第14話 静かな軍議
――龍脈、か。
高台でリィネが口にした言葉は、シグルドの胸に引っかかったままだった。
洞窟の龍脈異変、姿を消した邪竜、そして公国の不自然なまでに素早い封鎖。
ひとつひとつなら偶然かもしれない、だがタイミングに違和感があった。
その違和感をシグルドは、軍議の場でも感じていた――。
***
「それで、公国は邪竜が消えたと見ているのか」
アストレイド王国城内の重苦しい軍議の間に、アストレイド王の低い声が落ちる。
長卓の上には、エーデルシュタイン公国と洞窟、そしてアストレイド王国が記された地図が広げられていた。私は父の隣に座り、対面の公国軍側の使節たちへと視線を向ける。
「はい、王陛下。そうでございます」
応えたのは目の前に座るグスタフだった。
相変わらず丁寧で、よく通る声だった。礼儀を尽くした振る舞いも変わらない。だからこそ、その奥に何かを隠しているように見えてならない。
「現時点で洞窟内に邪竜の存在は確認されておりません。ゆえに、差し迫った脅威は一旦去ったものと考えております」
「一旦、か」
「はい、もっとも慎重な調査が必要ですので、我ら公国軍が急ぎ進めております」
いかにも妥当に聞こえるような、理にかなった話だった。
だが、それだけに私はこの展開に疑念を持たざるをえなかった
「異常事態というのはわかった、であれば王国側も立ち会うべきであろう」
私がそう口を挟んだ瞬間、軍議の空気が揺れた。
「邪竜が去ったとはいえ王国領に接する異常、我々も事態の把握のために動くのは道理なのではないか」
「ご懸念はもっともです、シグルド様」
グスタフは即座に応じる。
だがその声音には、少しも揺らぎがなかった。
「しかし、もともと邪竜の被害を受けていたのは我がエーデルシュタイン公国側でございます。であれば、まずは我々が責任を持って事態の収拾に当たるのは自然な流れかと存じます」
「責任を持つというなら、なおさら王国側の立ち会いを拒む理由があるのか?」
「拒む、とは」
グスタフはわずかに目を細め、私を見つめて続ける。
「そのような意図はございません。ただ混乱を広げぬためにも現地の指揮系統は統一すべきかと考えております。それにシグルド様には我ら公国の兵士をお救い頂いた恩義もございます、調査などの手間なことは我らが担当させていただくのがせめても務めでございます」
淀みのない返答。
だが、その一つ一つが滑らかすぎた。
グスタフを相手に追求していても意味は無いだろう。ここで必要なのは不自然さを積み上げて事実に近づくことだ。
「ユリアン殿」
今度は、あえてグスタフではなく若き公国王子へ視線を向ける。
「王子としてのあなたのご意見も伺いたい。公国単独で進めることが最善だと?」
「……」
一瞬、言葉に詰まったかのような静寂に包まれた。
ユリアンは口を開きかけ、だがその直前にグスタフへと視線を流した。
たった一瞬のそれだけの動きだが、何かの思惑があることは明らかだった。
「被害を受けていた公国側が、解決のために先んじて動くのは合理的です」
「……合理的、か」
「もちろん公国としても得た情報をアストレイド王国へ共有することに異論はありません」
ユリアンとは思えぬ冷えた返答だった。
これは彼本人ではなく、公国の王子として選んだ言葉なのだろう。
だが、だからこそ私は懸念が強まった。ユリアンを圧するほどの何かが動いているのだと。
「シグルド」
父上が私の名前を呼ぶ。断罪するかのごとく公国に詰め寄っていた私を抑えたかったのだろう
「お前の懸念は理解できる、だが公国側の提案を退けるだけの理由もないだろう」
「……承知しております」
「ならば、ここで必要なのは感情ではなく条件だ」
父上はグスタフへと視線を向けた。
「洞窟の公国による調査は認める。だが、それはあくまで暫定だ。進展があれば、必ずアストレイド王国へ報告していただきたい」
「もちろんにございます、陛下」
グスタフは深々と頭を下げる。
その礼は完璧だった。完璧すぎるほどに。
「我らも、両国の平穏こそ第一と考えておりますゆえ……」
白々しい。
表情には出さなかったが、私は内心でそう強く感じていた。
もし本当に平穏を第一に考えているなら、ここまで執拗に洞窟を公国管理へ寄せようとはしない。
証拠はない……
だが、あの男は何かを隠している。
それだけは、ほとんど確信に近かった。
言いしれぬ疑念を感じながら最後にもう一度だけユリアンを見た。
彼と視線が合う。
ユリアンは何か言いたげに眉を寄せた。
だが結局、何も言わずに目を伏せる。
グスタフはそんな私に気がついたのか、口元だけで薄く笑みを作る。
「どうかご安心を、シグルド殿下。洞窟の件は、我が公国が責任を持って進めさせていただきます」
「……そうか」
短く言葉を返しながら、胸の内で冷えた思いを深める。
軍議は終わったが、疑念は深まるだけだった。公国の狙いがわからない今、見えない糸に縛られているかのような不快感だけが胸に残った。
***
洞窟の最奥。
邪竜がねぐらとしていた広間を中心に、岩壁や天井、地面などあらゆるところに楔のような魔具が打ち込まれて不気味に脈打っていた。
以前はただ静かに満ちていたはずの洞窟は、今や歪な人工物に侵されている。
その場に立つ黒衣の者たちは誰も口数少なく、ただ作業だけを進めていた。
響くのは龍脈の鼓動と、魔具から漏れる低い唸りだけ。
そして、その中心には見覚えのある男――グスタフの姿があった。
「閣下、龍脈のい制御は安定しております」
黒衣の技術者らしき男が、グスタフに向けて頭を垂れる。
「邪竜の消失により干渉は格段に容易になりました」
「そうか」
グスタフは短く応え、魔具へと目を向ける。
龍脈の力を利用していた邪竜がいなくなったことで、この洞窟の龍脈は扱いやすくなっているのだ。
もともと邪竜の器を満たすほどの大きなエネルギーの流れが、今は誰のものでもない。
「魔具で制御がこれほどまでうまくいくとはな」
「枝分かれの先はどうなっている?」
「北東方向、アストレイド領内の村落の近くに結節点が確認できます」
淡々と進められる会話に、なんのためらいもない様子だった。
洞窟の調査とは決して思えぬ会話だったが、グスタフは満足そうに頷く。
「ならば、ちょうど良い」
その低い声は軍議の時と同じように礼節を感じさせていた
だが、今のグスタフは他者へ頭を垂れるような使者ではなかった。
自らの望む結果のためには犠牲をいとわぬ、奪い取る側の人間だった。
「計画通り、その村落で試すとしよう」
「はっ」
「邪竜と王国の出方を見るにも都合が良い」
グスタフの指示によって術者たちは再び持ち場へ散り、魔具の調整を始める。
不快な鼓動が岩肌を走り、龍脈へと同調していく。
その揺らぎを見つめながら、グスタフは静かに目を細める。
「シグルドは勘づいているだろう。だが、勘づいているだけでは国は動かせない」
「――ならば、その間に盤を進めればよい」
そして、かすかに口角を上げる。
「フッ……王国がどうなるか、見ものだな」
グスタフの暗い笑みと共に
洞窟の中で、龍脈の光がひときわ強く脈打ったかのように思えた。




