10 語られる過去
翌朝、セシリアは重い身体を引きずるようにして目を覚ました。一睡もできなかった彼女の顔はひどく青ざめている。セシリアは読みかけの日記を文机に置き、顔を洗う。
侍女が心配そうに身支度を整え、どうにか食事を済ませた頃、異変を聞きつけた執事が部屋を訪れた。
「セシリア様、お顔色が優れませんが……体調がお悪いのですか?」
セシリアは力なく首を振ると、文机へと向かった。ペンを握り、昨夜の出来事を素早く書きつける。
『夕べ、中庭に知らない老婆が現れました』
差し出された紙に目を落とした瞬間、執事の顔からすっと血の気が引き、紙を持つ手が小刻みに震えだした。
「……しばし、ここでお待ちを」
執事は書付けを握りしめたまま、大急ぎで部屋を飛び出していった。
あとに残されたセシリアは、ふと我に返って耳の後ろを熱くした。動揺のあまり、いつも以上に文字が乱れてしまっていたことを思い出したのだ。
――あの紙を、誰に見せるのだろう。
不格好な文字があまり人目に触れないことを祈りながら、セシリアはそわそわと執事の帰りを待った。
窓外に見える朝の中庭はどこまでも穏やかで、昨夜の禍々しい光景がまるで嘘のようだ。
やがて戻ってきた執事の手には、もうあの紙は握られていなかった。やはり誰かに見せてきたのだと、セシリアは気が気でなくなる。
執事は彼女の前に進み出ると、声音を潜めて問いかけた。
「セシリア様、その老婆に……もしかして、お名前を聞かれませんでしたか?」
セシリアが小さく頷くと、執事の表情はいっそう強張った。
「……して、お名前を答えてしまわれましたか?」
彼女が静かに首を横に振ると、執事はその場に崩れ落ちんばかりに、ほっと肩の力を抜いた。
「ようございました……。もし、お名前を口にされていたら、セシリア様はあの女の、恐ろしい呪いを受けていたかもしれません」
――呪い。
あまりにも不穏な言葉に、セシリアは膝の上で、そっと両手を握り締めた。
ふと、執事の視線が、文机の上に置かれたままの古い日記へと向かう。
「セシリア様、もしやこちらをお読みに?」
セシリアが肯定の意味を込めて頷く。
「なれば、お話が早うございます。どうか暫しの間、私の話に耳を傾けてはいただけないでしょうか」
部屋に温かい茶が運び込まれ、白い湯気が細く揺れる。
執事は姿勢を正し、静かに語り始めた。
「――これは、ミクラノア侯爵家に、百年に渡りもたらされた、呪いのお話にございます」
静寂に沈む部屋の中に、セシリアが小さく息を呑む音だけが、かすかに響いた。




