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ヨアケマエ外伝・零号震電  作者: うにシルフ
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第二〇章 大団円、ってこんな感じでもいいんだろうか?Part6

 翔子はまず『震電』13号機の方に乗り込んだ。本当なら『試製震電』改修7号機に乗って短くなった脚の感覚を掴むべきなのだろうが(それに気心? も知れているし)、それよりも『震電』と発艦(離陸)促進装置との相性を確かめてみる方が先決と、敢えて13号機を選んだのだ。その方がわずかではあるが時間短縮になりそうだったから。

「少佐の希望通り大型装置の方で行うけど、それでよかったのかな?」

 管制室の一角に陣取った小田島大尉が尋ねてきた。彼は全く管制などやった事はなかったのだが、唯一の海軍人として雑用係ながら管制を任されたのだ。彼のサポートとしてさくらと本庄准尉が側に付いていたので問題はなさそうだったし、翔子の直接的サポートは西准尉が行う事となり駐機場でスタンバっていた。

「はい、この『震電』はトルクがキツく、地上滑走時にフラつく傾向にあります。ので万が一を考え、はじめは幅広のジャンプ台の方がいいと思いまして」

「聞いてはいたけどそんなに気難しい機体なのかい?」

「そりゃあもう、私と同じじゃじゃ馬です。まあ私よりはいい子ですけどね」

 などと軽口を叩きながら翔子は二号台のある滑走路の中程まで来ていた。この滑走路の長さは1800m。『震電』をはじめとする単発戦闘機なら何のサポートがなくてもその半分の長さで飛び立つ事が可能だ。だがそれでは何の試験にもならない。のでマラソンランナー並の速度で二号台まで500mの所まで『震電』を進める事にした。

「前来た時には『急な坂』にしか見えなかったけど、これはまるで『壁』だね……」

 装置まで500mの所で『震電』を止め、改めて装置に目をやると、翔子はそのような感想を漏らした。前に使った事がある一号台と比べ、長さや先端の高さは大差ないように思える。が幅が倍程もあるために受ける印象が違ったのだ。だからといって怯む翔子ではない。本当の壁に突っ込んでいく訳ではないのだから心配はいらないと13号機に優しく声をかけ、

「立花少佐と『試製震電』13号機、発艦促進台を利用した離陸試験に入ります」

 と高らかに宣言した。すると管制室から、

「了解。今は上空に何も飛んでないようだから、少佐の好きなタイミングでどうぞ」

「翔子~、頑張ってね~」

「失敗はないと思いますが、万が一には備えていて下さいね」

と三者三様の答えが返ってきた。

「ったく、万が一に備えてって言っても、不時着水時の姿勢以外気をつけられないでしょうに……」

 本庄准尉の言葉に苦笑してしまった翔子だが、100%離陸に成功する保証は彼女にもない。滑走時、思いの外速度が乗らず失速してしまえば上向きに放りだされ、通常の離陸より高度を稼げるとはいえ、そのまま地上に引き戻されてしまう。幸い促進台のすぐ向こうは海で、地上に落ちるよりは衝撃は弱められるであろう。

 もっともそれは真っ直ぐ滑走できた場合の話であり、『震電』特有の強力なトルクによるフラつきで直進できなかったら、促進台の脇から直接地面に叩き付けられる事になる。 流石にそれだけは避けねばと、初めて『震電』に乗った時に近い緊張が翔子を一時支配する。がそれも一瞬の事で気合いを入れ直すと、

「それじゃあ立花機行きますっ」

 と力強く言い放ち、スロットルを全開にしてブレーキから足を離した。すると『震電』13号機は待っていたとばかりに走り出し、安定した滑走で加速を続ける。

「アレっ? あなたあんまり暴れないねぇ。もしかして尾翼とかいじって改善された?」

 強大なトルクは感じるものの7号機程機体はフラつかない。こまめに当て舵をしてやらなくても比較的真っ直ぐ滑走しているのだ。

 これは13号機が先行量産型という事で、誰もが容易に操縦できるよう手が加えられていたからであろう。具体的には垂直尾翼の取り付け角をわずかに変え、尾翼自体の形状も左右非対称として右傾対策を図ったらしい。これだけだと反対に高速時の安定性が失われると心配されたため、速度に応じて自動的に働くタブも追加されていた。ただそのタブがなくてもさほど影響がないと後々判断されたため、本格的な量産機の段階では手動のものに切り換えられるが、まだ先の話である。が「食事会」で話された事はそのほとんどが必要ないとなるのだが、現時点の翔子にそんな事を知る由はなく、ただ7号機とのフィーリングの違いに途惑いながらも『震電』13号機の性格を探っていた。

「確かに練度が足りない人にはいいかも知れないけど、私にはちょっと物足りないかな、っと」

 などと言っている内に13号機は促進台まで達した。するとその傾斜に沿って『震電』の機首が上を向く。この時翔子は上げ舵を一切とってない。でも充分下から機体を持ち上げようとする力が加わったのを感じた。だけど前輪が促進台にかかった一瞬だけ軽い衝撃と共に機体が沈み込むような感覚に襲われる。そして反動で機首が上がりすぎるのではと心配したが、そのような事は起こらず、素直に傾斜をとらえていた。

 促進台の2段目ともなるともはや空しか見えていない。装置の支柱とか無粋な事を言わなければ。そして促進台から脚が離れると瞬間的に機体は沈み込んだが、地面(装置)の摩擦がなくなった分加速されて、空に向かい駆け上がろうとする。まるで家路を急ぐ子供か旅人のようにただ一心に。そこで初めて翔子は軽く上げ舵をとった。『震電』の手助けをするというよりも、安定して自然と水平飛行に移ってしまわないために。

「おーい少佐、今日は促進装置での試験なんだからあまり高くまで上がらないでくれ。離着陸を何度も繰り返してもらいたいんだから」

「おおっと、そうでした。今すぐ戻りますから少々お待ちを」

 吸い込まれるようについ大空へ飛んで行きかかっていた翔子と『震電』を大尉が引き戻すように声をかける。その言葉を受け翔子は『震電』に着陸態勢をとらせる操作を行う。『震電』13号機はそれに素直に従い、教本(マニュアル)通りの左旋回をしながら高度を下げて、あっという間の試験飛行1回目を終えたのであった。

「少佐、促進台の効果はどうだったかな?」

「どうもこうも。13号機は普通に主翼に迎え角が付いてるから、何の苦労もなく飛び立てましたよ。それよりこの子、右傾対策がバッチリじゃないですか。7号機程当て舵とかしてやらなくても直進しましたし、空中での姿勢もいいです。それより大尉達は知ってたんですか? 改良されてた事を」

 報告ついでに抱いた感想の事も尋ねてみる翔子。もし知っていたのなら先に教えておいてもらいたかったものだから。滑走時の安定性が確保されているのであれば幅広の二号台ではなく、以前使った事のある一号台でも充分テストできたと思うので、大型の装置を動かすためのエネルギーを節約できたと考えたためだ。それに対する大尉の答えは、

「俺達も今知ったところなんだ。本庄准尉が13号機に関する資料の中からその情報を見つけてくれたおかげでね」

 というものであり、それが真実なら文句の言いようがない。だがこれで13号機+二号台で感覚を掴みながら、本命の7号機の試験に移る必要がなくなった。まあ低速時の対策がなされた分、高速時の飛行状態を調べる必要はあるかも知れないが、既に航技研等でデータ収集されているかも知れないし、自分がそれを行う必然性はないようにも感じる。それくらいなら脚が短くなって迎え角がなかったとしても離着陸は可能であると、7号機で証明する作業を早く始めた方が有意義なのではないかと思ってしまう翔子である。その旨を素直に伝えてみると、

「少佐がそういうなら…だけど試験は明日もあるのだから量産型のテストも頼むぞ。少佐だって13号機の全力は見てみたいだろうし、本格量産型のためのデータ収集は必要だと、空軍さんの航技研から厳命されてるみたいだしね」

 とあっさり認められてしまう。そうとなったら一刻も早く7号機に乗り換えなければならない。ので翔子は駐機場で待つ西准尉にエンジンを回すよう頼むと、13号機を駐機場へ向けてゆっくりと走らせた。

「ゴメンね。でも必ずあなたを大空まで連れて行ってあげるから、それまで待ってて」

 翔子は優しく13号機に話しかける。それに対し13号機は何の反応も返してくれなかったが、何となく淋しげな感じは受けた。その感情表現が不器用な13号機のためにも7号機の試験をやり遂げなければならないと、改めて思う翔子なのである。

「翔子さぁ~ん。暖機は始められましたがまだ1分と経ってないので、動かすにはもうしばらくかかりますよぉ」

 2基の『狼星』が奏でる爆音に負けじと西准尉は大声で状況を伝えてくる。無線のマイク越しだし『狼星』だってアイドリングに近い状態だったからそこまで声を張る必要はないのだけど、13号機の風防が開いていたため思わず反射的に大声を出してしまったのだ。

「西さんありがと。でも無線機あるんだから、そんなに大きな声出さなくても聞こえてるよ」

 翔子から礼と共にうっかりミスについてツッコまれると、顔を真っ赤にしながら深々頭を下げる西准尉。そこまで反省するほどの事ではないのだが、その相変わらずな大袈裟な反応に微笑ましく思ってしまう翔子だった。

 13号機が完全に動きを止め、冷却のためのアイドリングに入ると上村伍長のチームが急いで脚立を持ってきてくれる。その脚立で翔子が降りてくる途中、航技研では『震電』乗降専用の梯子を用いていたと教えてくれたが、ここ横須賀には持って来られなかったようで、この基地の備品を借りて対応していたのである。

 そして脚立を移動してもらって7号機に乗り込む。脚が短くなった分少ない段数でコクピットに乗り込めるのはいいが、問題はちゃんと飛び立ってくれるかどうかだ。促進台さえ使えば離陸できるのは間違いないだろう。しかし装置も何も使わずに離陸できるか、そこが問題なのだ。

 促進台がなければ飛び立てないのであれば、翔子が考えついた案はお蔵入り。下手をすればレシプロ『震電』自体が生産されない可能性だってあるかも。ジェット『震電』の方が性能が良いのは目に見えているし。

 いや、よく考えてみれば安全に着陸できるかの方が重要だろう。後脚の短縮は翔子の想定を大きく上回っている(まあ数㎝の範囲なんだけど)。この『震電』改修7号機に合った3点着陸ができればいいが、普段乗り慣れている尾輪式機体の要領で着陸を試みれば、プロペラの方が先に接地してしまう。それを防ぐために垂直尾翼の下に補助輪が取り付けられているのだが、あくまで普通の『震電』向けの位置から変わってないようなのでどれくらい効果があるか分からず、期待しない方がよいだろう。

 という事はこの新しい改修7号機に合った着陸をするしかない。流石の翔子も緊張、そして確認をせずにはいられなかった。

「伍長~っ。7号機(このこ)も右傾対策が施されてるの? 確かバラして運んだんだよねぇ。だとしたらそれくらいの調整わけないでしょ」

「いや~、それが脚とペラ以外はほとんどいじってないんスよ。そもそも右傾対策の一環として脚を短くしたんですから、他をいじっちゃ意味無いだろうと、何も手を加えていません。ご所望なら垂直尾翼とか直しますよ? 時間さえいただければですけどね」

「ううん、確認しただけだからだいじょぶ。操縦を誤って他の基地で恥かきたくないからね」

 伍長の適確な回答及び気遣いに感謝しながら翔子はスロットルを押し出して『狼星』の回転数を上げる。すると『震電』改修7号機は一昨日と変わらぬ快調なエンジン音を響かせてくれた。

「まさかあなたの脚が短くされちゃうとは思ってなかったけど、その分試験のために長く乗っていられるって事だよね。脚が短くなったあなたに乗るのは初めてだから、ちゃんと飛べるよう手伝ってくれる?」

 翔子がそう尋ねると改修7号機は「何を今更」と言わんばかりにエンジンを吹かして返事をする。「頼まれなくたってちゃんと空に連れていてやる。そこが私のいるべき場所なのだから」とも言っているように感じた翔子は軽く微笑みながら「そうだよね。よろしくね」とまだ開いていた風防のレールあたりを撫でた。

「それじゃあいきますか。皆さん準備お願いします」

 と言うと翔子は『震電』の風防を閉める。外界とは遮断され、聞こえてくるエンジン音も若干小さくなったが、気密室ではないので『狼星』が放つ爆音が完全にシャットアウトされる事はない。そして翔子が計器の最終確認をしていると、この基地所属の牽引車が手際良く『震電』を誘導路まで運んでくれた。翔子はその事に礼を述べると誘導路から滑走路へ出て、先程13号機が滑走を始めた位置で改修7号機を一旦止めた。

「翔子さん。その位置からで大丈夫ですか? 手元の資料には『滑走距離が伸びる事が想定されるが、検証していないために正確な距離は分からない』とありますけど」

 滑走距離が足りないのでは? と心配になった本庄准尉が確認してくる。航技研からの書類には目安として200m程長めに滑走してみた方がよいと記されているからだ。そんな心配を余所に翔子は、

「何言ってるの。促進台があるんだからだいじょぶよ。さっきより沈み込む量は大きくなるかも知れないけど、必ず飛び立ってみせると『震電』も言ってるし」

 と楽観的だ。機体の事を信頼しているのは分かるが、心配する人間がいる事も忘れないで欲しい。そう切に願う本庄准尉であった。もっともさくらなどは、

「それじゃ頑張ってね~。もし失敗したらお説教だけじゃなく、修理代を実家の方に請求させてもらうけど」

「まあすぐ先は海だから、余程の事がない限り、離陸に失敗しても最悪なケースだけは避けられると思うけどね」

 とこちらも楽観的な感じで結構重い言葉を放った。ただ本心は心配するが故に叩いた軽口ではあったのだけど。

「大きな失敗はしたくないから精一杯頑張るよ。だから本庄さんも安心してみてて」

 さくらと小田島大尉の皮肉混じりの後押しに発奮した翔子は准尉、そして万が一の事態に備えて待機している救護班の人達に安心するよう声をかけるとブレーキを目一杯踏み、スロットルを全開にした。『狼星』エンジンの咆吼が他の音を掻き消すように響き渡り、風も丁度良く向かい風に変わる。翔子はそのタイミングを見逃さず、ブレーキから足を離して『震電』を勢いよく加速させた。

 一昨日までの感覚で7号機に搭載されている『狼星』が「アタリ」である事は分かっていた。定格の離昇馬力は2200hpのはずだが、この『狼星』はごく短時間ならその1割増しくらいを発揮しているのではないだろうか。ならば滑走距離はこれで充分と判断した訳だが、『震電』はその思いに応えるように加速していく。

 トルクは相変わらずキツかったが、それに対処する術は既に身についている。ので『震電』改修7号機は尾翼などを調整した13号機と変わらぬ進路で促進台へと直進した。先程は若干上を向いていた機首が真っ直ぐ正面を捉えているので、より壁に突っ込んでいくような感覚である。が怖くはない。促進台は既に経験済みだからという以上に『震電』改修7号機と一緒だから、という事の方が大きいだろう。促進台に差し掛かってもジェット用に緩衝装置が改良されていたのかスムースにその坂を上り始める。そして──

『震電』7号機と翔子は空へ駆け上がった。多少の沈み込みはあったが本庄准尉が心配していたような事は起こらず、順調に高度を上げていく。『震電』の基本設計と昨日から今朝にかけて丁寧に改修を行ってくれた航技研技術者や上村伍長達整備士、そして『震電』に対する信頼感の勝利の瞬間であった。

「キレイな離陸………」

「これが『震電』本来のあるべき姿なのかもな」

 空に吸い込まれていく『震電』に目をやりながら本庄准尉と小田島大尉が思わず漏らした感想である。だがそれはその様子を見ていた者全てが共感するものであった。それくらいいつまで見ていても飽きる事がないくらい自然なものだったのだ。呼吸する事、心臓を動かす事に飽きる事がないのとさほど変わらぬ感覚で。

 翔子は脚出し飛行のまますぐに旋回し、基地への着陸コースに入る。先程言われた「促進装置での試験だから何度も繰り返してもらいたい」という言葉を素直に受け入れ実行するために。1回あたりの飛行時間は短くても離着陸を何度も繰り返せば『震電』に乗っていられる時間は必然的に長くなるのだから、数多くそれをこなして体に叩き込んだ感覚を他人に伝えて『震電』を普及させる。その事こそが自分に与えられた使命と感じ、単純作業のように繰り返し実行する。そう割り切る事ができたのだ。もっとも7号機は「つまらん」と思っていたようだが。

 迎え角がないために普通の『震電』より速い速度で滑走路に進入し、失速するように着陸する7号機。改良された緩衝装置のおかげで叩き付けられた、という感じではなく、またプロペラを接地させてしまう事もなかった。ただし速度が出ていた分だけ滑走距離は長くなったが。でもブレーキを目一杯利かせば「普通」の『震電』と大差なく止まる事ができるだろうという感覚を翔子は覚えたのである。

「よかったよぉ~、翔子。ほとんど完璧じゃない」

「まずは1回目の試験成功おめでとうございます」

「流石は翔子さん。ムチャな事言うだけでなく、そのムチャをやってのけてしまうんですから。それもいとも簡単に」

 さくら達から賞賛の言葉を浴び、照れながらそれに応える翔子。が今の試験の成功は航技研の技術者がジェット用の脚を用意してくれたのと、上村伍長達がそれを適切に取り付けてくれた結果だ。もし自分が褒められるとしたら促進台なしでの離陸を何度も確実に決め、また現時点での問題点(アラ)をあぶり出した時だろう。テストパイロットかつパイロットエンジニアである翔子としてはそう思うのであった。

「少佐ぁ、それではもう何度か同じ事をやってくれるかな。その結果次第で次のステップに進んでもらうから」

 翔子ベタ褒めの流れに乗り遅れた小田島大尉が毅然と、いやちょっとキザっぽく指示を出してくる。本当なら「口説いてるの?」と言いたくなるようなセリフで褒め称えたかったのだが、若いパワーに圧されて言い出せなかったのだ。ので少しは大人らしい対応を取るしかなくなってしまったのである。だが翔子としてはむしろありがたかった。気恥ずかしい思いをせずに済んだのだから。だから翔子は「りょーかいっ!」と答えると、促進台のための発進位置まで『震電』を前進させる。いくら追浜飛行場の滑走路が短く、また着陸距離が長くなってしまったとはいえ、発進位置まで前進しないといけないくらいの余裕は残していたから。

 その後2回二号台での試験を行い、5回ばかり小型促進台=一号台での試験を行った後、いよいよ促進台なしでの離陸試験に移る事になった。

 その前に「少しメンテナンスを」と心配性の本庄准尉が上村伍長に指示を出す。おかげでエンジンを切り小休憩を取らざるを得なくなった。が気持ちを切らさないよう証拠はコクピットからは降りず、無線を介して指示を出したり単なるお喋りをしていた。

「翔子ぉ、流石に緊張する?」

 親友の声がいつもと違った風に聞こえたから、さくらは自然と尋ねていた。相手によってはより緊張の度を深めてしまいかねない質問だが、2人の間にある関係性がそれを口にさせたのだ。だから翔子も正直に答える。

「少しはね。失敗できない試験だから、私だって緊張くらいはするよ」

「失敗していい試験なんてないと思うけど…でも信頼してるんでしょ。『震電(そのこ)』の事を」

「そりゃもちろん。さくらや他のみんなと同じように信頼している。7号機(このこ)なら私の思い描くとおり飛んでくれるだろうし、私がミスしてもカバーしてくれる。それくらい私の事を分かってくれてると思うわ」

「だったら必要以上の緊張なんてしてないで、いつも通り熱いけど淡々と試験なんて済ませてしまいなさいよ。縮こまってる翔子なんて翔子らしくもないから」

 さくらは翔子の緊張を少しでもほぐそうと、軽い憎まれ口のような口をきく。もちろんそれが自分に発破をかけるためのものだと分かっているから、翔子は自ら両の頬をペチンと張って、気合いを入れ直した。いささか軽い音のように思えるが、それはさくらに対する配慮であり、またその程度でも自分を取り戻すには充分であったから。

「それじゃあそろそろ行きますかねぇ。伍長、もうメンテは充分?」

「はいっ、脚回りだけチェックしたんですが元々精度の高い部品みたいでして、ジャンプ台による負荷の影響も全くありませんでした」

「ありがとっ。じゃ管制、今すぐ飛んでも大丈夫?」

「問題ないです。海軍さんのご厚意で『震電』の試験を優先していただいてますから。今ならほとんどウチの独占状態なんですよ。皆さん『震電』に興味津々なようですから」

「少佐のためなら皆喜んで道を譲るさ」

「本庄さん、ありがと。それと大尉はそういうのはいいですから……それでは立花少佐、『震電』7号機の離着陸試験を再開します」

「管制了解。それでは一号促進台のある3番滑走路に向かって下さい。それと念のためですが、促進台を使わないので滑走距離は充分取って下さいね」

「りょーかいっ!」

 翔子は元気よく返事をすると弛めていたシートベルトを締め直し、機体近くから整備士達が離れた事を確認した後、再びエンジンに火を入れる。すると『狼星』エンジンが力強い爆音を奏でだし、『震電』は短い眠りから目を覚ました。

「それじゃあまた頑張ろうね」

 スロットルレバーを軽く叩きながら翔子は『震電』に声をかける。それに対し『震電』は「私は普段通りやるだけ。頑張るのはあなたの方」と言っているように思えた。その返しに思わず笑ってしまったが言っている事は事実なので納得し、「そりゃそうだ」と独白すると真顔になり、

「それでは改めて『震電』発進します。他機は不用意に滑走路及び基地上空に近付かないように」

 と宣言し、念のため滑走路端からスタートする事にした。

 主に戦闘機用の3番滑走路は1200mと二号促進台のある2番滑走路より短い。もちろん戦闘機なら余裕で離着陸できるし、滑走距離が長いと言われる普通の『震電』でも半分あれば充分だ。しかし改修7号機は主翼の迎え角を0にしてしまったため、かなり長い滑走が必要となるだろう。

 そのため翔子は大事を取って、滑走路をフルに使って離陸する事にした。もっとも着陸した時の経験からさほど長くはならないとは思うが念のためである。

『震電』が滑走路端に着くと翔子は離陸のためにブレーキを目一杯踏みながらスロットルを全開にした。すると誘導路を進んでいる時に比べ回転数やブースト圧が跳ね上がる。同時に油温・筒温も上がるがこちらの上がり方は緩やかである。そして回転数等が上限近くまで上昇した事を確認すると、ブレーキから足を離して滑走を開始した。

 滑走を始めると『震電』はあっという間に離陸速度近くまで加速した。すると当然強いトルクが襲ってくる。その辺はもう慣れてしまったので自然と体が動き修正できるため問題ないが、機体が浮かび上がりそうな感覚は一切なかった。それは先程までと同じだったが、先程の試験は促進台が使えたため勝手に空に放り出されたのに対し、今回は自力で飛び立たないといけない。まだ上げ舵はとってないが、滑走も最終段階に入ると自然と機体が浮かび上がろうとする。それを感じないという事はまだ離陸するだけの力がないという事だろう。その状態のまま滑走路の半分を通り過ぎた。通常の『震電』なら離陸できるはずの距離を過ぎてしまったという事である。

「まだなの?」

──まだまだ、もう少し……──

 翔子の問いに『震電』は声なき声で答えてきた。もしこのまま離陸できなかったら促進台の上を通り過ぎ、そのまま海へダイブする事になる。『震電』の事は信頼しているが念のため促進台を起こしておいてもらった方が良かったかも…そんな考えがよぎった瞬間、800m付近で急に機体が軽くなったような気がした。

──今だっ!──

「うんっ!」

『震電』の合図と共に翔子は上げ舵をとる。すると『震電』は今までのもたつきが嘘であるかのようにふわっと浮き上がり、そして勢いよく上昇していった。

「やった、飛んだっ!」

「少佐もヒヤヒヤさせてくれるねぇ。もし今のが演技だったら大した役者だ。ただ試験中は勘弁してもらいたいが」

「翔子さん、試験の成功おめでとうございます。もっとも着陸成功をもって本当の成功でしょうけど」

 管制のさくら達からそれぞれの感想が伝えられる。その背後から海軍隊員達の歓声が聞こえてくるのをみると、皆一様に成功を歓迎してくれているようだ。翔子は嬉しい気持ちで一杯になったが、同時に予想以上の滑走距離を不思議に思い、着陸のための旋回をしながら計器類をまじまじと見て原因を探ろうとする。

──フラップよ、フラップ──

『震電』が呆れたような口調で語りかけてくる。

──フラップの開度が小さいから、連動する前翼のフラップやスラットの開きも小さかったのよ。おかげで充分な揚力が得られるのに時間がかかった訳。あなたらしくもない──

 そう言われて翔子はフラップ開度調整スイッチを見る。するとその通りで、通常離陸時の半分ほどしかフラップを開いてなかった事がすぐに分かった。そして何故そうなったのかも。

 先程まで促進台を用いていたのでフラップはあまり開いていなかったのだ。その方が速度が出やすく、離陸しやすいと思っていたから。しかし自力で離陸するためには大きな揚力が必要であり、そのためには速度よりフラップ等高揚力発生装置の方が有効でする。にも関わらずその設定を変えなかったのは明らかに翔子のミスであった。

「ゴメンゴメン。こんな簡単な事に気付かなかったなんて、気負いすぎていたみたい」

──あなたでもそんなミスするんだ──

 翔子が独り言のつもりで口にした謝罪に『震電』が冷たささえ覚える静かな声でボソッと返してくる。もちろん本当に声が放たれた訳ではない。翔子にだけ聞こえる心の声だろうが、翔子はそれを自然に受け入れ反論までする。

「でも『震電(あなた)』だって気付いていたはずよねえ。だったら教えてくれてもよかったのに」

──釈迦に説法する程ヤボでも偉くもないもの──

 などと常人には理解できない会話をしている内に着陸コースに入った『震電』。翔子はフラップを全開にした事を確認すると、ほとんど機首を上げずに速度を落とす。少しでも機首が上がっているとプロペラが地面を叩く可能性があるからだ。

 もっとも着陸に関しては先程までのテストと同じ。失速するように着陸し、ブレーキを上手く使う事で普通の『震電』とほとんど同じ距離で止まってみせた。

 そう考えると先程までのテストで着陸する際、フラップ操作は自然とできていたのだから、今回の離陸失敗(滑走距離が伸びすぎた事)は気合いが空回りした結果だと言えよう。

 翔子は今回の離陸が上手くいかなかった理由を簡潔に報告すると、再び離陸を試みるために誘導路を通って滑走路端に向かう。そして2回目の試験。今度はフラップを開いた事を確認しながら滑走を始めると、普通の『震電』の滑走距離より1割程度長くはなったが無事離陸する事ができた。これは通常より余分にかかった距離が1回目の1/3(以下)で収まったという事であり、完全成功と言えるだけの結果だった。

「やったね『震電』っ! これで『震電(あなた)』達が脚が短くっても普通に飛び立てるって証明できたよねっ」

──それは翔子(あなた)だからできた事。他のパイロットならやはり促進台を使った方が良いだろうし、着陸にも繊細な技術が必要だと思う。それに機体の方だってもう少し手を加えた方が安全に運用する事ができると思う──

 翔子と『震電』はもはや普通に会話していた(としか思えないレベルで)。当人同士は何の違和感もなかったが、無線を通して翔子の声だけ聞いていた者からすればある種の異様さを覚えてしまう。が付き合いの長いさくらは何が行われているか分かっているので平然と、

「翔子~。独り言…じゃなくて2人っきりで話してないで、私達にもちゃんと報告しなさいよ。その様子だと上手くいったんでしょ? もっともそれくらいは端から見てても分かるけど」

 と言ってのけた。それに対し翔子は、

「私的には完っ璧と思ったんだけど『震電(このこ)』からいくつか問題点を指摘されたわ。機体の方にも手を加えないと普通の人じゃ乗れないかもってね」

 と答える。翔子とさくら(りょうしゃ)の会話を側で聞いていた小田島大尉は「沢渡大尉もよくアレで通じるな」と感心を通り越して呆れるしかなかったが、これが信頼よりも強い絆で結ばれた者同士の会話なのだろうと感じた。そういう相手がいる事は素直に羨ましいと思うが、常人からかけ離れすぎた友を持つのは大変だろうとも思ってしまう。

「それじゃ次は過荷重状態で離陸できるか試してみるから準備を始めておいて。すぐ戻るけど。燃料や弾薬などフル装備でね。後は念のため促進台を上げておいてくれるとありがたいし」

「分かった、各所にお願いはしておくわ。でもあなたも早く戻ってきて手伝いなさいね」

「りょーかいっ!」

 そういうと翔子は『震電』の脚を収納し、急角度で空を駆け上がっていく。もう離着陸試験は充分、また燃料もかなり残っているため少しくらいなら『震電』と空の散歩を楽しんでもいいだろうと思ったのだろうか。その少しずつ小さくなっていく『震電』を見つめながら、さくらは上村伍長や海軍の補給隊に準備を頼む連絡をする。あまりハメを外しすぎないでねと思いながら。

 その翔子と『震電』が15分程して戻ってくると、駐機場では慌ただしく補給作業が行われる。海軍からガソリンと水メタノールの提供を受け、タンク容積一杯の燃料が充填された。また上村伍長含む空軍整備士達は念のために持ってきていた30㎜の模擬銃や模擬弾、300L入り落下式増槽2ヶに模擬ロケット弾まで過荷重のフル装備をこれでもかとばかりに取り付けていく。

 これらの装備は離着陸試験には不要だから外していたのだが、実戦ともなればフル装備での出撃だってざらだろうから、航技研組整備士曰く、少しずつ取り付けて様子を見る予定だったらしい。なのに翔子の方から「フル装備」をご所望してきたものだから、半ば「やってもらおうではないか」とムキになって文字通りのフル装備、全部乗せをしたのだった。しかもご丁寧に男性パイロットとの体格差を考え10~20㎏のウェイトまで取り付ける始末。このウェイトに関しては伍長達は知らない。もし見たり聞いたりしたら止めただろうから、隠して乗せられたのだ。

 これらを搭載した事で先程より1t以上重くなった。が機内タンクのガソリンと水メタノールは試験の途中で補給しなくてもいいように満タンだったため、基本の全備重量からは1tと重くなってはいない。それでも単発機としては艦攻並の重さである。同時期に開発されていた単発単座戦闘機としては「立川 キ94(後の5式戦闘機『薫風』)」がより重いが、あちらは全幅・翼面積共に一回り以上大きいので翼面荷重的には『震電』の方が大きい。またアメリカの「リパブリック P-47『サンダーボルト』」みたいなバケモノが存在するが、こちらは運用目的が大きく異なるので比較対象にはならないだろう。というように重量の面では『震電』を上回るものもあるけれど、今の試験には関係ない。あくまで現時点での『震電』が重くなってしまったのが問題なのだ。それが心配なさくらは大丈夫なのか翔子に尋ねる。さくらは一時的に管制室から駐機場に降りてきて、翔子と一緒に作業の様子を見ていたのだ。それに対する翔子の答えは実にあっけらかんとしたものだった。

「設計・開発陣だって飛べないものは作ってない。まあ彼らが責任あるのは迎え角ありの機体であって、この脚を短くしたものは私が飛んでみせないとね」

 翔子は白い歯を見せて、自信の程をさくらに示した。もっとも半分くらいは意地が言わせたである。自分で脚を短くする提案をしておいて飛ばす事ができなかったら、口先だけという事になってしまう。まあ自分がそう言われるだけなら我慢できるが、折角飛ぶ事ができた『震電』がお蔵入りになってしまいかねない。そんな無責任な事はしたくないので絶対に飛ばしてみせる。それがパイロットとしての翔子の矜持だった。

「翔子さん、準備できましたっ」

 上村伍長が2人の側に駆け寄り、作業が終了した事を伝える。駆け寄るという程の距離ではなかったが、少しでも早く伝えたいため思わず走ってしまったのだ。

「ありがとね伍長。っと、それじゃあ早速飛んでみますかぁ。さくらも管制よろしくね」

 2人だけじゃなく作業に関わってくれた整備士達に謝意を伝えながら『震電』改修7号機に近寄る翔子。その一点の曇りもない笑顔に航技研組整備士達は、自分達のしたちょっとした意地悪を大いに恥じた。わずか10~20㎏とはいえ、完全なるデッドウェイトを取り付けてしまった事を。もっともそれを翔子に言ったらむしろ感謝したかも知れない。男女の体重差までは考えてなかったので、その調節を悪戯心の結果とはいえ行ってくれた事に。

 脚立を上りコクピットに入ると、普段より広い範囲が見渡せる。茂原や成田基地では絶対に見る事ができない海が目の前にあった。まだ海岸線までは1㎞以上はあるのでその広がりは大きいものではないが、軍艦や商船の姿が思いの外近くに見えたり、空を舞う鳥もカモメか何かの海鳥のようだ。そして航空隊の基地特有の油や金属の匂いだけでなく、潮の香りもわずかながら感じる事ができる。翔子はその懐かしい、郷愁を誘う潮の香りを胸一杯吸い込むと風防を閉め、試験を再開する宣言をする。

「立花少佐と『震電』改修7号機、過荷重状態での離着陸試験を開始する。エンジンを始動するので近く、特に後方にいる者は安全な位置まで待避してっ」

 そう言いながら翔子はある事を思い出した。確か『震電』のエンジン始動って整備士が行うはずだった事を。しかしいつの間にか翔子自身が行っても文句1つ言われなくなっている。自分にしろ整備士達にしろ後で怒られたりしないだろうか、そんな不安が一瞬頭をよぎったが、そんな事よりまずは試験を完遂してしまおう、多少の文句など吹き飛ばせるくらいの結果を残して、と頭を切り換え燃料注入しながらエンジン始動のボタンを押す。すると『狼星』エンジンが心地よい爆音と共に起ち上がった。

「それじゃ『震電』、よろしくっ♪」

──分かっている。多少重くなったってまだまだ余力はあるから安心しろ──

 エンジンが始動すると『震電』改修7号機の意思が言葉としてはっきり聞こえるようになる。翔子が軽く挨拶したのに対し『震電』は硬くそれに答えてきた。表現は下手ながらも翔子に気を遣った言葉を選んだのだ。心なしか翔子が無理しているように感じたから。そんな『震電』の気持ちが通じたのか翔子は再び深呼吸して、

「そだね。『震電』と一緒なら何でもできるんだったんだ」

 と無駄な力を抜いていく。狭いコクピット内でできる限りの伸びをして。すると見えている景色が先程までと違って見えた。もちろんそこにあるものは変わってないし、さっきまでだって素晴らしい景色だったのは間違いない。それでも今の方が鮮やかに翔子の目には飛び込んでくるのだ。やはりそれくらい硬くなっていたのだろう。それを気付かせてくれた『震電』に翔子は感謝の言葉を述べる。

「ありがとね。これで失敗せずに試験を終わらせそうだよ」

──それは良かった。あなたとは一蓮托生なのだから失敗などされたくないし──

『震電』のちょっと冷たいような言葉は、翔子にとって心地よかった。別にヘンな気がある訳ではなく、『震電』との関係性はこれくらいが丁度いいと思ったから。さくらとのようなベッタリとしたものでも、大地とのように気安くケンカできるようなものでもない、少し距離のある関係。これは人間と機械という、絶対に乗り越えられない壁がある以上、ある意味自然な関係だと言えた。

 翔子がそのように考えていると無線を通して小田島大尉の声が。

「どうしたんだい少佐。中々動き出さないから、急に気が変わって試験をサボタージュするんじゃないかって心配したよ」

「申し訳ありません。空がキレイなものだったから、ついボーッと眺めてました」

 100%の嘘じゃない。『震電』に諭され力を抜いてから見上げた空は、初めてそれを見た時のようにキレイで見とれてしまいかけたのは事実だ。でも実際には『震電』とのやり取りで時間が過ぎてしまった訳だが、それを言っても信じてはもらえないから空のせいにしてしまったのだけど。

「ならいいけど。それじゃあ早く始めてくれるかな。みんな期待して待ってるから」

 大尉は完全に納得した訳ではないけど、正確な答えが分かる訳でもないので一応信じる事にした。嘘であっても誰も傷付けないものだし。「みんな期待して待っている」という言葉を受け、翔子は完全に頭の中を試験モードに切り換える。

「分かりました。今から滑走路に向かいます」

「了解。言われた通り促進台も起動してあるから、焦らずに滑走して大丈夫だよ」

「はいっ!」

 翔子は元気よく返事をするとようやく『震電』を進ませた。今回は牽引車は断って自力で滑走路まで進む。確かに楽だけど茂原では自力ではどうにもならなくなった場合に用いるアイテムという認識だったので、個人的にはあまりご厄介になりたくなかったのだ。

 3号滑走路の端までくると翔子は一旦『震電』を止めた。この先約1200mには一号促進台があるのは見えたが、この距離では障害物程度にしか思えない。500mで見る二号台とは大違いだ。

「それでは参りますかね」

──早くしよう。心臓(エンジン)も翼も充分暖まっている──

 翔子と『震電』の意見は一致した。ならばやる事は1つしかない。翔子は今日数度目となる動作、ブレーキを思い切り踏み込み、スロットルを全開にまで押し出した。

『狼星』が力強く咆吼する。ブレーキという鎖で繋ぎ止めておかなければ今にでも空に飛び立とうとする飛龍(ワイヴァーン)のように。翔子ははやる『震電』を抑え、最終確認のため操縦桿を動かし昇降舵と補助翼の動きを見る。方向舵はブレーキを踏んでいるために省略した。そして少しでも揚力を稼ぐためにフラップを全開に開く。その全ての動作に問題がない事を確認すると、翔子はブレーキから足を離した。すると『震電』はようやくか、と言いたげに『狼星』を一段大きく響かせて勢いよく滑走を始めた。

『狼星』の出力が基準より出ているのか、『震電』の速度はみるみる上がっていく。先程より数百㎏重くなっているのに先程より速いペースで。

「ちょっと『震電』っ。このままじゃ風を上手く捉える前に飛び上がっちゃうよっ。もう少し我慢してっ。速度を抑えてっ」

 翔子は焦る『震電』を抑えようと声をかける。速度が充分出て充分な揚力が得られれば飛行機は空へ飛び上がる。これは飛行関係者なら誰でも分かっている事だが、翔子には翔子なりの考えがある。

 速度だけ出ていても主翼に充分な力が溜まっていなければ粘り強い揚力とは言えず、失速に繋がりやすいと。もちろんこれは彼女の感覚でしかないのだが、強ち的外れな考えではないと信じている。

 だからもう少し、じっくり風を掴んでから舞い上がらないと怖ろしい結果を招きかねない。そう思うからこそ速度だけじゃなく、充分な滑走距離を得てから『震電』を空に上げてやりたかったのだ。

──まだか、まだ駄目なのか──

 標準状態での離陸滑走距離を超えた瞬間、『震電』は叫んだ。もう速度も揚力も充分、『震電』は主翼でそれを感じ取っていた。でも翔子からすればもう少し揚力を溜めたかった。今の『震電』を舞い上がらせるためにはもう少しだけ揚力が欲しかったから。

「後もう少しだけ我慢してっ。もう少しだからっ」

──あと少しだけだからな──

 翔子の言葉に『震電』は従った。だが我慢の限界はすぐそこまで来ている。何故なら地上滑走ではこれ以上速度が出ない事は自分が一番知っているからだ。だがこの人間の事は信頼している。だからあと少しだけ、車輪が悲鳴を上げる直前まで付き合ってやろう、そう思っている『震電』であった。

 基準滑走距離を2割程過ぎた時、突然翔子が声をあげる。

「今よっ!」

 そういうと翔子は操縦桿を手前に引く。通常形式の機体はおろか普通の『震電』よりも小さい範囲で。すると『震電』はふわっと浮き上がり、緩やかな角度で上昇を始める。

──ようやくかっ──

 ようやく地面から解き放たれた『震電』は高く高く、空へ駆け上がろうとする。その手助けをすべく翔子は操縦桿を更に手前に引き寄せた。そうする事で『震電』はより急な角度で高みへと向かい始める。先程より重くなった重量なんて気にもせずに。

「さっすが翔子っ。促進台必要なかったじゃない。用意してもらっておいて悪いけど」

「標準全備重量の時より2割増しの約700mで離陸か……フル装備だと促進台が必要か微妙なところだねぇ。普通のパイロットじゃ」

「でもこれで脚の短い『震電』の採用を検討してもいいのではないですか?」

「ふむ、これからの仕上がり具合によっては海軍でも局地戦闘機として導入を検討した方がよいだろうか」

 などと管制室内ではさくら達が各々感想を漏らす。また駐機場で見ていた西准尉や伍長達も歓声を上げている。端で見ている者からすれば、今日明日の2日間で終わらせる試験が半日で終わってしまったような感覚だ。

 そんな地上の事など翔子と『震電』には関係なかった。すぐに地上に帰れるよう脚出し飛行のまま基地上空を旋回しているが、今一時空の散歩を決め込もうとしている。が翔子は考えてもいなかった怖ろしい現実に気付いてしまった。

「でも着陸時にも余分な装備を付けたままなのかな? 普通は機銃弾や増槽なんかない状態で着陸するのだけど、模擬弾じゃ撃って減らす訳にもいかないし、まして模擬増槽じゃ爆発しない爆弾みたいなものだから簡単に捨てられない……どうしたらいいと思う?」

──私に聞くな。せいぜいパンクしないように着陸してもらいたい──

 折角離陸に成功しても、着陸に成功しなければ意味がない。その事に地上で気付いている者はいないのだろうか。無線を通じて聞こえてくるのは歓声かその場にいる者達だけで交わしている会話だけだ。アドバイスの類は一切ない。翔子は半ば孤立無援でこの状況を乗り切らなければならなくなった。


 翔子がどう着陸しようか懊悩しながら飛んでいる姿を管制室や駐機場とは別の場所で眺めている者達がいた。もちろん翔子の苦労など分かりはしない。彼らが注目しているのは『震電』であり、それも脚を短くした7号機をだ。

「どうやら物になりそうですね。素人の発案でしたからどうなる事やらと思っていたのですが…」

「立花君は決して素人ではないだろう。実家が橘戦闘機で、軍に入る前から飛行機を飛ばすだけでなく、整備や設計の真似事までしていたと聞くぞ。でなければ図面まで引いてみせる事なんて出来んだろう」

「私達からすれば素人ですよ。それが専門ではないのですから。彼女の兄であれば専門家と言えるでしょうがね」

「流石航技研のNo.2ともなると厳しいな。もっとも君は海軍にいた時から厳しかったな。自分にも他人にも」

「すぐ上の先輩に鍛えられましたからね。その色が移ったのでしょう。駒田少将閣下」

「海軍では『閣下』は用いんだろう。それを言ったら君だって閣下じゃないか、准将なんだから。そうだろう、相川君」

「我が国では『准将』は新しい階級ですからね。中々将官扱いしてもらえませんよ。下手すればドイツの真似をして『上級大佐』などとふざけて呼ばれますから。到底『閣下』扱いは受けてませんよ」

 ここは横須賀基地航空隊本部の司令室。駒田少将が迎えている客は航技研次長の相川治親准将であった。今の会話から相川准将は海軍からの転向組で、元は駒田少将の直近の部下(後輩)である事が分かる。そして『震電』改良型の試験を現場任せにするだけでなく、自ら海軍基地まで乗り込んで、その首尾を確認しに来ていたのだ。ただしこっそりと。表立って視察に来たら海軍に申し訳ないし、思い切った試験もできないかも知れないから。 そういう意味では横須賀基地の航空隊司令が空軍に移った後も昵懇にしてもらっている駒田少将で助かった。他の者には知られず、かつじっくりと観察できる場所で観察させてもらえたのだから。

「で、どうなんだ? 物になりそうとは言っていたが、そのまま戦力化できるのか?」

 脱線した話を元に戻そうと駒田少将が『震電』改修7号機の出来について尋ねる。それに対し准将は苦笑しながら率直に答える。

「多少の手直しは必要ですが、脚短縮版の『震電』は成功と言えるでしょう。空軍としては年内に生産を開始できれば良いですが、海軍としては別の物をご所望でしょう?」

「もちろんだ。我々が欲しいのは母艦で運用可能なジェット『震電』である。局地戦闘機としてならレシプロ型でも構わないが、ジェットならどちらでも使えるからな」

「でしょう? ジェット版はエンジン次第ですから若干遅れるかも知れませんが、空軍としてもそちらを本命と考えております。ですがレシプロの方が先行してますからね。まずはそちらを完成させて、運用したいと思ってますけど」

 准将の言葉は海軍としては面白くないが、日本という国全体を考えれば納得できる。敵の新型重爆撃機が本土上空に飛来した際、未完成の超高性能機が図面上にあるだけより、それよりは少し劣っていたとしても実機が配備されている方が良いのだから。

 が駒田少将はここで気が付いた。相川准将はジェット版を本命と考えていると。なら先行して生産されるであろうレシプロ版はどういう位置づけになるのだろうか。少将は今までジェット版の名称が『震電改』になるものとばかり考えていた。だがジェット版が本命ならばレシプロ版の名称の方が変わるのか、それとも今まで通り本命だけれどもジェット版を『震電改』と呼ぶのであろうか。別に名前で性能が変わる訳ではないけれど、イメージをしっかりと持つには名前が決まっている方がやりやすい。その事を率直に准将に尋ねると、

「レシプロ版は『零号震電』でいいのではないでしょうか。海軍の『烈風』だって初期デザインのものが『零号烈風』として採用された訳ですし。『零号某』と名付けるのは海軍の方が先でしょう」

 とあっけらかんと答えてきた。その答えに駒田少将は目からウロコを落とし、右の拳で左の掌を打つ。

「そりゃそうだ。『97式艦攻』の時、窮余の策として用いた『零号』というものがあったな。厳密には『01号』『02号』だったが、『零号』には変わりない」

 少将は他の部下の前ではほとんど見せない笑顔で納得していた。それを見ていた相川准将は自分もつられて本当の笑顔になる。

「お気に召してもらえましたか?」

「ああ。『零号』の方は海軍で採用するかは分からんが、ジェット『震電』は是非とも欲しいからな。今後この呼び分けをさせてもらうがいいよな?」

「私の口から上申するのは難しいですが、海軍が勝手に呼び始めて、それを空軍が使わせてもらう。そういう形の方が自然でよいでしょうね」

「相変わらず君はつまらん所で逃げを打つな。まあ構わん。我々が使い出したという事でいいだろう」

 少将はすっかり上機嫌だった。今目の前で飛んでいる『試製震電』改修7号機が成果を残せば、自分達が後に採用する予定の『震電』の完成だって早くなるだろうし、完成度も高まるだろう。であるならまず『試製震電』の試験に積極的な協力をしていこうと思う。そう考えていると翔子の乗る『震電』が何とか着陸するのが見えた。

「フル装備のまま着陸したか。流石立花君だな……あれができるのなら空母の甲板に降りるのもできるだろうな」

「まさか。着艦フックもないのに空母に降り立つのは無理ですよ。古い、古い機体ならともかく、『震電』程の機体ともなれば」

「誰も止まれだなんて言ってない。擬着艦(タッチ&ゴー)なら可能だろうと思っただけだ。将来の予行演習としてな」

 そこまで聞いてようやく相川准将も納得する。確かに擬着艦なら彼女の腕を持ってすれば可能だろう。しかし少将も貪欲な事だ。まだようやく飛び始めたばかりの雛のような機体のために、一足先に孵った兄姉機で予行演習を行うなんて。そうは思うが先輩の機嫌を損ねる必要はないと、相川准将は黙ってうなずくだけだった。



次話へ続く──

何とか「平成」の内に公開する事ができました。まあPart5を途中で切った時点であらかた打ち終わっていたものですから、何とかなったものなのですけど。

後は[いんたーみっしょん]と[エピローグ]で完結です。

「令和」初日にアップできたら最高だったのですけど、流石に無理そうです。

ですが可能な限り早く公開するつもりなので、あと少しだけお付き合い下さい。

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