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邪竜の私ですが、討伐に来たはずの王子がなぜか私を守ると言い出しました  作者: 臼田ゆわ
第一章

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第40話 甘いひととき

 王都が少しずつ日常を取り戻していくのを、私はどこか不思議な気持ちで眺めていた。


 数日前まで、あれだけ大騒ぎだったのに。

 邪竜が空を飛び、魔物が押し寄せ、王宮の地下水路は半分壊れた。王都そのものがひっくり返りそうな出来事だったはずなのに、人の暮らしというのは思っていたよりずっとしぶといらしい。


 内門に守られた城下町には、大きな被害はほとんど出ていない。

 もちろん、街のあちこちには戦いの名残もある。崩れた柵を直している人、割れた窓を入れ替えている店、忙しそうに荷を運ぶ兵士たち。けれど、その合間にはちゃんと笑い声があって、通りには香ばしい匂いが流れていて、子どもたちはもう何事もなかったみたいに駆け回っていた。


 王の布告も出て、私はアストレイド王国の正式な客人だと知れ渡った。


 その言葉を、信じきれずにいた。

 けれど、こうして街へ出て歩いても、前みたいに「邪竜だ」と叫ばれて逃げられるわけでもない。もちろん驚いたような顔をされることはある。半竜の姿はどうしたって目立つし。でも、向けられる視線の中に、露骨な敵意はもうあまりなかった。


 むしろ――


「見て、あの子……」

「王都を助けたっていう……」

「救国の竜様、だっけ?」

「いいや、噂によれば王子様の大切なお方らしいぞ」


 そんなひそひそ声まで聞こえてきて、私はなんとも言えない気持ちになる。


 いや、竜様って。

 ちょっと盛りすぎじゃない?


 そんなふうにこそこそ視線を泳がせていた私の隣で、フェン様はまるで気にした様子もなく堂々と歩いていた。シグルド王子も同じだ。二人とも、こっちが変にそわそわしているのが少し馬鹿らしくなるくらい自然にしている。


 そして、私たちは城下町の一角にある料理店へとたどり着いた。

 王都防衛の礼をしたいとシグルド王子が言い出した時、王子はきっと、王宮の広間で豪勢な晩餐とか、よく分からない宝物とか、そういうのを想像していたのかもしれない。

 だけど、実際に私とフェン様が希望したのはまったく別のものだった。


 シャリーさんに聞いた、街で有名なお店の甘いものが食べたい――と。


「なんやこれ……」


 目の前の皿を見つめて、フェン様が震える声を漏らす。

 その言葉と同時に、フェン様は目の前のケーキをひとくち頬張った。ふわふわのスポンジに、たっぷりの白いクリーム。上には赤い果物がつやつやと乗っている。私もさっきひとくち食べたけど、これが本当にすごかった。柔らかくて、甘くて、少しだけ酸っぱくて、口の中が一瞬で幸せになる。


 フェン様はというと、感極まったみたいに目元を押さえている。


「え、泣いてる?」

「泣いてへん! これは感動で目から汁が出とるだけや!」

「それを泣いてるって言うんだけどな……?」


 私がそう言うと、フェン様はぐっと叫んだ。


「ちゃうねんリィネ! これはな、ただ甘いだけやないんや! ふわふわとしっとりが一緒に来るんや! しかもこの白いん、口の中で溶けるで!? 意味わからんやろ!」

「うん、意味はわかんないけど美味しいのはわかる」


 私も自分の皿を見下ろしながら、ほくほくした気持ちで答えた。


「うーん! やっぱり甘くておいしぃねぇ~……」


 思わず声までゆるむ。

 こんなの、洞窟暮らしの頃には絶対食べられなかった。そもそも邪竜の頃はそんなに食事を必要ともしてなかったんだけど。

 この姿になってからは食事という楽しみが増えたのだ。離宮でも色々出してもらってたけど、町のお店で食べる甘いものってなんだか特別だ。周りのざわめきとか、焼き菓子の匂いとか、窓から差し込む光とか、そういうのも全部ひっくるめて美味しい気がする。


 ケーキを頬張り幸せそうにしている私たちをシグルド王子は困惑の顔で見つめていた。

 

「色々してもらった礼をしたかったのだが、本当に甘味でよかったのか?」

「よかったもなにも、最高やろ!」


 フェン様が間髪入れずに返す。


「シャリーはんに噂で聞いてたんや。王都にはうまい甘いもんがあるってな。それを食べたくてしゃあなかった」


 そして、ぐいっと私を前足――じゃない、手で指す。


「な、リィネ」

「うん」


 私は素直に頷いた。


「街にも一応これるようになったし。色々見たかったから」


 そう言うと、シグルド王子は小さく目を細め少しだけ呆れたように、でもどこか安心した顔で息を吐いた。


「そうか、なら良かった」


 それだけの短い返事なのに、なんとなく嬉しそうに見えるのがこの王子らしい。


 しばらくのあいだ、私たちは無言で甘味を食べた。

 いや、フェン様は全然無言じゃなかったけど。


「なんやこの焼き菓子もええな……」

「こっちは冷たいやんけ! しかもうまい!」

「王子はん、ほんまに全部奢りなんやろな!?」

「構わん。好きなだけ食べてくれ」

「よっしゃ追加や!」


 完全に食べ放題の勢いだった。

 さっきまで感動で泣いてたくせに立ち直り早いな、この聖竜様。

 でも、そんなふうに騒がしい空気の中にいると、ようやく本当に終わったんだなという気がしてくる。


 王都は守られたし、私も無事に生きている。

 王子も、フェン様も、シャリーさんもみんな無事だ。

 ――だからこそ、ぽろっと本音が零れた。


「……シグルド王子」

「ん?」


 シグルド王子がこちらを見る。


「なんでグスタフは、あんなことしたのかな」


 言葉にしてみると、急に胸の奥に引っかかっていたものが顔を出した。


 王都の地下水路。打ち込まれた魔具や龍脈の異変。

 あれだけのものを動かして、王都を巻き込んで、魔物まで使って。あそこまでして、あいつは何をしたかったんだろう。

 シグルド王子の表情が少しだけ引き締まる。


「わからない」


 その声音は静かだった。


「だが、わからぬままにはしない。奴は我らが捕らえている。情報は必ず聞き出す」

「でも、あの変な技術って、グスタフ一人でどうこうできる感じじゃなかったよね」

「ああ」


 シグルド王子は頷く。


「特にあの龍脈へ干渉する技術は、公国だけのものとも思えない。グスタフの独断と切り捨てるには、あまりにも規模が大きい」


「うーん……」


 正直、難しい話はよく分からない。

 分からないけど、ただ嫌な感じだけは残る。

 あの水路で感じたもの。王都を覆った不穏。グスタフのあの笑い方。どれも、あれで全部終わりとは思えない気がした。


 でも――


「まあ、今は一段落してよかったよ」


 そう言ってケーキの皿を見下ろすと、なんだか少しだけ肩の力が抜けた。

 考えなきゃいけないことがあるのはわかる。でも、いまこの瞬間までずっと張りつめているのは、たぶんよくない。

 シグルド王子も、その気持ちを察したみたいに頷いた。


「ああ。そうだな」


 そして、シグルド王子はまっすぐ私とフェン様を見る。


「リィネとフェン殿のおかげだ」

「ふふん、もっと褒めてもええで」


 フェン様は誇らしげに胸を張る。

 いや、その顔や胸とか色んなところにクリームちょっとついてるよ……。


「とにかく今は忘れよう。心ゆくまで食べてくれ」

「よっしゃ!」


 フェン様が即座に食いついた。


「おかわりや!」

「フェン様、それ三回目……」

「聖竜はいっぱい食うんや!」

「そんな理屈ある?」


 思わず笑ってしまう。シグルド王子も、今度こそはっきりと笑っていた。

 この平穏が、長く続けばいい。そんなことを、きっと誰もが同じように思っていた。



 ***



 その頃――

 王宮の地下牢は、昼なお薄暗かった。


 冷えた石壁に囲まれた通路を、見張りの兵が二人歩いてくる。ひとりはこれまで牢の警備に就いていた兵。もうひとりは、交代のためにやってきた兵士だった。


「交代だ」


「ご苦労」


 短いやり取りのあと、先にいた兵は軽く肩を回して去っていく。交代で残った兵は、無言のまま鍵束を鳴らし、牢の並ぶ奥へと歩いた。

 長い通路を進んだ突き当たりの更に奥。

 もっとも厳重に封じられた牢の中に、グスタフはいた。


 右腕を失い、拘束具を嵌められ、さすがに顔色もいいとは言えない。だが、それでもなお、その口元には嫌な笑みが張りついていた。

 牢の前まで来た兵士が、周囲を一度だけ確かめる。

 そして小さく、声を落とした。


「閣下――」


 グスタフの目が細まる。


「来ましたか」


 その声音は落ち着いていた。まるで自分が牢に繋がれている側ではなく、作戦室で報告を受ける側であるかのように。


「多少計画からは外れましたが、まだやりようはありますね」


 兵士は無言で頭を垂れる。

 グスタフはゆっくりと笑みを深めた。


「ユリアン王子にも、そろそろ活躍していただかねばなりません」


 その名が牢の中で低く響く。


「準備を進めなさい」

「はっ――」


 王都の地上では、ようやく平穏が戻りつつある。

 だがその足元で、まだ見えぬ火種は静かに燻り続けていた。

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