ぼくの先生
そうして、マリちゃんとの生活を続け二週間の月日が経ち、初めての通院の日がやってきた。
最初に古川先生のカウンセリングを受けに来た。入院していたときは、病室へ先生がくる形だったけれど、今回はカウンセリングルームというところにぼくが行くことになっていた。
「こんにちは」
三回ノックしてドアを開くと、机に向かっていた古川先生がこちらを振り返った。
「こんにちは逸くん。元気そうでよかったです」
相変わらずカッコいい。シャープなアゴに高い鼻。
どうぞ、と出された椅子に腰かける。
「今日はおひとりで?」
「いえ。病院までは彼女と来ました。今は下で待ってます」
へぇと言いながら古川先生は、ラベルにぼくの名前が書いてあるファイルを棚の中から取り出した。
「どうですか。彼女さんとの生活は。順調ですか?」
そう聞かれぼくは、これまでのマリちゃんとの生活をたくさん話した。
学校帰りにマリちゃんとコンビニの肉まんを食べたこと。
一日中寝ずに空の色を見たこと。
レンタルビデオ屋でハリーポッターを借りて見たこと。
一つずつ古川先生に話しながら、ここ二週間の生活を振り返っていく。
「そういえば。マリちゃんとハリーポッターを全作見て、思い出したことがあるんです」
話を懸命にメモしている古川先生が「何ですか」とこちらを見る。ぼくは、ハリーポッターを見て思い出した、過去の記憶を話した。
ぼくのお母さんが、もともとハリーポッターが好きで、ぼくによく勧めてきていたこと。
ぼくがそれに懲りて、小学三年生のときに初めてハリーポッターを見たこと。
そしてまんまとハマってしまい、すぐに全作見ることになったこと。
小学校の図書室でハリーポッターの小説を借りて、放課後家に帰ってずっと読んでいた時期があったこと。
「マリちゃん、ハリーポッターを初めて見たらしくて、とても感動して泣いてんですよ」
ぼくはマリちゃんとハリーポッターを見て、これまでもずっとハリーポッターが好きだったことを思い出した。
「まぁ、こんな感じでとっても順調です。いつも通り生活するだけでいろいろなことが思い出せるし、マリちゃんにはぼくのしたいことにたくさん付き合ってもらってます」
楽しかったことを話すとともに、授業でいじめの問題に正解できなかった話や、お風呂をうまく沸かせなかった失敗談も話した。古川先生は、失敗は悪いことではないと受け入れてくれた。
「でも、いじめの定義って難しくないですか? いじめられた人がいじめだと思えばいじめ。それなら相手に悪意がなくても『いじめ』にできるんですよ。相手が不快に感じればいじめ、そういうなら人の厚意をいじめだと訴えて相手を不快にさせることもまた、『いじめ』にできると思いませんか? それなら自分の都合が悪いときにその三文字をあげればいいと思っている人が現れる気がするんです」
まっすぐにいじめの定義を理解できなくて、ずっともどかしい。授業で大多数が同じ意見に挙手して正解できたのに、ぼくだけが正解できなかった。
『いじめられた人がいじめだと感じたならいじめ』ならば、心の弱い人の方が得していることになるのではないだろうか。より繊細で、より傷つきやすい人間の方が社会に守られて生きていけるのではないだろうか。
古川先生は体を前屈みにして、こちらに顔を近づけきた。
「逸くん。『お客様は神様である』という言葉を知っていますか?」
「あ、知ってますそれ」
ぼくの心の中の写真が一枚めくれる。
アルバイトをしていてその言葉を聞いたことがある。クレーマーのおじさんがぼくに言ってきたことがある。あのときはとてもイラついた。
「その言葉は、お客様が言う言葉ではありません。従業員側が意識することであって、お客様が神様になれる魔法の言葉ではないのです。いじめの定義も同じです」
古川先生は足を組み替える。
「『いじめられた人がいじめと感じればいじめ』という定義は、どんなことでもいじめに変えられる魔法の言葉ではありません。誰しもが加害者になりうるいじめだからこそ、全員がこの定義を胸に刻んでおかなくてはならないのです。しかし、逸くんがその定義に共感する必要はありません。そういうものだと理解していればそれでいいのです」
「共感すると理解するとでは何が違うんですか」
「全く違います。共感するというのは理解の上にあります。人の意見を理解して、同調するのが共感。同調せず、そんな意見もあるのかと感じるだけなら理解のままです。逸くんはいじめの定義に共感する必要はありません。絶対に共感しろ、なんて無理な話です。人が感じることはそれぞれ自由なので、広い心を持って他人の意見に耳を傾ける余裕が必要なのです。いじめ問題の理解に自分の意見を交えようとするから混乱してしまうのでしょう。そんな定義があるのか、という程度の考えで僕はいいと思います。数学を勉強するときでも同じでしょう。わざわざ定義に共感しようとなんてする人はいません。定義を覚える人がほとんどです。いじめ問題も同じです」
「なるほど。共感と理解は違うのか・・・・・・。じゃあ、昔のぼくと今のぼくが共感し合えなくてもいいってことですか?」
古川先生はぼくの質問に対して深く頷いた。
「当たり前です。人の意見も好みも変わっていくものですから。だから今の君の気持ちが必ず記憶が戻る前と同じである必要はありません。君が何か思い出したとき、昔の自分に共感できなくても『昔の自分はこうだったのか』と理解できればいいのです。それに、こうして話したことも僕の一意見に過ぎないので、共感できないならできないで構いません。でもすぐに、切り捨てないでください。こういう考え方もあるのか。でもそれを選ばないよ。と選ばないことをちゃんと選択してください」
選ばないことを選択する、という言葉がぼくの頭の中にストンと入り込んできた。
古川先生こそ、道徳の先生になるべきではないだろうか。問題に正解できなかった生徒を見世物にするような大学の先生よりも、一人一人の意見を尊重してくれる古川先生の方が人を導く仕事をするのに適任だ。
そんな古川先生に質問したいことがあったんだと思い出す。
「先生は知っている人が亡くなったことはありますか?」
ぼくは、退院した日の帰り道にマリちゃんにした質問と同じ質問をした。
「いきなりどうしたのですか?」
「気になったんです。自分の知っている人が亡くなったらどんな気持ちになるか」
記憶をなくす前のぼくも、今のぼくもこの辛さを知らない。この辛さはいったい、何と同等なのだろうか。
「どうでしょうね。どんな気持ちになるかは、その人次第です」
「立ち直れないくらい辛いですか。やっぱり先生も何もする気が起きなくなったり、眠れなくなったりしましたか」
「いいえ」
ネットで調べた知識で質問するも、古川先生に首を横に振られる。
「僕は違いました。一昨年、がんで母親が亡くなった次の日もいつも通り食事を取り、当時付き合っていた彼女と体を重ねました」
古川先生が、体を重ねるということの明確な意味を説明し始めたけれど、恥ずかしい言葉に直面して顔に熱が集まった。そういった知識は知っていると古川先生を制した。
体を交えることについては、最近クラスの人たちが話していたから知っている。何にも代えがたい大人の快感が味わえるらしいのだけれど、ぼくはその気持ちよさを知らない。覚えていないのか、したことがないのかわからない。
マリちゃんとぼくもしていたのかな、と一度考えた。できるなら、やってみたいと思った。
「ぼくもしたいと思ったんです。でもマリちゃんはキスすらさせてくれないんです」
話が少しずれてしまったなと思ったけれど、古川先生は「へぇ」と頷きながらぼくの話を聞いてくれた。
マリちゃんには一度、夜ベッドへ入ったときに「キスがしたい」と言った。でも言葉巧みに交わされてしまった。やはり、まだぼくがマリちゃんを好きだと思えない状態でそういう行為をするのはまずいらしい。
「古川先生は、どうして親が死んだ日までしたんですか? 辛くなかったんですか?」
自分で話の軌道修正をする。
人が死んだ翌日に行為に至っているということは、ぼくが想像しているよりも死別というものは辛くないのかもしれない。
古川先生といつもは目が合うのに、しばらく目が合わなかった。無視されているという様子ではなく、独り言を言おうとしている空間にぼくが偶然居合わせたような雰囲気がした。
そして古川先生は、その独り言を地面に向かって吐いた。
「辛いなんて言葉では言い表せないくらい、絶望していましたよ」
古川先生の声はひどく冷たかった。
「まるで体内にある大事な臓器を一つ奪われたかのような気持ちになりました」
脳内で勝手にグロテスクな妄想が広がる。
でもどうして、そんなにしんどいのにいつも通り過ごせたのだろうか。
最近マリちゃんと見たドラマに出ていた病気の恋人と死別した男の人は、彼女の死後、何日も布団に潜って泣いていた。到底ご飯が食べられるような状況ではなく、明かりもつけず、部屋でずっと泣いていた。
古川先生は全然こちらを見ない。まだ、地面のある一点を見つめている。
「穴があると入り込んでくるんです」
「穴?」
「少しでも隙が生まれると、『大切な人にもう二度と会えない』という事実が僕の脳内に入り込んでくるんです。だから僕は、それが入り込んでこないように生活の穴を満腹感や快感で埋めていきました。でも、すべての穴を塞ぐなんて不可能でした。湯船に浸かっているとき、布団に入り電気を消したとき、駅のホームで電車を待っているとき。その一瞬の隙に、むなしさにつけ込まれるんです」
古川先生は「僕の場合は」と語尾に付け足した。
「今もそうなんですか? そんな暗い気持ちで毎日生活しているんですか?」
「いいえ。今は『大切な人にもう二度と会えない』という事実を受け止められるようになりました。実際の傷と同じように、死別によってついた心の傷は、初めは痛くてたまりませんでしたが、次第に癒えていきました。親が死んだことに対して悲しいと思わなくなったとき、僕は今生きている大切な人を今よりもっと大切にしようと思えました」
古川先生が、そよ風が吹いたかのようにこちらを向いてふっと笑う。
マリちゃんは死に暗いイメージを持っていたけれど、それはきっとぼくと一緒だからだろう。フィクションではない、実際の死にまだ触れたことがないからだろう。実際に経験したことのある人は、死をあまり暗いイメージと捉えていないのかもしれない。
経験したことがないと、理解しようもない。わかった気になることしかできない。
ぼくはスマホでメモアプリを開き、古川先生の死生観をメモした。人の考えを取り入れられなくても理解する姿勢を見せる。さっき言われた言葉を思い出し、すぐに実行に移した。
ぼくは他に話すべきことがないか、思い出したことや教えてもらったことをまとめているメモを開いた。記したのはよいものの、こうして見返す機会はなかった。箇条書きにしてある、記録を眺めていく。
寝るときの癖。毎日右向きにはねる寝ぐせ。大学の友達の名前。有名なバトミントン選手の名前。好きな女優の名前。
メモをスクロールして見返していく。
「あれ?」
何か引っかかりを覚えると同時に、ぞっと寒気がした。




