第21話 湯けむりの離宮②
離宮の浴場にて、私はとろけていた。
「はぁぁぁぁ……」
私は広い湯船の縁にゆったりと腕を預けながら、情けない声が漏れて響いていく
さっきまでシャリーさんの手によってハーブ入りの石鹸で頭から尻尾の先まで泡だらけのモコモコにされて洗われていたせいで、余計にこのお湯の気持ちよさが身にしみる。
あったかい~~……。
いや、あったかいなんてもんじゃない。これはもう、だめになる気持ちよさかも……。
「そんなに気に入られましたか」
湯気の向こうから、くすりと笑うシャリーさんの声がする。
シャリーさんの手元には泡でモコモコになっているフェン様の姿があった。シャリーさんの優しい手使いでマッサージされてフェン様は心地よさそうにとろけている。
「気に入るよ、これは……だって、あったかくて、いい匂いして、なんか全部どうでもよくなる……」
「ほんまやな……うちも気持ちええわ」
「うーん……全部どうでもよくなられては困るんですけどねぇ」
そう言いながらも、シャリーさんはどこか満足げだった。
たぶん、私がちゃんと大人しく世話されているのが嬉しいのかもしれない。いや、途中で大人しくはなかったかもしれない。泡が目に入っただの、尻尾の付け根がくすぐったいだの、さんざん騒いだ気もする。
でも前にシャリーさんが言っていたみたいに王子以外の人のお世話ができて喜んでいるのは本当そうな気がした。
シャリーさんがお湯でフェン様を洗い流したかと思うと、フェン様もぬっと浴槽へと入ってきた。小さい前足でシャカシャカとしながら自由に泳いでいる。
「リィネ様は、湯浴みのお世話のし甲斐がありますね」
「それ、褒めてる?」
「えぇ、もちろんでございますよ」
にこやかに返されてしまって、私はちょっとだけ口を尖らせた。
でも、悪い気はしない。
むしろ、こうして誰かに髪を洗われたり、尻尾を丁寧に流されたりするのは、なんだか妙に落ち着かなかったけど……同時に、くすぐったくて、変に嬉しい感じがした。
湯気がふわふわと立ちのぼる中、シャリーさんが私の後ろへ回る。
お湯に広がる自分の髪をそっとすくい上げて、指先でやさしく整えてくれる。
「それにしても……本当にお綺麗ですね」
「へ?」
「すべすべのお肌に、つやつやの髪。鱗の並びも美しいですし、何よりこの尻尾がとても可愛らしいです」
「しっぽ?」
思わず自分の尻尾を振り返る。
お湯に半分沈んだそれはぴょこぴょこと揺れている。たしかにさっき洗ってもらったおかげか、いつもより少しだけ艶があるような気もするけど……?
「うーん、可愛いですかね?」
「可愛らしいですよ。とても」
迷う素振りもなく、シャリーさんは即答した。
「でも、みんな邪竜だなんだって言いますけどね」
ぽろっと零れた言葉に、シャリーさんの手がほんの一瞬だけ止まった。
湯気の向こうで、フェン様も片眉を上げるがシャリーさんは気にする素振りもなく私の髪の世話を続けている。
「そういえば、そうでしたね」
「邪竜というのは、本来もっと恐ろしく、おぞましい悪魔のような存在として語られますからね」
「……おぞましいってひどくない?」
「ふふ、ひどいかもしれません」
チラリと顔を振り返りシャリーさんを見ながら問いかけるも、シャリーさんはあっさり肯定して笑っていた。
「村を焼き、国を滅ぼし、人を喰らう。気まぐれに災いをもたらす怪物――そのように語る方は多いでしょう。実際に我が国に伝わるお話ですから」
「うわぁ、好き放題だ」
「伝承とは、だいたいそのようなものです」
「ひどい風評被害なんだけど!?」
やっぱりすごい勝手なイメージで語られてるなぁと思ってしまい、思わず抗議する。
でもフェン様が我慢できないように横から吹き出した。
「ははっ、まぁ実際、お前さん見とると邪竜っぽさより昼寝好きのだらけ竜やしなぁ」
「今ちょっと悪口入ってたよね?」
「褒めとるんやで」
「絶対違う」
むっとする私を見て、シャリーさんはくすくすと笑う。
それから、少しだけ声をやわらかくして話を続ける。
「……少なくとも私は、リィネ様をそのような存在だとは思っておりません」
散々な言われようだったのに、突然優しい言葉が飛んできたので私はきょとんとした。不思議そうにシャリーさんのほうを振り返ると、相変わらず優しく微笑んでいるシャリーさんと目が合う。
「最初はもちろん驚きましたし、警戒もいたしました。けれど、実際にお話しして、こうしてお世話をして……村での振る舞いも見て、それでなお“邪竜だから恐ろしい”とは思えません」
湯気の中で、シャリーさんの横顔は穏やかだった。
「むしろ、皆さまが勝手に思い描いている邪竜像のほうが、よほど一方的に思えます」
その言葉に、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
なんだろう。お湯のせいだけじゃなくもっと心の奥があったかくなる気がした。
「……シャリーさんって、たまにすごく真面目なこと言うよね」
「たまに、ではありません。いつもです」
「いや、でもたまにすごい笑顔で変な圧かけてくるし」
「それとこれとは別です」
「別なんだ……」
不思議なやり取りを見たフェン様は満足そうにお湯で泳ぎながら笑う。
湯気も、お湯も、二人の声もやわらかくて、なんだかさっきまで村で魔狼に囲まれていたのが嘘みたいだった。
しばらくお湯の中でぼんやりしてから、私はふと口を開く。
「でも、シグルド王子はそういう“邪竜の伝承”とか、普通に信じてたんだよね」
考えてみれば、あの人はもともと討伐しに来た側なのだ。
なのに今は、村で傷だらけになってまで庇って、離宮でも気にかけて、あげくの果てには私のほうに「ちゃんと休め」なんて言ってくる。どう考えても、ちょっと変だと思う。
すると、シャリーさんはまた小さく笑った。
「ええ。あの方は幼いころから、英雄譚のたぐいがお好きでしたから」
「英雄譚?」
「竜を討つ騎士、民を救う王子、国を守る英雄。そういったお話に憧れておられたのです」
私は思わずフェン様のほうを見た。
フェン様も、なんとも言えない顔でこちらを見返してくる。
「「それっぽい~」」
全員の声が揃った。
なんというか。わかりやすい人なんだシグルド王子って。
すごく、すごくそれっぽいよ。
「えぇ。昔から殿下は色んなことに首を突っ込んでは放っておけない方でもありました」
「困っている方を見れば、相手が誰であろうと手を差し伸べてしまうのです。身分も立場も関係なく。おかげで周囲はずいぶん振り回されてきましたけれど」
シャリーさんはどこか遠い目をしながら、懐かしそうに語っている。
「……ですから、リィネ様を守るのも殿下らしいですね」
湯気の向こうでその言葉がやわらかく広がる。
なんだか少しだけ、胸の奥がくすぐったかった。
討伐対象の邪竜を守るなんて、普通に考えればおかしい。
でも、シグルド王子がそうしたのは、気まぐれでも、勢いでもなくて――ただ、あの人が私が邪竜じゃないかもと思ったから手を差し伸べようと考えているのかもね。
「そういう人だって聞くと、変に納得しちゃう気がするねぇ~」
私がぶくぶくとお湯の中へ沈みかけると、シャリーさんが困ったように笑った。
「さぁ、リィネ様。そろそろのぼせますよ」
「まだ大丈夫……たぶん……」
「たぶん、は大丈夫ではありません」
ぴしゃりと言われてしまって、私はしぶしぶ身体を起こす。
でも実際、ぽやぽやしすぎて少し頭がぼんやりしてきていた。
「ほら見ぃ。骨抜きやないか」
「だって気持ちいいんだもん……」
「そのまま溶けてまうんちゃうか」
「竜ってお風呂で溶けるの!?」
「知らんわ」
フェン様が楽しそうに笑い、シャリーさんもくすくすと肩を揺らす。
さっきまで村で血と土にまみれていたのが、本当に遠いことみたいだった。
***
湯上がりの身体は、びっくりするくらい軽かった。
用意してもらった柔らかな寝間着に着替えて、髪も丁寧に乾かしてもらって。
さっきまであんなにぐったりしていたのが嘘みたいに、身体がぽかぽかしている。
「はーお風呂ってすごい……」
思わずぽつりと呟くと、部屋を整えていたシャリーさんが微笑んだ。
「お気に召していただけたようで何よりです」
「今日はもうお休みになってください。色々とありましたから」
「うん……そうする」
シャリーさんは足早に寝台を整えて去っていく。入れ替わりでフェン様もつやつやの毛色を輝かせながら部屋へと戻ってきた。
フェン様は部屋の中へ入ってくると、後ろ足で器用に扉を閉めた。
それから一度、私の顔を見上げる。
「……リィネ、ちょいとええか」
「どうしたの?」
「村で見つけた楔、あれな。やっぱり放っとくにはきな臭すぎる」
お風呂でほどけていた気分が、少しだけ引き締まる。
フェン様はいつものとぼけた感じではなく、どこか気を引き締めたような顔をしたまま続ける。
「洞窟のこととも繋がっとる可能性が高い。村ひとつで済む話やないかもしれへん」
「せやからウチ、ちょいと見てこよう思う」
「……見てくる?」
「ウチの国のほう含めてな。龍脈の流れと、ああいう妙な細工の痕跡が他にもないか。ちぃと探ってくるわ」
私は思わず目を瞬いた。フェン様がどこかに行くってこと?
今までたまに散歩みたいにいなくなることはあったけど、基本はこの使い魔姿のフェン様はずっと私といっしょにいたので突然の話で少しびっくりする。
「え、じゃあ……離宮を離れるってこと?」
「せやな。しばらくは」
あまりにもあっさり言うので、逆に言葉が出なかった。
もちろん、フェン様があの楔について考え込んでいたのは知っていた。だからきっと何が起きているのか調べたいと思ってるんだろう。聖竜として動かなきゃいけないのもわかる。
心配そうに考え込む私に気がついたのか、フェン様はふふんと鼻を鳴らす。
「安心し。別にお前さん放り出して消えるわけやあらへん。気になるもん見て、片付けられるもん片付けたら戻ってくるだけや」
「……うん、わかった。フェン様も聖竜としてやらないといけないことがあるんだよね」
「せやな、こう見えてウチは偉大なる聖竜やからな。竜たちに異変が迫るなら対処せな」
「……そっか」
思ったより、声が小さくなる。
フェン様が片眉を上げた。
「なんやその顔。置いてかれる子どもみたいやで」
「だって……」
自分でも少し情けないと思いながら、私は視線を逸らした。
「フェン様、いなくなると困るし」
「まあ、そらそうやろな。ウチみたいな頼れる保護者がおらんようになるんやし」
「自分で言うんだ!?」
フェン様はふふんと鼻を鳴らす。
いつもの調子が戻ってきて、少しだけほっとした。
「安心し。別にお前さん放り出して消えるわけやあらへん。片付けられるもん片付けたら戻ってくるだけや」
「……ほんとに?」
「ほんまや」
短い返事だった。
でもフェン様が真面目に言うときは、だいたい本当だ。
「それに、王子はんもシャリーはんもおる。今のお前さんなら、前みたいに何もできへんわけやない」
「それは……まあ、そうかもだけど」
「せやろ?」
フェン様はそう言って、ぽん、と私の腕を前足で軽く叩いた。
「むしろ、ウチが帰ってきたときにはもっとしゃんとしててもらわんとな」
「え、それってどういうこと?」
「ブレス一発でへろへろになっとる場合ちゃうで」
「うっ……それは……」
そこでフェン様は一度だけ視線を和らげた。
「リィネ」
「ん?」
「気ぃつけや。なんかあったら、抱え込まずちゃんと王子はんらに言うんやで」
その言い方は、少しだけ姉みたいだった。
あるいは、本当に保護者みたいに。
私は小さく頷く。
「……うん。フェン様も」
「ん?」
「ちゃんと戻ってきてよ」
一瞬だけ、フェン様が目を丸くした。
それから、いつもの調子でにやっと笑う。
「当たり前や。誰がアンタが腹出して大あくびかいてないか確認するねん」
「そこ!?」
「大事やろ」
「……大事かもしれないけど!」
私が抗議すると、フェン様は楽しそうに喉を鳴らした。
「ほな、ちぃと北方の国へ行ってくるわ。とりあえず今日は寝とき」
「うん、わかった。気をつけてね」
「聖竜フェンリクス様やで? 心配あらへん!」
フェン様はニカッと笑うと外へと出ていった。
扉が静かに閉まる。
湯上がりのぽかぽかした空気はまだ残っているのに、胸のあたりだけが少しだけ落ち着かない。
たぶん、不安なんだと思う。楔のことも、洞窟のことも、これから何が起きるのかも。
でも、今は洞窟にいたときとは違ってシャリーさんも王子もいる。
だからこそ、不安感はあまり感じない気がしていた。




