白い病室で
白い石壁に囲まれた静かな病室。
窓から差し込む光が、ラピスの寝ているベッドを柔らかく照らしていた。
アルトは椅子に座り、膝の上で手を組んでいた。
(……私は、何か返せるものがあるのだろうか)
リオルは教会に連れてきてくれた。
治療費も出してくれた。
冒険者ギルドのことも教えてくれた。
自分は──何も返せていない。
そんな思考に沈んでいると、ラピスが薄く目を開けた。
「……どうしたんだ?」
アルトは少しだけ視線を落とした。
「……返せるものが、ないんです」
「返せるもの?」
「友人……特に、あなたを運ぶのを手伝ってくれたリオルは……神殿で治療ができることも、冒険者ギルドに素材を卸せることも、全部教えてくれました。」
アルトは小さく息を吐いた。
「私は……貴族と平民の基準が違うだけでなく、自分の知っていることが少なすぎて……偏っていて……返せるものが、何もないんです」
ラピスはしばらく黙っていたが、
やがて穏やかに笑った。
「……なら、俺も一緒に返していけばいい」
アルトは瞬きをした。
「……え?」
「リオルには、俺も恩がある。助けてもらったし、治療もしてもらった。
だから……一緒に返していけばいいだろう?」
アルトは少しだけ口元を緩めたあと、真顔になって言った。
「そうですね……まずは治してから言ってください」
ラピスは苦笑した。
「そうだな。でも、治ったら……一緒に考えよう」
アルトは静かに頷いた。
「……わかりました」
ラピスは続けた。
「それに……俺も冒険者ギルドを知らない。
記憶がないから、何もわからない。だから……一緒に行ってみたい」
アルトは少し考え、首を横に振った。
「……まずは、リオルと行ってみます。直近で行く予定なので」
ラピスは微笑んだ。
「じゃあ、治ったら……二人で行こう」
アルトは小さく笑った。
病室にはしばらく静寂が落ちた。
窓の外では、神殿の庭に植えられた木々が風に揺れ、
葉が擦れ合う音だけがかすかに聞こえる。
ラピスは天井を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……不思議だな」
「何がですか?」
「こうして誰かと話しているのに……自分が何者なのか、まるでわからない」
アルトは少しだけ視線を落とした。
「……記憶が戻らないのは、怖いですか?」
ラピスはしばらく考え、ゆっくりと頷いた。
「怖い。でも……君が名前をくれたから、“ラピス”として生きていける気がする」
アルトの手が、わずかに震えた。
「……そんな大層なものじゃありません」
「いや、あるよ」
ラピスは微笑んだ。
その笑顔は弱々しいのに、不思議と温かかった。
「名前があるって……すごく大事だ。
何も覚えていなくても、“呼ばれる自分”がいるだけで、ここにいていいんだって思える」
「……そう、ですか」
「そうだよ。だから……君が思っているより、色んなものを持っているし、返せると思うよ」
アルトは言葉を失った。
ラピスは続ける。
「それに……君は一人で生きてきたんだろう?
狩猟も、薬草も、家のことも。これからの俺には……そんな強さはない」
「強さ……など」
「あるよ」
ラピスははっきりと言った。
「俺は……君みたいに生きられない。
だから、君が自分を“何も返せない”なんて言うのは……ちょっと違うと思う」
アルトは視線を落とし、自分の膝の上で重ねた手を見つめた。
(……この人の言う強さとは、なんのことだろうか)
ラピスはゆっくりと体を起こそうとしたが、軸がぶれてベッドに戻ってしまった。
「……っ」
「無理しないでください」
アルトは慌てて支えた。
ラピスは苦笑する。
「……早く治して、君と一緒に歩きたいんだ」
「……治ったら、です」
「治ったら」
ラピスは繰り返し、その言葉を噛みしめるように目を閉じた。
アルトは静かに続けた。
「……治ったら、二人で冒険者ギルドに行きましょう。私も、まだよくわかっていないので」
ラピスは目を開け、穏やかに笑った。
「うん。」
「その時は私が守ります。」
ラピスは少しだけ目を丸くした。
「……守る?」
「そうです。義手や義足を持つ以上、動きにくいでしょう。それに……何があるかわかりませんから。」
病室の白い光が、二人の間に落ちる影を柔らかく揺らしていた。
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