第41話 三国会談
ワールドフェスティバルの熱気が冷めやらぬ数日後、帝体大の大講堂に三国の代表が集まることになっていた。
「三国友好協定の締結。これが今日の議題だ」
土屋学生会長が、朝のミーティングで全学生に告げた。
「帝体大、マジーナ王国、魔王軍。三者がスポーツを通じて繋がった事実を、正式な協定として残す。その調印式を、本日この帝体大で行う」
「すげぇな、本当に世界が動いてるって感じだ」
矢田が両手を頭の後ろに組みながら呟いた。
「お前、ちゃんと真面目にやれよ」
神宮寺が苦笑する。
「やるって。今日ばかりはな」
大講堂は、普段の学生たちのざわめきが嘘のように静まり返っていた。
壁には三国の旗が並べて掲げられている。青と白の帝体大旗、黄金の獅子のマジーナ王国旗、黒に赤い稲妻の魔王軍旗。中央には長机が三方に配置され、それぞれの席に書類と羽根ペンが用意されていた。
会場の奥、観覧席に当たる位置には、帝体大の主要メンバーが整列していた。
神宮寺、矢田、大江山、黒崎、村瀬、北野、小宮、鷹野――サッカー、野球と戦ってきた面々がぴしりと並んでいる。普段の砕けた雰囲気はどこにもない。胸を張り、足を肩幅に開き、両手を後ろで組む。陸上部や応援団の指導で身に染み付いた、体育会系の「整列」だ。
「……お前ら、こういう時はちゃんとできるんだな」
土屋が小声で呟くと、神宮寺が同じく小声で返した。
「当たり前だ。俺たちはスポーツのプロだぞ。礼節も鍛えてる」
その後ろには、白石美桜が記録用のタブレットを手に控えている。狩野は普段の作業着ではなく、簡素ながら整った服に着替えていた。野球部主将としての出席だ。
開始の鐘が鳴る。
最初に入場したのは、マジーナ王国の一団だった。
先頭は宰相ベリンガム。その後ろにリュミエラ王女が続く。さらに後方にレオニール・ヘスターと、王国の主要騎士たち。全員が正装の鎧を身につけ、足音まで揃っていた。
「マジーナ王国、入場!」
司会役を務める小畑教授の声が響く。
会場の帝体大メンバーは、神宮寺の合図で一斉に頭を下げた。一糸乱れぬ動作。一瞬で空気が引き締まる。
リュミエラ王女が、その光景に小さく目を見開いた。
「……見事な礼儀作法だ」
「ええ」
宰相が頷く。
「サッカーの宴の時とは別人のようです」
「メリハリということだろう。やはり只者ではない」
王女は微笑んで、定められた席に着いた。レオニールも端の席に腰を下ろし、姿勢を正す。
続いて、魔王軍の入場だった。
会場の空気が、わずかに張り詰める。
漆黒のマントを翻し、最初に姿を現したのは魔王本人だった。その後ろにガルド、そしてカーミラが続く。
ワールドフェスティバルの時のような、観客を煽る派手な登場ではない。魔王は静かに、しかし圧倒的な存在感を放ちながら歩いてきた。紅い瞳が会場をゆっくりと一周し、整列する帝体大メンバーで一瞬止まる。
「ほう」
魔王が、小さく漏らした。
「礼儀を弁えておるな」
神宮寺たちは頭を下げたまま、視線を動かさない。
魔王は満足げに頷くと、自分の席へ向かった。ガルドとカーミラも続く。
「全員、揃いました」
小畑教授が静かに宣言した。
「これより、三国友好協定の調印式を執り行います」
会場が静寂に包まれる。
帝体大側の代表として、まず土屋学生会長が立ち上がった。
「本日この場に、帝国体育大学、マジーナ王国、魔王軍――三者の代表が揃いました」
土屋の声は普段よりも一段低く、厳かに響いた。
「我々は、これまでサッカー、そして野球を通じて、互いを知り、互いを認め、互いを尊重することを学びました。剣ではなく、魔法ではなく、スポーツを通じて」
帝体大メンバーは、依然として直立不動のままだ。
「本日締結される三国友好協定は、我々の関係を正式なものとするためのものです。戦争ではなく、競技で。憎しみではなく、敬意で。我々はこの世界に、新たな関係性を築きます」
土屋は深く一礼した。
続いて、マジーナ王国の宰相ベリンガムが立ち上がる。
「マジーナ王国を代表し、敬意を表す」
宰相の声は重く、貫禄があった。
「我が王国は、長く"規律"を誇りとしてきた。だが、この数ヶ月で、規律だけでは到達し得ぬものがあると知った。スポーツが我が国にもたらした変化は、計り知れぬ」
宰相はリュミエラ王女に視線を向ける。王女が静かに頷いた。
「ゆえに、我らはこの協定を歓迎する。剣を交えるのではなく、競技で交わる関係を、ここに約束する」
宰相が深く一礼した。
最後に、魔王が立ち上がった。
会場の空気が、再び引き締まる。
「魔王軍を代表し、我が言葉を発する」
低く、地を這うような声が響いた。
「我ら魔族は、長く人間どもと敵対してきた。剣を交え、血を流し、互いを憎んできた。それが我らの歴史であった」
魔王の紅い瞳が、ゆっくりと会場を見回す。
「だが、スポーツとやらに出会ってから、我は知った。憎しみは、覆せる。剣を交わさずとも、決着はつけられる。それも、より熱く、より清々しい形で」
魔王の声は、わずかに穏やかになっていた。
「我は、二度負けた。だが、それは恥ではない。学ぶべきものを学んだ証だ。我が軍は、これからも強くなる。次の大会では、必ず勝利を掴む」
ガルドとカーミラが、わずかに頷いた。
「だからこそ、この協定を結ぶ。同じ場で、同じルールで、競い合うために。――我ら魔王軍は、この協定に名を連ねる」
魔王は短く頭を垂れた。それは、魔王自らが他者に対して見せる、極めて稀な敬意の表れだった。
帝体大メンバーが、ほんの一瞬、息を呑む音が聞こえた。だが、誰も身じろぎしなかった。
「では、調印に入ります」
小畑教授が静かに告げた。
協定書が、三国の代表それぞれに運ばれる。
まず、土屋学生会長が羽根ペンを取り、署名した。続いて、マジーナ王国の宰相ベリンガムが署名。最後に、魔王が羽根ペンを握る。
魔王の巨大な手には、繊細な羽根ペンは少々不釣り合いに見えた。だが、彼は驚くほど丁寧に、ゆっくりと自身の名を書き入れた。
ペンが置かれる音が、静かな会場に響く。
「以上をもちまして、三国友好協定の調印を完了とします」
小畑教授の声が、厳かに告げた。
会場が、しばし静寂に包まれた。
そして――
「礼!」
神宮寺の号令が響いた。
帝体大メンバーが一斉に深く頭を下げる。ピシリ、と空気が締まる音が聞こえそうなほど、揃った動作だった。
リュミエラ王女が小さく息を漏らした。
「……素晴らしい」
宰相も頷く。
「これが、スポーツのエリート集団。納得ですな」
魔王の口元にも、微かな笑みが浮かんでいた。
調印式が終わり、続いての議論に移る。
「では、続いての議題に移ります」
小畑教授が告げた。
「協定の中身。具体的には、定期的なスポーツ大会の開催についてです」
土屋学生会長が立ち上がった。
「我々の提案は、こうです。この世界に、定期的に開催されるスポーツの祭典を創設する。名称は、我々の世界で古くから親しまれてきた呼び方を借りて――"オリンピック"」
「オリンピック……」
リュミエラ王女が呟いた。耳慣れない響きを、確かめるように口にする。
「これは何を意味するのです?」
「我々の世界では、世界中の国々が集まり、様々な競技で競い合う祭典のことです。戦争を一時的に休止してでも開催される、平和の象徴でもあります」
「平和の象徴か」
宰相が頷いた。
「悪くない響きだ」
魔王も静かに頷いた。
「オリンピック。よい名だ」
「では、これに賛同いただけますか?」
土屋が問うと、三国それぞれが頷いた。
「ただし――」
魔王が口を開いた。
「次の大会の競技については、提案がある」
「ほう」
「魔族の身体能力が活きる競技も、加えてほしい」
ガルドが頷いた。
「我らは二度、人間どもの土俵で戦って敗北した。次は、もう少しこちらの得意分野でも戦いたい」
リュミエラ王女が興味深そうに頷いた。
「それは公平だな。我が国も同様だ。マジーナ王国の戦士たちが活きる競技も、検討してほしい」
「もちろんです」
土屋が答えた。
「具体的な競技や開催地、時期については、改めて会談を設けて詳細を詰めたいと考えています。本日は、"定期的にスポーツ大会を開催する"ことの合意のみ取り付けます」
「それでよろしい」
魔王が頷いた。
宰相も同意する。
「次回の会談を楽しみにしておこう」
続いて、貿易協定についても議論された。
三国間の物資の交易、技術の交流、文化的な接触の促進。これらが正式に認められることになった。
「我が国の特産品である薬草、鉱石、そしてマジーナワインを、是非帝体大にもお届けしたい」
宰相が誇らしげに言った。
「ありがたい。我々からは、スポーツ用具や、スポーツ科学の知識を提供できます」
土屋が答える。
魔王が続いた。
「魔界の獣肉、火竜の燻製、そして魔石。これらは我が軍の特産だ」
「あれ、また売ってくれるんですか?」
矢田が思わず声を上げた。
「先日のワールドフェスティバルの露店、すげぇ美味かったって学生たちの間で評判で――」
「黙れ、矢田」
神宮寺が小声で叱責する。
魔王が、わずかに口元を緩めた。
「気に入ったか」
「めちゃくちゃ気に入りました」
「では、次の大会では、もっと多くの店を出させよう」
「マジっすか!」
会場に小さな笑いが起きた。一瞬、堅苦しい空気が緩んだ。
リュミエラ王女が控えめに微笑んだ。
「マジーナ王国も、露店を出そう」
「最高じゃないですか!」
矢田が拳を握った。神宮寺が額に手を当てる。
「お前、本当に……」
だが、誰も矢田を責めない。むしろ、その軽口がこの場の空気をほぐしているのは、全員が感じていた。
すべての議論が終わったのは、夕方近くだった。
協定書はそれぞれの国に持ち帰られることになり、複製が帝体大にも保管される。三国それぞれが、自国の歴史に新たな1ページを刻むことになった。
「では、本日の会談はこれにて閉会とします」
小畑教授が告げた。
「皆様、お疲れさまでした」
帝体大メンバーが再び深く一礼する。マジーナ王国と魔王軍の代表たちも、それに応えた。
その後、宴会場へ移動するという声が上がった瞬間、会場の空気が一気に砕けた。
「やったぜ、宴だ宴だ!」
矢田が真っ先に拳を突き上げる。
「お前、調印式の時は静かだったくせに」
神宮寺が呆れたように笑う。
「だってあれはあれ、これはこれ!」
「人間の若者は、切り替えが早いな」
魔王が呟くと、ガルドが頷いた。
「ですが、悪くありません」
カーミラも微かに笑った。
リュミエラ王女がレオニールに小声で言った。
「我が国も、もう少し砕けてもよいかもしれぬな」
「は?」
「冗談だ」
王女が涼やかに笑った。
その夜、帝体大の宴会場は、いつものように大盛り上がりだった。
露店が並び、肉が焼かれ、酒が振る舞われる。マジーナ王国の兵士たちは王女と宰相を囲んで杯を交わし、魔王軍の魔族たちは帝体大の学生たちと腕相撲大会を始めていた。
「ガルド!もう一回だ!」
「望むところだ、神宮寺!」
「サードでも腕相撲でも、俺は負けねぇぞ!」
「俺もだ!」
机がきしむ。両者の額に汗が滲む。周囲では応援団が太鼓を鳴らし、チア部が両陣営に声援を送っていた。
「がんばれー神宮寺ー!」
「ガルド殿ー!マジーナ王国の声援も受け取ってくださいー!」
別の場所では、ヴァルナと矢田が酒を酌み交わしていた。
「あの試合のセーフティバント、見事だったぞ、ヴァルナ」
「ふふ、ありがとう。あなたも次の大会では、対戦相手として手強そうね」
「いつでもかかってこいよ」
「楽しみにしてるわ」
魔王とリュミエラ王女、そして真田教授と土屋学生会長は、少し離れた静かな席で語らっていた。
「次の大会、何の競技にするかは、慎重に決めねばな」
魔王が言うと、王女が頷いた。
「三国それぞれが活きる競技を、複数選ぶのもよかろう」
「総合大会、というやつですね」
真田教授が補足した。
「我々の世界のオリンピックは、まさにそうしたものでした。一つの大会で、何十もの競技が開催されます」
「ほう、何十も」
「水泳、陸上、球技、格闘技、馬術、射撃……数え切れません」
「面白い」
魔王の目が光った。
「ならば、次回はそうしたものにしよう。三国それぞれが、最も得意とする競技を提案し、すべてを大会に組み込む」
「賛成だ」
リュミエラ王女が頷いた。
土屋がメモを取りながら笑った。
「これは、大規模になりますね」
「ええ。準備が大変です」
真田教授も苦笑した。だが、その目は楽しそうに輝いていた。
宴は深夜まで続いた。
魔王とリュミエラ王女が、護衛とともに帝体大を後にしたのは、月が高く昇った頃だった。
見送りに出た神宮寺と狩野に、魔王が短く言った。
「次の大会で会おう」
「ええ。楽しみにしてます」
神宮寺が答える。狩野も頷いた。
「魔王軍、もっと強くなって来てくださいよ」
「言われずとも」
魔王は微かに笑い、馬車に乗り込んだ。
リュミエラ王女も馬車に向かいながら、レオニールに声をかけた。
「貴公の活躍、見事であった」
「身に余るお言葉です」
「次の大会も、頼むぞ」
「はっ」
レオニールが深く頭を下げる。
二つの馬車が帝体大の正門を出ていった。
夜風が、青と白の帝体大旗を揺らしている。
土屋学生会長が、隣に立つ神宮寺に呟いた。
「……すごい一日だったな」
「ああ」
神宮寺が頷く。
「世界が、変わったって感じだ」
「ええ」
二人はしばらく、馬車が見えなくなるまで見送った。
帝体大のグラウンドからは、まだ宴の笑い声が聞こえてくる。だが、その笑い声の向こうには、確かに新しい時代の始まりがあった。
剣と魔法の世界に、スポーツによる平和が、ようやく芽吹いた瞬間だった。




