第一九章 さくら、舞うpart1
翔子達が『震電』7号機の前まで戻ってきたのは1時10分を過ぎた頃である。
隣接する建物内に「ちょっと挨拶」に行っただけでも時間って簡単に過ぎてしまうものだと、翔子は改めて変な認識をしていた。まあなんだかんだ言ってもいろいろなやり取りをしてしまったし、帰りはゆっくり歩いてきたから、これくらいの時間経過は当たり前かも知れないが。
「伍長~、仕事って始めたばかりー? それだったらもうお終いにしちゃっても大丈夫だよー。伍長達の腕信用してるから」
『震電』の主に垂直尾翼回りに取り付いて作業している伍長達整備班の面々に進捗を確認する翔子。そもそも一旦この場から離れて新主任の顔を見に行くための名目として整備をお願いしただけだし、まだ始めたばかりならこれ以上の作業は必要ない。既に一通りの整備は済んでいる訳だから、思ったより機体のダメージが大きかったとはいえほとんど不要な仕事だったのだ。にも関わらず真剣な表情で伍長達は整備してくれようとしている。ので取りかかったばかり≒点検口を開けたばかりとかであれば作業をそこで終了し、元に戻してもらおうと思って声をかけたのだ。が伍長からの返事は翔子の思いに反して、
「確かに始めたばかりですが、一度外板とか外しますと閉じるのにも結構時間とか食うんスよ。だったらもう一度確認してから戻した方が効率も、こっちの満足感もいいんですよね。だから後20分くらい時間をください。そしたら最終確認ができてスッキリしますし、納得いったものを沢渡大尉に乗ってもらえますから。だからそれまで茶でも飲みながら沢渡大尉に乗り方のコツとかを教えてあげてやってください。整備の俺らが言うのもナンですが、『震電』は難しいと試験隊の人達から聞いてますんで」
と言われてしまう。
そこまで言われてしまったら大人しく従うしかない翔子達。茶こそ飲まなかったが、整備中の『震電』7号機から少し離れた所でさくらに『震電』操縦のコツ、特に滑走時や低速飛行時の難しさを伝授して時間を潰す事になった。
ただ伍長の言葉には一部嘘があった。彼らは10分以上前から作業を始めてくれていたのである。翔子達が詰所内に向かうとすぐに差し入れも含めた昼食を急いで腹の中に収めると、休む間もなく作業に取りかかった。正直言ってしまえば食事前の整備でダメージはすっかり修復できており、他の整備も合わせて万全に仕上げたつもりだった。それこそ翔子が考えたように今やっているのは不要な作業なのである。だが整備屋としてはより完璧を目指したいし、万が一の見逃しなんてもっての他である。だから意地と差し入れに対する恩義で最終調整を行っていたのだ。そして伍長の宣言通り、20分後の1時30分ちょいと過ぎに整備は終わった。
「大変お待たせしました。我々としてはこれ以上入れようのないくらいに念を入れて整備しましたんで、大尉には何の不安もなく乗ってもらえると思うッス」
汗まみれ油まみれの伍長達が一仕事やり終えた男の顔で翔子達の元へやってきて、そう報告した。翔子とさくらから労いの言葉をかけられ、西准尉からおしぼりと冷え切ったサイダーを受け取ると破顔一笑しながらしみじみ語る。
「やっぱり女性パイロットの方々って色々と気を遣ってくれていいッスね。もちろん男のパイロットの人達も労ってはくれますが、ここまで細々とした事までって事はないッスから」
「私達だっていつもここまでする事はないよう。だけど今回は『震電』7号機の事をしっかり整備してくれたから、そのお礼」
「そうよね。翔子の気まぐれでよけに仕事をしてもらったんだから、これくらいはしなくちゃね」
伍長の言葉に翔子とさくらがこれ以上恐縮しないよう軽く返す。特に意識してやった行為でもないのに必要以上に畏まられ、また持ち上げられてしまうと居心地が悪いし、今後同様の事が自然な形でできなくなってしまうから。それに比較された男性パイロットにも悪いし。
「それよりもう乗っていいんでしょ?」
伍長の言葉のこそばゆさとさくらからの皮肉という2つの居心地の悪さを払拭すべく、翔子はさくらの初搭乗の方へと話を持っていく。それに伍長は明るく軽く即答した。
「もちろんッス。ご所望とあらば今すぐにでもエンジンをかけますが、どうします?」
「だってさ。なんだかんだで予定より30分以上も遅れちゃってるから、早く乗ってみようか。伍長、燃料はどれくらい?」
「沢渡大尉は初めてでしょうから、他の試験隊の人達と同様全容量の75%くらいしか積んでません。まずは地上滑走からでしょうから、万が一滑走路上でガス欠になったとしてもすぐに補給できますし、何なら牽引だって可能ですから」
「それだけあれば全力だって30分近く乗ってられるから問題ないっしょ。それじゃあさくら、さっさと乗ってみましょー。地上滑走だけならパラシュートもいらないし、そのまま乗っちゃって大丈夫じゃない?」
「やっぱり乗らないとダメかなぁ……」
いざ初搭乗という段になって、急に不安を覚えるさくら。昨日の翔子の初搭乗の様子や先程聞いた『震電』のクセなどを思い出すと、果たして自分でも乗れるのだろうかと怖くなってしまったのだ。
今まで571試験飛行隊の中で『震電』に乗った事があるのは戦闘機班の内5人。主任の芦原大尉と重戦闘機の方が得意な若手隊員が中心だ。かれらは皆男性なので、多少荒っぽい操縦にはなるが力で押さえ込む事もできる(もちろん高い技量を有してはいるけど)。
翔子は自分と同じ女だけど、人並み外れた技量の持ち主だし(大きい声では言えないが試験隊の誰よりも)、何より飛行機と話ができると彼女をよく知る者からは信じられている特殊能力者だ。
そのどちらでもない自分に『震電』の操縦が務まるかどうか、不安になるのはごく自然な事かも知れない。そんなさくらに対し翔子は優しく微笑みながら真面目に答える。
「そりゃそうでしょ。さくらが乗ってみせなければ、女性パイロットだって『震電』を操縦できる証明にはならないからね」
「そうですよ。さくらさんが飛べると分かったら次は私達の番なんですから…そして、これはまだ内定の段階なんですけど…『震電』の採用が決定した時点で701に先行配備される予定になってるんです。だけど女性でも『震電』を扱える事が証明できなかったら、この話はご破算です。だからちゃんと飛べるようになってもらわないと、この事を決定した航技研にとっても困るんです。翔子さんじゃバケモノ過ぎて参考にならないんですから」
「バケモノて、西さん……」
翔子の言葉を受けて西准尉が話に割り込んでくる。時に熱く時に声をひそめてさくらが『震電』を操縦できるようになる事の重要性を語った。その過程で一部不適切な表現があった事を翔子が控えめに抗議する。その声に一瞬我を忘れていた事を気付かされ、准尉は慌てて平謝りする。そんな2人の言葉に再び使命感の方が勝ってきたのか、さくらは少しずつ覚悟を決める。もっとも翔子程思い切りはよくなかったが。
「だけど私はいきなり飛んだりはせず、571の先輩達のように初日は地上滑走しかしないからね」
「それは当然です。航技研の指針でもありますし、『震電』を初日から飛ばしちゃう方がおかしいんですから」
弱気なさくらを励ますために放った准尉の言葉はまたも翔子にダメージを与える。元々慣れっこではあるし、もはや反論する気にもなれなかった。
「それでは伍長さん、エンジン始動お願いします」
強力な准尉の励ましが効いたのか、さくらはようやく搭乗を決意する。でもまだ不安が抜けきってないのか声の張りはない。そんなさくらに発破をかけるよう翔子は割と思い切りさくらの背中、いや腰…いやいやほとんど尻をひっぱたく。それが思いの外痛かったのか、さくらは翔子に非難の目を向ける。が翔子はそんな事はお構いなしにさくらの目の前に何かを差し出した。
「なーに心配いらないって。私と西さんがずーっとここから見てサポートしてるから。ほら、この小型無線機。西さん達が準備してくれたんだけど、こんなんでも管制室とほぼ同等の通話ができるんだって」
そう言って翔子が見せつけたのはヘッドセット式の無線機だった。もちろんこれが本体ではなく単なる送受話器で、そこから中継器へとコードが伸び、更に屋内の管制室への回線とも繋がっているため、管制室と同等の通信能力があるのは当然だった。まあマイク・スピーカ共小型でありながら高品質なのは新技術のたまものだし(この手の新機軸はたいてい西根電機発の事が多い)、一応中継器単体でも通信は可能だったが(ただしその能力は机上無線機並。むしろ空中線の分だけ劣っていたかも知れない)。
「へえ、これで管制室並の通話ができるのはすごいわね」
翔子からヘッドセットを受け取ったさくらはその軽さとマイクの小ささに驚いている。だがちゃんと説明しなかったせいか、このヘッドセットと中継器だけで高い通信能力が得られるものと勘違いしているようだったが。そこに西准尉が割って入ってくる。
「それにっ、この高倍率の双眼鏡でずっと見てますから、外から見て分かる不具合にはすぐに対応できます。だからさくらさんには安心して『震電』に乗ってきてください。飛行機だけど大船に乗ったつもりでっ」
最後の一言は軽くスベったが、サポート態勢は充分だと言いたいのは十二分に伝わってくる。ここまでされていつまでも消極的なのは試験隊パイロットとしては失格だし、何より女がすたる。ここでようやくさくらはパイロットとして奮起して、『震電』に全力で向き合えるようになれた。
「それじゃ暖機始めますから、プロペラ後流の当たらない所に移動してください」
気が付いたら『震電』の脇にいた上村伍長から声がかかる。先程さくらにお願いされた直後に駆け出し、同時に仲間達にも準備の指示を出していた。始動車もスタンバイしておりOKの返事さえあれば、すぐに作業は始められる。この時翔子達は『震電』の真後ろにいた訳ではないが、あの強力なプロペラ後流の影響を全く受けないとは言い切れないので、伍長としても声をかけておく必要があると思ったのだろう。
改めてさくらが「お願いします」と大きな声で返事をし、安全な場所(といっても一旦横にずれた後『震電』の方へ近寄っていっただけだが)へ移動したのを見ると、伍長の合図で『狼星』エンジンに火が点った。
次話へ続く──




