静かすぎる日常
夕方。
帰路は、夕陽で細く染まっていた。
アルトは学校の鞄を肩にかけたまま、いつものように静かに歩いていく。
家の前まで来たとき、近所の家のおばさんがちょうど洗濯物を取り込んでいた。
「あら、アルトちゃん。おかえりなさい」
声は明るい。
「ただいま戻りました」
「いつも丁寧ねぇ、あ、そうだ」
一度家にパタパタと戻っていく。
またパタパタと、今度はこちらに向かってきた。
手には、畑で採れたばかりの野菜。
「これ、余ったから持っていきなさいな。
煮ても焼いても美味しいわよ。アルトちゃんにあげようと思って。」
アルトは一瞬だけ目を瞬かせ、すぐに柔らかい笑顔を作った。
「ありがとうございます。助かります」
声も表情も、いつも通り。
丁寧で、落ち着いていて、“普通の子ども”にしては丁寧な返し方。
おばさんは満足そうに頷き、
「また何かあったら言いなさいね」
とだけ言って家に入っていった。
アルトは野菜の入った袋を抱え、玄関の鍵を開ける。
きぃ、と古い扉が鳴った。
中は静かだった。
返事をする人はいない。
足音だけが、家の中で少し響く。
魔力灯をつけると、ぱち、と乾いた音がした。
アルトは袋を台所に置き、無言のまま夕飯の準備を始めた。
日常は静かで、静かだからこそ、胸の奥が少しだけ痛む。
◇
翌朝。
家の前の路地には、まだ朝の冷たい空気が残っていた。
アルトは腰に、子どもが持つには少し長いナイフを帯びている。
刃は古いが、よく研がれていた。
(……今日は、外に出よう)
王都の門を抜けると、空気が一気に澄む。
街の喧騒が遠ざかり、草の匂いが強くなる。
アルトは慣れた足取りで森の縁へ向かった。
ここは王都の人々がよく使う採取場所。
危険は少ないが、油断はしない。
しゃがみ込み、葉の裏をそっとめくる。
「……あった」
薬草を摘む手つきは迷いがない。
根を傷つけないように、指先で土を払う。
魚がいそうな浅瀬では、
ナイフの柄で水面を軽く叩き、
驚いて跳ねた小魚を素早く捕まえる。
動きは静かで、無駄がない。
まるで“誰かに教わった”ような手際。
けれど、アルトは誰にも教わっていない。
ただ、何十年か前に生きるために覚えただけ。
◇
王都への帰り道。
王都の門が見えてきた頃、背後から声が飛んできた。
「アルトちゃん!」
振り返ると、さっき野菜をくれた隣のおばさんが、
買い物袋を抱えて立っていた。
「まあまあ、王都の外側まで行ってたの?
危なくないのかい?」
アルトはすぐに笑顔を作る。
「大丈夫です。近いところだけなので」
「しっかりしてるねえ。
あんたの親御さんも、きっと喜んでるよ」
その言葉に、アルトのまつげがほんの一瞬だけ揺れた。
「……はい」
笑顔は崩さない。
声も変わらない。
ただ、返事の前にほんの一拍だけ沈黙が落ちた。
おばさんは気づかずに手を振り、路地の奥へ消えていく。
アルトは家の前に立ち、鍵を開けた。
きぃ、と扉が鳴る。
中は静かで、冷たい。
さっきまで浮かべていた笑顔が、すっと消える。
(……ただいま)
声には出さない。
ナイフを外し、採ってきた薬草と魚を台所に置いた。
カサっと寂しい音がした。




