第18話 銀の一閃
「あ……れ?」
足元がふわりと浮いたみたいに頼りなくなって、膝から力が抜けた。さっきまで胸の奥で燃えていた熱がまるで体中に穴が空いたみたいに一気に身体の外へ抜けていく。
「リィネ! 大丈夫かいな!」
フェン様の声も、ひどく遠くに聞こえる。
私はその場に崩れ落ちながら手をついた。息がうまく吸えない。
「な、にこれ……っ」
「言うたやろ! 器のサイズを無視して一気に魔力を引っ張りすぎや!」
フェン様が心配そうな顔で駆け寄ってくる、だけどそれと同時に低い唸り声が耳に届いた。
他の魔狼たちとは違う、明らかに異質な個体の魔狼がこちらを見据えながらゆっくりと出てきた。
他の魔狼よりもふたまわり以上大きな身体に血走った目、収まりきらないほど大きな牙。
「なんやこいつ、異常な魔力を感じる……変異種なんか……?」
フェン様は小さな身体を私の前に滑り込ませながら、私の目の前に割り込む。
巨大な魔狼の焦点の定まらぬ目がぐるりとこちらを睨みつけ、低く身を沈める。
「ちっ、ウチが相手や! 聖竜なめんなや!」
フェン様が前に出る。鋭い爪を構え、迎え撃とうとした、その瞬間。
ほとばしる、銀の一閃。
何か起きたかわからなかった。だけど魔狼は飛びかかる間もなく、その胴体は私の眼前で横薙ぎに断ち切られる。
血飛沫の向こうに立っていたのは、シグルド王子だった。
「リィネ!」
焦ったような声だった。
いつもの落ち着いた響きなんて欠片もない。荒い呼吸のまま、王子は私のそばへ膝をつく。
「無事か! 怪我は?」
「え……あ、うん……?」
まだよくわからない。
頭はぐらぐらするし、身体もまだ言うことを聞かない。でも、なぜだか目の前のシグルド王子の顔だけは妙にはっきりと見えた。
自分も傷だらけなのに、そんなことはどうでもいいみたいな顔で、蒼い目が私だけを見つめている。
「王子はんやるやないか、でもアンタこそ無事やないやろ。腕やられとるで」
「あぁ、あとで治療する。まずはリィネを」
「後だ、やないわ!」
フェン様のツッコミが飛ぶ。
でもシグルド王子は私から視線を外さなかった。
「リィネ、立てるか」
差し出された手を、私はぼんやり見つめた。
大きくて、剣だこがあって、少し血がついている手。洞窟で瓦礫の下から引っ張り上げたときとは逆だな、と、なんとなく思う。
私はその手を握りしめた。
握り返された力は強く、思ったよりずっとあたたかい。
シグルド王子に支えられて立ち上がると、少しよろめくけど大丈夫そうな気がした。
「無茶をしたな」
私を支えながらシグルド王子は心配そうにつぶやく。
「それ、あなたが言う言葉なのかな……?」
「……否定はしない」
少しからかうつもりだったのに、意外な返事に私はちょっとだけ言葉に詰まった。
「でも、ありがと」
「いや、礼を言うのは私のほうだ。リィネ、ありがとう」
そう返されると、今度こそ何も言えなくなる。
そんな事を考えていると、周囲からざわざわと声が上がる。
広場の向こう。家の陰や戸口から、隠れていた村人たちがこちらを見ていた。
助かった、という顔。けれどそれだけじゃない。怯えと驚きの入り混じったような何かを探るような視線がこちらに突き刺さる。
そして段々と、ひそひそと不安そうな声が広がる。
けれど、その中にひとつ、震えた声が混じった。
「あ、あの……ありがとうございました」
ふと見ると、家から飛び出しかけていた、さっきの農夫だった。
その後ろから、妻らしき女の人と子どもも顔を出している。みんな青い顔をしていたけど、怪我は無いみたいだ。
「助けていただかなければ、俺たちは……」
声を震わせながら深く頭を下げる農夫。
シグルド王子が、一歩前に出るようにして怯えた村人たちを見渡した。
偶然なのか、私を彼らから守るみたいに、隠すみたいに。不用意な視線から庇う位置だった。
「みんな、私はアストレイド王国第一王子 シグルドだ。魔狼による襲撃の影響は大きいが安心してくれ、騎士団もすぐこちらに派遣させる。保護と復興は王国が支援すると約束しよう」
村人たちがざわめく。
王子自らが身を挺して魔狼と戦い村を守ったのだと、今さら実感したのだろう。
そしてシグルド王子はこちらをちらりと見つめてから続ける。
「また、彼女は今回の異変を調べるために協力してくれている異国の術士だ。見慣れぬ故に驚くのも無理はないが、彼女がいなければこの程度の被害では済まなかった。どうか感謝は彼女に向けてほしい」
術士。なるほどね。
確かにフェン様の住む北方の地には龍術を扱う術士がいたりとか、他の地にも龍脈に通じた人たちがいると聞いたことがある。
それにだ。王子様がこう説明してくれるんだもの、村人たちもどこか納得せざるおえないだろう。
彼らの目の色が、ほんの少しだけ変わった気がした。得体の知れないものを見る目から、助けられた相手を見る目へと。
……まあ、まだちょっと怖がられてる気はするけど……。それはよしとしよう。
「シグルド様、わざわざこんな北の村落までお守りに来てくださったのに、俺のせいでお怪我を……!」
「大丈夫だ。家族を守ろうとするあなたの勇気に私も力を貰った。怪我も気にしないでくれ、見た目ほど深くはない」
そう言いながらやぶれた袖の奥を見せるシグルド王子だったが、私は目を瞬いた。
さっきは派手に血が飛んだのに、傷口は思ったより浅い。洞窟のときと同じでもう治り始めている?
やっぱり竜の加護の影響なんだろうか。
……私の加護って実は超強いのかも?へへ。
「とにかく。シグルド様も異国の術士様もどうぞ村でお休みを――!」
「ありがとう。皆から話を聞きたいと思っていたところだ。けが人がいないか、みんなの様子も聞かせてくれ」
農夫を安心させるように話しかけるシグルド王子、こちらを振り返り私を見つめ直す。
「リィネ、君も少し休んだほうが良い。行こう」
「あ、うん……。いえ、分かりましたわ」
異国の術士と紹介されてしまったので、ちょっとだけそれっぽく返してみる。
すると横から、フェン様のなんとも言えない気配を感じた。
「(今、ちょっと調子乗ったやろ)」
「(な、なんでわかったの!?)」
言葉に出していないのに、ぴしゃりと釘を刺された。
そんな私たちをよそに、シグルド王子はまだ油断なく周囲へ視線を配っている。
けれどその一方で、私を支える手は少しも離れなかった。
***
広場を見下ろせる家の屋根のさらに向こう、崩れかけた石垣の陰で、ひとつの影が音もなく身を引いた。黒い外套。息を潜めた男の目が、じっとシグルド王子たちを見つめている。
「なんだ、あの娘は……」
男は低く呟く。
村を襲わせた魔狼の群れが壊滅する様を見ても、その顔に浮かぶのは焦りより興味だった。
「あの力……ただの協力者ではないな。あの力は竜の……? いや、まさか」
男の視線は、シグルドに支えられたリィネへ注がれている。
やがて彼は口元を歪め、低く吐き捨てた。
「まぁいい……龍脈の制御は成功したのだ。」
外套を翻して立ち去ろうとした拍子に、裾の奥で記章がかすかに光る。エーデルシュタイン公国の紋が血と土の匂いの残る風に揺れた。
村の混乱は収まりつつある。
だがこの一件は、ただの魔物騒ぎでは終わらなかった――。




