第39話 救国の竜
アストレイド王国 謁見の間
「ほう、あなたが邪竜なのか」
その第一声で、私はぴしりと固まった。
王の間へ通される前から緊張はしていた。していたけど、いざ目の前で国王陛下にそう言われると、頭の中が一瞬で真っ白になる。半竜の姿に戻っているとはいえ、私は邪竜だ。しかもついさっきまで王都の上空を飛び回り、地下水路では王子や兵士たちに心配までかけた。
そんな私が、王の前に立っている。
固まらないほうがおかしい。
――話は少し前に遡る。
***
シグルド王子に助けられ、地下水路から上がったあと、フェン様は私の怪我を見てくれていた。
あの巨大な楔弩は抜かれたものの、傷はまだちゃんと痛い。邪竜の姿で無理をした反動もあるのか、身体の芯がどこか重たかった。
「ふむ……なるほどな」
「どう? 傷は深い?」
翼をもぞもぞと動かしながら、肩口の傷を確かめているフェン様に問いかける。痛みはあるので少し心配だった。フェン様は身体の上からこちらを覗き下ろすとニカっと答える。
「……大丈夫やな。竜なんやから、唾つけときゃ治るでこんなん!」
「えぇ!?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
いくらなんでも雑すぎるでしょ、それ。
するとフェン様は、やれやれと肩をすくめた。
「まあ、さすがに唾だけっちゅうわけやあらへんけどな。ウチの治癒魔法もかけといたで。せやけど今は邪竜の姿やと魔力を食いすぎや。しばらくはまた半竜の姿に戻ったらどや?」
「そっか……うん、そうする」
そう答えたのは、私自身もその方がいいと思ったからだ。
王都を救うために、龍脈の力で邪竜の姿に戻れたのはよかったけど、あの姿でずっといるのはまだ負担が大きい。それに、王宮で話をするなら半竜の方が……いや、どっちにしろ十分びっくりされるだろうけど、まだ少しはましな気がした。
そんなことを考えていたら、シグルド王子が少し気まずそうな顔でこちらへ来た。
「リィネ、怪我のあるところすまない。王へ事情を説明するため、共に来てもらうことは可能か?」
その言い方が、いかにもこの王子らしかった。
命令ではなく、ちゃんと私の状態を気にしてくれている。
「無理はしなくていい。傷がひどいなら、私から説明する」
「いや、大丈夫」
私は首を振った。
「みんな、びっくりさせちゃっただろうし」
邪竜が空から来て、王都の上で暴れて、地下では水路をぶち抜いて。自分で言うのもなんだけど、だいぶ大騒ぎな事態を巻き起こした気がする。
邪竜襲来ってことでみんなも驚いているかもしれないし、説明は早いほうがいいよね。
「それに、王子はああ言ってくれたけど……」
地下水路で王子に言われた言葉が胸をよぎる。
居場所を奪わせはしない。帰ろう。私たちの場所へ。
それは、すごく嬉しかった。
でも、この話は私たち二人で決められるようなことではないことも理解していた。
「みんなが怖がるなら、私はここにいれないから」
少し微笑んだつもりで出した言葉は、思ったより小さな声だった。
そう言った瞬間、シグルド王子の表情が少しだけ揺れた。
「リィネ……」
「だから、ちゃんと行く。王様にも会いにいくよ」
正直、この国の背景を知った今、竜として会いにいくのが怖いのは事実だ。けど、逃げたくはなかった。ここで逃げたら、せっかく掴みかけたものから自分で手を放す気がしたから。
それに、みんなに心配をかけたままの居場所なんて居心地が悪いだけだもん。どっちにしても向き合うなら早いほうがいい。
私は国王との謁見に向かうこととなった――。
***
そうして今、私は王の間に立っている。
国王陛下の第一声で固まったままの私の横から、シグルド王子が口を開いた。その横にはちょこんと据わったフェン様も見える。
「こちらは聖竜フェンリクス様です」
「よぉ王様。フェンや。まあ今回は、あんまうちのことは気にせんでええで」
紹介されたフェン様は相変わらずだった。
王の前なのに、全然いつも通りだ。逆にすごい。
国王陛下はほんの一瞬だけ目を瞬かせ、それから小さく頷いた。
「……うむ。よろしく頼む、フェンリクス殿」
そこで国王陛下は一度咳払いをして、視線をシグルド王子へ戻す。
「こほん。つまりシグルドよ、彼女が邪竜であり、かつ我が国を救った者であると、そう申すのだな」
「はい」
シグルド王子は迷いなく答えた。
「彼女の力がなければ危うかった。空から現れた彼女によって、王都は救われたと私は考えています」
シグルド王子は私に視線を向けながら少し頷いたように言葉を続ける。私も思わず頷き返す。本当はユリアン王子の活躍もあったおかげなんだけど、きっとそのへんはうまく説明するためにシグルド王子が気を使ってくれているのだろう。
「ふむ……」
王の間の空気が静かに張りつめる。
私は半竜の尻尾がぴんと固まりそうになるのをなんとかこらえた。
だがそこで、シグルド王子がさらに一歩踏み出した。
「また、一つよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「恐れながら、私たちに聞き伝えられてきた竜の物語は、誤っているのかもしれません」
その言葉に、私は思わず王子を見た。
聞いた話によると、王子は龍脈で過去を見たのだと言う。そこには竜と人の共生の時代があったのだと。
正直に言えば、王子が見たという過去を私は覚えていなかった。ただ懐かしさと温かさを感じる夢を見ていたようなことだけが胸に残っている。
けれど、その余韻だけは小さな火のように胸に留まっていて、シグルド王子の話が嘘ではないのだろうとなんとなく感じていた。
「少なくとも今回の件を見る限り、邪竜による被害とされてきた話のいくつかは、事実ではない可能性があります。」
「あぁ、グスタフの件も聞いた。公国側の邪竜被害は偽りである可能性が高い、とな」
「はい。ですから、邪竜といって敵対するのは、誤解だったのではないかと考えているのです」
シグルド王子をじぃっと見つめる王は、重い口を開く。
「シグルド」
国王陛下が静かに言った。
「言いたいことはわかった。もうよい」
「……はっ」
その返事を合図みたいに、今度は王の視線がまっすぐ私へ向く。
うわ、来た。完全に来たよね? なんか言われるんだろうな……。
「リィネ殿」
「……は、はい」
思わず変な声になりそうになるのを堪えた。
「王子からもあった通り、我らは邪竜を悪しき存在と聞き伝えられてきた」
「……はい」
「だが、どうだ」
王の声音は穏やかだった。
「実際には、あなたの助けがなければ我らは自らの身を守ることすら危うかった」
その言葉に、胸の奥が小さく揺れる。
「であれば、救国のリィネ殿に感謝こそすれ、誰が謗れようか」
「……はい?」
思わず、間の抜けた声が出た。
頭が追いつかなかった。
怖がられるかもしれない、拒まれるかもしれないと思っていたのに、返ってきたのは感謝の言葉だったから。
拍子抜けしたような私の顔を見て、国王陛下はふっと微笑む。
「リィネ殿。我がアストレイド王国は、貴殿を救国の竜として歓迎しよう」
「えっ」
「貴殿が望む限り、この国にいてよい。ここを、そなたの居場所としてよい」
「えっと……」
ほんとに、なんて返したらいいのかわからない。
歓迎? 居場所? 私に? これはつまりどういうことなんだろう。
嬉しい、より先に、信じていいのか分からなかった。
「鈍いやっちゃな」
狼狽している私を見ていたフェン様は、やれやれといった様子で呆れたように言う。
「王はんはな、リィネにお礼を言うとるんや。それで、ここに居てもええ言うてくれとるんやで」
「えぇ!?」
思わず声が裏返る。
「でも、私は邪竜なのに……。みなさん、怖がるんじゃ……」
そう言いかけた私に、国王陛下は静かに続けた。
「民からも、リィネ殿に救われたという声が届いている」
私は目を瞬いた。
門で助けた人たち。空を見上げていた市民たち。あの人たちの声が、もう王のもとに届いているのだろうか。邪竜襲撃として思われてなかったのであれば、少し安心したかもしれない。怖がらせてしまったのならそれは嫌だったから。
「無論、すぐにすべてが変わるわけではあるまい。長く信じてきたものを、一朝一夕で覆せぬ者もおる」
王は一度言葉を切る。
「だが、それでも対話を続ければよい。そなたが何者で、何を為したかを知れば、いずれ皆も理解しよう」
「はぁ……なるほど……」
なんか、すごくまともなことを言われた。
というか、ちゃんと考えてくれてるんだなと思う。いきなり全員が歓迎してくれるなんて、そんな都合のいい話ではない。でも、それでもここにいていいと言ってくれている。
その事実が、じわじわ胸に広がっていく。
すると国王陛下は、少しだけ悪戯っぽく笑みを深めた。
「それにしてもシグルドよ。お前の破天荒さは知っておったが、まさか竜殿を連れてくるとは予想できなんだぞ」
「父上……」
シグルド王子の声が、ほんの少しだけ低くなる。
あ、これはちょっとバツが悪いやつだ。
「ふふ、リィネ殿。こやつは昔から、魔物の子を連れ帰ったり、ひとりで冒険に出て王妃を心配させたりと、何かと我らを驚かせてきた」
「父上! 今はその話は――」
「だからこそ、リィネ殿を連れてきたとて、いまさらそう驚きはせぬよ」
私は思わずシグルド王子を見た。
王子は珍しく、ほんの少しだけ居心地悪そうな顔をしている。
(シャリーさんも大変そうだけど……王様たちも大変だったのね……)
そう思ったら、ちょっとだけおかしくなった。
王子って昔からこんな感じだったんだ。
「ははは。もうよい。リィネ殿やフェンリクス殿も疲れておろう」
国王陛下は最後に穏やかに言った。
「シグルド。あとはお前が手配して、しっかりともてなすように」
「……わかりました。失礼いたします」
そうして私たちは王の間をあとにした。
重たい扉が閉まって、王の視線が途切れて、ようやく私はひとつ息を吐いた。
重苦しいシーンになると身構えていたのはどこへやら、気がついたら王様公認でここにいても良いとお許しが出ていたのだ。
謁見の間の外の回廊は静かで、さっきまで張っていた空気が少しだけやわらいで感じた。
シグルド王子とフェン様と共に、しばらく歩いてから私はぽつりと呟いた。
「……ねぇ、フェン様」
「なんや?」
「さっきの、本当だったんだよね?」
フェン様は呆れたように鼻を鳴らした。
「王はんがあそこまで言うたんや。疑いようもあらへん」
その横で、シグルド王子が静かに言う。
「君の居場所だと、私は言っただろう」
その一言に、なぜだか胸が少し熱くなる。
ずっと洞窟で過ごしてきて、邪竜として討伐対象にまでなった私にとって、誰かに歓迎される居場所などない。ずっとそう思っていた。
でも、どうだろう。今では共に歩いてくれる人がいる。
私のことを歓迎してくれる人がいる。王宮の回廊を歩きながら、隣にいる二人の気配を感じながら、私はようやくそれを実感し始めていた。
「シグルド王子」
私はシグルド王子に声をかけると、足を止めシグルド王子に向き直す。
なんて言えばいいか分からなかったけど、はじめの一歩はこんな言葉が良い気がした。
「これから、よろしくね」
私の言葉を聞いたシグルド王子は微笑み、頷いた。
「あぁ、よろしく。リィネ」
王宮の廊下に流れ込む風にたなびく銀髪と、透き通るような蒼い瞳を見ながら、私は思う。
これまでには想像もできなかったような新しい一歩を、いま踏み出したのだと。




