第35話 王都の底
シグルド王子を背に乗せ、私は空を羽ばたいていた。
王都は火に照らされて赤く染まっていた。南門の方角ではまだ戦いの音が響いている。けれど私の意識は、それよりもっと下――王宮の足元、そのさらに奥へ引っ張られていた。
王宮の上空へ辿り着いた瞬間、その違和感はいっそう強くなる。
「この下のはず」
背に乗るシグルド王子へそう告げると、王子もすぐに頷いた。
「ああ。私にも、先ほどから違和感が伝わっている」
王宮の中庭へ降り立つ。
兵たちがぎょっとした顔でこちらを見るけれど、いちいち説明している時間はない。私だって、いまはもう自分がどう見られるかなんて気にしていられなかった。
中庭よりも地面の底。
王宮の深いところで、龍脈が濁っている。
洞窟や村で感じた嫌な違和感と似ている。でも、もっとひどくて広い違和感が広がっているように感じられる。
足元の石畳を見下ろす。流れはここを通っている。王宮の地下を這う水路か、古い導路か、そのあたりだろう。
「シグルド王子、みんなと少し離れて」
「リィネ?」
「最短距離でいこう」
そう言って、私は右手――いや、今は右手って言っていいのかよく分からないけど、とにかく邪竜の腕を大きく振り上げた。
そして強く振り下ろし、石畳ごと叩き砕く。
――轟音
王宮の中庭の地面が陥没し、石片と土煙が一気に吹き上がった。その下に口を開けたく大きな空間が見える。湿った空気と、水の匂い。
「行こう!」
崩落もあり地面の穴は私が通るには十分な大きさになっていた。私はそれを見て頷き、そのまま穴へ飛び込んだ。背後からシグルド王子も迷いなく続く。
地下へ降りた途端、空気が一変した。
地下水路は広かった。古い石造りの通路が左右へ伸び、その中央を水が流れている。壁や床には、王宮の地上では見えない古い紋様が刻まれていた。たぶん王都が作られた初期の頃のもので水と一緒に、龍脈の流れもここを通っているのだろう。
なのに、その神秘的な感じはもうどこにもなかった。それよりも――
「これは……」
思わず声が漏れる。
あちこちの石壁と床に、黒い楔が打ち込まれていた。一本や二本じゃない。何本も、何本も。まるで水路そのものを縫い止めるみたいに、龍脈の流れへ食い込むように並んでいるようにすら感じられる。
強烈な違和感が押し寄せてくる、きっとこれが今回の原因なのだろうとすぐに直感した。
「村で見た楔か……なぜ王都の地下に」
シグルド王子もあたりを見渡し強張った声でつぶやく。
ふと視線を前に向けるとやや開けた広間のような空間があった。かと思えばその方向から声が聞こえる。
「よくぞお越しくださいました」
その声は、やけに穏やかだった。
水路の奥、広間に楔がもっとも密集する中心に、人影がひとつ立っている。
「……グスタフ、貴様……!」
シグルド王子はその姿を見た途端、剣を抜いて構えた。
揺らめく影は長いマントを揺らしながら、まるで客を迎えるみたいな顔でこちらを見ている。手には見覚えのある魔具。村や洞窟で使われていたものより、もっと洗練されて見える、黒く細長い杖のような形状だった。
私は反射的に低く唸る。
グスタフはそんな私を見上げて、わずかに目を細めた。
「これが邪竜ですか」
その口調には、驚きより観察の色が濃かった。
「なるほど。たしかに恐ろしい存在です」
「こんなものをアストレイド王国は匿っていたとは……」
恐ろしいのはそっちだろ、と言い返したくなる。
この水路全体を見れば分かる。こいつは王都そのものを囮にして、龍脈を弄って、魔物を呼び寄せたのだ。
「ふざけないで」
気づけば、怒りがそのまま声になっていた。
「王都も、村も、洞窟も、全部あんたが……!」
グスタフは肩をすくめる。
「必要なことをしたまでですよ」
「大いなる流れは、本来あるべき手へ戻されねばならない」
不気味なほど落ち着いた様子で語るグスタフを前に、シグルド王子が一歩前に出る。
「エーデルシュタイン公国のグスタフ、貴方を拘束させてもらおう」
私も小さく頷いて、グスタフを見据える。いつでも攻撃できるように魔力を圧縮してブレスの攻撃体制を作る。この男を吹き飛ばすぐらい今の私なら造作も無いのだから。
グスタフの口元が、わずかに歪んだ。
「ほう、同盟国の私を拘束されるというのですか」
その言い方がひどく嫌だった。
まるで、こっちがまだ何も分かっていないみたいな。
シグルド王子が静かに前へ出る。
「諦めて投降しろ、二度目はないぞグスタフ」
だがグスタフは首を振るだけだった。
「シグルド王子、私がただここに逃げてきただけとお思いなのかな?」
そう言いながら、手にした魔具をすっと持ち上げる。杖のような見た目の魔具からは怪しい鼓動を感じる。まるであたりの魔具と繋がりがあるようなそんな異質さを感じさせた。
私の視線がそこにもっていかれた、その瞬間だった。
「それは、甘いですな。王子」
グスタフの冷たい言葉と共に杖が軽く振りかざされる。それに呼応するか如く、水路に打ち込まれた楔が、一斉に赤黒く脈打つ。
「っ――!?」
私の全身を、見えない何かが掴んだかのような衝撃。
思わず、息が止まる。龍脈の流れが、私の中で逆巻いたような。骨の内側へ針を突き立てられるみたいな痛みが走り、視界がぐわんと揺れる。
「な、に……これ……!」
膝が落ちそうになる。
というか、邪竜の姿で膝ってどういう扱いなんだろう。とにかく、身体が傾ぐ。
周りの楔全部が、私へ向けて食い込んでくるみたいだった。
「リィネ!」
私の異変に気がついたシグルド王子がこちらを振り返る。
返事をしたいのに、喉がうまく動かず声がでない。全身が龍脈の鼓動にあわせて痛み、苦しい。身体の輪郭がどこかずれそうになるような異質な違和感が全身を駆け巡る。
グスタフが静かに告げる。
「王都の龍脈を介し、この水路一帯を邪竜封じの場へと変えておきました。あなたほどの器なら、ただの楔では足りぬと思いましてね」
「グスタフ、貴様…!」
「それに――」
グスタフの掛け声にあわせるかのように
ご、と重たい音が水路の奥で響くのが聞こえた。
暗がりで何かが動く。壁際に伏せられていた布が落ち、その向こうに隠されていた巨大な弩砲が姿を現す。
水路にはあまりにも不釣り合いな巨大弩。
しかも、その矢尻は普通じゃなかった。
黒い。細長い。間違えるはずがない。
巨大な楔の魔具だった。
「――っ!」
避けようと身を翻そうとする、でも、楔の干渉で身体が言うことをきかず、翼をもがれたかのようにその場でのたうち回るだけだった。
――空気を裂く轟き。
次の瞬間、左肩へ激痛が突き刺さった。
「あっ」
自分でも間抜けなくらい短い声だった。
巨大な楔弩が、肩口を貫いていた。
衝撃で巨体が横へ揺れる。
痛みの質が普通じゃない。刺さった、だけじゃない。楔そのものが身体の内側へ食い込んで、龍脈と器を無理やり引き裂こうとしてくる。
いつもならこんなの食らってもまだ立ち向かえるのに、龍脈の影響で内側をかき回されたような状態では私の身体はふらついていた。
でも、このままじゃシグルド王子まで撃たれるかもしれない。
その考えが浮かんだ瞬間、痛みで霧散しかけていた魔力を、私は無理やりかき集めた。喉の奥に残った熱を、絞る。圧縮する。
次の瞬間、私は振り絞るようにブレスを吐き出した。
灼熱の一閃はグスタフの脇をかすめ、その背後の石壁へ叩きつけられる。
轟音が響き渡る。
水路の横壁が崩れ、天井の石材ごと雪崩れ落ちた。
奥に伏せられていた巨大な楔弩は、そのまま瓦礫に呑まれて沈む。
……これで、もう一発は来ない。
そう思った途端、張っていた糸が切れるみたいに、私の身体から力が抜けた。
「リィネ――!」
心配そうにこちらを見つめるシグルド王子。優しく私の身体を撫でる手が、わずかに震えている。
「大したことない」そう言いたかったのに、声は出なかった。
重い瞼を上げているだけで精一杯だ。
それでも、シグルド王子に怪我がなさそうだったことだけは分かった。
それだけで、少しだけ安堵し――私はそこで意識を手放した。




