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邪竜の私ですが、討伐に来たはずの王子がなぜか私を守ると言い出しました  作者: 臼田ゆわ
第一章

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第38話 邪竜の居場所

 最初に感じたのは、温かさだった。

 ふわふわして、どこか安心するような熱。

 それに包まれながら、私はゆっくりと意識を浮かび上がらせた。


 まぶたの裏にまだ淡い光が残っている。

 夢を見ていたような気がする。でもなんだったかは覚えていない。どこか温かい夢。けれどそれが何だったのかを思い出すより先に、身体のあちこちがずしりと重くて、私は小さく息を吐いた。


「リィネ――」


 聞き慣れた声が聞こえる。

 フェン様? いや、違うな。

 もっとこう、心配性で、厄介事に首を突っ込んでいそうな声だった。でも私の惰眠を邪魔する声に対して私は思わず呟いた。


「……うーん。あと百年ぐらい寝かせてよ……」


 自分でもずいぶん適当なことを言ったなと思う。

 でも、それくらい頭がぼんやりしていた。


「――リィネ」


 遠くのほうから聞こえる声と共に何かに抱き留められているような、包まれているような感覚があった。硬い鱗の感触じゃない。龍脈の中のふわふわした曖昧さとも違う。もっとはっきりしていて、もっと近い……?

 うっすらと目を開ける。

 見えたのは、すぐ目の前にあるシグルド王子の顔だった。


「……あれ、王子?」


 なんでこんなに近いの。

 というか、私いまどうなってるんだっけ。王宮の地下水路で、グスタフがいて、楔が刺さって、それで――


 そこまで思い出したところで、ようやく王子の顔がいつもと違うことに気がついた。

 苦しそうで、悲しそうで、それなのにどこか安堵も滲んでいる。

 いろんな感情が無理やり押し込められたみたいな顔をしていた。


「……なんで泣いてるの?」


 ぽつりとそう言うと、王子の表情がくしゃりと揺れた。

 そんな顔をする人じゃないのに。少なくとも、私の知るこの王子は、こんなふうに感情をむき出しにするタイプではなかったはずだ。でも私を抱き留める腕にまで、はっきりと震えが伝わってくる。


「泣いてなどいない」


 少しだけ掠れた声で、シグルド王子はそう言った。


「いや、それは無理あるでしょ」


 思わずそう返したら、王子は一瞬だけ目を見開いた。

 それから、困ったように眉を寄せる。


 その顔がなんだか少しおかしくて、私はぼんやりした頭のまま小さく息をついた。

 あたりを見渡せば、王宮の地下水路や濡れた石の匂い。そして、ぼやけた視界の向こうには砕けた石壁が見え、ようやく状況を思い出してきた。

 なにより撃ち込まれた矢傷が痛む。邪竜とはいえ怪我をすれば痛みもあるのだ。

 だが、今はその痛みよりもなぜか少し懐かしさと温かさが胸の中に溢れているような気がした。


「リィネ、君を失うかもしれないと思った」


 低く、押し殺したような声だった。

 その一言で、胸の奥がどくんと鳴る。


「龍脈の底へ落ちて、君がいなくなるのではないかと……そう思った」


 何があったのか、はっきりとは思い出せない。

 でも、ひどく懐かしくて、温かくて、少しだけ泣きたくなるような何かが胸の奥に残っていた。

 夢を見たはずなのに、その形だけが指の隙間からこぼれていったみたいだった。


 王子は真っ直ぐに私を見ていた。

 さっきまで泣いていた人の目だ。誤魔化そうとしても誤魔化せないくらい、切実な色が残っている。


「リィネ、君は――」


 そこで一度だけ、王子は息を吐いた。


「君は邪竜などではない」


 シグルド王子は、まっすぐ私を見ていた。


「私だけでなく、人のために戦い、この王国を救ってくれた」

「だからこそ――」


 その手が、そっと私の頬に触れる。

 思わず息が止まった。


「君の居場所を奪わせはしない。たとえ、すべてを敵に回したとしても」


 そう言いながら私の頬を優しく撫でるシグルド王子は微笑んでいた。

 まるで、不意打ちみたいだった。

 王宮の地下水路で、邪竜の姿のままで、こんな近くで、王子にそんなことを言われるなんて思わないじゃないか。

 言葉をためらう私を見つめながら、はっきりと、シグルド王子は言い切った。


「だから、帰ろう。私たちの場所へ」


 私の鱗に手を当て、優しく私の顔を抱き寄せる。竜の加護のせいだろうか、王子の鼓動が私にまで聞こえてくるような気がして、なんだか気恥ずかしかった。

 でも、今までに感じたことのないぐらい優しい気持ちが伝わってくるのは、なんだか嫌じゃなかった。

 王子の言葉があまりにもまっすぐで、ずるいくらいに温かくて、私は思わず視線を逸らした。


「……なにそれ」


 少しだけ声が上ずったのが、自分でも分かった。


「急に、そういうこと言うのずるいんだけど」


 シグルド王子が、ほんの少しだけ目を丸くする。


「こんな時に言う?」

「もっとこう、普通のときに言ってよ……」


 そうぼそぼそ言うと、王子は少しだけ困ったように笑った。


「すまない」


 短くそう言ったあとで、王子は少しだけ目を細める。


「だが、普通の時ではたぶん言えなかった」

「なおさらずるいじゃん……」


 思わずそう返してしまってから、私はさらに顔を背けた。


「……邪竜相手に傷だらけになって、王子のくせにさ……」

「王子だからだ」

「は?」


 思わず見返すと、王子は変わらず真面目な顔をしていた。


「王子だからこそ、守りたいと思ったものを守れなかった時のことを考える」

「だから、今度こそ守る」

「私は君を守るためにここにいる」


 そんな真顔で言う?

 ほんとにこの人、たまにずるい。


「……私たちの場所って、どこ」


 気づけば、そんなことを聞いていた。

 自分でも驚くくらい素直な声だった。

 するとシグルド王子は、少しも迷わず答える。


「君がもう、ひとりでいなくていい場所だ」


 胸がまた強く鳴る。


「私たちが待っている場所だ」


 もうだめだ。

 そんなことを真顔で言われたら、照れるとか通り越して、どういう顔をすればいいのか分からない。


「……王子、ほんとにずるい」


 小さくそう言うと、王子は少しだけ困ったように、でもどこか嬉しそうに笑った。


 ――と、首をそむけた先に、シャリーさんに口元を塞がれたフェン様が見えた。

 なぜだか、いやらしい笑顔を浮かべているシャリーさんと視線が合う。フェン様はジタバタともがいてシャリーさんの手から逃れると、嬉しそうに駆け寄ってきた。


「リィネ! いつまで寝とるつもりや、このぐうたら竜が!」

 私の身体に飛びついてきたフェン様は、顔をこすりつけながら私を叱ってくる。


「いたっ、いたたたっ! ちょ、フェン様!」


「知るかい! アホ! どんだけ心配かけた思っとるんや!」


 いつもの勢いで怒鳴られて、逆にちょっと安心する。なんだかこんな風にフェン様とやりとりするのが懐かしくも感じた。


「……ほんま、心配かけさせよって」

 そう小さく漏らしたフェン様の声は、怒っているくせに思ったよりずっと優しかった。


「シャリーさん? なぜフェン様を捕まえていたので……?」


 ニコニコとしているシャリーさんに思わず問いかける。

 シャリーさんは少し残念そうな顔を浮かべながら、こちらに向かって微笑んだ。


「ふふ、王子とリィネ様の素敵なお時間を邪魔するわけにはいきませんもの。フェン様には静かにしていただいていたのですが……気が付かれてしまいましたね」


「素敵なお時間ってなに!?」


 思わずそう返すと、シャリーさんはにこにこと頷いた。


「王子があれほど真っ直ぐなお言葉を口になさるなんて、滅多に見られませんもの」

「シャリーさん!?」

「しかもリィネ様、あんなに照れていらっしゃって。シャリー、とても嬉しゅうございます」

「照れてないけど!?」

「いやいや、めちゃくちゃ照れとったやろ」


 フェン様がすかさず乗ってくる。


「耳まで真っ赤やで――って言いたいとこやけど、竜やから分かりづらいな!」

「ちょっと!?」


 やめてほんとに。

 というか王子まで微妙に目を逸らしてるの、余計に恥ずかしいんだけど。


「シグルド王子! なんか言ってよ!」


 思わず助けを求めるように言ったら、王子は一瞬だけ考えるような顔をして、それから静かに口を開いた。


「いや、可愛らしかったと思う」

「王子!?」


 なんでそこで追撃してくるの。

 シャリーさんが楽しそうに口元を押さえ、フェン様は腹を抱えそうな勢いで笑っている。

 やめて。ほんとにやめて。いま私かなり傷だらけなんだけど、精神的な意味でさらに追い打ち食らってるんだけど。


 ……でも、不思議と嫌じゃなかった。


 こうして騒がしく声をかけてくれる人がいて、呆れながらも笑ってくれる人がいて、そして泣きそうな顔で私を抱き留めて、帰ろうと言ってくれる人がいる。


 洞窟でもない、龍脈の底でもない。

 邪竜として恐れられ、討たれるだけの存在でもない。


 怒って、泣いて、それでも手を伸ばしてくれる人たちのいる場所。

 そこが、いまの私の居場所なのだと、ようやく思えた。

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