境界の杭
南の詰所では、境界の杭を毎朝確かめる。三本の黒石が街道を横切るように並び、その先には低い草原が続いていた。草原へ踏み出せるのは人間の旅人だけで、詰所の兵たちは石から先へ足を運べない。
守備隊長のグラドは新兵の靴底を見た。泥が厚くついている。
「杭の向こうへ行こうとしたな」
「羊が一頭、逃げまして」
「追いつけたか」
新兵は首を横に振った。走ろうとすると膝が動かなくなり、羊は何事もなく草を食べ続けたという。
グラドは叱らなかった。自分も若い頃、杭の向こうへ転がった槍を拾おうとして同じことを経験した。手は届くのに、指先が触れる直前で身体が止まる。境界は見えず、音も立てない。
詰所の裏では鍛冶師の娘が鍋を直していた。鉄を叩く音に合わせて、年寄りたちが麦の値段を言い合っている。戦の話をする者はいない。近頃は人間の行商も増え、南の市場には珍しい染料が並ぶようになった。
昼過ぎ、街道から荷車が一台やって来た。車輪の片側が割れ、御者の男が困り果てている。グラドは兵に修理を命じ、代金を受け取るなと伝えた。
「どうして助ける」
人間の御者が尋ねた。
「道を塞がれると、こちらも困る」
グラドはそう答えたが、本当は男の隣で眠る幼い娘が気になっていた。娘の手には、干からびた花が握られている。
夕方、荷車は再び走り出した。新兵が杭の手前から手を振ると、娘も笑って振り返した。
その夜、詰所に一通の書状が届いた。東の森で武装した人間の一団が目撃されたという。人数は四名。旗も紋章も持たず、先頭の者は剣を背負っていた。
グラドは書状を二度読んだ。旅人なら珍しくない。だが、森の見張りがわざわざ早馬を使った理由が、文末に小さく書かれていた。
一団は森の奥へ進み、魔獣の縄張りから無傷で戻ってきたらしい。




