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12 降り始めた雪

 執事は、冷めかけたセシリアの茶器に、そっと温かい茶を注ぎ足した。


「もし、この話をお聞きになって、セシリア様が少しでも不気味に思われるようでしたら、いつでも領地へお帰りになって構わないと……エデュアルド様もそう仰っております」


 執事の弱気な言葉を遮るように、セシリアは穏やかな笑みを浮かべた。その迷いのない微笑みを見て、老執事の目元にじわりと涙が滲む。


「どうか……我がミクラノア家を、エデュアルド様をお助けください」


 セシリアは湯気の立つ茶器を包み込むようにして両手を温めていたが、ふと思いついたように紙を引き寄せた。羽ペンを走らせ、執事へと差し出す。


『歴代の奥様たちは、どのような方でしたか?』


 執事は記憶の底を静かに探るように、視線を落とした。


「そうでございますね……。ミクラノアは古くから続く侯爵家でございますゆえ、基本的には皆、家格に見合う方との政略結婚でございました」


 セシリアは小さく頷いた。彼女の両親もまた、同じような婚姻だったから。

 けれど、夫婦となり、子を成してなお、それは魔女の言う「愛」とは違ったのだろうか。


 セシリアは茶を一口啜り、そっと器を置いた。

 そして、すぐにその考えを打ち消した。

 そもそも、森の民の言う「愛」が、自分たちの思い描く「愛」と同じであるとは限らないのだ。


 ――ヘラジカのごとき沈黙のうちに、真なる愛を見つけよ。


 答えのない問いが、セシリアの胸の中で静かに渦巻いていた。

 執事がふと窓外に視線を向けると、灰色の空から白い欠片がちらつき始めていた。彼は目を細め、静かに懐かしむような声を出す。


「侯爵家とて、最初から呪いなどという不確かなものを信じていたわけではございません。百年前、最初の当主様がお口をきけなくなった折は、凄惨な戦の衝撃によるものであろうと言われておりました」


 セシリアは深く頷いた。心が受ける過酷な痛手によって言葉を失う人間の物語は、書物でも読んだことがあった。


「しかし……次の代の旦那様も、当主の座を継がれた途端に声を失われました。初めは偶然が重なったのだろうと言われておりましたが、さすがにその次も、となりますと……。本格的に呪いだと言われ始めたのは、ここ数十年のことです」


 執事は窓の向こうを見た。中庭の冬枯れた土の上に、まだ、誰かの面影を探すかのように。


「先代の旦那様は、魔女の言葉の通り『沈黙』を守ろうと、生まれつき口の利けない令嬢を奥様として迎えられました。ですが……それでも呪いが解けることはなく、旦那様は声を失ったまま亡くなられました。そして、エデュアルド様もまた……」


 先代たちの苦闘の歴史を知り、セシリアは再び紙を引き寄せた。少しだけ、いつもより筆に力を込める。


『今、エデュアルド様に、お目にかかることはできるでしょうか?』


 書かれた文字を見た執事は、一瞬で顔をほころばせた。


「もちろんでございますとも!」


 彼はまるで少年のような勢いで椅子を引いて立ち上がると、部屋の外へと飛び出していった。

 遠ざかっていく執事の足音。それが消え去ると、部屋にはいつも以上の濃密な静寂が戻ってきた。


 ふと窓の外へ目を向けると、舞い落ちる白い雪が、窓辺を淡く、静かに飾り始めていた。

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