えにやってきた。

 乗っていたのは、ミクラノア家の年老いた執事と、若い侍女がひとり。

 セシリアは見送りに出た父へ深く頭を下げ、静かに馬車へと乗り込んだ。

 侯爵家から提示された条件は、奇妙なものがただひとつ。


「ミクラノアの領地へ着くまでの十日間、ひと言もおしゃべりになってはなりません」


 セシリアは目を瞬かせ、小さく首を縦に振った。

 彼女にとっては、ないも同然の条件だった。


「たとえ道中、私どもが話しかけようとも、口をきかずにいていただきたいのです。もちろん、筆談は差し支えありません」


 彼女は黙って頷いた。十日と言わず一月であっても、何の苦もなかった。

 とはいえ、わざわざそのような条件を課されることは少しだけ気になった。

 

 やがて馬車が静かに滑り出す。

 灰色の雲の隙間から、行く手に向かって淡い光の筋が差し込んでいた。セシリアは、遠ざかる故郷の景色をじっと目に焼き付けた。


 旅は順調に進んだ。

 宿でのやり取り、食事、衣服の着替え。セシリアは一度も口を開かなかった。我慢している様子すらなく、むしろその静寂を楽しんでいるかのように自然だった。


「この方ならば、あるいは……」


「でも、呪いなど……」


 寝静まった宿の片隅で、執事と侍女は顔を見合わせ、声を潜めて囁きを交わす。

 そんな思惑を知る由もなく、セシリアは深い眠りの中にいた。そして、旅が終わりに近づく頃には、執事と侍女が交わす視線にも、どこか安堵が混じるようになっていた。


 セシリアは馬車の窓に顔を寄せた。白く曇るガラスを指先で擦る。

 冷たい景色の向こう、一面に広がる灰色の畑の端に、昏い森が佇んでいた。その木立の影に、大きな影が動く。

 ――ヘラジカだった。

 本の挿絵でしか見たことのない、立派な角を持つ生き物。


 セシリアは思わず目を奪われた。ヘラジカは凍てつく空気の中で首を伸ばし、じっとこちらを見つめているように思えた。


 日が傾き、長い影が大地を覆い始める頃、馬車の先に寒々とした威容を誇るミクラノア城が現れた。


 セシリアは窓から篝火に照らされた城塞を見上げた。

 その城の奥で、奇妙な条件を出した主が待っている。

 門をくぐれば、十日間の沈黙を求めた男との、新しい暮らしが始まる。

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