第三話「ソラ」
重い。
体が、やけに重い。
まるで全身に砂でも詰め込まれたみたいに、
動かそうとするたび鈍い痛みが返ってくる。
「……ん……」
喉が渇いている。
ゆっくりと目を開ける。
視界に入ったのは、木でできた天井だった。
見覚えはない。
「……あれ……ここ……」
ぼやけた頭で呟いた瞬間――
思い出す。
森の中。
あの巨大な生き物。
突進。
剣。
衝撃。
「っ……!」
反射的に体を起こそうとして、
「いっ……!」
脇腹に鋭い痛みが走る。
思わず息を止めた。
「無理しないで」
すぐ近くから声がした。
びくっとして視線を向ける。
そこには、少女が一人。
椅子に座ってこちらを見ていた。
「……え、誰……」
思わず口に出る。
少女は少しだけ驚いた顔をしたあと、
ほっとしたように笑った。
「気がついた?」
やわらかい声。
「森の外れで倒れてたんだよ、君」
「……あー……」
記憶が繋がる。
歩いた。
ただひたすら歩いた。
それで――限界が来て倒れた。
「……マジか……」
小さく息を吐く。
「……えっと、その……助けてくれたってこと?」
「うん」
少女は軽く頷く。
「結構ひどい状態だったから、ちょっと焦ったけどね」
「……そりゃそうだよな……」
苦笑が漏れる。
「……どれくらい寝てた?」
「半日以上かな。もう夕方だよ」
「え、そんなに?」
思わず目を見開く。
「……うわ……」
天井を見上げる。
「……普通に死んでてもおかしくなかったな、俺……」
「でもちゃんと生きてるよ」
くすっと笑う。
「……だな……」
少しだけ力が抜ける。
短い沈黙。
「……あのさ」
「うん?」
「ここ……どこ?」
少女はきょとんとした。
「えっと、この街だけど……」
言いかけて、ぴたりと止まる。
「……あれ?」
じっとこちらを見る。
「……もしかして、わからないの?」
「……」
少しだけ視線を逸らす。
どう説明するのが正しいのか、自分でもわからない。
「……森で目が覚めてからのことは覚えてる」
ゆっくりと口を開く。
「歩いたり……あの変なやつと戦ったりとか」
苦い顔になる。
「でも、それより前が……何もない」
「……」
少女は黙って聞いている。
「自分が誰かもわかんないし……」
言葉が少しだけ途切れる。
「ここがどこかも、知らない」
「……そっか」
否定はしない。
ただ、静かに受け止める。
「でもちゃんと話せてるし、動けてるし」
少しだけ明るく言う。
「全部なくなってるわけじゃなさそうだね」
「……まぁ、それは……そうかも」
少しだけ肩の力が抜ける。
「水、飲める?」
「あ、頼む」
差し出されたコップを受け取る。
手が少し震える。
「はい」
そっと支えられる。
「……ありがと」
水を流し込む。
冷たさが喉を通って、体に広がる。
「……生き返る……」
思わず漏れる。
「大げさだなぁ」
少女が笑う。
「いやマジで……」
苦笑する。
少しの間。
「……そういえば」
少女が首を傾げる。
「森で倒れてたってことは、魔物にやられたの?」
「……魔物?」
聞き返す。
「なんか、緑の小さい人みたいなのとか鎧つけた猪みたいなのとか」
「あー……あれか」
思い出すだけで痛みが蘇る気がする。
「……あれ、魔物って言うのか」
「うん、普通の生き物じゃないやつ」
「……」
少し考える。
「……一応、倒した……と思う」
「え?」
「あまり、覚えてないけど...煙みたいになって消えた、と思う。」
自分でも曖昧だ。
「……多分」
「……すごくない?」
素直に驚かれる。
「いや、死にかけたけどな……」
苦笑する。
「それでもすごいよ」
真っ直ぐに言われる。
「普通は無理だから」
「……そうなのか……」
自覚はない。
「まぁでも今はそれより休むこと!」
ぱん、と手を叩く。
「また倒れたら意味ないでしょ?」
「……それはそうだな」
少し笑う。
「あ、そうだ」
少女が何か思い出したように言う。
「名前、わかんないんだよね」
「……あぁ」
「じゃあさ」
少しだけ考えて、
「ソラ、とかどう?」
「……ソラ?」
「うん。なんとなくだけど」
にこっと笑う。
「呼びやすいし」
「……」
少しだけ考える。
不思議と、違和感はない。
「……いいかも」
小さく頷く。
「ほんと?」
「うん」
「じゃあ決まりだね」
嬉しそうに笑う。
「私はエキナ。よろしくね、ソラ」
「……あぁ、よろしく」
自然に言葉が出た。
エキナは立ち上がり、
「何かあったら呼んでね」
扉の方へ向かう。
「――ちゃんと休むんだよ」
そう言って部屋を出ていった。
静かな部屋に、一人。
「……ソラ、か」
小さく呟く。
ついさっきまで、自分には名前がなかった。
いや――今だって、自分が何者なのかはわからない。
ここがどこなのか。
なぜ森にいたのか。
どうしてあんなものと戦えたのか。
わからないことだらけだ。
それでも。
「……まぁ」
天井を見上げる。
「生きてるしな……」
少しだけ、笑う。
与えられた名前を胸の中で繰り返す。
ソラ。
悪くない。
ゆっくりと目を閉じる。
今度は、さっきまでとは違う穏やかな眠りに落ちていく。
――こうして。
記憶のない青年、ソラこと俺の新しい日々が始まった。かな?




