【1】家康 接待される
1582年4月下旬 安土城にて 織田信長
ホントに良かったよ、あの武田を滅ぼせて。
武田信玄も武田勝頼も、まともに戦えばかなりの強敵だったからな。長篠で戦ったときも、千を超える鉄砲と百万にも及ぶ弾薬を使って、やっと勝てたんだよ。実はあの膨大な軍費は、当時の俺にはかなり痛かったんだが、うるさい武田軍は一度、徹底的に打ちのめす必要があったんだ。
だが、あれほどの損害を与えても、武田は全然大人しくならなかった。内情は相当厳しかったはずだが、勝頼はギリギリまで攻めの姿勢を崩さなかったんだ。賛否あるだろうが、あれは大したもんだと俺は思うよ。武田が生きる道はあれしかなかったからな。トップに立つ者の苦慮や葛藤は、同じ立場じゃなきゃ分からんもんだよ。
まあ、最後は驚くほどあっけなかったが、滅びるときってのは得てしてそういうもんなんだ。
あの飢えた虎みたいだった武田が力尽きるまで、どれだけ攻められても耐え切った家康は、本当に良くやってくれた。あいつにしてみれば、ただ自分が生き残るためだったとしてもな。
それに家康のやつ、武田一門の穴山…ナントカを寝返らせて、駿河から甲斐まで攻めるなんて、よくやりやがったよ。やっぱり抜け目がないよ。
武田勝頼は、家中からも憎まれていた。だから武田の限界が近づくと、寝返りが堰を切ったように続いたんだ。それでこっちも、誰かが木曽義昌を寝返らせていたから良かったよ。一応、体面ってもんがあるからな。家康にしたり顔させなくて済んだ。
家康と同盟はしている。でも腹の底から信用はしていない。
これで武田さえ倒してしまえば、もはや同盟の意味すらない。遅かれ早かれ、家康を切ることになる。だから、あいつにはあまり力を付けさせたくなかったんだが、穴山を寝返らせた家康に、駿河を与えないわけにはいかなかった。本音を言えば、あいつはもっと駿河攻略に、もたつくだろうと思っていたんだ。
まあ、でも済んだことはもう良い。
実は甲斐に行くついでに一度、富士山を近くでよく見てみたかったんだ。思ってた以上に、でかくて、きれいだった。「でかくてきれい」の他に、言葉が見つからないよ。ただ、あんな山が火を噴いたら地獄だろう。そう思うと、駿河を家康にやっても良かったかなって気にもなった。
甲斐から富士山を眺めつつ東海道を通って帰ってくる間、家康のやつは、やたらと酒やら食いもんやらを振る舞ってきやがった。ちょっと鬱陶しかったな、あれは。
まあ…美味かったから良いけどよ。
しかし、家康との同盟が二十年近くも続くとは思わなかったな。俺があいつと初めて会ったのは、お互いガキの頃らしい。俺はさっぱり覚えてねえんだけどな。俺が覚えてるのはあの桶狭間のときからだ。
俺って昔から本当に運が良いんだ。今川義元に大軍で攻められて、これはもう無理だと思ってよ。ならいっそのこと、派手に逝こうとしただけだったんだ。大雨が降って前も見えなくて、物見が言ってた方角に、半ば適当に進んだら今川の本隊がいてさ。ええい、突撃って言ったら、あれよあれよという間に、誰かが首を取ったなんて叫んでてね。誰の首かと思ったら、今川義元ですって、おい冗談だろって思ったよ。したら、本当に本物だったからビビっ たよ。どうしようって思ってたら、今川の奴ら、まだ 戦えるのに勝手に退却しててよ。俺の勝ちってことになっちまった。
あの後だな、家康が「組みましょう」って言ってきたのは。自分で言うのもなんだけど、今川を見限って俺に付こうなんて、見る目があるやつだと思ったよ。俺は日本一の強運だからね。能力の差なんて、実は有って無いようなもんなんだ。だから最強なのは運が良いやつなんだよ。あれで俺の強運を見抜いた家康は、俺の次くらいに運が良くて、やたら本とか読んでて頭も良かった。それで、俺にひたすら付いてきて、そこそこ大きくもなった。
でもね、俺が家康を切れば運にも見放されるだろうね。北条も最近、俺の機嫌を取りにきている。まだはっきり返事はしないでおくけどよ。家康を潰せたら、その後は北条を代わりにすれば良いんだ。その前に、家康をどうやって始末するかが問題だけどな。傍から見れば、俺と家康が戦えば俺の圧勝だと思うかも知れんが、徳川軍団は、そんな甘い相手じゃねえんだ。
まあ、でもそれは、またゆっくり考えるか。俺、めちゃくちゃ運良いし、なんか願ってもないチャンスが、また勝手に来そうな気がするんだ。
4月下旬 浜松城にて 徳川家康
ああ、ついに武田が滅んだよ。信玄も勝頼も、本当にメンドくさいやつらだった。他人のこと言えないけど、田舎者は戦にだけは強いんだよ。他人のことは言えないけどさ。
そんな強敵が滅んだんだから、普通は喜ぶべきなんだが、事はそう単純じゃないんだ。これで、俺と信長の同盟の意味が一気に薄れるんだよ。武田と戦うための同盟という意味合いが濃くなっていたからね。
そして思惑通り、武田を倒した。だから同盟が間違いではなかった。
問題は、この先の信長との関係なんだ。俺より信長の方が圧倒的に勢力が大きいし強い。同盟とはいっても、もはや対等な関係ではないのも、よく分かっている。だが俺には、信長の家臣になる気はない。となれば、今すぐではないにしても、信長と戦う日は来るんだ。しかし情けないが、俺だけでは、とても信長に太刀打ちできない。かと言って信長に悟られずに、新たに誰かと組むのは簡単なことではないよ。周りから俺は、信長の腰巾着みたいに思われているだろうしね。
だが、もたもたしていると、信長が天下に布武なんぞしてしまう。早くなんとかしなければダメだ。
信長の帰り道に出してやったあの料理に、体に悪そうなものを、もっとたっぷり入れておけば良かったよ。
4月下旬 安土城にて 明智光秀
私はこれ以上、織田信長の手先として働くなど我慢ができない。
武田を滅ぼしたことで、このままでは、この国は近い将来、あの者の思うがままになってしまうだろう。国を滅ぼす魔王たる織田信長の、あの忌まわしい計画がまた一歩、実現に近づいたということだ。思えば、もっと早くあの魔王を討つべきだった。織田信長などに従ってきた私も愚かだった。本願寺などより、真っ先にあの者に兵を向けるべきだったのだ。
だがもう迷うことは何もない。魔王織田信長は私が討つ。
だが、ただ織田信長を殺すだけではダメだ。あの者と同じ思想を持つ者が後を継ぐのも阻止しなければならない。そのためには、私が生き残り、国の実権を握る必要がある。織田信長の息子たちなどはどうにでもなるが、最も警戒するべきなのは、あの猿(羽柴秀吉)だ。猿が信長の真似事をし始めるくらいなら、信長を討つ意味がない。魔王を討ち、猿を島流しにでもして、私が実権を握る。そのためになら、何であろうが、誰であろうが利用するつもりだ。
5月上旬 浜松城にて 徳川家康
それにしても信長のやつ、駿河は家康殿に進呈するなんて偉そうに言ってたけど、そもそも駿河を攻め取ったのは俺なんだよ。甲斐だって、全域ではないにしても、躑躅ヶ崎を落としたのは俺だ。駿河の穴山梅雪なんて、寝返らせるのは実は簡単だったからね。俺は信長とは違って、ああいう微妙な立場のやつの気持ちは手に取るように分かるんだ。気持ちが分かるだけで、好きじゃないけどね。
だから駿河は当然として甲斐も半分くらいは俺に寄越せよな。梅雪なんかには駿河の江尻だけで十分なんだからよ。信長も、俺の領地をあまり大きくはさせたくないんだろうがね。
でもやっぱり、信長は頭が切れるんだよな。信濃の木曽義昌を寝返らせてたなんてね。武田とは、まともに戦っちゃダメだと分かっていたんだ。あの強大な軍事力を持ってからも、それに頼り切らず、きちんと計画的に戦える。短気だから、なんか大雑把に見えるが、実はかなり緻密な計算をして戦っていたんだよ。桶狭間でも姉川でも長篠でもそうだった。
信長の、軍事力・実行力、緻密な計算、大胆な発想…すべて、俺では到底敵わない。だから正直なところ、信長と敵対するなんて恐怖でしかないんだ。信頼できる同盟相手もなかなかいないしね。地理的には北条氏政と組むべきかも知れないが、どうしても、あいつと組んで信長に対抗できるとは思えないんだ。それに今、北条氏政は、信長と直接手を組もうとしているようだ。今は信長も、北条の同盟交渉を軽くあしらっているようだが、本当に織田・北条の同盟が成立してしまったら、両家に挟まれている俺は終わりだよ。
だから、あまり気は進まないが、もう一度 自分の目で信長の様子を探っておいた方が良いかも知れない。ご機嫌伺いのふりをして、安土城まで行っておくとするか。それなら梅雪も連れて行ったほうが自然だな。あいつのこと、やっぱり好きじゃないけどね。
安土城を見せておきたいから、うちの家臣も何人かは連れて行こう。
5月上旬 安土城にて 織田信長
猿に毛利を攻めさせてるが、大雨のせいで手こずっているようだ。高松城を水攻めにしている らしいな。そんなメンドくさい戦い方をしなきゃなんないなんて、ツイてないね、あいつも。俺 なら鉄砲ぶっ放しながら突撃かけて、一日で落とせる城なのによ。
俺、昔から都合良いときに雨が降って、都合良いタイミングで止むんだ。まあ、ツイてないのは猿だけじゃないんだけどな。俺の家臣はみんな運が悪いんだ。多分、俺が強運すぎるからだろうね。俺も家臣も揃って強運だったら、今頃ポルトガルまで俺のものになってるよ。だから家臣の運が悪いのは、我慢することにしてるんだよ。いくらツイてなくても、高松城くらい猿なら落とせるだろうしな。というより高松城なんか焦って落とさなくても良いんだしよ。
ああっ家康?家康が挨拶に来るのか。なんだよ、あいつの顔はしばらく見たくなかったのに。あいつ、いつも商人みたいな顔で笑ってるけど、腹の底までは絶対に読ませないんだ。そんで、無駄なことはほとんどしない。武田がいなくなって俺には北条がすり寄ってきてるし、あいつも何か感じ取ってるのかもな。でも、表向きにはまだ、長年の盟友なんだ。戦勝祝いの挨拶ってことだろうし、断る理由はないな。あいつが出した、酒やら食いもんは美味かったしな。負けられん。
猿が城を落とすまでやることないし、家康に出されたもんより美味い酒と食いもんを用意して、 もてなしてやるか。これぞ京の上品で繊細な料理ってやつを、味わわせてやるかね。そう いうのは、あいつが得意だ。おい光秀を呼べ。
5月15日夜 安土城近くの宿所にて 徳川家康
安土城に来て信長にも会って、改めてよく分かった。信長の軍事・政事・外交、全てを支えているのが、圧倒的な経済力だ。俺なんかとは絶望的な差だよ。北条と俺を足しても敵わない。それが分かっただけでも、来た価値はあったのかもね。帰ったら戦略の練り直しだよ。
でも、ちょっと意外だったな。もっとコテコテの料理に、火が付きそうな強い酒が出てくるかと思っていたのに。あれじゃ、俺が普段食ってる塩分控えめの食事と変わらないよ。俺の口には合うけど、信長があんな味の薄いもん食ってるなんて驚いたね。それとも俺に見栄張ってるのかな。
俺の接待役の明智光秀殿のセンスも良いよね。あの料理といい、この宿所といい、とにかく全てに気が利いているんだ。(今川)氏真も、京の文化がああだこうだって言うけど、明智殿は教養だけじゃない才能を持ってるね。でも、信長とは気が合わないみたいで気の毒だよ。まあ、信長と気が合うやつのほうが珍しいか。
俺も明智殿みたいな家臣が欲しいね。っていうか俺、家臣も連れて来るとは言ったけど、こんなに大勢のつもりじゃなかったぞ。三十人以上いやがる。軍団の連中、本当に暑苦しいな。…まあいいか。どうせ明後日までだ。これが終わったらさっさと帰るぞ。やることも考えることも、山積みなんだよ。
5月15日夜 安土城にて 明智光秀
家康殿は、本心では信長をどう思っているのだろうか。
信長の考えならば、はっきり分かる。信長は家康殿をどこかで潰そうとしている。家康殿なら、それに気づかないはずがない。なのに、こうして信長の機嫌伺いに来ているのは、どうにかして同盟を維持したいからだけなのか。家康殿に、潰される前に信長と決別するお気持ちがある なら、私の決意を打ち明けるのだがな。密かにお話しする機会はないだろうか。
5月15日夜 安土城にて 織田信長
家康のやつ、あんだけ高級な料理と酒なのに、大して嬉しそうでもなかったな。感激している風を装っていたが、あんなタヌキ芝居、見抜けないような俺じゃないよ。そもそも田舎者には、京料理の繊細な味は分からなかったのか。…俺もホントは、よく分かんねえんだけど。
だいたいよ、量が少ねえんだよ。もう一品くらい必要だって光秀に言っとけ。
しかし、梅雪を連れて来るのは分かるけど、あの家臣たちも一緒に来てるなんて驚いた。何人か の護衛と側近だけ連れて来るのかと思っていたよ。急遽、家臣らのために、宿所にも酒と料理を届けさせたら、やつら、ドンチャン騒ぎしてたらしいな。
家康の軍団を支える家臣って、暑苦しいけど、みんな肝が座ってて骨があるんだ。家康自身もそうだけど、やつらをもし敵に回したら、絶対に手強いんだよ。保身しか考えていない他の大名どもと違って、徳川軍団だけは、俺に 完全服従はしない。やつらだけは、絶対に、しないんだ。
北条に家康を攻めさせようかとも考えたが、逆に北条がやられて、関東まで家康の領地になるだけだろうしな。今にして思えば、武田なんかの前に、家康こそ潰しておくべきだったよな。
5月15日夜 安土城近くの宿所にて 穴山梅雪
家康に誘われたから来たけど、居心地が悪い。信長は勝頼に比べたらマシってだけで、とても好きにはなれないね。まあ、尻尾振っておかなきゃなんないのは分かるけど、正直早く帰りたいよ。
5月16日 安土城にて 明智光秀
あの献立は「三汁七菜」といって、本膳料理の正式な品数だ。俺は四十九歳だと?歳の話ではない。
5月16日 安土城にて 織田信長
猿の報告によると、毛利輝元が本隊を連れて高松城に向かってきたらしい。良いね。こういう 展開を待っていたんだ。水攻めに弱いなんて、弱点丸出しの城なんか欲しくねえけど、毛利本隊と戦えるのは大チャンスだ。俺が直々に出張って叩きのめしてやるよ。ほら、やっぱり運が良いってこういうことだよ。猿には城を落とさず待っていろと伝えろ。って言っても、すぐには行けねえな。とりあえず先駆けて援軍を送っておけ。近くにいるやつ、誰でも良いから。家康は明日には帰らせるからよ。
あっ、ちょっと待て。毛利を叩けば一気に俺の天下が近づくし、ますます家康が邪魔になんねえか。今なら家康もあの暑苦しい家臣らもこっちに来てる。
…やっちまうか。でも一応、同盟があるし、俺がやったって表沙汰になるのはあんまり良くねえな。この俺が、家康を恐れてやったみたいにも思われそうだ。ここは、光秀を使うか。こういう面倒な仕事をやってのけるのは、あいつくらいなもんだからな。
5月17日 安土城にて 明智光秀
もう信長が今さら何を言い出そうが私は驚かない自信があったが、認識が甘かったようだ。昨夜遅くに呼び出し、あり得ないことを命じられた。
あの猿の援軍に向かうふりをして、家康殿を家臣もろとも抹殺しろ。
そのために私は接待の任を解かれた。さらに「家康を境に行かせる。そこで毛利の刺客の仕業だと見せかけてやれ」だと?どこまで愚劣なことを考えれば気が済むのだ。
だが、おかげで私が兵を率いて城を出る理由ができた。すぐに坂本城に戻り兵を整えよう。
私が抹殺するのは、家康殿ではないがな。




