驚愕
「それでね、今日マリちゃんが来てくれたんだ」
夕食後、苺花ちゃんの部屋へ行き、今日の出来事を報告した。
「ここへ来たんですか?」
「そうだよ」
ぼくが話す急展開の事実に苺花ちゃんは、驚いていた。ポカンと口を開け、唖然としている。
「すごい展開ですね」
ぼくは驚いている苺花ちゃんに、マリちゃんがぼくと一緒に住みたいと言ってくれていることを話した。
苺花ちゃんは驚くだけで、反対はしなかった。
「私も逸さんは退院した方がいいと思いますよ。逸さんが思い出したいと思っているなら、なおさら早くに退院すべきです。ここでダラダラ過ごし続けても、何も変わらないです。私が逸さんなら今すぐにここから出してもらいます」
苺花ちゃんがはっきりと言いきる。
力強いその後押しに、新しい武器を獲得したかのように自信が持てた。
「そうだよね。ぼくもそう思う。今のままここにいて思い出せる記憶もあるはず。でもそれは、きっと退院して外へ出ても思い出せる。ここにいるだけじゃ思い出せないものが、病院の外にはある気がするんだ」
いつも通りの生活をして、いつも通りに人と話す。今こうしている間にも、過去の出来事はかすんでいって、時が経てば消えてしまうかもしれない。見えなくなってしまうかもしれない。その前に一刻も早くぼくは記憶を取り戻したい。
思い出せなくてもいい。古川先生にはそう言われたけれど、ぼくはやっぱり思い出したい。その欲は抑えられない。
「明日またマリちゃんと話をして、立花先生にもお願いしてみる。明日はお母さんたちも来るし、絶対説得してみせるよ。苺花ちゃんありがとう!」
「いえいえ。退院できたらいいですね。こんなところにずっといたら息がつまりますよ。私も早く退院したいです」
苺花ちゃんはぼくをうらやむように見た。
「やっぱり苺花ちゃんも、早く家族のいるおうちに帰りたいよね」
「もちろんですよ。私のお母さん、仕事が忙しいからって初日に連絡してきたきりですよ」
あきれ気味に苺花ちゃんは笑う。その顔は反抗期の高校生そのものだ。
「お父さんは?」
何気なく尋ねた。
こんなかわいらしい娘さんがいれば、優しくするにちがいないだろう。
「お父さんはいません。うち母子家庭なので」
苺花ちゃんがぼそりとつぶやいた。
ぼくは思わず、開いた口を手で押さえた。失言してしまった、と思ったのがバレたのか、苺花ちゃんは気を遣うように笑った。
「そんなに気にしなくていいですよ。母子家庭であること話したときによく、『嫌なこと聞いてごめんね』って言われるんですけど、勝手に母子家庭を嫌なこと扱いされる方が不快なんですよね」
「そうなんだ」
また悪いことをしてしまった、という顔をしそうになったが、悪循環だと気付すぐに表情を変えた。
「私が小学四年生のときに両親が離婚したんです。私は母に引き取られました」
事実を語っているだけ。そんな様子の苺花ちゃんをまじまじと見る。
「一人でここまで育ててくれて、私、お母さんには本当に感謝しているんです」
「いいお母さんなんだね」
「そうなんです」
パァッと明るい笑顔を見せる苺花ちゃん。ぼくは母子家庭という言葉に対するマイナスの先入観を、頭の中ですぐにかき消した。
両親がいるから幸せだ。片親だから不幸だ。そんなことはない。両親がいても不幸な人はいるし、片親でも幸せな人はいる。母子家庭という名前だけで人を幸せかどうか決めつけることはいけないことだ。そう改めて感じさせられる。
「お母さんに話は聞いたの? どうやって家を出てきたかとか」
「はい、もちろんです。でもお母さんその日、ちょうど出張で家にいなくて……。結局私がどうして家を出てここまで来たのか、何もわからないんです」
苺花ちゃんは苦笑いした。まるで、何を探しているか自分でもわかっていないぼくを鏡で見ているみたいで、胸が苦しくなった。
ぼくの不思議な点は、どうして頭を地面に打ち付けていたのか。
苺花ちゃんの不思議な点は、どうして岡山県に住んでいるのに、兵庫県にあるマンションの下で事故に遭ったのか。
ぼくらの肝心なことの糸口は全くつかめそうにない。
ぼくはうーんと考えながら、一つのことを思いついた。
「そうだ! ぼくが先に退院したら、苺花ちゃんが事故に遭ったマンションの写真を撮って、ここに見せに来るよ。そしたら、苺花ちゃん、何か思い出せるかもしれない。ぼくもどうして苺花ちゃんがここにいるのか気になるし」
苺花ちゃんに笑ってみせる。我ながらいい提案ではないだろうか。外に出て行けない苺花ちゃんの代わりに、ぼくが苺花ちゃんの記憶を拾いに行く。
苺花ちゃんの記憶が、すうっと戻ってくるのを想像すると胸が躍った。自分が何かの役に立てるのかと思うと、足がうずく。
「いいですよ、そんな。退院してまで病院に来させるなんてできません」
「いいんだよ。どうせ通院することになると思うし、ついでだよついで」
押し切るぼくに、苺花ちゃんは渋々納得してくれた。それならよろしくおねがいしますと頭を下げられる。
苺花ちゃんにマンションの住所を教えてもらい、スマホでメモをとった。ぼくのスマホのメモアプリがたくさんの文字で埋めつくされていく。
スマホの右上に表示されている時刻を見ると、二十一時前だったので部屋に戻ろうと椅子から飛び降りた。
「じゃあまた明日」
ベッドの上に座っている苺花ちゃんに手を振る。
「はい。おやすみなさい」
小さくうなずく苺花ちゃん。
ぼくはスキップしながら自分の部屋に戻り、日課になりつつある読書をしてから眠りについた。




