第13話「魔女の結婚相談所」
セレーナは背筋を正し、化粧室を後にした。
——キリコのことは……考えない。今は、やるべきことに集中。
真奈美としての感情と、セレーナとしての使命。その間で揺れている自分がおかしくて、小さく笑った。
——前世では仕事一筋で、自分の気持ちを整理する暇もなかった。
もしかして、この世界に来て初めて——私、ちょっと人間らしくなってる?
「……殺されて、人間らしくなるなんて。遅すぎるでしょうに」
* * *
庭園に戻ると、バイオレットとキリコが穏やかに談笑していた。アリサもどこか楽しそうにしている。
——いい空気。この雰囲気を崩さないように。
「お待たせしました。では、改めてお話を続けましょう」
席に着くと、バイオレットがティーカップを差し出してくれた。セレーナはそれを受け取り、一口飲んでから——話題を変えた。
「ところで——最近、貴族家の婚姻がうまくいっていない話を、よく耳にするのだけれど」
バイオレットの表情が変わった。一瞬の驚き、それから——やはり、という諦めに似た色。
「……ええ。実は私も気になっていたんです。私の周りでも、婚約が破談になったり結婚が延期されたりする話がここ最近増えていて……自分のことも解決していないのに、周囲から相談を受けることが多くなって」
「やはりね」
セレーナは紅茶のカップを置き、少し身を乗り出した。
「バイオレット。単刀直入に言うわ。その状況には——黒幕がいる」
「黒幕……? 誰かが貴族の婚姻を、妨害しているんですか?」
「ええ……でも、『誰か』とは今は言わないでおく。……あ、私じゃないわよ」
「……も、もちろん、わかっています」
バイオレットが小さく笑った。その笑顔に、最初の頃の緊張はもうなかった。
「誰かが——自分の権力を維持するために、あなたの周囲にいる貴族たちが婚姻で結びつくのを恐れている。反対勢力が強くなることへの妨害よ」
バイオレットの目が鋭くなった。普段の柔らかさの奥に、聡明な光が見えた。
——やっぱり。この子は馬鹿じゃない。
「……思い当たる節は、あります。でも、どうすれば……?」
その声に怒りはなく、深い疲労感があった。
——ここだ。
セレーナは呼吸を整え、慎重に言葉を選んだ。
「バイオレット。一つ提案があるの」
「提案……?」
「この屋敷で——"婚活相談所"を始めてみない?」
「婚活……相談所?」
バイオレットは初めて聞く言葉に、目を瞬かせた。
「そう。貴族たちの婚姻がうまくいかないなら、私たちがその問題を解決する手助けをする。あなたが主催者として表に立ち、私は匿名の相談役として裏で動くの」
「匿名の……?」
「私の名前を出せば、警戒されるでしょう?」
セレーナは肩をすくめた。
「評判の悪い悪役令嬢が結婚の世話をするなんて言ったら、誰も近づいてこないわ」
自嘲気味に笑った。バイオレットは少し困ったような顔をしたが——否定はしなかった。
——正直でよろしい。否定されるより、ずっと信用できる。
「だから表向きはあなたの名前で運営する。私は仮面をつけて、匿名のコーディネーターとして相談者に対応する。直接名前を出さないことで、政治的な立場や派閥に関係なく、中立の立場で助言ができるの」
バイオレットは黙って考え込んでいた。キリコも静かにセレーナの話を聞いている。
やがて、バイオレットが口を開いた。
「理屈はわかります。でも——なぜ私なのですか?」
「さっきも言ったでしょう? 私は評判が悪いの」
「それは……でも、私では結婚の相談を受けても、どう対処してよいのか分からないと思います」
「対処は私がやるわ。あなたは信頼の窓口。私は裏方の実務。互いの弱点を補い合えばいい」
「……」
バイオレットの瞳が、テーブルの上に落ちた花びらを見つめている。
「バイオレット。あなたは貴族社会の中で、もっとも信頼されている令嬢の一人よ。誠実で、嘘がなくて、相手の立場に立って考えられる。そういう人が主催するからこそ、みんなが安心して相談できるの」
「……そう、でしょうか」
「ええ。あなただからこそ——この役割ができる」
沈黙が長くなった。バイオレットは俯いたまま、何かを考え込んでいる。
——焦らない。この子は慎重で誠実だからこそ、大きな決断に時間がかかる。
やがて——バイオレットがゆっくりと顔を上げた。
「……セレーナ様」
「ええ」
「一つだけ、お聞きしてもいいですか」
「もちろん」
「なぜ、そこまでしてくださるんですか?」
バイオレットの目がまっすぐにセレーナを捉えた。
「以前のあなたは——失礼ですけれど、私にとても冷たかった。それが今は……まるで別人のようで」
——来た。この質問は予想していた。
そして、ここで嘘をつけば——すべてが台無しになる。
セレーナはゆっくりと答えた。
「……以前の私は、無理をしていたの」
「無理?」
「自分を大きく見せるために人を傷つけて、壁を作って——それで自分を守っているつもりだった。でもそれは、本当の私じゃなかった」
嘘ではない。旧いセレーナの行動はベルトラムに利用された結果だ。セレーナ本来の人格はもっと脆く、もっと優しかったはず。真奈美はその残滓を感じている。
「今の私は——たぶん、初めて自分自身でいられている。だからこそ、あなたにも本音で向き合いたいと思ったの」
バイオレットの瞳が揺れた。
「……セレーナ様って、本当に変わりましたね」
その声は柔らかく、どこか嬉しそうだった。
「以前は私にきつく当たっていた時でも——どこか無理をしているように見えていました。今のあなたは、とても生き生きしていて……不思議と、話しやすいんです」
——この子には、見えていたんだ。旧いセレーナの苦しみが。
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
すると——脇に控えていたアリサが、突然声を張り上げた。
「バイオレット様もそう思われていたんですか!?」
全員がアリサを見た。
「じ、じつは私も——以前のセレーナ様は、無理に悪い人を演じているように見えていて……本当はもっと優しい方なのにって、ずっと思っていたんです! 最近のセレーナ様、とても良いと思うんです!」
一瞬の沈黙。
「……あ! セレーナ様、バイオレット様、し、失礼しました! 忘れてください!」
アリサは自分の発言に真っ赤になって、両手で口を塞いだ。
バイオレットが、くすくすと笑い始めた。
「アリサさん、あなたちょっと私と似ているかもしれませんね」
「え!? お、恐れ多いです! ほんと私ったら思ったことすぐ口に出しちゃうので……申し訳ございません!」
そのやりとりに、セレーナも思わず笑みを浮かべた。
——この二人が並ぶと、空気が柔らかくなる。
笑いが収まった後——バイオレットが、セレーナの目をまっすぐに見つめた。
「セレーナ様。婚活相談所のお話——お受けいたします」
「……いいの?」
「正直、不安はあります。でも——あなたが本気で変わろうとしているのなら、私もそれに応えたい。困っている方たちのために、できることがあるなら」
セレーナは静かに頷いた。
「ありがとう、バイオレット」
ここで、キリコが穏やかに口を挟んだ。
「セレーナ様。私もぜひ協力させてください。セバスチャン様にもお伝えしますが——このような取り組みに参加できることを、光栄に思います」
「ありがとう、キリコさん。心強いわ」
——キリコの協力を得られるなら、セバスチャンとの間接的なパイプにもなる。
あの男の真意を測る材料が増える。
バイオレットが、ふとつぶやいた。
「でも——名前はどうしましょう? 婚活相談所だけでは、貴族の方々には馴染みがないかもしれませんね」
「そうね……」
セレーナは少し考えた。
——前世の真奈美なら「マッチングサロン」なんて言うところだけど。
「……"ウィッチ結婚相談所"——というのは、どうかしら」
「ウィッチ?」
「ええ。仮面の相談役は素性も名前も明かさない謎の存在。まるで魔女みたいでしょう?」
バイオレットが目を丸くした。それから、ふっと笑った。
「魔女、ですか。……確かに、セレーナ様って少し——魔女みたいなところがありますわね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
セレーナは肩をすくめて笑った。
風が庭園の薔薇を揺らし、花びらが舞い上がった。午後の陽光がティーテーブルを暖かく照らしている。
——でもねバイオレット。私が最終的に幸せにしてあげたいのは、貴女よ。
テーブルの上に新しい紅茶が注がれ、四人の影が庭園の石畳に長く伸びた。
こうして——バイオレット主催、仮面の婚活コーディネーター・セレーナが裏で動く「ウィッチ結婚相談所」が、静かに産声を上げた。
(つづく)




