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授業


 次の日、久しぶりに授業へ行くといろいろな人に出迎えられた。

 

 みんな「元気だったか」と聞いてくるだけで、特に詳しいことを聞いてくる人は一人もいなかった。何か聞かれたら記憶喪失だと答えるつもりでいたけれど、聞かれていないのにわざわざ言うのは何か違うなと思い、聞かれるまでは黙っておくことにした。



「よぉ逸」

 時間ギリギリに入って来たこたがぼくの隣に座る。

「お前にこれやるよ」

 大量の紙を渡される。「何これ」と聞くとぼくが休んでいた期間のノートだと言われた。


「ありがとう」

「貸しイチな。今度飯奢れ」

「わかった」

 こたはすぐに、「嘘だよバカ」とぼくを殴ってきた。


 先生がやってきて授業が始まる。ノートを開いて先生が黒板に書いていくことをひたすら写していく。 

 教室の中には、寝ている人やスマホを見ている人、友達と話している人もいる。先生がその人たちを注意する様子はない。

 

 みんなどうしてここにいるのだろう。勉強したいことがあるから大学に入ったのではないのだろうか。


「お前、漢字読めんのかよ」

 ノートをとっていると、こたが耳打ちしてきた。

「ほとんど読めるようになったよ」


 何が読めて、何が読めないのか、正確に説明はできないけれど、日常生活で漢字が読めなくて困ることはない。今では小説を読みながら漢字を検索することはなくなったし、テレビを見ていても読めない字が出てくることはほとんどない。


「あっそ。なんか他に困ってることはねぇの?」

 ノートをとりながらこたが聞いてくる。

「困ってること、か」

 ノートをとる手を止めて、考える。今のところ、困っていることがわからない。疑問に思っていることは、疑問として頭に浮かんだ瞬間にマリちゃんに尋ねているから、大丈夫だ。


 困っていることは特になかったので、ぼくはこたに昨日のくさいラーメン屋にマリちゃんと一緒に行ったことを話した。


 すると、こたは昨日のラーメン屋のお兄さんと同じような顔で、ぼくを冷やかすように笑い出した。やっぱり誰から見ても、マリちゃんをラーメン屋に連れていくことは間違いだったみたいだ。

「お前本当最高だな」

 いつものようにこたはぼくをバカにしてくる。

「ラーメンなら今度から俺連れて行けよ」

「わかった。今度からこたを誘う。他にマリちゃんを連れて行ったら駄目な場所とかあるかな?」

  今度は失敗しないようにしなくちゃいけない。

 前を向いて先生が書く板書を写しながら、こたに質問をする。

「あー、まぁ、パチンコ行きてぇなら一人で行けよ。あとは、まぁ、あれだな」

 こたは何か言葉を選んでいるようだ。

「何?」

「あのー、あれだあれ。風俗とか合コンとか行きたいんだったら、絶対彼女連れて行くなよ」

 こたの顔が少し赤くなる。合コンはわかる。男女複数人で集まって行う飲み会のことだ。ドラマで見たことがある。でも、風俗って何だろう。


「風俗って何?」


 耳打ちするとこたはさらに顔を赤くした。そして、あれだ、あれ、と同じ言葉を繰り返す。こたのノートをとる手は止まっていた。

「あれだよ。彼女とするようなことしてもらうところ」

 キスやハグをしてくれるお店があるってことか。でも、わざわざお金を出してしてもらうくらいなら、マリちゃんにしてもらえばいい。ぼくは行く必要がないだろう。


「こたは行ったことあるの?」


 こたが椅子をガタンと揺らす。


「は!? ねぇよバカ!」


 こたが急に大きな声を出すので先生に睨まれてしまった。

 こたは、「クソ」「バカ」と言いながら舌打ちをし始めた。


 自分に彼女がいないからって、そんなに怒らなくていいのに。


「こたは好きな人いないの?」

「は? いねぇよクソが」


 こたはとてつもなくイラついている。いつもより言葉のトゲが鋭いし、舌打ちをしている上に貧乏ゆすりまでしている。

 これ以上何かを聞いて怒らせるのはやめようと思い、ぼくは前を向いた。

 

 

 先生の声が小さくて内容が頭に入ってこない。まるでお坊さんのお経を聞いているようだ。

 一番前の席で頷きながら聞いている真面目な女の子が一人いるだけで、他の人はあまり聞いているように思えない。ノートもとらず、先生の板書をスマホで写真に撮っている人もいるくらいだ。

 

 ぼくはもうすでに授業に飽きて、今日、マリちゃんとタピオカを飲みに行くことで頭がいっぱいだった。ちなみに明後日はチーズドックを食べに行く。そして週末には寝ずに空を見る約束もしている。その次はお酒を飲みたいと言ってみるつもりだ。

 

 いつも通りの生活をするたびに、いろいろなことが蘇ってくるようになった。

 

 お風呂に入ってリビングに戻るときは上半身裸でズボンだけを穿いていたなとか、テレビを付けたらすぐに一から順番に一通りのチャンネルを見てからテレビを見ていたなとか、寝るときは右を向いて寝ていたなとか、退院して家に帰って来たからこそ思い出せることがたくさんあった。

 

 その一つ一つをマリちゃんに話すと、「そうだったね」と言ってくれる。マリちゃんは、ぼくが思い出したものと実際の過去を見合わせて丸付けをしてくれる。その瞬間が、たまらなく嬉しい。

 

 そうだ。今度の通院の日は苺花ちゃんに会いに行ってこの嬉しさを共有しよう。この気持ちよさをわかってくれるのは苺花ちゃんだけだ。

 他のみんなはこの爽快感を想像できても共感はできない。マリちゃんは丸付けをして、褒めてくれる先生なだけで、ぼくと同じ立場に立つことはできない。

 

 早く苺花ちゃんに会いたい。苺花ちゃんはあれから何かを思い出せただろうか。

 

 次の通院は来週だ。苺花ちゃんだけでなく、古川先生にも思い出したことをたくさん話したい。



「じゃあ今日の授業はここまで」

 最初から最後まで感情のない機械みたいだった先生が授業の終わりを告げる。


 ガタガタと一斉にみんなが立ち上がる。スマホを見ると、マリちゃんから『食堂で待ってるね』とラインが来ていたので、こたに別れを告げマリちゃんのところへ向かった。

 


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