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邪竜の私ですが、討伐に来たはずの王子がなぜか私を守ると言い出しました  作者: 臼田ゆわ
第一章

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第23話 聖竜フェンリクス

 アストレイド王国より山脈を越えてさらに北。

 険しい雪峰と深い森に抱かれた地に、シルスレイド教国はある。


 龍を神の使いとして敬い、その教えを中心に国を築いてきた小国だ。

 人の営みは慎ましく、けれど信仰は厚い。白い石で築かれた礼拝堂と、山肌を縫うように続く巡礼路。そして、その先にそびえる霊峰――そこは北方の聖竜フェンリクスが住まう神域として、長く崇められてきた。


「……久々に戻ってきたで」


 山脈を吹き抜ける冷たい風の中、白銀の毛並みを揺らしながらフェンは小さく呟いた。


 今の姿は、いつも通りのフェンリル。

 アストレイド王国でリィネのそばにいた間も、フェンは完全にこの地を離れていたわけではない。聖竜フェンリクスとしての本体は霊峰に残し、魔力を分けて生み出したこの姿で王国へ赴いていたのだ。


 本来なら、聖竜たるものが自らの地を長く空けるなど褒められたことではない。

 それでも最近は、あの洞窟で昼寝ばかりしておった邪竜娘の面倒を見るほうが忙しかったのだから仕方ない。それにこのシルスレイド教国は安定した地ということもあり大きな問題がここ百年ほどは起きていなかったということもある。


「ま、あれはあれで放っといたら危なっかしいしなぁ」


 思い出すのは、半竜の姿で尻尾をぶんぶん振り回していたリィネのこと。

 あれこれ世話を焼いているうちに、気づけば王国で過ごす時間のほうが長くなっていた。


 けれど、その気安い独り言も長くは続かなかった。

 自らの霊峰へと向かう山道を歩いていたフェンの足がぴたりと止まる。


 感じ取ったのは、血の匂いだった。

 しかも、ひとつやふたつではない。冷たい山気に紛れてなお濃く残るそれに、フェンの目つきがすっと変わる。その視線の先には信徒たちが祈りを捧げる礼拝所が見えていた。


「……なんや、これは」


 巡礼者が一息つき、旅の無事を祈るための小さな礼拝所だ。敬虔な信徒たちの祈りが絶えないはずの場所だった。その強烈な違和感に、フェンは雪を払って駆ける。木々の合間を縫い、ひと息に礼拝所の前へ飛び出した。

 そこで見たのは、石畳の上に何人もの信徒が倒れている姿だった。

 法衣は赤黒く染まり、祈りを捧げていたはずの手は力なく投げ出されていた。まだ息のある者もいるが、虫の息の姿だった。フェンは思わず顔を歪める。


「……っ」


 普段なら軽口のひとつも叩くところだが、そんな気分にはなれなかった。

 フェンはすぐに一人の老信徒へ駆け寄る。胸がかすかに上下している。まだ間に合う。

 ぺたりと鼻先を寄せると、老信徒の唇がわずかに動いた。


「……どなた……ですかな……お逃げ……くだされ……」


 老信徒はかすかに息をつき、濁っていた瞳をこちらへ向けようとする。だが焦点は合っていない。血を流しすぎて、もう視界がほとんど利いていないのだろう。


「一体、何が起きたのだ?」


 フェンは驚かせぬよう声音をやわらげ、前足に淡い光を宿らせた。

 聖なる気を帯びた魔力が傷を包み込み、老信徒の荒い呼吸がわずかに落ち着く。いくぶんか身体が楽になったのか、老信徒は途切れ途切れに答えた。


「見たことも……ない、兵たちが……突然……」

「顔を隠して……礼拝所へ押し入り……皆を……斬って……」


 その言葉に、フェンの喉の奥が低く鳴る。


「どこへ向かった?」

「れい……ほう……フェンリクス様の……おわす……霊峰へ……」

「どなたか……わかりませぬが……どうか……フェンリクス様に……お伝えを……」


 老信徒は、目の前の獣が誰なのか気づいていないようだった。身体はフェンの治癒魔法により癒えるだろうがその代償も大きいはずだ。そんな状態にもかかわらず最後まで願うのは、自分たちが信じる聖竜への報せだった。


フェンはもう一度、癒しの力を流し込みながら優しい言葉を紡ぐ。


「必ずや伝えよう。まずは身体を癒やせ」


 その言葉に、老信徒はどこか安堵したような表情を浮かべた。

 フェンは静かに立ち上がる。雪の上に飛び散った血の赤が嫌にも目に入る。そのあまりの不調和にいつものフェンの柔らかい笑顔は消えていた。


「まったく……きな臭い思たら、こういうことかいな」


 フェンは駆ける。霊峰へ向かうために。

 信徒たちの祈りに守られてきた聖地を穢す者がいるのなら、もはや見逃す理由はない。


 雪深い山道を登るにつれ、龍脈の流れが肌に触れるように伝わってくる。

 本来なら、聖竜フェンリクスの住まうこの地の龍脈は澄んでいる。冷たく、鋭く、けれど穢れのない清らかな流れだ。

 だが今は、その中に異物のようなざらつきが混じっていた。これはアストレイド王国でも感じた違和感だった。


「……そういうことかいな」


 嫌な予感が強まるフェンは、歩みを早めた。



***



 雪が振り続ける霊峰の山道をフェンは駆ける。その表情は冷たい。

 やがて視界が開け、霊峰へ続く石段が見えた。その先には怪しい人影たちがあった。


 顔を布で隠した兵たち。数は十を超えている。重装ではないが、全員が統率された動きで霊峰の上を目指していた。手には剣や槍だけではなく、見覚えのある黒ずんだ魔具まで握られている。

 フェンは彼らの進路に飛び出し、低く唸った。


「……何をしに来たんや」


 突然現れた白銀の獣に、兵たちが足を止める。

 兵たちは一瞬だけ気圧されたように身構えたが、すぐに先頭の男が一歩進み出た。


「退け、獣。聖竜以外に用は無い」


 その言葉に、フェンの目が細くなる。


「……ほう? 聖竜に何の用なんや」

「しれたこと、我らにとっては龍は討つべき存在。そしてこの地の龍脈も我らが貰い受ける」


 聖竜を討伐して龍脈を狙うとは随分と大きく出たものや。

 フェンは鼻先で笑った。男たちの手元をもう一度見る。

 黒ずんだ楔型の魔具。龍脈に食い込ませ、流れを歪めるためのもの。村で見たのと同種だ。あの形、あの紋。見間違えるはずもない。


「その魔具……あんたら、エーデルシュタイン公国やな?」


 兵たちの間にわずかなざわめきが走る。

 それで十分だった。


「ふん、だったらどうしたというのだ」

「犬狩りは予定にはなかったが、お前も死ぬが良い」


 男たちは武器や魔具を構えフェンを睨みつける。彼らは霊峰の龍脈を封じ、そこから聖竜を弱らせるつもりなのだろう。

 だが、フェンは動じなかった。


「はん。どいつにそそのかされたのか知らんが……聖竜を舐めんといてや」

 

 白銀の獣の姿が、ふっと揺らぐ。吹雪が荒れるように抜けていき気がつけばフェンの姿はその中へと溶けて消えていた。兵士たちはざわついた様子であたりを警戒する。


「信徒への仕打ちは、万死に値するぞ」


 次の瞬間、吹雪の中から大きなシルエットが現れる。

 それは、いつものフェンの姿ではなかった。


 白銀の翼を大きく広げ、身体には美しき金色の鱗がきらめく。雪と月光をそのまま固めたような、神々しい巨体の龍がそこにはいた。

 そう、これが聖竜フェンリクス。霊峰の主たる聖竜の真の姿を前にして、兵たちの顔色が一変する。


「な……」

「なぜ貴様は、平然としている!? 龍脈は封じたはずだぞ……!」


 たしかに魔具は発動しているようだった。嫌なノイズのような違和感をフェンリクスも感じている。

 黒い光が霊峰の龍脈へ食い込み、封じようと脈打っていた。だが、聖地そのものと結びついた聖竜には、あまりにも浅い。

 エーデルシュタインの兵士たちは竜の知識を中途半端にしか持ち得ていなかった。竜は龍脈より力を得ているが、それは竜により差がある。邪竜リィネのように龍脈に強く依存した竜もいれば、人々の信仰という力を強く受ける聖竜フェンリクスのような存在もいる。

 だからこそ、フェンリクスに龍脈を封じようが意味は薄い。彼らはそこまでは知らされていなかったのだろう。


 フェンリクスは黄金の瞳で彼らを見下ろした。


「貴様らに語る言葉は持たぬ」


 囁きにも似た声だった。

 だが次の瞬間、霊峰を吹き抜けたのは絶対零度の風だった。

 ごう――と唸る氷の嵐が兵たちを呑み込む。悲鳴を上げる間もない。

 槍を構えた腕ごと、魔具を持つ手ごと、兵たちは一瞬で氷像へと変わっていった。白く凍てついた世界の中、ただフェンリクスだけが静かに翼を広げている。


「無に帰せ」


 その一声とともに、フェンリクスは翼を大きく羽ばたく。その羽ばたきから生まれた衝撃波があたりを突き抜ける。

 氷像は一斉に砕け散った。エーデルシュタイン公国の兵士たちは細かな霧となって雪と風に溶けていき吹き荒れる流れへと吸い込まれていく。そこには兵たちの痕跡など一つも残りはしない。


 静寂があたりを包み込む。

 聖竜フェンリクスはあたりを見渡し、その場に落ちた魔具へと視線を向ける。それはアストレイド王国の村で見つけた魔具と同じものだった。


「人の子が龍脈の知恵を得た……か」


 誰かに教えられでもしなければ、ここまで露骨な真似ができるはずがない。そんな思いを考えながらフェンリクスの身体は再び吹き荒れる吹雪の中へと消えていく。

 そして現れたのはフェンリルの姿だった。


 弱小国家と言われていたエーデルシュタイン公国だったが、今では霊峰すら狙い、信徒たちを躊躇なく殺す。しかも、聖竜を龍脈ごと封じようとする暴挙に出ている。

 ここでエーデルシュタイン公国の侵略性ははっきりした。だが同時に、背後に別の知恵があるのは明らかだった。あの弱小国家がアストレイド王国とシルスレイド教国を狙うとはにわかには信じられなかったからだ。


「……アストレイド王国の異変も、やっぱりあいつらが絡んどるんやろな」

「どうやら、思っとったよりずっとヤバいことになっとるな……」


 フェンは霊峰を振り返る。聖なる霊峰を守るべきなのは当然だ。けれど、今起きていることはもうこの地だけの問題ではない。王国で、リィネのそばで、まだ何かが起ころうとしている。

 そう思えてならなかった。


 フェンは、かつて人と竜がもっと近かった時代を思う。


「……レギンレイブ。やはり、人の子には伝わらんのやろか」


 フェンは悲しそうな表情を浮かべ、そうつぶやく。しかしすぐに頭を振り顔を切り替える。

 白銀の毛並みを風に揺らしながら、フェンは鋭く地を蹴る。


「リィネんとこへ戻らな。あの王子のケツも叩かんとあかんしな」


 いつものフェンリルの姿となった聖竜は、霊峰を駆け下りる。

 雪を裂き、森を越え、山脈の向こうへ。

 北方に伸びた影は、すでにアストレイド王国へも届こうとしていた。

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