第33話 離宮防衛
王都へ戻るシグルド王子と別れ、私たちは離宮へ戻った。
だが、その離宮の空気が変わったのは本当に一瞬だった。
最初は、風向きが変わっただけかと思った。
窓の外で揺れていた木々がざわりと鳴って、どこか遠くから嫌な気配が滲んでくる。胸の奥をざらつかせるような、ひどく落ち着かない感覚だった。
フェン様も同じものを感じ取ったのか、ぴくりと耳を動かして顔をあげている。
「……どうやら、またヤバイことなっとるな」
低い声だった。
「一体、なにが――」
言い終えるより先に、廊下の向こうからぱたぱたと慌ただしい足音が近づいてきた。次の瞬間、扉が開いてシャリーさんが飛び込んでくる。
「リィネ様! フェン様!」
普段のシャリーさんからはあまり聞かない、切迫した声だった。
「外です。離宮の外縁に魔物の群れが――!」
その一言で、頭の中が一気に冴える。
シグルド王子が向かった王都や国境沿いだけじゃない。離宮も狙われているんだ。私はほとんど反射で立ち上がった。フェン様はすでに窓辺へ飛び乗って外の様子を見ている。
「シャリーさん、離宮の中は!?」
「門前で最低限の警備兵が応戦しています。ですが数が……」
離宮は南門からしか出入りできない造りだ。
だからこそ、魔物たちはそこへ集中して押し寄せていたのだろう。
「行こう、フェン様!」
「言われんでもそのつもりや」
私たちはほとんど同時に部屋を飛び出す。
背後でシャリーさんが「どうかご無理はなさらず!」と叫んだのが聞こえたけれど、もう立ち止まってはいられなかった。
離宮の外へ出て門へと近づくにつれ、むっとするような獣臭さが鼻をつく。魔狼らしき影がいくつも蠢いていた。
「うわっ……」
思わず声が漏れる。
狼型の魔物。猪みたいに鼻先を鳴らす大型。地面を這うように動く小型までいる。数も多い。村で見た時よりさらに多くて、しかも明らかに襲いに来るかのように流れ込んできているのが分かった。
離宮の門はかろうじて守られていたが、門の内へと入り込んだ魔物たちを残っていた兵たちが必死に押し返している。
だけど、数の差が大きすぎる。このままだとじりじり押し込まれる。
「下がって!」
私が叫びながら飛び込むと、兵士の一人がぎょっとした顔で振り返った。
その一瞬を見逃さなかったように近くの魔狼たちが兵士へと飛びかかる。私はとっさに魔力を圧縮して魔狼達を見据える。
飛びかかる魔狼たちの軌道を、私は息を止めるように見切った。
兵士に当てるわけにはいかない。だから、狙うのはその向こうだけ。
喉の奥に熱が集まる。
魔力を絞り、圧縮し、一直線に解き放つ。
ごうっ――
吐き出した炎熱のブレスは、兵士の脇を駆け抜け、飛びかかってきた魔狼たちをまとめて呑み込んだ。焼け焦げた毛皮の臭いと悲鳴が一瞬だけ弾け、そのまま群れは黒い塊になって地へ転がる。
「じゅ、術士様!?」
「話は後!」
声につられたのか私に飛びかかってきた魔狼の爪を身をひねって避け、そのまま拳を叩き込む。
半竜の力が乗った一撃で、魔狼の体が横へ吹き飛んだ。
続けざまにもう一匹が飛びかかる。私は身体を回転させるように振り回し、今度は尻尾で薙ぐ。ぐるりと振り抜いた感触が手応えになって返ってきて、魔物が悲鳴を上げながら叩きつけられた。
「やるやないか!」
横でフェン様が牙をむいて笑う。
その小さな体がしなやかに跳び、フェン様の身体の倍以上あるような魔物の喉元へ食らいついた。かと思えば、次の瞬間にはもう別の個体の背へ飛び移り、鋭い爪で切り裂いている。
小さな身体のはずなのに、その動きは鋭く、重い。使い魔じみた姿でも、やっぱりこのひとは聖竜なのだと思い知らされる。
私も負けじと次へ踏み込む。
魔物を殴り飛ばす。蹴りで体勢を崩し、近づきすぎた小型を尻尾でまとめて払う。
以前なら、こんなにすぐ動けなかったかもしれない。だけど今は違う。離宮で過ごして、龍脈に馴染んで、半竜の体にもだいぶ慣れてきた。できることは確かに増えている。
けれど。
「キリがない……!」
吐き捨てるように言った通りだった。
一匹二匹を倒すことはできる。
フェン様と並べば、一匹一匹に後れを取る気はしなかった。
でも、数が多すぎる。兵士たちを守りながら押し寄せる群れ全部を止めるには、半竜の姿では決定打に欠けていた。
ブレスで一掃もできるけどこの身体だと反動が強い、あまり乱発すると他の人を守れなくなってしまう……。
「右から回り込んできよるで、リィネ!」
「分かってる!」
フェン様の声に応じて飛び退く。
次の瞬間、私が立っていた場所を魔狼が噛み砕くように突っ込んできた。ぞっとする。今のをまともにもらってたら普通に痛い、というかたぶんかなり痛いでしょ。
ちらりと目をやると離宮の門はほぼ崩壊していた。流れ込むように魔物たちが濁流のように押し寄せる姿が見える。
私に飛びかかってきた魔狼を尻尾でなぎ倒しながら、私はどう戦えばいいのかと考えていた。
その時だった――。
「我らが同盟国の術士殿をお守りしろ!」
新たな怒号が夜気を裂いた。
次の瞬間、崩れた門を押し開くようにして、一隊の兵が雪崩れ込んでくる。
揃いの装備、乱れぬ足並み、迷いのない斬撃。明らかに鍛え抜かれた精鋭たちだった。
怒涛の勢いで魔物の群れを切り裂き、その先頭に立っていた姿を見て、私は思わず目を見開く。
「……ユリアン、王子?」
金色の髪が戦場の風を受けて揺れる。
剣を手にしたその横顔は、離宮襲撃の時に見たのと同じく、驚くほど迷いがなかった。
ユリアン王子は周囲を素早く見渡し、戦況を確かめてからこちらへ近づいてくる。
「ご無事でしたか」
息も乱れていない。
こっちは戦っていたせいでだいぶ息が上がっているのに、なんだか少し悔しい。
「え、なんで……いや、なんでっていうか、ほんとにユリアン王子!? なんでここに!?」
私が半ば叫ぶように言うと、ユリアン王子はほんの少しだけ目を細めた。
「……確証はありませんでした。ですが、この事態を見て理解しました」
その声は落ち着いていた。
焦っていないというより、もう腹を決めているような声だ。
「グスタフが王都を狙っている」
グスタフはエーデルシュタイン公国の大臣だとシグルド王子から聞いたことがある。その言葉を聞いたことでさっきまで戦いで熱くなっていたはずなのに、その一言で胸の奥が冷えるような気がした。
でもどこか納得がいった。一連の出来事を誰かが糸を引いているのは明白だった。
「公国がアストレイド王国を攻めるはずがない」
「これはグスタフ個人の簒奪に等しい暴走です」
ユリアン王子はまっすぐ言い切った。
「王子として、あのようなやり方を許すつもりはありません。だから助けに来ました」
ユリアン王子はもう、グスタフと同じ側には立っていない。少なくとも、あの男のやり方を認めるつもりはない。そうはっきり示している。
フェン様が魔物を蹴散らしながら、じろりとユリアンを見る。
「アンタも公国の人間やろ、信じる理由あるんか?」
「疑われるのも当然でしょう、ですが今さらここで偽る理由はありません」
「……ふん。まあ、今はそうしといたるわ」
フェン様らしい、全然気を許していない返しだ。
でもユリアン王子は特に気を悪くした様子もない。
驚いたことにそんな僅かな会話をしていた間にユリアン王子の率いていた部隊は離宮内に入り込んだ魔物を掃討していた。今では門まで押し返している。ユリアン王子付きの精鋭なのだろうか。
ユリアン王子は小さく息を吐く。この場を取り戻せることを確信したのだろう。
だが、視線は王都のほうを向いて険しい顔を見せた。
「王都はより多くの敵に襲われているはずです。こちらへ来る途中でも、魔物の群れは明らかにあちらの方が規模が大きかった」
その言葉に、私はどくんと心臓が跳ねるのを感じた。
シグルド王子。
さっきまで頭のどこかで“きっと大丈夫”と思おうとしていた気持ちが、一気に崩れた。
あの人は強い。判断も早い。簡単には負けない。分かっている。分かっているけど、それでも王都全体が狙われているなら話は別だ。
「我らはこのまま王都へ向かいます。リィネ様たちを守るために私の部隊を一部離宮にも残すのでご安心を」
ユリアン王子はそう言ったあと、こちらをまっすぐ見た。
更に死地に飛び込むようなものだ。思わず私はユリアン王子に尋ねる。
「王都にですか? だって、もっとたくさんの魔物たちがいるって――」
「えぇ、立て直せる保証はありません」
「ですが、公国の王子としてシグルド王子――いや、アストレイド王国の危機は見過ごせません」
その一言が、重かった。
ユリアン王子が連れてきた精鋭たちのおかげで離宮の戦線はかなり安定した。だけど、それでも魔物は多い。私はさっきまで半竜の姿で何匹も倒してきたけれど、正直なところ押し切れる感じはしなかった。
半竜だと、一体ずつならなんとかできる。でも、確かに王都の危機を救えるほどには足りないのかもしれない。
ふと、離宮の中で積み重なった魔物たちの骸が目に入る。山のように重なっている。だが、王都は、もっと多いはずだ。
そしてその真ん中に、シグルド王子がいる。
「それに、私はシグルド王子のような英雄に憧れたのです。今度は私がやらねば」
ふと、ユリアン王子は少年のような笑顔を見せた。王子ということで忘れていたが彼はまだ幼さの残る青年だった。公国としての正しいあり方を目指し奮闘しているが、彼だってきっと怖いはずなのに。でも剣を取り、助けにいこうとしている。
「……っ」
気づけば、無意識に拳を握っていた。
私は守られるだけでいいのか。
でも、いまこのまま王都へ向かったとして何ができる?
半竜の姿では飛べない。走って向かったところで間に合う保証もない。何より、着いた先で王都を覆うほどの群れを押し返せるのかも分からない。
足りない。今のままじゃ足りない。
その時、不意に視線の端で離宮の庭石が光った気がした。
いや、光ったんじゃない。龍脈だ。離宮の下を流れる濃いエネルギーの気配が、王都の異変に呼応するみたいにざわついている様子を感じ取った。
私ははっとしてフェン様を見た。
「フェン様」
「……なんや?」
「あのさ……この龍脈に満ちた場所なら」
言いながら、自分でも分かった。
これは思いつきなんかじゃない。ずっとどこかで引っかかっていた可能性が、いま目の前に形を持って浮かんできたのだ。
私は邪竜と呼ばれる者。
離宮の龍脈。王都へ繋がる龍脈の流れ。
だったら――
「私、邪竜に戻れるんじゃない?」
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