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謝罪

【茉那】


 どうしてこんなことをしてしまったのだろうか。

 曇天の空の下、数週間ぶりに自宅へと帰りながら、すべてを裏切った日を思い出していた。

-----------------------------


 茉梨が亡くなった理由は誰に聞いてもわからなかった。両親に聞いても、お葬式に来てくれていた茉梨の友人に聞いてもわからないと言われた。

 お葬式に来た親戚はみな、同じことを口走っていた。


 どうしてあの子の方が。


 涙を流すフリをしながら、みんな私の方を見ていた。

 どうしてあの子が、ではなく、あの子の『方』が、と言いながら私の方を見ていた。

 そんなこと、私が一番思っているというのに。


 私たちが血を分けている双子というのは一目瞭然だった。だからこそ優劣がはっきり見えた。私が小学校受験に落ちた頃から、周りの人間も両親ですらもどちらが優れているかを理解した。


 私は一重で茉梨は二重。

 私のまつげはいつも下がっていたけど、茉梨のまつげは何もしなくてもいつも上を向いていた。

 私の胸はBカップだけれど、茉梨はEカップ。

 

 私の家はいつも茉梨を中心に回っていて、茉梨が小学校に合格したときも、大学に合格したときも茉梨が学校に通いやすいようにと近くの町へと引っ越しをした。滋賀県の小学校に入学する、兵庫県で就職するという人生の道が、茉梨の進路に合わせていつも無条件に決まっていた。私の意見なんて関係なく、茉梨の意見が私のすべてで、私たち家族のすべてでもあった。


 学生時代はよく、友達から『あんなに完璧な双子の妹がいてかわいそう』と言われたが、私はそんなことは考えたことはない。劣等感なんて持てないほどに、茉梨は神聖な存在だった。

 私はそんな茉梨との繋がりがあれば何でもよかった。

 花にひっつく虫でもホコリでもいい。とにかく茉梨と繋がっていられたら何でもよかった。

 

 なのに、茉梨は死んだ。本体は死んだ。花は枯れた。私は生きる意味を失った。


 茉梨がずっと何を考えていたのかわからない。


 茉梨を知りたい。

 完璧な茉梨の唯一の汚点が知りたい。

 完璧な茉梨の苦手なことが知りたい。

 そしてその茉梨の全部を私が愛してあげたい。

 

 そう思った私は、茉梨の行っていた大学、大学院に侵入した。

 

 そこには自分が行ったことのない世界が広がっていて、茉梨と同じ世界を見られていることが嬉しかった。

 周りを見渡して歩きながら、自分の中に少しずつ茉梨の要素を取り入れていたとき、トントンと肩を叩かれた。


「あの、逸の彼女さんですか」

 

 声の主は、小柄な男の子だった。もちろん名前も顔も知らなかった。

 でも『逸』という名前は知っていた。私たちがまだ一緒に寝ていた小学生のころ、茉梨が私に『スグルくん』の話をしてくれたことがあった。そして、高校三年のときに告白したことも話してくれたことがあった。加えて、昨年の冬、茉梨をその逸くんの家に送ったことがあった。

 

 あることが頭によぎる。

 

 その逸くんに近づけば、茉梨のことがわかるのではないか。逸くんは茉梨の死んだ理由を知っているかもしれない。恋人なら茉梨の弱いところも知っているかもしれない。

 

 茉梨のフリをする、という一つのカードを握る。

 これを切ってしまえば、すべてを裏切ってしまうことになる。話しかけてきたこの男の子のことも、茉梨の恋人である逸くんのことも、結婚式を控えている夫のことも、すべてを裏切ってしまうことになる。

 

 そうわかっていたけれど、私は何を裏切ったとしても茉梨のことが知りたかった。私の世界は、やはり茉梨を中心に動いていた。茉梨が死んだ後だとしても、それは変わらなかった。


 私はいともたやすく胸元で泳がせていたカードを切った。




「はい、そうです」



 小柄な男の子にそう言った瞬間、私は茉那ではなくなった。



 逸くんが記憶喪失になったと聞いて、すぐに逸くんに会いに行くことを決めた。茉梨と似た顔の私と会えば、何かを思い出してくれるかもしれないと期待していた。

 すぐに実家に帰り、茉梨の私物を漁った。茉梨のスマホ、財布を漁り、個人情報をすべて盗んだ。小中高の卒業アルバムを見返して、茉梨の将来の夢や思い出を盗んだ。職場の上司にはとりあえず一ヶ月休みたいと、一方的に連絡をした。このさいクビになってもいいと思った。正直仕事なんてどうでもよかった。私は人生をかけてでも、茉梨のものが欲しかった。

 そうして私は、茉梨の恋人である逸くんの家の鍵であろうものを盗んでから、最後に夫と住むマンションへ帰った。

 

 何食わぬ顔で夫と食事をとって、体を交えた。

 

 私はいつも快感に隙ができるたびに、茉梨のことを考えていた。

 

 茉梨はこういうとき、どういう顔をしていたのだろうか。

 どういう声を出していたのだろうか。

 

 普通なら見たくない家族のそういった部分でさえ、私は知りたいと思っていた。

 でも、そんなことももう知ることはできない。

 そう思うと胸がチクリと痛んだ。夫がいるというのに、夫の匂いも体の体温も何も感じなかった。

 

 茉梨の感情はもう動かないのに、私の感情だけ動いていく。茉梨と離れていた距離が、私が生きるにつれてさらに離れてしまう。いつかお互いの姿を確認できなくなるくらい、離れてしまうのかもしれない。

 

 そんなのは嫌だ。私を覆い尽くしてしまうほどに、茉梨は存在していてほしい。今でもそう思う。

 

---------------------------------------


 何週間も使っていなかったオートロックの鍵を開け、エレベーターに乗り込む。


 夫とこれから再会する。きっと彼は私が家を空けるのは数日間のことだと思っていただろう。きっとひどく叱られるだろう。もしかしたら離婚を切り出されるかもしれない。

 

 覚悟を決めて、自宅のドアを開ける。リビングから明かりが漏れていた。


「ただいま」

 声が震えた。

 リビングから足音が近づいてくる。


 あぁ、帰ってきている。怖い。怖い。でも悪いのは私だ。夫にも、逸くんにも許されないことをした。茉梨の飛び降りに巻き込まれた苺花さんにも許されないことをした。

 

 ガタリとリビングから夫が現れ、私に近づいてくる。許されないことをした私を目の前にしているにも関わらず、穏やかな様子が逆に怖い。

「おかえり」

 そう言った夫が少し笑っているようにも見えた。その瞬間に、私の口は無意識に開いた。


「あの、ごめんな――」

「とりあえず入って。寒かったでしょ」

 私の謝罪は遮られる。夫は私の肩を抱いた。


 頷きながら靴を脱いで、リビングへ入る。ダイニングテーブルには食べかけのカレーが置かれていた。

「ご飯食べる? カレー温めるよ」

 夫に優しく尋ねられたが、何かを食べられるような状態ではないので、首を横に振った。

「そっか……。じゃあ、飲もうか?」

「え?」

「お酒」

 夫は顔の横でお酒を飲むジェスチャーをした。そして私の答えを聞く前に、食べかけのカレーを片付けて冷蔵庫の方へ向かった。

 

 夫にグラスを渡され、流れのままに受け取る。即座に缶を切った夫にビールを注がれる。いつぶりに飲むだろう。少なくとも二週間以上飲んでいない。


「じゃあ、乾杯」


 何をお祝いするわけでもないのに、カランと楽器のような音を鳴らす。夫が飲んだのを確認してから、一口ビールに口をつける。夫はすぐに、テーブルに置いていたアーモンドをかじった。


 深呼吸をする。


「あのね」


 そう呟いて、テーブルの下でこぶしを握り締める。じんわりと手のひらに汗が浮かんだ。


「うん」

「私、黙っていたことがあるの」

 夫の目を見られない。


「双子の妹、死んだの。自殺したの」

「うん」

 淡々と頷く夫。


 夫はお葬式には呼ばなかった。両親には、夫は体調を崩してしまい外に出られる状況ではないと嘘をついた。家族葬だったから、逸くんはもちろん来ていない。

 

 夫が特に驚いている様子はない。


「自殺の理由が知りたかったの。妹が本当に考えていたことを知りたかったの。だから、妹のフリをして妹の彼氏である逸くんに近づいたの。彼が記憶喪失なのをいいことに利用して、この二週間、ずっと逸くんの隣にいた」

 罪悪感がいっぱいになって胸が締め付けられる。


 毎日毎日嘘をついて、ありもしない話を並べて、どんどん本当の茉梨が消えて行っているような気がして怖かった。自分の欲望のためだけに、とんでもないことをしでかしてしまった、と気が気じゃなかった。

 まるで、逃走中の犯人の気分だった。

 

 そしてその罪悪感は、苺花さんの目を見た瞬間にすべて崩壊した。自分がついてきた嘘に耐え切れなくなった。裏切っているものが多すぎて、抱えきれなくなった。

 

 目の前にいる夫のことも私は、裏切ったのだ。


「ごめんなさい」


「君は何に謝っているの?」

 優しい声色で、とげのないまあるい言葉なのに、夫の言葉は私の胸に重くのしかかった。私の謝罪を夫が受け入れてくれる様子はない。


 夫は何も言葉を返さない私を見てから、またアーモンドをつまんだ。ポリポリという咀嚼音が、まるで時計の秒針のように一定のリズムで刻まれる。


「あなたに黙って逸くんと一緒にいて、ごめんなさい」

「そのことを謝りたいの?」

 心臓が揺れる。さっきビールを口に付けたというのに、もうすでに口内は乾燥していた。 


 夫の鋭い視線から逃れるため、口にビールを運んだ。








「僕は君に出会ったときから気付いてたよ」




 夫の眼鏡の奥の瞳が、私を捕まえて離さない。







「君が僕より大事に思っている人がいることに」


 核心的なところを突かれ、私は動けなくなった。

 

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