第一九章 さくら、舞うpart2
「最近ずっと動かしてますし、この『狼星』は「アタリ」っぽいんで、そんなに暖機は必要ないと思うんスけどね、航技研からのお達しですから」
『震電』7号機コクピット内から上村伍長が大声で叫んだ。話しかけた相手は『震電』のすぐ側まで来ていた地上の翔子達。いくら出力を抑えているからといって『狼星』が奏でる爆音に打ち勝つには、ある程度大きな声で話さないと近くの相手にもいいたい事が伝わらない。まあ今の伍長の声は少しオーバーであったが。
「温度計はどお? 大丈夫ならもうさくらを乗っけちゃおうと思うんだけど。どうせ最初は全力運転なんてしないし、さくらのやる気が萎まない内に始めちゃおうと思うから」
エンジン音の感じで暖機はさほど必要ないと思った翔子が伍長に尋ねた。こちらも大きめな声ではあったが、エンジン音でかき消されないギリギリのものであった。ムダな大声は喉に良くないだけでなく、騒音をまき散らすものだから。がそれに対する伍長の返事は先程と変わらないレベルだった。
「分っかりましたぁ。えーっと、油温・筒温共に充分。それじゃ一旦エンジンを止めて、大尉に席をお譲りするッス」
そう言いながら燃料供給を止めると『狼星』の声は小さくなっていき、それに伴いプロペラも動きを止める。元々アイドリングだったから、特にクールダウンは必要なかった。どうせすぐに再始動する訳だし。
「じゃっ、さくら乗ってみよっか♪」
伍長が降りてくるのを見計らって翔子は楽しげにさくらを促す。妙ににこやかな顔をしているのは悪巧みをしている訳ではなく、純粋に自分がやって楽しい事をお裾分けする感じなのだろう。対するさくらは緊張した面持ち。弱気がぶり返したのではなく、気を引き締めて事にあたる決意の表れだった。そして脚立に片足をかけ、翔子の方へ振り向くと、
「とにかくやるだけやってみるね。最初だからどれくらい出来るかは分からないけど」
と文字に起こしたら悲壮感たっぷりなセリフを口にした。もっとも口調こそ真剣ではあるが前向きな、さくららしいものであったが。そんなさくらの心を解すべく、翔子はあっかるくアドバイスする。敢えてテキトーを装いながら。
「そんなに肩肘張らなくても大丈夫だって。確かに『震電』は難しい所もあるけれど、何かあったら自分の方から言ってくれるから」
「その声が聞けるのは翔子くらいだよぉ~」
それが出来たらどれだけラク、いや楽しいだろうと思いつつ、さくらは苦笑しながら脚立を登りコクピットへと収まった。しかし──改めて操縦席に座ってみて抱いた感想はやはり狭い、細いというものだった。さくらだって液冷戦闘機である『飛燕』には試験で何度も乗った事がある。アレよりは窮屈ではないが狭い事には変わりなく、自分や翔子のような女性ならまだしも、男性パイロットだと操縦、特に側面にある機器の操作は大変ではなかろうかとふと思ってしまう。が実際にはそんな事はないか、と一瞬で考えを改めた。確かに狭くは感じるが、座ってみるとベルトでしっかり固めてないと不安になるくらい余裕があるし、現に『震電』に乗った事がある先輩達や『飛燕』乗りの人達から狭いというグチは聞いても文句は聞いた事はない。つまりは何とかなるという事なんだろう。もっとも言いたくとも言えないだけなのかも知れないが。
「さくら、どお?」
さくらが考えを巡らしている内に脚立を登ってきていた翔子が『震電』の操縦席に座ってみた具合を尋ねてくる。さくらは声をかけられるまで翔子が登ってきた事に気付かなかった。それくらいボ~ッと、あるいは集中して考え込んでいたのだろう。時間にしたら短いものの、周りが見えなくなってしまうなんて…これが翔子を虜にする『震電』の魅力、魔力なのだろうかと思わずにはいられないさくらだった。
「うん、大丈夫。いつもより目線が高いのがちょっと不安だけど。後は実際に動かしてみないと分からないよ」
さくらは軽く微笑みながら翔子の気遣いに応えるように3舵を動かしてみる。操作感は悪くなかったが、今は停止している状態で確かめてみただけであって、動いている時、つまり強大なトルクが加わった時、どれくらい舵が利いてくれるか、いやそもそも思った通りに舵が動いてくれるのかは、自分で言う通りやってみるまでは分からない。翔子のようにすぐにコツが掴めれば、あるいは本当に『震電』の声が聞けたらどれほどいいか、そんな気持ちが芽生えるくらいある意味冷静、ある意味弱気の虫が戻ってきたさくらなのであった。
「じゃ実際に動かしてみるだけだね。『震電』はエナーシャがないから始動用燃料注入して始動ボタンを押せばエンジンはすぐにかかるよ。始動車使う事もできるけどバッテリも充分そうだし、自分のタイミングでいけるからね」
そうアドバイスすると翔子は早くエンジンをかけるよう促す。さくらとしては翔子が脚立に乗った状態ですぐ脇にいるというのに、エンジンをかけてしまっても大丈夫だろうかと。不安になったさくらは少し体をひねり、コクピットの外に目をやる。そしたら脚立は2人の整備士によりしっかり押さえられていたし、翔子自身もプロペラ前流に備えてがっちりと両手両足を使い脚立に掴まっている。なら大丈夫かなと、さくらはようやく始動させる事を決意した。
「それではエンジン始動します。近くの人は風や飛散物に注意して!」
そう凛とした声で高らかに宣言してからさくらは始動の動作を始める。そして始動ボタンを押すと、充分に暖まっていた『狼星』が力強く動き出した。とは言ったもののまだスロットルの操作はしていないアイドリング状態。にも関わらずエンジンやプロペラめがけ吸い込まれていく空気の流れは強く、短いさくらの髪もなびき始める。それより長髪の翔子に至っては掻き乱される程に右へ=機体後方へ流されていた。
「これ以上は危険だから退くね。そしたら風防閉めてスロットルを開いてみて。輪止めもしっかり噛ませてあるから、ブレーキと併用すれば動き出す事はないから。これから後は無線機通して指示するから、スイッチ入れるの忘れずに」
翔子はアドバイスを残して脚立を降りていく。整備士達も脚立を持って安全な所へ待避した。そこで初めて風防を閉めてみると、やはり圧迫感を覚えるさくら。彼女の場合初めて乗る機体ではいつも同様の感覚に襲われる。息苦しいとか早く出たいとかまではいかないものの、緊張感が一気に高まるのは確かだ。
「ではスロットルを開いてみましょうか。少しずつ、少しずつね」
ブレーキを思い切り踏みつつ、ゆっくりスロットルレバーを押し出すと『狼星』が発する爆音と振動が一段と大きくなる。振動と言っても『試製雷電』のような危なっかしいものではなく、心地良く安心できる感じ。やはり『金星』の流れをくむエンジンだから、出力が初期の『金星』より倍以上になっているもののその辺の素性は良いのだろう。現時点での印象は悪い所など一片もなかった。おかげで高まっていた緊張感が少しだけ弛む。
「どーお? そのままいけそう?」
「ええ、今のところは大丈夫。だけど本番はどうなる事やら。昨日の翔子を見ているからね」
無線を通して翔子が尋ねてくる。その言葉にようやく少し余裕を持ってさくらは答える事ができた。が本番=これから始める地上滑走やその先の事まで考えると「安心して見てて」とはとても言える状態ではなかった。
「こればっかは自分で体験してみないとね~。でもさくらの今までの経験が必ず助けてくれるから大丈夫。じゃ輪止めを外すからスロットルを戻して、しっかりブレーキ踏んでてね~」
さくらの心境を察した翔子は軽く、でも適切なアドバイスを混ぜ込んだ指示を出す。翔子は今、さくら及び『震電』の真ん前にいる。どうやら誘導路まで自分で導くつもりなのだろう。少し距離があるため完全に表情を読み取る事は出来ないが、全体的に明るく、満面の笑みに近いという事は分かる。さくらの事を励まそうとしているのだろうが、その思惑通りさくらの緊張は一段と弛んだのであった。
「これって整備の人達にも聞こえてるの? 了解っ。それではチョーク払え! お願いします」
翔子の言葉を受けてスロットルをアイドル状態まで戻したさくらが、無線を通し輪止めを外す指示を出す。「チョーク払え」の一言で済むものを、いつも通りの「お願いします」を添えて。階級の事もあるし(大尉対下士官兵)、そもそも決まっている合図なのだから必要ないのだけど、なんか偉そうな感じがして付け加えないと気が済まないのだ。そのさくらの指示に上村伍長の部下にあたる整備士達が手際良く輪止めを外し、再び待避した。輪止めという枷から『震電』が解き放たれた事を確認すると、翔子はさくらに前進するよう促した。
「じゃゆっくりと前進して。誘導路に出るまではすぐ側で指示出すから。そっから先はついて行く訳にもいかないけど。今言えるのはいつも通り、いつも通りを心がけて。そうすれば特に問題なく滑走路にたどり着くから」
翔子の指示通り少しずつスロットルを開きブレーキを離すと『震電』はユルユルと動き出した。がこの時点で既に感じるトルクが他の機体より大きい。当て舵を上手く使ってやらないと、尾部が振れて直進もままならなそうだ。もっともそういう機体はいままでいくらでもあったので、自然と丁度いい当て舵を入れる事ができた。
「はーい。それじゃここで曲がって誘導路に入ってー。今の風向きだと遠い方の端まで行ってもらう事になるけど。ついて行かなくても大丈夫だよね? ちゃんと見てるし、何かあったらすぐに駆けつけるから」
「翔子過保護すぎ。そんなに心配しなくても大丈夫だよぉ…少なくとも滑走路までは…」
我が子の初めてのおつかいを不安に思う母親のような言葉を放つ翔子に、苦笑しながら答えるさくら。だが自分でも言っている通り、滑走路に出るまでは問題は起こらないだろう。逆に言えば滑走路に出て地上滑走試験が始まったら、何が起きるか分からないという不安を抱えた言葉でもあった。そのさくらの言葉通り誘導路を進んでいる間、『震電』に特段の異常はなかった。おかげで何事もなくさくらと『震電』は33番滑走路の遠い側の端にたどり着いた。たどり着いてしまったのだ。その現実を受け入れないといけないのかとさくらがため息をついていると、早速翔子から指示が来る。
「それじゃっ、最初は飛び上がらない程度まで加速してみて。フルスロットルで急発進して。そうすればトルクの感じも分かるから」
「翔子さん、いきなり急発進は厳しいです。という訳でさくらさん、徐々に加速して離陸速度ギリギリの200㎞/hまで加速してそれを維持。残り600mの所から減速して滑走路端で止まるのを1本目としましょう」
翔子の無茶振りを窘めつつ西准尉がいくらか穏当な内容に指示を変更する。彼女も試験の全行程が見える所=翔子の隣に立って自分の様子を監督するようだ。まあ審査担当なのだから当然と言える。ただいくらか穏当といえどもさくらがそれを決意するには多少の時間が必要だった。昨日の翔子の様子を思い出すと、滑走中でも速度が上がれば上がる程フラフラしていたし、離陸速度ギリギリという事は弾みで浮き上がってしまう可能性だってある。もっとも『震電』のような高翼面荷重機はフラップとかを目一杯使わないと実際には浮き上がったりはしないだろうが。
「どうしたの? 早く始めなよ~」
「分かってるよぉ。ちょっとシミュレートしてただけ」
気楽な感じに促してくる翔子に、これだから自然にできちゃう天才は、と心の中でグチりながら大きく深呼吸して気合いを入れる。ここまできたら後戻りはできない。試験隊員としても女性パイロットとしても。
「では沢渡大尉、『試製震電』による1本目の地上滑走試験を始めます」
と言うとブレーキを思い切り踏み込み、スロットルレバーをかなり大きく開く。西准尉の指示に従って「徐々に加速」していたら、200㎞/hに達する前に減速のタイミングがきてしまうくらいゆっくり滑走してしまうかも知れないし、達してもそれを維持できる時間は短いものとなるだろう。ので翔子の意見も少し取り入れ、スタートダッシュしてみる事にした。そのため下げ舵をしながら突然のトルクによる偏向にも対応できるよう操縦桿を軽めに握り、素速く反応できるようにしておく。
「では、いきます!」
自分を鼓舞するように少し強めに宣言すると、さくらはブレーキから脚を放し、更にもう少しだけスロットルを押し込んだ。そのため『震電』は翔子達の予想より勢いよく動き出し、彼女達、中でも西准尉を驚かせた。が彼女より驚いた者が1人いた。他ならぬさくら自身である。『震電』の加速がこれ程キツいものと分かっていれば、やっぱり徐々に加速したのにと後悔しながら、暴れ始めた『震電』と格闘を始めた。
「…っちょっとぉ、……もう少しっ…大人しくっ、してくれないかなぁ」
滑走しているだけなのに尾部が振られ、フットバーをせわしく操作してやらないと全く直進が保てない。また地面から離れないのだから横転してしまう事はないはずだが、右傾しようとする力はズンズンと伝わってくる。それを軽くするべくエルロンも軽く利かせてやる必要があった。しまいには『震電』自身から空に上がりたいという気持ちがビンビン伝わってくるような気さえした。実際には離陸速度に近付くにつれ揚力が増したため浮揚感を覚えただけだろうが、それを抑えるために下げ舵もしっかりとってなければならなかった。
時間にすれば数十秒(150~200㎞/h出ていたのはほんの数秒だろう)と経ってないはずだが、さくらにしてみればその何倍もの時間が経過したように思えた。が『震電』試験用に分かりやすく設けられた「残り700m」という標識が見えたので、(指示より少し早いが)さくらはすぐにスロットルを戻して速度を落とし始める。そして滑走路端まで数十m程残した所で『震電』は滑走を止めたのだった。
さくらは大きく息を吸い込み、そして吐き出す。それを数度繰り返してなんとか息を整えようとした。実際にはそれ程体力を消耗してはいない。が疲労感が半端ないのだ。初めて乗る新型機を操縦するという緊張感に加え、翔子のお気に入りの機体を壊したくないという感情や女性に『震電』のパイロットへと道筋を作るという意気込み。それ以上に操縦しているだけで普段の数倍神経がすり減らされ、とりあえずしばしの間ボーッとしていたかった。それを遮るように無駄に明るい翔子の声が飛び込んでくる。
「さくらぁ、どうだった? 『震電』の操縦って面白いでしょうっ!」
「面白い? 冗談言わないでよ。この1回の滑走で、1歳くらい歳を取った感じよ」
こちらの気持ちを一切酌み取ってないような翔子の言葉に、さくらは恨み節にも似た皮肉を返すしかできなかった。翔子に悪気は一切ない事は分かっているのでケンカになったりはしないけど、それでも絶対に乗り越える事のできない天賦の才の圧倒的な差を、さくらは羨ましくも恨めしくも感じる。この2人の間にはよくあるレベルのやり取りだが、そこまで踏み込んだ立場でない西准尉は剣呑な雰囲気が2人の間に漂ってしまったと思い込んで、それを払拭しようと努めて明るくさくらを持ち上げる。
「で、でもっ、やっぱりさくらさんも凄いですよ。私っ、他の男性隊員さんの初搭乗を見てきましたけど、もっとワタワタしてる人の方が多かったですもんっ」
「フフッ…西さんは優しいわね」
その西准尉の上ずった声に彼女の気持ちを察したさくらは、心身共に整えてから穏やかに准尉に応える。後輩に気を遣わせてばかりでは先輩として失格だから、少しはリカバーしておかなければと思ったのだ。それに呼応するかのように翔子が、
「そのワタワタしたって面子の中に私は入ってないよねぇ。自分としては完璧とは流石に思ってないけど、それなりに上手くやったよ?」
と隣──さくらからは離れているが──の西准尉に尋ねている。こちらはいつものくだけた(はっきり言えば子供っぽい)口調だったが、それがかえって准尉を安心させた。
「心配しなくても翔子さんは別格ですから。初日でジャンプ飛行より先、普通に巡航飛行までしたのは、私が知ってる限り翔子さんくらいですから」
そんなやりとりを無線越しに聞いていたさくらは楽しくなった反面、同時に淋しくも感じた。無線で繋がっているから雰囲気は伝わってくるし、2人との距離だって走れば1分とかからないくらいである。でも実際の距離とか関係なく、1人『震電』の機内にいるだけで周囲から隔絶された感になってくる。
いくら大編隊を組んでいようが、面と向かって会話しているのと変わらない音質の無線で繋がっていようが、結局は単座機乗りは孤独なのだ。頼もしい仲間と翼を連ねていようとも、空に上がってしまえば最終的な判断を下すのは自分しかいないのだから。
そんなさくらの心境を察したのだろうか、『震電』が一瞬だが震えたような気がした。エンジンを完全に切った訳ではなかったから、一時的に回転数が上がったのかも知れないし、期待が風に煽られただけかもしれない。けどさくらはその「震え」を『震電』の心遣いだと好意的に受け取り、無線機で拾えないくらいの小声で「ありがとね」と『震電』に話しかける。それに対する応答は一切ない。さくらはクスッと笑いながら「ま、そんなものよね」と呟いた。
「おーい、さくらどうした?」
今一時西准尉との会話に入ってこなかったさくらの事が心配になった翔子が無線で呼びかけてくる。
「そろそろ2回目の地上滑走に入って欲しいんだけど、気分でも悪くなっちゃった?」
「ううん大丈夫。ちょっとどうやったら上手くできるか考え込んでいただけぇ」
心配げな翔子の声にかえって元気が出たさくら。というよりカラ元気でも出してみせなければ親友に心配かけるだけだから、少し元気盛り気味に返答したのだ。それを聞いた翔子は胸をなで下ろすと、早速次の指示を遠慮なく出してきた。
「じゃ早く2回目の滑走に取りかかって。時間が許す限り何遍でもどんどんやって慣れてもらわないと。なんてったって時間は有限らしいから」
「何遍もって、そんなにやらないとダメ? 私1回で1歳、歳を取った気がするんだから、そう何度も繰り返したらすぐにおばあちゃんになっちゃうじゃない」
翔子の指示に反論するさくら。反復練習は確かに重要だが、あれだけハードな(と感じている)事をひっきりなしに繰り返したら体がもたないとも思っている。しかし翔子はさくらの本音などお構いなしに自分流の考えとやり方を押し付けてくる。
「大丈夫じょぶ♪ 10回もやれば慣れてくるだろうし、ジャンプもしてみたくなるだろうしね。そこまでくればそれ以上歳なんて取らなくなるよ」
「10歳も歳取ったら雅子さんの歳超えちゃうわ。そしたら私、現役最年長の空軍女性パイロットになっちゃうじゃない」
翔子のお気楽すぎる発言に701時代の仲間の名前を出し、大袈裟に「それは嫌だ」と訴えるさくら。今名前の出た「雅子さん」とは701の飛行隊長で、そもそも女子航空隊設立に尽力した佐倉子爵家の令嬢佐倉雅子の事である。さくらと彼女は氏名に「さくら」が付く共通点もあって年齢など関係なく親しくさせてもらっていたし、気も翔子の次くらいには合っていた。故に彼女の事を悪く言うつもりは一切ないが、姉のように慕っていた相手より年上になるのは流石にと、悪くとられても仕方ない反応になってしまったのだ。ちなみに701には翔子達より丁度10歳上の隊員もいたが、年齢と本業の医師に専念したいという事で現在はパイロットを卒業し、軍医兼宴会部長として茂原基地に残っている。
「まあ、ホントに歳取る訳じゃないんだし、そろそろ本気で滑走を再開してくれない? でないと時間がもったいないよ、ホントに」
思いもよらない方向からの反論に翔子は一瞬驚いたが、すぐに立ち直るとかえって冷静になれた。それでいささかマジメなトーンで試験(前の基礎訓練)を再開するようさくらに促す。その若干冷めた感じの翔子にさくらも普段の真面目さを取り戻し、翔子に了解の旨を伝える。
「その代わりもう少し滑走のみを繰り返してからでないと先には進めないからね」
「それでいいんじゃない。さくらが納得いくまで地上滑走だけやって。それで不安がなくなったらジャンプ飛行を何度かやって、今日の試験はおしまい。かなり遅れてのスタートだったから、私の分の時間も使っていいわよ。いいよね、西さん」
「は、はい。翔子さんがそれでよければ。たださくらさんの気力・体力が低下したと思ったら、私の判断でのストップもあり得ますから、その辺のご了承もお願いしますよ」
いきなり尋ねられたがなんとか即座に対応できた西准尉。そして航技研審査部の人間としてパイロットへの配慮も忘れない。もちろんパイロットの身の安全が第一だが、疲労による機体の損傷も避けなければならなかったのだ。
翔子だってその辺は考えており、気持ち的には准尉と同じである。ただテストパイロットとしては早くさくらに成長(=『震電』の慣熟)してもらって、自分無しでも『震電』開発の一翼を担ってもらいたかったから、
「私だって鬼じゃないからね。それくらいは分かってるよ……という訳でさくら、とっとと2回目を始めちゃって」
という相反する言葉を繋げてさくらを促した。
「はいはい、今から向きを変えるから、それくらいの時間は頂戴……にしても本当に翔子は自分を基準に考えるんだから。普通の人に自分と同じものを求めすぎるのはほどほどにね。もし本当に歳取っちゃったら、翔子には責任を取ってもらわないとね」
そんな翔子の本心や気遣いが伝わったのか、さくらは冗談めかして切り返した。本心等が分かっているから従うが、ただ素直に従ってしまうのもちょっと癪だったので少しばかり意地悪を言ったのだ。そうしたら思いの外翔子はそれを真に受けてしまい、
「ええっ、責任って事は、私、さくらの事をお嫁にもらわないといけないの? そりゃあさくらの事は好きだけどそういう好きじゃないし、何より私達女の子同士だし……」
などとかなりオロオロしている様子。元々色恋沙汰にあまり縁がなく免疫がない上に、女性同士という彼女の倫理観から外れる考えを受け、思考回路が最低限の機能を残し急停止してしまったようだ。そんな親友の状況にさくらは同情、はあまりせず、むしろ面白がって軽く煽ってみる事にする。
「私だってそれは嫌よ。翔子のお嫁さんになんてなったら心配で気苦労が絶えなさそうだし、何より大地君に悪いじゃない」
「なんでここで大地の名が…」
「それより確か翔子にはお兄さんがいたはずよねぇ。なら翔子のお兄さんのお嫁さんにしてもらおうかな。そうすれば翔子とも親戚になれる訳だし、将来の社長夫人の座が待ってそうだしぃ……」
「わわわわ、ちょっと待ってよさくらっ」
どんどんと展開されていくさくらの言葉に対応しきれずに一旦話を遮った。
「確かに兄さんはまだ独身だよっ。でも頭ん中が飛行機作りの事で一杯だからこの歳まで女の人とお付き合いとかした事ないし、頭は良いけどいー加減なところも多いし、経営能力から姉さんの方が跡を継ぐ可能性も高い。諸々ひっくるめるとさくらがお嫁さんなんてもったいなさ過ぎるよ。あの兄貴には」
「それって翔子とどこが違うの?」
「うっ」
妙な事で畳み掛けられた翔子は混乱故か兄将一のマイナス点を挙げ、さくらの野望(?)を打ち砕こうとする。その焦り方は尋常なものに見えず、あらぬ嫌疑を西准尉にさえもたらしてしまい、更に口撃の火力集中点を与えてしまう事になった。
「まあ社長夫人なんてあまり興味がないから別にいいんだけどぉ………翔子って意外とブラコンだったんだねぇ。初めて知ったよ」
「ででですよねっ。古来より兄妹間の恋愛は知られていますが、『ぶらこん』ってのは最近精神学者によって提唱された倒錯の俗な言い方ですよね。若い女流作家が投稿した小説で初めて用いられた言葉で、私達くらいの女子がこっそり読んで広めてるという…」
さくらが用いた表現に必要以上に興奮して食い付いてきた西准尉。そんな2人の言葉に翔子は更にヒートアップし、躍起になって誤解を否定しようとする。
「別に兄さんにそんな感情抱いてないよぅ。だけどさくらにはもっと素敵な人を見つけて欲しくて、兄さん程度で妥協して欲しくなくってっ……2人ともひどいよーっ! 西さんまでそういう事言ってくるとは思わなかったーっ!」
翔子の絶叫がエプロンで響き渡り、さくらの乗る『震電』の中にも無線を通して伝わってきた。あまりに大声だったからかなり音が割れていたが。また整備士達も何事かと翔子達に視線を向ける。わざわざ外に出てきたり、窓から顔を出すなどして。
流石にこれ以上は翔子をいじめるだけだし、また試験にも影響してしまう。のでさくらはその場を収拾すべく、ふざけすぎたと翔子に本気で謝った。
「ごめんね、まさかあんな反応してくるとは思ってなかったから調子に乗っちゃって。でももうこれ以上この話はしないから、なんとか落ち着いて」
「私からも謝ります。最近気になっていた言葉が出てきたからつい話を広げてしまって」
西准尉も含めた2人から謝罪されたが、中々鎮まらない翔子の昂ぶった感情。だが2人がそれ以上こんな話を続けない事は伝わってきたし、試験だって続けなければいけない。のでなんとか理性的な部分も再稼働させて、さくらの地上滑走を再開させようとする。
「もう絶対話は脱線させないからね。じゃ早く2回目始めてっ」
「はいっ、沢渡大尉、地上滑走試験を再開します。それでは行きますっ」
会話中に180°向きを変えていたさくらと『震電』は、翔子の指示に素直に従い、再び滑走を始める。まだふらつきはするものの、1回目よりはマシなようだ。それを見ている内に少しずつ翔子の感情も落ち着いてくる。
「ホントすいませんでしたっ。翔子さんがこの手の話、あまり得意でないのを忘れて盛り上がってしまい」
翔子の横から西准尉が改めて謝ってくる。そのしゅんとした顔を見ていると、これ以上先輩として感情をむき出しにしているのも恥ずかしい、と更に気持ちが落ち着いてきた。
「大丈夫だよ。私の反応も大袈裟すぎたし、謝ってくれればそれで充分。ま、さくらには少し苦労してもらうかも知れないけどね」
さくらに聞かれないようヘッドセットをずらし、小声で准尉に語りかけた翔子。ほぼ平常時に近付いてきたが、さくらへの反撃は忘れてないようだ。それを聞くと准尉は少し気が咎めたように翔子に意見する。
「あまりさくらさんにも無理はさせないで下さいね。貴重な人材なんですから」
「それだって分かってるよ。あくまで少し長めに『震電』に慣れ親しんでもらうだけぇ」
翔子だって本気でさくらをいじめる気はない。が早く慣熟してもらうため、少し負担を強めるのは決定事項のようだ。
そうしてさくらの長い1日(半日)は始まったのであった。
次話へ続く──
基本的にこの[零号震電]は翔子が主人公なのですが、この章はほとんどさくらが主人公のように展開していきます。というように自分はその場面場面の主役を主人公的に扱ってしまう癖があるようでして、章レベルならともかく、その中でコロコロ変わっていく事だけは避けたいと思ってます。
それよりっ、そろそろ本気で[零号震電]を終わらせる方向へ持っていかないといけませんね。何度言ったか分かりませんが、このままダラダラ書いていても誰も得しませんから(ご愛読いただいている読者様には申し訳ない表現ですが)。
[零号震電]が完結できたら少し違うものを書いてみたいと思ってます。もちろん【ヨアケマエ】シリーズをやめる訳ではなく、if戦記以外にも書きたいと思っているものがあるものですから、そちらをしばらくなりともメインとしたいもので。
ですので年内は無理でも(志低くてすいません)、来年初めには完結できるよう努力しますので、それまでのお付き合いよろしくお願いします。




