第30話 同盟国の提案
離宮を出て、洞窟へ向かう道のりは思っていたよりもずっと静かだった。
風が木々を揺らす音と、馬が地面を踏みしめる音。ときおり鳥の声が遠くから響いてきて、それが逆に胸のざわつきを目立たせる。
この道を、私は前にも通ったことがある。あのときは洞窟から離宮へ向かう途中で、ただ目の前のことに振り回されているだけだった。
帰りたいと思っていた場所なのに、なぜだか私の胸はそわそわして落ち着かなかった。
あの洞窟で二度寝して、三度寝して、のんびり暮らしていられた頃に戻れるなら、それが一番だとどこかで思っていた。
……でも、たぶんもう、そんな単純な話じゃない。
色々な騒動を見せられてしまった今となっては、洞窟はただの寝床じゃなくて、全部の異変が繋がる始まりの場所みたいに思えていた。
「顔がかたいで、リィネ」
前を向いたまま、フェン様がぽつりと言う。
「そう?」
「そうや。洞窟に帰るんが嫌になったみたいや」
「嫌っていうか……なんていうか。帰るって感じでもないなって」
フェン様はあっさり言う。
「今から行くんは、寝に帰るんやなくて確かめに行くんやろ」
「……うん。まぁ、そうだよね」
「なら、その顔で正しいわ」
正しいわ、なんて言われても全然うれしくないんだけど。
でもたしかに、今はわくわくしながら帰る場所じゃない。だからといって怖がってばかりもいられない。
馬を走らせるシグルド王子は、静かに口を開く。
「公国の動きに油断はしないつもりだ、離宮を出る前にシャリーにも伝言を残した」
「え?」
「何かあれば、すぐ騎士団をこちらへ寄越してほしいと伝えてある」
その一言に、私は少しだけ肩の力を抜いた。
ああ、ちゃんとそういうの考えてたんだ。
いやまあ王子なんだから考えてるに決まってるんだけど、どうしてもこの人、いざとなると自分ひとりで全部抱え込みそうなところがあるから、ちょっと安心した。
「……さすがに前と同じ手は食わん、っちゅうことやな」
納得したようにフェン様が鼻を鳴らす。
「当然だ」
シグルド王子の返事は短かった。
でも、その横顔はどこか硬い。離宮襲撃の件をまだずっと噛みしめているみたいな顔だ。そんなシグルド王子を後ろから見つめながら、馬に揺られていく。
やがて、見慣れた山肌が見えてくる。
木々の合間から覗く岩場。かつては“帰ってきたなぁ”と思うだけだった景色なのに、今日はどうにも違って見えた。
「着いたな」
シグルド王子が先に降りる。
そのあとを追うように私も外へ出ると、ひやりとした空気が肌に触れた。
目の前には、見慣れているはずの洞窟の入口。なのに、なんだろう。懐かしいより先に、変だ、が来る。全体的に落ち着かない、住み慣れたはずの龍脈からは違和感を覚えて落ち着かない。住み慣れたはずの場所が、今日はまるでよそよそしい。
「……やっぱり嫌な感じ」
思わずこぼすと、フェン様も同じように洞窟の奥を見つめた。
「せやな。龍脈の流れが素直やない」
その言葉だけで、私の背筋にうすい寒気が走る。
かつてはここに入ると、ひんやりした空気の奥にどこか落ち着く感じがあった。自分の寝床だから当然だ、くらいにしか思ってなかったけど、今になってみればあれは龍脈の流れそのものだったのかもしれない。
でも今は違う。同じ場所のはずなのに、何かがずれている。奥歯に小石が挟まったみたいな? 言い得ぬ嫌な違和感がずっと残るのだ。
「リィネ、わかっとると思うけど長居はあかんで」
フェン様が低く言う。
「離宮の龍脈に馴染んどるから、今は短時間なら耐えられるやろうけど……無理したらまた倒れるで」
「うん、わかってる」
言われなくても無理するつもりはない。
……たぶん。
シグルド王子が剣に手をかけたまま、先に立って洞窟の中へ入っていく。
その後ろを、私とフェン様が追う。
洞窟の中は薄暗く、湿った空気がこもっていた。足音が壁に反響するたびに、やけに大きく聞こえる。
見慣れていたはずの通路なのに、しばらく来なかったせいか、まるで別の場所みたいに感じられた。寝床にしていた岩も、壁沿いに生えた苔の色も懐かしいはずなのに、どこかがおかしい。
そうして、しばらく進んだところでシグルド王子が足を止めた。
「これは――」
その先を覗き込んだ私は、思わず顔をしかめる。
地面が抉れていた。散乱した木箱のようなものも積み崩されている。
岩肌の一部が黒ずみ、焼けたような痕が残っている。しかも一か所じゃない。何かを打ち込み、無理やり剥がしたような痕跡があちこちに見えた。
そして、村でも見た魔具――楔が、あちこちに打ち込まれているのを見つけた。
やっぱり……これだ。
その近くにいるだけで、龍脈の揺らぎみたいなものを強く感じる。
「……なにこれ」
しゃがみ込んで指先でそっと触れる。
ざらり、とした手触り。そこに残るのは、あの村で感じたのと同じ不快さだった。
「楔を打ち込んだ痕やろな」
「この楔は人が物理的に龍脈に干渉できる魔具や、本来こんなにホイホイ使えるもんちゃうんやけどな……」
フェン様はうーんと唸りながら、楔を見つめて考え込んでいる。
「公国の者たちは、もういないようだな」
シグルド王子は周囲を見渡してからそう呟いた。岩陰、通路の奥、崩れた足場。人の気配が残っていないかを探っていたのだろう、しかしあたりには人の気配は感じられなかった。
フェン様も鼻先で洞窟の空気を探るようにしてから頷いた。
「ん。おらへんな。人の匂いはないみたいや」
「そっか……。でも、鉢合わせしなかったのはまだよかったのかも」
公国の人たちと会ったらトラブルは避けられないと思っていたので、出会わずに済んだのはラッキーだと思った。だが顔をあげて見つめた先のシグルド王子は苦い顔をしたままだった。
「……先を越されたということか」
シグルド王子に反応するようにフェン様が抉れた地面を見つめながら言う。
「あぁ、ここで龍脈をいじったんは間違いない。だけど雑やな。慌てて去ったような感じもするで」
「急いでいた?」
「せや。こちらが動き出す前に、最低限”何か”をしたのかもしれん」
公国たちは洞窟を調べると言いながら魔具を使うなど龍脈に何かをしようとしていた? でも王国側にバレないように進めていた。しかし最後は慌ててそれを何かしていった?
それらの言葉に、胸の奥がまたざわつく。
「一体、なんのために……?」
私が呟いた、そのときだった。洞窟の入口のほうから、ばたばたと慌ただしい足音が響いてきた。
全員が一斉に振り向く。
「殿下! シグルド殿下!」
聞こえてきたのは王国騎士の声だった。
次の瞬間、息を切らした騎士が姿を現す。鎧には泥がつき、馬を飛ばしてきたのだとすぐに分かる状態だった。
「殿下、ご無事で!」
「どうした、何があった」
シグルド王子が鋭く問う。
騎士は一礼もそこそこに、荒い呼吸のまま報告した。
「王都より急報です! 国境沿いにて魔物の大規模発生を確認、公国側の部隊が即応しており、共同討伐の要請がありました!」
洞窟の空気が、一気に凍った気がした。
「……は?」
間の抜けた声が出たのは私だ。
だってあまりにも出来すぎている。こっちが洞窟へ来たタイミングで、今度は国境沿いで魔物大量発生?
騎士はさらに続ける。
「シャリー殿より、何かあれば至急お伝えするよう命を受けております! 被害拡大の恐れあり、至急ご判断をと!」
やっぱり、シャリーさんが動いてくれたんだ。
そう思うのと同時に、状況の嫌さが増していく。シグルド王子も同様のようだった、彼の顔はますます険しくなる。
「公国からの申し出、だと?」
「はっ。洞窟周辺の異変と龍脈の乱れも関連している可能性があるとして、共同で国境線の魔物を討つべきだと――」
「それは、白々しい話やなぁ」
フェン様が吐き捨てるように言う。
「こっちが洞窟来たとたんにこれやで? 臭すぎるやろ」
まったく同感だった。
でも、無視できる話でもない。
「実際に被害が出てるんだよね」
私が聞くと、騎士は苦い顔で頷いた。
「すでに街道筋の村々で被害が……」
それを聞いた瞬間、何も言えなくなった。
村の人たちの顔がよぎる。あのとき魔狼に襲われていた親子。怯えた村人たち。もしまた同じことが起きているなら、何もしない選択肢は無いだろう。
シグルド王子はしばらく黙っていた。
その横顔には、苛立ちと警戒と、王子としての判断を迫られる重さが全部出ていた。
「……見事に盤面をずらされたな」
「洞窟へ踏み込むと決めた瞬間に、国境で魔物騒ぎとは」
シグルド王子は考えたかと思うと、ゆっくりとこちらを見つめた。
「だが、だからといって放置はできない」
シグルド王子も同じことを考えていたみたいだ。やっぱり罪無き人たちが魔物の恐怖にさらされてしまうなら助けてあげないと駄目だよね。
シグルド王子は騎士へ視線を戻す。
「王都へ戻る。状況を確認し、共同討伐の件も含めて判断する」
「はっ!」
騎士が深く頭を下げる。
「リィネ、フェン殿。すまないがあなた達も離宮に一時避難してもらいたい」
「うん、今は魔物をなんとかしないとだもんね」
「仕方あらへん、ここにいても何かがわかるかもわからんしな」
私とフェン様もシグルド王子の決断を尊重してあげたいと思い、すぐに同意する。シグルド王子も安心したようにこちらを見つめて頷く。私たちは騎士の後に続いて洞窟を後にする。
私は洞窟の奥を一度だけ振り返った。
抉れた地面。黒ずんだ岩肌。もう何も語らないくせに、ここで確かに何かが行われたとだけ言っているみたいな痕跡。
やっと来られたと思ったのに、見つけたのは違和感と怪しい魔物の襲撃の知らせのみだった。




