第15話 私が一緒にいってあげよっか?
アストレイド王国の執務室は、朝からどこか落ち着かない空気に包まれていた。
窓の外には騎士たちが慌ただしく馬を引いていく姿が見える。なにか、城の中だけが張り詰めているようだった。
そんな執務室の扉が叩かれ、シグルド王子は顔を上げる。
「入れ――」
現れたのは王国の騎士団長バルトだった。見知った顔に少し表情を緩めるシグルド王子だったが、バルトの深刻そうな表情を見て何かを察する。
「若。街道沿いに魔物の出現が増加しております」
「……規模は」
「小規模の群れが複数です。現時点で大きな被害報告はありませんが、放置すれば物流と人の往来に支障が出るかと」
机上に広げられた地図の上に、バルトが印を置いていく。街道に沿うように散った点はまるで行き先を遮る壁のようだった。
「騎士団はすでに出立しております。各地の巡回部隊にも応援を出しました」
「よし、民の守護を最優先にしろ。街道の確保も急げ。行商人や避難の遅れた者を巻き込ませるな」
「はっ」
バルトは力強く頷く。
「バルト、一つ聞きたい。洞窟の封鎖の前に被害の報告は?」
「いえ、少数の個体の目撃などはありましたが……これほど散発的な群れは邪竜がいなくなってから増えたように思いますな」
「邪竜がいたから魔物が抑えられていた、という見方もできる。だが、出現場所が不自然だ。街道沿いに偏りすぎている」
ただ魔物が増えたというだけならもっと散るはずだ。だが今回の報告は、まるで何かを狙ったか、あるいは何かに引きつけられているように出現していると見ることもできる。
「確かに、偶発にしては出来すぎておりますな」
公国の不穏な動き。洞窟での出来事。街道沿いに現れ始めた魔物。
どこか同じ繋がりを感じずにはいられない。
「……考えすぎであればいいが」
そう呟いても、シグルド王子の胸中から嫌な予感は薄れなかった。
***
離宮の午後、穏やかな空気に包まれた部屋
私は長椅子にだらりと寝そべり尻尾をくるくると動かしながら暇をつぶしていた。向かいにはフェン様は日向ぼっこをしながらウトウトとしている。
「フェン様」
「うーん……なんや。今ウチは忙しいねん」
「寝てるだけじゃん!……いや、 シャリーさん遅いなって」
私たちの生活のほとんどを支えてくれるのは今やシャリーさんだった。朝から晩までご飯の用意もしてくれるしおやつとお茶まで持ってきてくれる。だから、いつもならとっくにお茶とお菓子が運ばれてきてるはずなのだが、今はそれがなかった。
「ほんまやな、今日は新作の焼き菓子を持ってきてくれるはずやのに」
「フェン様そればっかり……太るよ?」
「ふん、偉大な聖竜たるウチは大丈夫なんや」
フェンはどこか自慢げに鼻を鳴らす。そんな話をしているとぱたぱたと少し慌ただしい足音が近づいてきた。扉が開き、姿を見せたシャリーさんは、いつもの整った笑みを浮かべながらも、ほんの少しだけ呼吸が乱れている。
「リィネ様、フェン様。おまたせいたしました」
噂をすればと思って私とフェン様はシャリーさんのほうを見つめる。だが彼女の手にあったのはお茶だけで、肝心の焼き菓子はない。
フェン様がぱちぱちと目を瞬く。
「シャリーはん、今日の焼き菓子は……?」
フェンは瞳をうるうるさせながらおねだりするように言うと、シャリーさんは一瞬だけ目を伏せ、それから小さく息をついた。
「これは申し訳ありません。少々、城のほうが立て込んでおりまして――忘れました」
あまりにきっぱり認められて、フェン様は逆に何も言えなくなる。
シャリーさんが約束を忘れる。そんなことは初めてだった。ふわふわしていた眠気が少しだけ晴れる。
「……なにかあったんですか?」
「えぇ、それが……明朝より騎士団が慌ただしく動いております。街道沿いで魔物の目撃が相次いでいるとか」
「魔物?」
急に飛び出した言葉に身を起こす。フェン様も気になったようで目を細めた。
私みたいにドラゴンの住処の近くには魔物が現れないことが多いのだ。いわゆる縄張り争いみたいなものである。国の間に私が住んでいたからどっちにも魔物が現れることなんて早々ないと思うんだけどなぁ?
「ふーん。洞窟の龍脈が変になるわ、魔物が出るわ。ここらも騒がしくなってきたなぁ」
ぼやくような声音だが、その中には軽く見ていない響きがあった。
「うーん、なにか関係あるのかな?」
「さてな。たまたま、で済めばええんやけど」
そのとき、離宮の外側で人の気配が止まった。すぐに扉が叩かれ、シャリーさんが向かう。短いやりとりのあと、部屋に入ってきたのはシグルド王子だった。
いつも通り整った身なりではあるが、かすかな緊張を感じる。城からそのまま来たのだろう。
「なんや王子はん、焼き菓子なら今日は無いで」
シグルド王子をからかうように出迎えるフェン様だったが、シグルド王子も話がよくわからず困惑の表情を浮かべる。
「焼き菓子……?」
「いえ、なんでもありません。それよりどうしたんですか?」
私にとっては焼き菓子も大事ではあるが、少し緊張した様子で現れたシグルド王子も気になっていた。要件を聞こうと話を進めようとする。
「あぁ、街道沿いで魔物の出現が相次いでいてな。騎士団が対応に出た」
「あっ、さっきのシャリーさんが言ってたね」
「えぇ、お菓子を忘れる程度には忙しかったのでございます」
思わず漏れたシャリーさんの言葉に、シグルドがわずかに目を細める。シャリーさんがお菓子を忘れてフェン様がいじけてるのが分かったのか、ほんの一瞬だけ、張り詰めた空気が和らいだ。
だが、一転してシグルド王子は真面目な顔に戻り、続ける。
「聞いていたか。なら話は早い。今回の件についてだが……私は偶発的なものではないと考えている」
その一言で、室内の空気が改まる。
「公国の動きが妙なのは前にも話したな」
馬乗りのときにそんな話をしたような気もして、私はこくりと頷く。
「そこへきて、邪竜が消えた直後に街道沿いで魔物の増加、さすがに出来すぎている」
「つまり、誰かが意図してるかもしれないってこと?」
「可能性はあると思う、だが証拠は無い」
断言はしない様子だったが、シグルド王子としてはかなり気になっている事項なのだろう。言葉からはもはや確信めいた温度を感じる。
シグルド王子は少しだけ視線を落とし、考え込むように沈黙してから、私に向き直る。
「……リィネ。君はどう感じる」
「えっ?」
「この一連の騒動だ。何か、思い当たることや気がついたことはないか」
私を問い詰めるつもりはなく責めるのでもない。純粋に私のことを頼ってくれているような声音だった。でも私も巻き込まれただけで詳しいことはあんまり思いつかない。
一瞬だけきょとんとして、それからうーんと頭をひねる。
「思い当たるって言われても……よくわかんないしなぁ……」
その時だった。洞窟を出て以降になんとなく感じていた違和感を思い出した。
「強いて言うなら、龍脈の流れがちょっと変かも?」
シグルド王子の眉がわずかに動く。
「変とは?」
「龍脈ってさ、エネルギーがするする流れてるんだよね。でもなんか最近引っかかってるところがあるというか、なんかうまく流れてないようなところがある感じがあるんだよね。洞窟の異変のせいだと思ってたけど……」
龍脈というのは大地に根ざすエネルギーの流れみたいなものだ。離宮から洞窟にもエネルギーの流れみたいなものはある。まぁ洞窟の龍脈は今はもうエネルギーを感じないし変なモヤモヤのほうが強いんだけどね。
「離宮は大丈夫だけど、北の方とかかな? たぶんそっち。まぁここからだとぼんやりしかわかんないね」
「北、か……」
シグルドはしばし無言のまま考え込み、やがて低く息を吐いた。
「ちょうど魔物が現れ始めた街道も、北の村落へと続いている。……やはり、自分の目で確かめる必要がありそうだ」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ重くなる。
「シグルド様、まさかお一人で向かわれるおつもりでは?」
シャリーさんが一歩前に出る。にこやかな声音だけど、目はぜんぜん笑っていない。
「騎士団は領地と街道の防衛に回っている。不確かな情報に兵を割くわけにはいかない」
「ですが、魔物が現れているのですよ」
「だからこそ、異変の正体だけでも掴む必要がある」
シグルド王子の言うことはもっともだった。
でも、シャリーさんの言い分もわかる。私がなんとなく変だと言っただけで、ここからじゃ場所だってぼんやりとしかわからないのだ。
うーん、と私は腕を組んだ。
洞窟の龍脈が戻らないままだと、私はあそこに帰れない。今は離宮でぬくぬくしているけど、寝床問題が解決したわけじゃない。
……あれ?
それってつまり、私も他人事じゃないんじゃない?
そう思った瞬間、頭の中でぴこんと何かがはまった。
「じゃあ――私が一緒にいってあげよっか?」
言った途端、部屋がしんと静まった。
シグルド王子がまばたきをする。シャリーさんも一瞬だけ目を見開き、フェン様だけが「ほう?」と面白そうに口元を緩めた。
「……一緒に?」
「うん」
私は長椅子からぴょこんと降りて、できるだけ名案です、みたいな顔で続ける。
「うん。だって、私もここからじゃぼんやりとしかわかんないんだもん。王子だけ行っても、龍脈の異変が見つからなかったら意味ないでしょ?」
「それは……確かにそうだが」
「それに、シャリーさんの衣装のおかげでぱっと見はごまかせるし、王子が説明すればみんなそんなに突っ込んでこないでしょ?」
もちろん絶対とは言えない。
でも、私がひとりでこっそり出歩くよりはずっとましだ。
「洞窟の龍脈だって、原因がわかれば元に戻せるかもしれないし。どうせ帰れないなら、手伝ったほうが早くない?」
我ながら、かなり筋の通ったことを言っている気がする!
シグルド王子は顎に手をあててうーんと考え込んでいる。渋い顔をしているなぁ……。
そんなふうに観察していると、横でフェン様が笑った。
「ははぁ。なるほどなぁ。王子はん。確かにリィネにも一理あるで」
「それにこれは王子にもメリットあるで、リィネが側にいれば魔物ぐらいなら何も怖ないやろ」
フェン様に突っ込まれるシグルド王子だが、すぐには頷かない。
たしかに、私自身はたぶんそこまで簡単にどうこうならない。少なくとも普通の女の子みたいに“危ないから絶対だめ”という感じではないと思う。でも、だからといってシグルド王子が簡単に首を縦に振れないのも、なんとなくわかった。
「対外的なことでしたら、こちらで整えます」
今度はシャリーさんがさらりと続けた。
「殿下の特命により同行する協力者、という形でしたら口実は作れます。人払いが必要な場面も最低限なら対応できるかと」
「また面倒事ですね」
はあ、と小さくため息をつきながらも、その声に嫌そうな響きはあまりない。いつものことです、とでも言いたげだった。
シグルド王子はしばらく黙ったまま、私とフェン様、それからシャリーさんの顔を順に見た。
迷っているのがわかる。やがてシグルド王子は小さく息を吐いた。
「……確かに、一理ある」
「現状、龍脈の異変を感知できるのは君だけだ。私だけで向かったところで、異常の正体を掴めなければ意味がない」
そう言ってから、彼は少しだけ言葉を選ぶように間を置く。
「リィネ」
「危険があるかもしれない。だが、それでも――力を貸してくれるか」
その言い方に、私は少しだけ目を丸くした。
命令じゃなかった。
当然のように連れていくでもなく、勝手に決めるでもなく、ちゃんと私に頼んでくれている。
なんだか少しだけ、くすぐったい気がした。
「ん。いいよ」
私はできるだけ軽く答えた。
「それに、王子ひとりで行って変なことに巻き込まれてもシャリーさんが困っちゃうだろうしね」
一応、少しは心配してあげたつもりだったのに、シグルド王子はなぜか一瞬だけ微妙な顔をした。
「私はそこまで無計画ではない」
「洞窟で生き埋めになりかけた人が言うと説得力ないんじゃない?」
「……」
思わず黙ってしまうシグルド王子を見てフェン様が噴き出し、シャリーさんも口元に手を当てて肩を揺らす。シグルド王子だけが、なんとも言えない顔で額を押さえていた。
「ははは、ごめん、冗談。私のことも助けてくれたしもうおあいこでしょ」
いたずらに笑う私に、シグルド王子は困ったように微笑んだ。




