第40話 魔王軍の黄昏
魔王軍の本拠地、黒鉄の城。
その城門前の広場には、無数の魔族たちが集まっていた。野営のための篝火が焚かれ、肉が焼かれる匂いが立ち上っている。だが、宴の雰囲気ではない。あちこちで、低い唸り声と歯軋りが混じり合っていた。
「くそッ……!」
巨大な角を持つオーガが、地面を拳で叩きつけた。
「俺たちが、人間どもに二度も負けるとはな!」
「サッカーに続いて、野球まで……」
「魔族の誇りはどこへ行った!」
腹を立てる者、頭を抱える者、酒で気を紛らわせる者。広場には、敗者の空気が充満していた。
その中央に、魔王軍野球チームの面々が肩を寄せていた。ガルド、ヴァルナ、バルゴ、バルガ。それぞれが無言で、目の前の篝火を見つめている。
「……気が滅入る空気だな」
ヴァルナが、赤い髪をかき上げながら呟いた。
「ふん。負けたのは事実だ。文句は言えん」
ガルドが低く返す。だが、その声には怒りよりも疲労が滲んでいた。
バルゴとバルガの双子も、いつもの活気がない。尻尾をだらりと下げて、肉串をかじっている。
「次は、勝てるかな……」
「勝つに決まってるだろ、バルガ」
「でも、帝体大もマジーナ王国も、もっと強くなるだろうし……」
「だから、俺たちももっと強くなるんだろうが」
バルゴが弟の頭を小突いた。だが、その手にも力がない。
そんな広場の空気を、一人の影が見下ろしていた。
城の高い塔の上。漆黒のマントを翻し、紅い瞳で広場を眺めているのは魔王だった。
「……静かだな」
呟くと、背後から足音がした。振り返ると、カーミラが片膝をついていた。
「魔王様。ご報告に参りました」
「報告か」
「はい。各地の魔族領で、スポーツを始める者たちが急増しております」
魔王が眉を上げた。
「ほう」
「ええ。野球の練習はもちろん、サッカーも。試合を観に来ていた魔族たちが、自分たちでも試したいと」
「面白いな」
魔王の口元が、わずかに緩んだ。
「敗北の翌日に、それか」
「ええ。罵声を上げる者もおりますが、それ以上に……興味を持った者が多い」
カーミラは少し言葉を選んだ。
「魔族は、強い者を尊ぶ種族です。今回、我々を破ったのは、剣でも魔法でもなく、スポーツという技術でした。ならば、それを学ぼう、と」
「素直だな、魔族は」
「……はい」
魔王は再び広場を見下ろした。
落ち込んでいる者たちのすぐ隣で、若い魔族たちが何やらボールを蹴り合っていた。サッカーの真似事だろう。その横では、別の若い魔族たちが木の棒を握って素振りをしていた。野球のバッティング練習だ。
「サッカーの連中も、野球の連中も、まだ熱が冷めないようだな」
「ええ」
「……次の大会では」
「はい」
「我が軍は、もっと強くなる」
「ええ。間違いなく」
カーミラは静かに答えた。
その頃、広場の片隅。
ガルドたちの卓に、見覚えのある赤い髪が近づいてきていた。
「景気悪い顔してるわね、あんたたち」
カーミラだった。
「カーミラか」
ヴァルナが顔を上げる。
「魔王様の報告を済ませてきたところよ」
カーミラは空いている席に腰を下ろした。
「広場の若い連中、見た?」
「ああ。やけに元気だな」
「ええ。負けた我々を尻目に、もう次に向けて動き始めてる」
「……ふん」
ガルドがジョッキを傾けた。
「魔族らしいといえば、らしい。強くなることに、敗北は障害にならん」
「そうね」
ヴァルナが、艶やかに微笑む。
「ところで、次の大会、何が開催されるかは決まっていないのよね?」
「ええ。三国会談で議題に上がるはず」
カーミラが頷く。
「次もまた野球とは限らない、ということか」
ガルドが顎を撫でた。
「考えてみれば、人間どもにはサッカー以外にも、野球以外にも、競技があるはずだ」
「ええ。あの帝体大という大学、たくさんの部活動があったわ。ラグビー部、相撲部、ボクシング部……」
ヴァルナが思い出すように言う。サッカーやワールドフェスティバルの観戦中に、紹介や応援団の声で耳にしていたのだろう。
「ほう、いろいろあるのか」
「ええ。名前だけは聞いたわ。中身は知らないけれど」
「ふむ」
ガルドが腕を組んだ。
「ならば、次の大会、こちらからも提案するべきではないか」
「提案?」
「魔族の身体能力が活きる競技を、だ。人間どもの土俵で戦って、二度負けたわけだしな」
「ああ、それはアリね」
ヴァルナが頷く。
「でも、私たちは野球とサッカーしか知らないわ」
「そこは、帝体大の連中に聞けばいい」
「ふふ、なるほど」
ヴァルナが笑った。
「『俺たちが勝てそうな競技を教えろ』って?」
「そう露骨に言わずとも、な」
バルゴとバルガが顔を上げた。
「俺、力には自信あるぞ!」
「俺だって!」
「双子で組んだら最強じゃね?」
カーミラが小さく笑った。
「魔王様も、同じことを考えておられたわ」
「ほう?」
「『魔族の身体能力が活きる競技を、次の大会で提案する』と」
「……魔王様自ら、か」
ガルドが目を細めた。
「ならば、我らも本気で考えねばな」
夜は更けていった。
最初は重苦しかった広場の空気も、いつの間にか変わっていた。若い魔族たちがボールを蹴り、バットを振り、年配の魔族たちがそれを見ながら酒を飲んでいる。
「もっと低く蹴れ!」
「バットは握りすぎるな!」
サッカーや野球の試合で見聞きしたことを、見よう見まねで真似ている。中には明らかに間違ったフォームで素振りしている者もいたが、それでも誰もが楽しそうだった。
「魔族が、楽しんでる……」
ヴァルナがぽつりと呟いた。
「妙な光景ね」
「ああ」
ガルドが頷いた。
「だが、悪くない」
「ええ。悪くない」
カーミラが静かに同意した。
魔族は強い者を尊ぶ種族だ。だが、強さを求める過程そのものを楽しめる種族でもあった。それを、彼ら自身が今、発見しつつあった。
塔の上では、魔王がまだ広場を見下ろしていた。
「魔王様、お風邪を召されますよ」
下から上がってきたカーミラが声をかけたが、魔王は動かなかった。
「カーミラ」
「はい」
「次の三国会談には、我が直々に出向く」
「魔王様自らですか?」
「ああ。次の大会の競技、こちらからも提案したい」
「具体的には、何を?」
「さあな」
魔王は背を向けた。
「それは、これから考える。あいつらと一緒に、な」
漆黒のマントが翻り、塔の階段を降りていく足音が響いた。
カーミラはその背中を見送り、再び広場に視線を戻した。
夜風が冷たい。だが、広場には確かに熱があった。
魔王軍の敗北の夜は、終わりではなく、新たな始まりだった。




