第20話 湯けむりの離宮①
私たちが離宮に戻ってきた頃には、もうすっかり日が傾き始めていた。
「つ、つかれた……」
村での戦いが終わってから、龍脈の異変や魔具の破壊まで
さすがに今日は色々がありすぎて、シグルド王子の後ろで馬に揺られているだけなのに思わず本音が漏れる。
「そらそうやろ。ブレスまで撃ったんやからな」
「あれは不可抗力というか、なんというか……」
「泥まみれのリィネと、血まみれの王子。シャリーはんにどう言い訳するかやな」
「うっ……」
シャリーさんの名前が出た瞬間、ちょっとだけ背筋が伸びた。
いや、別に悪いことしたわけじゃないんだけど。たぶん。きっと。……少なくとも私としては必要なことをしただけなんだけど。
でも、村でかなり汚れたし、途中で倒れたし、服も土やら草やらでぼろぼろで泥だらけだ。
それにシグルド王子なんて、血のついたままの袖でしれっとしている。
……うん。控えめに見ても、たぶん怒られるよなぁ。
そんなことを考えているとあっという間に離宮へとたどり着いた。
すうっと扉が開き、馴染み始めた静かな空気が私たちを迎え入れる。
ほっと息をつきかけた、そのときだった。
「――お帰りなさいませ」
待ち構えていたシャリーさんが、にこやかに一礼した。
その笑顔を見た瞬間、私はなぜか嫌な予感しかしなかった。
「シャリー、すまない。遅くなった」
シグルド王子がそう言って一歩進みかける。
けれど、シャリーさんはその王子の言葉には頷くだけで、視線をすっとこちらへ向けた。
まず私を見る。
土まみれで、髪も乱れている。服もあちこち擦れてぼろぼろだ。
それからフェン様へと視線が移る。
白銀の毛は泥や返り血で汚れているのに、フェン様はどこか誇らしげだ。
最後に再びシャリーさんの視線はシグルド王子へと戻る。
見送った際には綺麗な様子だった王子は今や血のついた袖、裂けた上着で悪びれた様子もなくシャリーさんを見つめている。
シャリーさんの笑顔が、ほんの少しだけ深くなった。
「……なるほど」
静かな声だった。
「……シグルド殿下」
「な……なんだ?」
圧のあるシャリーさんの声にシグルド王子は少したじろぐ。笑顔を崩さないままシャリーさんは王子を見つめたまま続ける。
「なんだ、ではございません。なぜこのようなことになっているのでしょうか?」
ぴしゃり、と言い切られる。
シグルド王子がわずかに黙った。え、押されてる。あの王子が。
シャリーさんは一歩こちらへ寄ると、私の服や髪をひと目で確かめ、次いでシグルド王子の腕の裂けたあたりへ目をやった。
「リィネ様は消耗しておられますし、殿下は殿下で血のついたままですし、どうしてお二人ともこう、揃いも揃って無茶をなさるのですか」
「いや、あのねシャリーさん、今回はほんとに色々事情があって――」
「いいえ、まずはお風呂です!」
シャリーさんはこちらを見据えたまま、有無を言わせぬ声音だった。確かに泥だらけのままでは駄目だと思うし、シャリーさんの声色の強さを見ると反論の余地がまるでない。
「く、ふふっ……ほれ見ぃ。言うたやろ」
フェン様が横で肩を震わせている。私や王子が叱られるのは想定内だったと言わんばかりに自分は関係なさそうに笑っている。だが、シャリーさんの視線がグイッとフェン様を捉えた。
「フェン様、あなたもです」
「え? う、ウチもか?」
「何か問題でも?」
ズイッと1歩踏み込んで顔を近づけるシャリーさんの圧にフェン様も根負けする。さっきまでのいたずらな顔はどこへやら、「わかったわ…」と小さく答えていた。
シャリーさんは頷くと、シグルド王子へと向き直った。
「さて、シグルド殿下は出ていってください」
ぴたり、と空気が止まった。
私もフェン様も思わず目を瞬く。シグルド王子まで、一瞬だけ言葉を失っていた。
「……出ていけ、とは?」
「女性方の入浴準備をいたしますので、シグルド殿下は本宮へ」
「それとも、私たちとご一緒になさいますか?」
シグルド王子は完全に固まった。
……シャリーさん、強い。
「……わかった。ではリィネたちはシャリーに任せる」
さっきまで村で血だらけになりながら民のために剣を振るってた王子が、離宮に戻った途端シャリーさんに追い払われている。なんだこの落差。
なんだか面白い光景を見た気がして、私は思わずフフっと笑ってしまった。フェン様も王子の扱いに笑っている。
「リィネ」
「え?」
「シャリーの言う通りだ、ちゃんと休め」
短くそう言って、踵を返す。
その後ろ姿を見送りながら、私はなんとなく瞬いた。
村で腕を傷つけていたのはそっちなのに、今も気にしているのはやっぱり私のほうらしい。
離宮から離れていくシグルド王子の背中を見送りながら、なんというか損な役回りの人だなぁと思った。
「……自分のこともちゃんと休めばいいのにね」
思わずそう漏らすと、シャリーさんがふっと目を細めた。
「殿下は昔からああいう方ですので」
「え、そうなの?」
「ええ。とても」
その言い方が少し含みのあるものだったけど、すぐにシャリーさんはいつもの顔に戻った。
「そのお話は後ほど。今はまず、お二人ともこちらへどうぞ」
***
服を脱いで、シャリーさんに案内された離宮の奥。
私は途中までは、まあ普通に部屋付きの小さな水浴び場とかそういう感じかな、と思っていた。
でも、たどり着いた先で、その考えは一瞬で吹き飛んだ。
「えぇ……?」
そこにあったのは、ほとんど小さな温泉みたいな空間だった。
磨き上げられた石床。湯気の立つ大きな湯船。壁には柔らかな灯りまである。
……しかも、なんかすごくいい匂いがする。
「離宮の浴場でございます」
「いや、なんで!? 広すぎない?」
思わず叫ぶ。
いやだって、なんで水あみする場所がこんなに広いの? 泳ぐの? 何人入る想定なの?
洞窟にいたころは岩の裂け目から染み出した水とかで色々してたりしたのに……。
私が混乱している横で、フェン様が感心したように口笛を吹いた。
「ほぉ。なかなかええやん」
「気に入っていただけそうで何よりです」
シャリーさんはどこか満足げに微笑んでこちらを見つめている。
場の空気に圧倒されながらも、湯気の向こうに大きく広がった水面をじっと見つめる。
すごくあったかそう。というか、見てるだけでちょっと気持ちよさそう。疲れた身体が、あれを前にすると急に「早く入りたい」と言い出してくる。
……うん。
さっきまで「なんでこんな広いの」って思ってたけど、これはちょっと、悪くないかもしれない。むしろ、とても素晴らしいのでは……?
シャリーさんが準備のために袖をまくり、こちらを振り返る。
「ではリィネ様、まずは髪と尻尾から洗ってまいりましょう」
「え?」
「え、やあらへんやろ。汚れたんやからまずは身体を洗わんと」
「他人事みたいに言わないでよ、フェン様も一緒だからね!」
「わかっとるわ。ま、たまには悪ない」
そう言ってフェン様も肩をすくめる。でもそんな何気ないやり取りのおかげで私はようやく少しだけ肩の力を抜いた。気になることはたくさんあるけど今だけは、とりあえず――
「……わかりました。シャリーさんにお任せします」
そう呟いた私に、シャリーさんは満足そうに頷いた。




