第37話 龍脈の記憶
リィネを求め飛び込んだ私が、最初に感じたのは落ちる感覚だった。
それはまるで水に沈んでいくようで、空に吸い込まれるようでもあった。身体の重さを置き去りにされて、自分という意識だけが流れへと呑み込まれていくような。
薄っすらと目を開くと、淡い光がどこまでも続いている。
揺らぐように、脈打つように。それは一本の川でもあり、かと思えば無数の糸が絡み合った複雑な模様を描いているようにも見えた。
この流れこそが、龍脈なのだとすんなりと理解することができた。
「……ここが」
声に出したつもりだったが、自分の声はどこにも響かなかった。
龍脈の光の中に声が溶けていくような、不思議な感覚だった。
だが、次の瞬間、視界が白んで弾けた。
光のあとに見えたのは大空へと届かんとするほど、高くそびえる白い大きな塔であった。
その眼下には黄金に輝く都市が広がっている。私の知るアストレイド王国とも違う、エーデルシュタイン公国でもない。
街中はもちろん、街と街をつなぐ部分ですら石畳で整備され、そこを群れのように埋める人々の姿。
「塔と……これは国か……?」
それは、栄華。
そう呼ぶしかない景色だった。
だが、繁栄の極みにあるような眩しさの奥に、ひどく乾き、どす黒い欲望があることもなぜだか感じ取れた。人々は塔を通じ神に祈りを捧げているわけでも、願っているわけでもない。
ただ、塔を天に伸ばし、見下ろす神々を引きずり下ろして自らのものにしようとするような。傲慢さにあふれていた。
――まばゆき光に包まれる。
瞬きをした瞬間、目の前に広がっていた光景は一変していた。
崩れ落ちる大きな塔、振り下ろされる裁きの雷、悲鳴と燃え上がる都市。神々の怒りとしか言いようのない破壊が都市を濁流のように飲み込んでいく。
「人の世は……一度終わっていたのか?」
地獄のような光景が広がっていたが、その場所に白銀の巨竜が降り立った。
あまりにも大きく、美しい姿に目を奪われる。まるで空の星かの如きの鱗が輝き、大きく広げられた翼はまるで崩れゆく街と人を庇うかのように覆いかぶさった。
まるで、私を助けたときのリィネのようだった。
白銀の巨竜は吠えるわけでも、争うわけでもなかった。
ただ、天上に祈るように頭を垂れていた。
その姿を見た瞬間、私の胸に苦しいほどの締め付けるものがあった。
『神々よ、人の子らをお許しください』
なぜだかはわからない。だが白銀の巨竜の言葉が頭に流れ込む。これはこの竜の慈悲だったのだ。驕り高ぶり、神へと挑んだ人間を前にしても、それでも人を見捨てることはしなかった。
まるで我が子を愛する母のように、助けてあげたい。まだ終わらせたくない。そんな優しき竜の思いが溢れ、シグルドの中を通り過ぎていく。
『レギンレイヴ、人は傲慢な生き物だ。お前の献身とていつかは――』
レギンレイヴと呼ばれた白銀の巨竜に投げかけられた言葉が聞こえたかと思うと、視界が切り替わる。
それは、今までと一転した青く広い空だった。
果てしなく高く、澄んだ空。争いなんてなかったのかのように暖かな空気が広がっている。
その空を、レギンレイヴが悠々と飛んでいる。
背には、人の姿があった。空に響くは人々と竜の融和、風に乗る歓声。地上の子どもたちは竜に手を振り、竜の背に乗る人間たちの目も信頼に満ちた眼差しで手を差し伸べる。
白銀の巨竜は差し伸べられた手へ、顔をそっと寄せる。
その仕草があまりにも優しくて、私は息を呑んだ。
「……人と竜の共生の時代」
恐れるだけではなく、崇めるだけでもない。
同じ空を見て、同じ風を身に受けて、同じ時間、時代を生きていた。
私の知る竜との歴史とはまったく違う世界だった。だが、目の前で見せられる光景はまさしく史実なのだろうとなぜか揺るがない確信があった。
一度は神に弓引いた人々が、竜の慈悲により手を取り合い平和な時代を過ごしていた。その温かな時代に、竜の慈愛に涙がにじみそうになる。
――だが、次の瞬間にはその温かさは無惨なものへと変わっていた。
『邪竜討つべし! レギンレイヴは我らを支配する邪悪な竜だ!』
『これは聖戦だ、竜の支配を打ち破る人間の戦いなのだ!』
邪竜討伐、聖戦。そんな言葉を叫ぶ人々の姿があった。
剣を掲げ、祈りを捧げる人たち。だが、その祈りの先にあるのは救いではなかった。
あまりにも強大なレギンレイヴを恐れ、手に余る存在を消したいという欲望だけだった。
レギンレイヴが、空で身を翻す。
その身体には槍が突き立てられ、雨のように矢が刺さり血が飛び散る。
それでも竜は人を傷つけぬように、ブレスを吐き出して降り注ぐ矢を焼き払った。
そして信じられないものを見るように、ただ地上を見下ろしていた。
――どうして。
その問いが言葉になる前の感情のまま流れ込んでくる。
どうしてお前達が。なぜこんなことを。
だが人々は、なお恐れた。反撃しないその沈黙さえ、さらなる災いの前触れに見えたのだ。
そうして、慈愛を持って人のために尽くしたレギンレイヴが最後に見たのは、自分の翼が引き裂かれ、剣を突き立てる、自ら信じた人の子たちの姿だった。
レギンレイヴの復活を恐れた人々は、その身体を引き裂いて各地へと散らばった。
だが引き裂かれた身体は人の手を逃れるように、やがて各地へと沈んでいった。こぼれた血は光の流れとなって大地を這い、川となり、見えない血管のように世界の底を巡っていく。
龍脈。
それが何を意味するのか、私は理解した。
分かたれたレギンレイヴが、大地に根付いてなお流れ続けている。
痛みや悲しみ、それでも人を憎みきれない、途方もない愛情。
人を救い、信じ、共にあろうとした。その果てに裏切られ、引き裂かれたにもかかわらず。
レギンレイヴの感じたであろう深い悲しみと、無念さと、そして揺るがぬ愛が流れ込んでくる。私はそのとき初めて、自分が涙を流していることに気づいた。
「……人と竜の……なんということだ……」
振り絞った声は震えていた。
人間の王子である私に見せられた、人間たちの歴史。それは人間の王子である自分の胸へ、直接突きつけられた歴史が語る刃のようだった。
だが、同時にひとつだけはっきりしたことがある。
レギンレイヴのような思いを、リィネに悲しい目にはあわせたくない。
あの時代の悲劇を、繰り返させるわけにはいかない。
そう強く覚悟をしたとき、不意にあたりの光の流れの奥に、懐かしい気配を感じた。
私は導かれるように歩き出す。龍脈の中には地面も空も無い光だけが溢れた空間だったが、不思議と自分が進んでいることはわかった。
やがて淡い光の溜まりのような場所へと出る。
そこには、小さく身体を丸めるようにして眠る、半竜の少女リィネの姿があった。
いつものリィネよりもさらに儚く見える。触れれば壊れてしまいそうなほど静かだった。
「……リィネ、大丈夫か?」
呼びかけても反応はない。
眠っているようだ。いや、眠りに沈んでいるという方が近いのかもしれない。きっとこの眠りから覚めなければ彼女は本当に戻れなく、龍脈に溶けて消えるのだろうと直感した。
私は一歩踏み出し、ゆっくりと膝をつく。
その傍らへ手を伸ばす。触れたリィネの指先は温かった。消えてしまいそうに儚いのに、確かにここに彼女はいる。
「私は、この地の過去を見たのだと思う」
先ほどまで見ていた光景を、リィネに静かに語る。
「人を救い、人を愛し、それでも裏切られた竜の記憶を見た」
返事はない。
けれど、だからといってやめる気にはならなかった。
「レギンレイヴとの関係はわからない、だが、ようやく分かった」
ゆっくりと息を吐く。
さきほどの涙の跡がまだ頬に残っているのが分かった。
「私の命を救ったのも、王国を救ったのも、君だ」
「リィネ。君は邪竜などではない」
力なく眠るリィネの身体を、私はそっと抱き寄せる。
細い肩を抱く自分の腕に、自然と力がこもる。聞こえているのかはわからなかった、だがそれでも伝えたかった。
「リィネ、帰ろう」
かつて白銀の竜が、人を背に乗せて空を飛んだ光景が胸をよぎる。
あの優しさを二度と失わせたくなかった。私はリィネを失いたくないのだとこのとき改めて自覚していた。
「共に」
抱き寄せた半竜の身体が、ほんのわずかに震えた気がした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
もし
「リィネとシグルド、ちょっと気になるな」
「続きも読んでみたいな」
と思っていただけたら、↓の評価(★★★★★)やブックマーク、感想やリアクションなどで応援していただけると嬉しいです。
皆さまからの反応は、執筆を続けるうえで大きな力になっています。
これからも楽しんでいただけるよう更新頑張ります。




