第24話 穏やかな時間の裏で
フェン様が離宮を発ってから、数日が過ぎていた。
たったそれだけのことなのに、離宮の空気が変わったような気がしてならない。いつもはお菓子がどうだと、王子がどうたらだとうるさいぐらいに聞こえていた声が無いだけでこんなにも違うのだなと私はどこか居心地の悪さを覚えながら感じていた。
とにかく、静かなのだ。
もともと離宮は静かな場所だったけれど、今はその静けさのほうが違和感を覚えるほどだ。誰かがいつも横で喋っていた分、その穴がポッカリと空いたような気もする。
「うーん、静かだねぇ」
窓辺から外を眺めつつそうつぶやくと、後ろで繕いものをしていたシャリーさんがくすりと笑った。あれは私がボロボロにした洋服なのである。尻尾のところとかを破れていたのを直してもらっているのだ。ありがとう、シャリーさん。
「そうですねぇ。少々賑やかさには欠けますが、そのぶん穏やかとも申せます」
「それ、遠回しにフェン様のこと騒がしいって言ってません?」
「どうでしょう、おそらく気のせいです」
「絶対ちがう……!」
私が振り返ると、シャリーさんはにこやかな笑顔のまま何も言わない。この人、最近ますますこういう返しがうまくなってる気がする。でも、それは私たちを受け入れてくれている感じがして私はこういうやり取りがなんだか嬉しかった。
視線を窓の外に戻すと、そのさきには暖かな光が落ちていた。あの日村で魔狼に囲まれていたのが、遠いことみたいに思える。
――まぁ……そう思えるだけで、本当に遠ざかったわけじゃないっぽいのだけど。
村で見つけた黒い楔や、龍脈をかき乱すあの嫌な感触はどうしても忘れられない。
それに加えて、王城へ戻ったシグルド王子が公国側と妙に張りつめたやり取りをしていたという話も、シャリーさんから聞いていた。フェン様が「きな臭い」と言っていたのは、たぶん間違っていないのだろう。色んなゴタゴタがあちこちで起こっていて大変そうである。
「……何も起きなければいいんだけどなぁ」
ぽつりと漏らすと、シャリーさんは手を止めた。
「何かご不安ですか?」
「うーん……不安っていうか。なんとなく、胸騒ぎ? フェン様もなんか慌ててたし」
自分でも上手く言えない。
龍脈のざわつきは、今のところ離宮の中ではそこまで感じない。あの村での異変がここまで直接続いている感じはしないのに、それとは別のところで何かが近づいているような、嫌な予感だけが残っていた。フェン様が離れているせいというのもあるのかもしれないけれど、なんだかそわそわする感じなのだ。
シャリーさんは少し考えるように目を伏せ、それからやわらかく微笑む。
「でしたら今日は、あまり考え込みすぎないようになさってください。考えすぎると余計に悪い想像ばかり膨らんでしまいますから」
「うっ、それはちょっと分かるかも」
「それに、殿下も動いておられます。フェン様も戻ってこられるのでしょう?」
「……うん」
うん、そうだよね。フェン様は戻ると言ったし、あのひとがプラプラとどこかに行ってしまうこともたぶん無いんだろうなと思った。きっとすぐに戻ってくるのだと思う。でも、戻るまでの間に何も起きない保証はない。
そこまで考えたところで、廊下の向こうに足音がした。静かな離宮では珍しくない音なのに、なぜだか私はすぐに顔を上げる。それと同時にノックが響いた。
「失礼する」
聞き慣れた声に、私はほっと息をついた。
「シグルド王子」
入ってきたシグルド王子は、今日は王城での執務帰りなのか、どこか疲れが滲んで見えた。ふっと息をつく王子を、シャリーさんが静かに出迎える。
「お帰りなさいませ、シグルド殿下」
シャリーさんが一礼したのを見たシグルド王子は頷き返し、それから私へ視線を向けた。すると私の顔を見て首を傾げ、こちらをじぃっと見つめてくる。
「……どうした?」
「え?」
「難しい顔をしている」
そう言われて、私は思わず自分の頬に触れた。そんなつもりはなかったんだけど、たぶん無意識に考え込んでいたのかも。ただでさえ疲れているであろうシグルド王子を困らせるのはなんだか悪い気がしたので、ほっぺたをグリグリと回して表情を和らげようとする。
そんな私の奇行をシグルド王子は見つめて首をかしげる。シャリーさんは少し微笑みながら呟いた。
「ふふ、リィネ様はシグルド殿下が来ないからつまらないと言われていたのですよ」
「……そうなのか?」
一瞬だけ本気で受け取ったような顔をして、シグルド王子は私を見た。
シャリーさんまったく違うこと言ってるじゃん! そんなこと言ったら王子だってそんな顔するって私でもわかるよ。
「ち、違うよ。フェン様がいなくてなんか静かだなって!」
正直に答えると、シグルド王子はシャリーさんをちらりと見てから少しだけ口元を緩めた。
「そうか。たしかに賑やかな者がひとり減るだけで、空気は変わるものだな」
「王子もそう思うんだ?」
「思うとも」
すんなりと肯定するシグルド王子を見て少し意外だった。
てっきり、ああいうにぎやかなのは苦手そうだし、ごちゃごちゃ騒いでお菓子をたらふく食うフェン様に対して色々思うところがありそうな気もしてたのに。
「……なんだ、その顔は?」
「いや、王子ってもっと“やっと静かになった”とか思ってるのかなって」
「そこまでではない」
「そこまででは、ってことはちょっとは思ってるんだ」
「ふっ、否定はしないかな」
きっぱり言われて、思わず吹き出しそうになる。でも、そのくらいの軽口を叩けるあたり、王子も少しだけ気が緩んでいるのかもしれない。
シャリーさんがすっと席を外すように一歩引いた。
「お茶をお持ちいたしますね」
そう言って部屋を出ていく。
気を利かせたのだろう。残された私は、なんとなくシグルド王子の顔を見上げた。
「というかさ……シグルド王子のほうこそ、なんか疲れてない?」
そう言うと、シグルド王子は一瞬だけ目を瞬いた。
「顔に出ていたか」
「ちょっとだけ」
「なら、隠しきれていないな」
テーブルの椅子に腰掛けながらこちらを見つめるシグルド王子は苦笑ともつかない表情を浮かべていた。私は窓辺から身を起こして王子のほうへと振り返る。
「王城のほう、やっぱり大変?」
「大変でないと言えば嘘になる」
「村の件は、ただの魔物被害として片付けるには無理があった。龍脈の異変、楔のような魔具、そして……協力者の存在も含めてな」
その言葉に、私は少しだけ背筋を伸ばす。「協力者」というのはつまり私のことだ。村の人達には術士という紹介で私のことを誤魔化してもらってたけど、そりゃぁそうだよね。あんなブレス放っちゃったし術士とはいっても相当目立ってしまったはず。シグルド王子に隠す苦労をさせちゃってるのかな。
「やっぱり、公国の人たち?」
「ああ。術士の情報を求められた」
さらりと言われたけれど、重い言葉だった。
「……それって、私のこと?」
「そうだ」
「もちろん、詳細は拒否した。お前のことを公国へ渡すつもりはない」
あっさりと答えるシグルド王子の言葉に少し心が揺れる。その声音に迷いはなくまっすぐな言葉に聞こえた。でも王子の立場でそんなことを言うのは色々問題がありそうな気がする。
「でも、それで空気悪くなったんでしょ?」
「否定はしない……な。 まぁ、もともと良いとも言い難かったがな」
「だが、仮にお前がいなかったとしても、公国の動きは怪しかっただろう。洞窟の件も、村の件も、龍脈への干渉も。お前は原因ではない。むしろ、こちらが早く異変に気づくために必要だった」
私が必要だった。なんだかその言葉が不意打ちみたいだった。本人にはそんなつもりはないんだろうけど、邪竜相手に必要だったと語る王子ってなんかすごいことになってるよなと私は内心で少し面白く、そしてどこか少し照れくさくもあった。
「……そういうふうに、さらっと言うのずるいよね」
「何がだ」
「うーん……何でもない」
シグルド王子はそんな私をしばらく見ていたけれど、それ以上は追及しなかった。机の上を手で撫ぜながら話を続けた。
「とにかく公国側には警戒が必要だ、洞窟を調べる必要があるだろう」
「確かに! 洞窟のことがわかれば村との関係ももっと調べられるもんね」
「あぁ。この交渉は王子として私がうまく立ち回らねばな」
王子はそう言って、窓の外へもう一度視線を向けた。
離宮の庭は変わらず静かで、風も穏やかだ。けれど、その穏やかさがずっと続くとは限らない。洞窟の異変や村の異変、街道の魔物たち。色々な異変がこの地を取り巻いている。
一体何が起きてるのかなと思いながら、なんとなく私も同じ方を見る。
そのときだった。
廊下の向こうから、ばたばたと控えめながら慌ただしい足音が近づいてきた。少し遅れて、扉の外から小さな声がする。
「殿下、少々よろしいでしょうか」
シャリーさんの声だった。でも、いつもの落ち着きよりほんのわずかに硬い様子だ。なんだか少し慌てているように見える。
「入れ」
シグルド王子がそう言うと、シャリーさんはすぐに姿を見せた。
「失礼いたします。殿下、王都外れの森で見慣れぬ集団が確認されたとのことです」
その一言で、部屋の空気が一気に変わる。
「警備兵と騎士団が追っておりますが、統率の取れた動きをしているようで……念のため殿下にもご確認をと」
私は思わずシグルド王子を見る。王子の顔も一瞬でまじめなものに変わる。王都近辺に怪しい集団が現れたということは偶然じゃないのは明らかだ。このタイミングだと意図的なものにさえ思える。もしかしてまた新しい龍脈の被害が出る可能性が……?
「……分かった。私が出る」
「リィネ、ここにいてくれ。シャリー、リィネを頼む」
「はい、かしこまりました」
シグルド王子は急いで王都へ向かうべく部屋を後にする。
私はなんだか胸がざわつくような感じがあった。謎の集団が大きな問題とならないことだけを願いながらシグルド王子を見送った。
***
アストレイド王国城内 ユリアンの部屋
「やはり、何かがおかしい」
グスタフの動きが、明らかにおかしい。
そう感じたのは、偶然ではなかったのだと思う。
私は王城の一角に与えられた客間で言いようのない違和感に頭を悩ませていた。
アストレイド王国の王城は、エーデルシュタインの城とはどこか空気が違う。重厚さよりも、整った強さを感じさせる造りだ。堅実で、隙が少ない。そういう国柄がそのまま表れているように思える。
振り向くと、私付きの従者のひとりがこちらを見つめている。
「殿下、ご命令の件ですが……公国側の兵の一部が、王城ではなく離宮周辺へ視線を向けているようです」
「離宮?」
「はい。数は多くありませんが、偵察めいた動きが見られたと」
やはり。
村の件のあとから、嫌な予感はあった。術士のことをあれほど知りたがりながら、グスタフは表向きには静かすぎる。だからこそ逆に不気味だったのだ。何を企んでいるか探らせていたら怪しい動きが見えてきた。
「また、グスタフ殿は数名の部下を個別に動かしておられます。ただ、その詳細は――」
「私にも伏せている、か」
従者は答えず、ただ深く頭を垂れた。グスタフは何かを知っているのは明らかだった。しかも、それを私には明かすつもりがない。洞窟の件でもそうだった。今回もまた、私を公国の王子としてではなく、“表に立たせておけばよい駒”くらいにしか扱っていないのかもしれない。
「だが……なぜ離宮を?」
「グスタフが一体何を……」
離宮を探ったり兵士を個別に動かすなど、グスタフの独断的な動きは不可解だ。一体何をするつもりなのか。この動きには必ず目的と理由があるはずだ。
グスタフがリスクを負って動いたということは直近の優先度の高い何かがあったのだろう。彼にとって一体何がそれに当たるのか。
そこまで考えを巡らせたとき、私はある種確信めいた答えにたどり着いた
「――術士」
私の考えが正しければ、グスタフは越えてはならない一線を踏み越えようとしている。
それを止めるのは、公国の王子たる私の役目だ。
私はためらわず、客間を飛び出した。




