12章 暗闇の心中
否、動けないのだ。
もはや今のアリアに戦闘の意思はない。
あるのは逃げたいという思いだけ。
止めどない恐怖が心を支配する。
瞳は震え、声は出ない。
肺が上手く酸素を吸わない。
呼吸困難に陥る。
どうしようもない怖さがあった。
これが無人を前にした無力な人間の感情なのか。
なるほど。
これは抗えない。
この支配には抗うことは出来ない。
アリアの心は既に限界だった。
そして、音を立てるようにガラスのハートが壊れていった。
「嬢ちゃん‼しっかりしろ‼」
ロンドが声を荒げるが、アリアは既に恐怖に飲み込まれていた。
一切の音が彼女には届かなかった。
暗き深淵に吸い込まれていったかのように。
深い深い深海へと引き摺りこまれていくようだ。
死神に足を掴まれた。
もう逃げることは出来ない。
泥沼だ。
これは泥沼。
一度足を踏み入れたが最後、終わりを迎えるまで抜け出ることは出来ない。
その死神に足を掴まれたのだ。
ユースティスは無人に捕まっている。
ロンドも今いる位置からでは助けに行くことは出来ない。
積みだ。
ここで私の人生は終わりを迎える。
これが逃げ出そうとしていた人間の末路なのかもしれない。
ここで死ぬということは結局のところどちらに転がっても進んできた道は間違いだったのかもしれない。
なんて愚かな人生だったのだろう。
進もうと戻ろうと、私が至るべき道はどちらも先がなかったのだ。
道が無くなれば自然と進めなくなる。
歩を止めるしかなくなる。
進めなければ戻ることも出来なくなった。
八方塞がりだ。
茫然とアリアは立ち尽くす。
そして、目の前に黒き爪が飛んでくる。
凄まじい速さだ。
その速さに視認は出来ても避けることは出来ないと確信した。
迫り来る無人の攻撃に反応することは、ほぼ不可能に近かった。
濃厚に流れていく時間がアリアには至福の一時に思えた。
ここで自分の命は終わるのかもしれない。
悔いがないと言えば嘘になる。
選択してきた道が間違いだったということにアリアは内心がっかりしていた。
辿り着く答えが一緒だったとは。
人生とは数奇なものだ。
この敗北は―――自分が稚拙だったからだ。
己が無知で稚拙で弱者だったから。
弱肉強食の世界を生き抜いていくには自分はあまりにも無力だったのだ。
そう。
これは全て自分のしでかしたことだ。
だから仕方のないこと。
もし―――
もし来世というものがあるのならば、今度は今の自分より強い人間に成れていることを願いたいものだと思い、アリアは流れていく情景を見守った。
彼女が諦めたことを悟ったユースティスは内心後悔した。
なぜ、事態の重さに気が付けなかったのかと。
なぜ、アリアを一人にしてしまったのかと。
なぜ―――自分は彼女の傍を離れてしまったのかと。
そんなの決まっている。
自分はどこかで勝手に決めていたのだ。
アリアなら一人でも大丈夫だと。
勝手に自分で決め込んでいたからこそ、自分は見落としていた。
まだ力を使いこなせていないことは知っていた。
戦闘に赴く姿勢が稚拙であることも知っていた。
それでも彼女のためにと。
一人で無人の相手をさせた。
実戦で得る方が守られている時の何倍も技術を得られると思っていたからだ。
彼女に強くなってほしいと願っていた。
自分達が守らなくてもいいくらいに成長してほしいと思っていた。
しかし―――
その結果がこれならば、自分は一体何のために彼女を一人にしたのか分からないではないか。
傍を離れた時点で、自分の判断は間違っていたようだ。
自分の失念さを呪う。
まるで時の流れが急速に遅くなったように感じる。
アリアの胸元に迫り来る黒き爪がユースティスの瞳に映り込む。
あぁ……
これは無理だ。
自分では救うことが出来ない。
彼女に迫り来る攻撃を凌ぐ術を自分は持っていない。
自分は彼女の盾だ。
盾である以上彼女を守らなければならない。
それなのに、今の自分はどうだ?
彼女の近くにいるどころか守れてすらいない。
であるならば、自分は一体何のために……
彼女の父に言われたはずなのに。
守らなければならないと思っていたのに。
思わず目を瞑りたくなった。
目を背けたくなった。
彼女が目の前で殺されるのだけは我慢ならなかった。
だから、一瞬でも眉が動いたことにユースティスは驚いた。
自分は今———目を背けようとしたのか?。
彼女の命を簡単に諦めようとしたのかと。
己の行動に疑念感を抱いた。
殺されようとしている様をこの目に焼き付けたくなかったから視線を逸らした。
だがしかし、それこそ一番やってはいけない愚かな行動ではないかと。
再び自分の愚かさを呪い、彼はあることに気が付いた。
(そう言えば、アルマリアはどこにいる?)
彼の疑問が頭を過ぎった時———
ユースティスは見た。
アリアに向かって鋭く尖った爪が彼女に当たる寸前―――
その爪は突然飛来した『何か』によって弾かれた。
それにより、アリアの思考は一気に回復した。
突然の出来事に誰もが不意を突かれた。
視界が黒く染められていたのが一変して辺りが急に明るくなる。
黒き無人がいなくなったことにより暗かった視界が鮮明になったのだ。
先程まで飛んできていた無人の攻撃は、すっかりなくなっていた。
何が起きたのか。




