第一六章 そして大空へPart6
「いっけぇーっ!」
垂直ではないもののかなりの角度で敵機役である4発の試作機に逆落としをかける翔子と『震電』。仕掛けた時点では上昇試験後一息ついていたところだったので全速力ではなかったが、スロットル全開での急降下だったため『震電』はみるみる加速したが、速度に対して高度があまりなかったため射撃開始までに最高速、いや急降下制限速度に達する事はなかった。また敵機に対し降下しながら攻撃を加える際、パイロットによっては加速による揚力増大を抑えるため(軸がブレて命中しにくくなるらしい)機体を裏返して突撃する者もいるが、翔子はそれを行わない。あまり効果が感じられず、舵を微調整するだけで充分と考えているからだ。
そして彼我の距離が150mを切った時、30㎜機銃発射ボタンを押す。確実な撃墜を期すため4門一斉の発射だ。と言ってもこれは訓練。実弾が飛んでいく事はない。代わりに機銃発射口からは赤っぽい閃光が放たれ、撃たれた側にその旨を知らせる。また『震電』に搭載されている動画カメラの方にも発射ボタンと連動して「射撃中」を示すマークが写り込むような工夫がされていた。そのため常時回しっ放しのため射撃時のみ作動する従来のガンカメラより射撃前後の様子も分かり、訓練時には有効だと量産され、教導隊中心に配備が進んでいる。
安全性(これには実戦での被弾率だけでなく、訓練時であっても敵機役との衝突の可能性など全てを含んだもの)や弾道特性などからすれば200mくらいから射撃を行うのが一般的だが、翔子は敢えて一歩踏み込んでから射撃を開始した。
これは敵機役より一回り以上大きいとされる敵新型重爆撃機「ボーイング『B-29』」を想定しての事。このサイズで慣れてしまったら本物を迎撃する際、照準器越しに見える大きさで距離を誤認してしまい、遠くから射撃を行ったあげく弾道が後落し、全く当てられないだろうと判断したためだ。
おかげで放たれたと仮定する30㎜機銃弾はほぼ全てがコクピット付近に吸い込まれたと確信していた。もし実弾であったならどんな機体であっても命中部分が完全に破壊されたに違いない。
そして衝突する寸前、翔子は『震電』にひねりを加えギリギリで敵機役をかわし、下方へと離脱する。が反復攻撃を行うべく、すぐさま機首を持ち上げ失った高度と敵機役との距離を回復しようとする。
「撃破確実おめでとう。それにしても思い切った攻撃だったな」
『青雲』の田坂中佐よりは若いが大井少尉よりは年上であろう声が翔子の耳に飛び込んでくる。内容から敵機役の搭乗員、それもコクピット周辺にいた者からの通信だろう。
「撃墜でなく撃破ですかあ? 私の見立てではあれだけコクピット付近に30㎜が当たれば操縦系はボロボロ。かろうじて操縦系が生き残ったとしても、パイロットの方が無事で済まないと思いますよ」
敵機役からの通信内容に翔子は不服を申し立てる。翔子が言うようにあれだけ苛烈な攻撃を受ければ、どれほど頑丈な機体だって耐えきれないはずだ。にも関わらず敵機役の搭乗員は柔道で言うところの「一本」ではなく、「技あり」「有効」レベルとしか見ていない。その判定に自分の攻撃が認められなかった事より『震電』の攻撃力、つまり敵重爆への有用性を否定されたように感じ、それが面白くなかったのだ。その翔子の批難めいた言葉を受け、敵機役の責任者、多分機長と思われる者から翔子の正論とは少し異なる意見が返ってくる。
「確かに並の爆撃機なら今ので撃墜必至だったが、今貴官が相手にしたのは仮想敵新型重爆、こう言うと長いから次からは『B-29』と呼ぶが、あくまで中島飛行機が掴んでいる情報では『B-29』はとにかく頑丈で防御力が高いらしい。それを踏まえてワンランク低くダメージを見積もらせてもらった。これが胴体や主翼をへし折るような攻撃だったら撃墜と認定しても良かったのだが、貴官の攻撃は防御力が高いという情報を元に、『B-17』等に20㎜より小さな機銃で攻撃する時のセオリー通りのコクピット狙いでパイロットを倒すものだった。まだ『B-29』の詳細な姿が分かってない内に、この『試製連山』と同じ位置にコクピットがあるかのような攻撃を加え、機首をズタボロにしたとしても操縦が困難になると言うだけで、今しばらく直進してしまう可能性がある。であるなら他の乗員には脱出する時間はあるし、本機の進路上には目標である成田基地があるからな。その上空で力尽きたら墜落しても爆撃成功と同じではないか?」
そこまで言われると翔子は何も言い返せなかった。自分が行ったのは被弾リスクの少ない(とされる)敵機の前上方からの攻撃だ。敵機と相対する時間が短い分被弾する危険性は小さいが、こちらも射撃時間が短くなってしまうため充分な打撃を加えられない欠点がある。しかもまずはご挨拶の代わりに自分の腕を見せつけようとコクピットを狙い撃ちにした。やろうと思えば爆弾倉や燃料タンクのある胴体中央部だろうが、主翼の中でも負荷が掛かってそうな所だろうが狙う事ができたにも関わらず。
もっとも翔子は30㎜機銃で敵を撃った事がない事は考慮しないといけない。20㎜機銃弾なら【房総沖迎撃戦】の時『B-25』に対して用いたが、30㎜機銃弾はお高いので数度虚空に向けて撃った事があるだけだった。
20㎜機銃弾が1発で下士官の給料並と言われているのだから、その数倍の威力を持つ30㎜機銃弾の価値なんて考えたくもない。その分少ない弾数で敵機を落とせるのだから、コストパフォーマンス的にはトントンかも。
そんな感じだからその強大な威力は聞いた事があるに過ぎず、どれ程のものか確信を持つには至っていなかったから、確実に効果が見込めるコクピットを狙ってみたのだ。そのため敵機役こと『試製連山』の機長(仮)から言われた事を素直に受け入れるしかなかった翔子だった。そんな翔子の落胆っぷりが伝わったのか『試製連山』から慰めの言葉が発せられた。
「とは言え初見の機体の弱点を適確に撃ち抜いた技量とこちらの機体スレスレまで突っ込んですり抜ける度胸は大したものだ。今まで何度かこのような模擬空戦の敵機役をやってきたが、ここまで美事な攻撃は初めてかも知れない。となれば多少甘いが撃墜と認定しても大丈夫かな」
「ホントですかっ!? ありがとうございますっ!」
『震電』のコクピット内、そしてスピーカ越しに『試製連山』の中にも子供のように喜ぶ翔子の声が響いた。既に2回目の攻撃を加えるべく『試製連山』のすぐ脇にまで近寄っていた『震電』ですら弾んでいるように見え、模擬空戦の様子をカメラに収めるべく少し距離をとっていた『青雲』の機内では「アイツ大丈夫か?」などというやり取りが行われた程だ。『試製連山』に乗り込んでいた機銃要員代わりの記録員達も同じような感想を抱いている。しかしそんな事はお構いなく、翔子は心弾ませたまま『試製連山』機長(仮)に話しかける。
「それにしてもその子『試製連山』って言うんですね……ってお互い自己紹介がまだでしたね。私は立花翔子少佐。本来は茂原基地701飛行隊所属ですが、ちょくちょく新型機試験のために成田基地に呼び出されてます。あなたのお名前と所属は?」
初めて見る機体に相手は他の基地所属で初対面だと決めつけ、翔子は高いテンションのまま同世代の相手に接するように尋ねた。若干失礼かなとよぎりはしたが、初めて見る機体と否定された後の肯定に高揚してしまい、つい子供返りが抑えられなかったのだ。まあ実際『試製連山』に乗り込んでいる搭乗員は全て翔子とは初めましてである。記録員達は全員『試製連山』を仕上げるために出向中の航技研の人間だし、先程から話していた機長(仮)は──
「貴官の事は知っている。色々ご活躍だからな。小官…いや今は私と言うべきか。私は中島飛行機のテストパイロット、百武弘だ。よろしく。2年前まで海軍にいたものだから、その頃の癖が抜けずつい『小官』などと名乗ってしまうのだが…ちなみに最終階級は大尉だから貴官の方が上だな。だから年齢の事など気にせず、気軽に声をかけて欲しい」
「いえいえ、先程は浮ついていたため軽々しい口をきいてしまい済みません。あなたが現役の軍人ならそのような対応もできたでしょうが、民間人であるのならそれ相応の対応をさせていただきます」
百武元大尉はそう言っていたが、2年経っても娑婆の空気に馴染んでないバリバリの軍人口調だった。それも元海軍軍人でありながら陸軍軍人が使っているように、上官を呼ぶ時階級の後に『殿』が付いていても不思議じゃないくらいの。多分顔を合わせても気軽に話しかけにくい雰囲気なんだろうなと翔子は感じ取っていた。
「それよりもう九十九里浜まで来てしまったな。残りの距離を考えると成田基地上空まであと2回くらいの攻撃が限界かな?」
百武元大尉に言われて翔子が地上に目をやると、あと少しで陸地に差し掛かる所まで来てしまっていた。いくら『試製連山』が600㎞/h弱で飛行しているとはいえのんびりし過ぎたと反省する翔子。が自己紹介している間に『震電』は『試製連山』より前上方に位置していたため、
「基地上空で3撃目を加えられるよう頑張ってみますよ。もし出来たら付き合ってくれますよね?」
と提案した。
模擬空戦となったら基地上空までと試験前の打ち合わせで言われていたが、少しでも基地にかかっていたら大丈夫だろうと勝手に解釈し、1つでも多くの攻撃パターンを行ってみたかったのだ。すると元大尉は意外にも乗り気で、
「了解した。基地上空までと厳命されている訳ではないし、直接見える範囲で模擬空戦してやった方が喜ばれるだろうしな」
とまで言ってくる始末。もしかしたら堅いのは口調だけで、結構ノリは軽いのかも知れない。そう思った翔子だった。
「それではもう一度前上方から攻撃してみますね。ちょっと高度は足りないけど」
そう言うと翔子はインメルマンターンで『震電』を反転させ、再び攻撃態勢をとった。インメルマンターンで反転させたのは少しでも高度を稼ぐためだ。そこからまた前上方攻撃を加えたが充分な角度がとれなかったため、最初の攻撃より突入角度が浅かった。先程元大尉からコクピットへの攻撃について指摘されたため、今度は右主翼付け根付近を狙ってみる。そして胴体とエンジンの間を充分に撃ち抜いた後、垂直尾翼の脇をすり抜け、そのまま上昇に転じる。
一応狙った所に命中させられたと思うが、角度が浅かったため威力が低減した可能性があると正式に「撃破」止まりとなった。それどころか被撃墜の可能性高めというオマケ付きである。客観的に見ればそれだけゆるい攻撃だったのだと言える。
単純に攻撃力だけで考えれば30㎜機銃弾は炸薬のたっぷり入った大口径弾なので、威力はさほど弱まったりしないだろうが、翔子としても今回の攻撃は慌てて行ったという自覚があるため、その判定には納得する。もうワンテンポ堪えてから攻撃に入れば充分な角度がとれて、文句の付けようのない攻撃となったであろう。それに記録映像を撮られている側からすれば、悪い見本も見せておく必要だってあるとも考えられるし。
そして3度目の攻撃は敢えて追随しながらの後上方攻撃を行ってみる事にした。単純に『試製連山』の正面に回り込む時間を節約しただけなのだが、後方からの攻撃ではどんなリスクがあるか翔子自身が確認したかったというのもあるし、あらゆる映像を残しておけば後に続く者への教材になるとも考えたし。
尾翼脇をすり抜けた瞬間から反転し上昇に入っていたため、無駄ない動きで後上方攻撃に充分な角度をとる事が出来た。が実際後方から攻撃を仕掛けてみると、思った以上に恐怖心を覚えると翔子をして感じさせた。
今までだって何度となく訓練で対重爆戦は繰り返しており、後上方攻撃だけでなく様々な方向から攻撃を加え、それぞれのメリットデメリットは充分認識できていた。だが今回は『試製連山』の銃座にも射撃中である事を示す赤色閃光装置が組み込まれており、近付いただけでそれらが一斉に光を放ってくる。しかも加えたのが尾翼が上手く死角になってくれない角度からの後上方攻撃だったため、尾部銃座からだけでなく胴体側面や上部の銃座から遠慮ない模擬射撃が行われる。
爆撃機の機銃は敵機を撃墜するより接近を阻んだり照準を狂わせるのが目的なので、まだ少し遠い所、普通に考えれば余程の幸運に恵まれなければ命中なんてしないような距離から機銃弾の雨(実際には代用の閃光)が『震電』を包み込むように降り注ぐ。
「旋回機銃を固定機銃にさせない」と言うのが対爆撃機戦での鉄則だが、少し機体を左右に振っただけでも大きく高度を失いかねない高々度での戦闘なので、100㎞/hの優速と他の機体より強力な防弾を信じて真っ直ぐ突っ込んでいくしかなかった。
いくら優速であるとはいえ、(ベクトルは真逆になるけど)その相対速度は前方からの攻撃に比べれば圧倒的に小さく、『試製連山』の脇をすり抜けるまでに数倍の時間を要した(それでも短い時間ではあったが)。その分『震電』としても射撃時間は長く、垂直尾翼を中心に『試製連山』の胴体後部にかなりの数の機銃弾(もどき)を叩き込む事が出来た。そのため元大尉から「『震電』が『試製連山』の火線に捉えられてないのなら撃墜確実だろうな。ケツばっか狙われて操縦不能になっただろうから」という言葉をいただいた。しかし翔子としてはこの攻撃は失敗だったと思う。『震電』が被弾した確率はかなり高いだろうから、良くて相打ちだったろうと判断するのが妥当というところだろう。まあ一方的にやられたつもりもないけど。
「それよりどうするんだ? もう1回やるんだったら本当に基地の真上になるぞ。それもギリギリで」
先程より口を挟まずずーっと模擬空戦の様子を撮る事に専念していた『青雲』の田坂中佐から質問が飛んでくる。燃料にも撮影用テープにも余裕はあったが、1人(大井少尉も乗っているので実際には2人)蚊帳の外に置かれた感じだったので、ちょっと淋しく感じて意地悪っぽく聞いたのだ。
確かに成田基地の端っこまで深呼吸1.5回分くらいの時間しか3機は来ていた。『震電』は一度すり抜けた後速度を落として『青雲』と『試製連山』の間に滑り込む。サイズ的にはいびつだが、丁度「川」の字を書く形で飛んでいる。試験前の陣形だ。もはや考えたり躊躇している時間はない。決断した翔子は再びスロットルを押し出し、落としていた速度を取り戻そうとする。が実際には速度を上げず、何かに備えその力を溜め込んでいるようだった。
「ちょっと試してみたい技があるので、もう1回いいですか? 中佐達も百武さんも」
そう尋ねながらも再攻撃に備え少しずつ『震電』の高度を上げていく翔子。声にもこのおねだりは聞いてもらえるだろうという期待が混じっていた。そんな翔子の様子に無下に断る訳にも行かず、
「わぁーったよ。それならさっさと高度を上げろ。あまり大きく成田基地を越えちまったら、陸軍の松戸基地とかにも話を通す必要があるからな」
「私の方は構わんが。最初に3度目もあると取り決めをしてあったし」
と両機共了承の旨を返してくれた。なんだかんだ言っても皆飛行機に乗っている事が楽しいし、様々な事をしてくる翔子の操縦をいつまでも見ていたかったのだ。
「ありがとうございますっ!」
そう感謝の意を述べると翔子は『震電』の上昇速度を速めた。とは言えここは高度9000m超の高々度。『震電』の上昇力ではそれにも限界があったが。
3機は少しずつ相対位置を変えながらも一体であるかのように、揃って成田基地を中心に旋回を始める。でないと成田基地なんてあっという間に通り過ぎてしまうから。成田基地最長の滑走路は5000mもあるのだが、3機の速度は600㎞/h弱。つまり分速10㎞くらいあるから、30秒ちょっとで通り過ぎてしまう計算である。その様子は地上からでもはっきりと見え、これから何が起きるのか期待と不安混じりの疑問を抱きながら見上げているしかなかった。まあ管制にはいくらでも質問する権限はあったのだが、管制の担当者だって下手に尋ねる程野暮ではなかった。
そうして1分ちょっとの後に『震電』は高度1万mに達し、攻撃開始予定位置へたどり着いた。『試製連山』の後上方。上昇に専念したため、自然と『試製連山』より後ろになった。そして全体としては丁度基地を1周した事になる。その位置取りに再び3度目のような攻撃を行うのでは? と『青雲』『試製連山』の乗員達が訝しんでいると、翔子から攻撃を開始する宣言が発せられた。
「それじゃあ4回目の攻撃始めたいと思いまーす。それに際して『青雲』は『連山』より少し上方から俯瞰気味に撮ってもらえませんか。その方がキレイに写ると思うんで」
「別にいいけど、そういう事は先に言っといてくれ。上がる時間がもったいないじゃねぇか。少し待てっ!」
いきなりカメラの位置取りを指示された『青雲』の田坂中佐が文句を言いながらもその通りに動く。『震電』なりに良い考えがあっての言葉だろうが、実際に動くのは『青雲』である。直前に言われたって良い位置には付けないし、最後の最後で納得いかないものを撮りたくはなかった。ので慌てて上げ舵をとり、200m程高度を上げて『試製連山』中心に全体を俯瞰で撮れる所に位置した。がそのために更に半周旋回する事になる。
「ほれいいぞ。さっさと始めろ」
「ありがとっ。じゃ、いっくよー」
そう言うと翔子は『試製連山』を追い越さない程度に戻していたスロットルを全開にして、操縦桿を倒して降下を始める。その角度は急降下と緩降下の中間くらい。両者の距離を考えれば『試製連山』の中央部から前が攻撃範囲となりそうだ。この辺は3度目の機動に近いものがあったが、大きく異なる点が1つ。翔子は進行方向は変えず機体を横滑りさせて『試製連山』の側方へ来るよう『震電』を操っていたのだった。
「あの動きはなんなのでしょう? 降下による速度も加えて『連山』の前にでも回り込むつもりなんでしょうかねえ」
そのまま真っ直ぐ降下を続ければ爆弾倉上方を狙えたはずなのに、それを避けるように動く『震電』を撮影しながら不思議に思い、思わずそれを口にしてしまう大井少尉。あくまで独り言だったのだが、聞こえてしまった田坂中佐が律儀にも返答する。
「知るかぁ、立花のやる事はよー分からん。それよりちゃんと撮ってろよ。アイツまたとんでもねぇ事をやりそうな気がするから」
そう田坂中佐が言い切るのとほぼ同時に『震電』は『試製連山』のほぼ真横に付けた。厳密には『試製連山』の推力線より1機分上で、『試製連山』の尾部と『震電』の鼻先が重なる感じだ。更に加えれば両者の距離は300m程あり、『試製連山』の真横上方500mの所に構えていた『青雲』との距離の方が近いくらいだった。その予想とはあまりにかけ離れた所に位置した事に、横滑りで高度を失いすぎたか? と田坂中佐が思った瞬間、『震電』はやはりとんでもない機動をしてくれた。
突然機体の尾部だけ急激な横滑りをさせたように機首を『試製連山』の方に向け、ほぼ垂直に相対した所で『震電』は射撃を開始する。もちろん飛行機は戦車などと違って信地旋回などできない。翔子は3舵やフラップなどをフルに使って、ほとんどその場で向きを変えたような錯覚を覚える程の水平旋回をやってのけたのだ。それこそ普通なら水平錐揉みを起こす、いや水平錐揉みを起こさない方が奇跡と言える程の勢いで。それでもやはり飛行機だから飛んでいる限りは前に進む。おかげで両機の距離は200m程に近付いた。
そして更にほぼ1000mの降下と全力運転によるパワーダイブのおかげで充分に速度の乗っていた『震電』は、そのまま弧を描くように横滑りしていく。その間もずっと射撃しっぱなしだったから実際に弾が出ていれば左主翼、左翼側のプロペラを含むエンジン、胴体左舷前部、機首など『試製連山』の左側面が30㎜機銃から放たれた(飛行機にしてみれば)巨弾により大きな穴が穿たれていたであろう。当然の事ながらこれだけの機動をすればGだってかなり強力に加わり、必然的に狙った所に弾が飛んでいかないのが普通である。が翔子の巧妙な機体の操り方を見ていれば、ほとんどの30㎜弾が『試製連山』に吸い込まれたと推測できた。また『震電』は各銃60発しか機銃弾を積んでいないが、もしこの攻撃の前に消耗していなければ途中で弾が尽きる事はなかったはず。それだけ短い時間の出来事であった。
横滑りで『震電』が『試製連山』の進路を横切る際、ほとんど鼻先をかすめる様な感じに見えた。実際にはまだ数十mは離れていたのだが、充分ニアミスと呼べる範囲内だったし、瞬く間に距離を詰め大きくなる『震電』の姿を見ていたら、百武元大尉や他の乗員からすれば正面衝突の可能性を否定できず、生きた心地がしなかっただろう。反面『青雲』からはそれなりに距離をとっていたが故に両機の姿は小さく、『試製連山』と『震電』の体格差もあって両機の距離は掴みづらかった。そのため『試製連山』乗員程危機感は持っておらず、むしろ『震電』の無茶な機動に失速、墜落の方を心配していた。もちろん失速の仕方によっては衝突は回避できないとも考えてはいたが。それだけじゃない。地上観測班は更に離れた所から見ていたものだから両機の距離なんてないに等しく映り、思わず悲鳴のような声をあげる者すらいた程だ。まあ翔子だけは『震電』の事を信じ切っていたので、衝突なんて考えていなかったけど。
だがそんな無理な機動が長く続く訳もなく、『試製連山』の機首を少し通り過ぎた所でとうとう主翼が風を捉える事が出来なくなり、『震電』は「木の葉落とし」のように失速して急激に高度を下げていく。それでも再び操縦が可能となるよう機首を下にして降下していったのは、流石翔子といったところだろう。それを見ていた『試製連山』と『青雲』の搭乗員達は驚きこそしたが心配する暇すら与えられず、『震電』は体勢を立て直して再び両機の間に戻ってこようとしていた。
「おい、さっきも無茶やらかして親友に怒られたばかりなんだから大丈夫なんか? あんな無謀極まりない機動をして。お前絶対怒られるぞ」
あまりにも危ない機動に田坂中佐が心配して声をかけてくる。衝突と回復不能な失速を起こす可能性を充分に孕んだ『震電』の機動を心配するのと同時に、飛行機乗りの先輩として窘めておかなければと思ったからだ。いくら最前線のパイロットより死亡率が高いと言われるテストパイロットとはいえ、翔子のそれはあまりにも度が過ぎていて、いつか取り返しの付かない事になってしまうのではと危惧したのだ。それも他者を巻き込んで。
そう言われて大技をきめ得意満面だった翔子の顔から、さーっという音が聞こえる程の勢いで血の気が消えていく。そして隠れようとするかのように『青雲』『試製連山』の間にそそくさと滑り込んだ。
「だ、大丈夫じゃないですかねぇ。皆さんがうま~く説明してくれれば……」
という翔子の声はいつものようなハリがなく、かつ震えていた。それくらい立花の親友である沢渡は恐いのだろうかと田坂中佐、大井少尉は不思議がる。彼らが知るさくらの姿は真面目で大人しい、どちらかと言えば翔子とは真逆のタイプだったから、彼女の怒りで翔子が怯えるところなど想像できなかったのだ。そこに翔子と同世代くらいの女性の声がスピーカを通して飛び込んできた。
「大丈夫じゃなーいっ! 下からバッチリ見てたからねっ!」
試験隊詰所管制室にいるさくらだ。どうやら一部始終を見ていたらしい。記録員の岡崎少尉からの制止を振り切り、窓から身を乗り出してまで。途中『震電』らが死角に入りヤキモキもしたが、肝心のシーンは見逃さなかった。彼女が手にしていた双眼鏡は倍率がそれ程高くなかったが、それ故全体的に視野に入り、翔子の『震電』の動きをバッチリ捉える事が出来たのだ。
その声に翔子は慌てて地上の試験隊詰所の方に目をやる。この距離では当然人の姿を見る事なんて出来ないが、それでもいるであろうさくらの方へ視線を向けずにはいられなかったのだ。
「しょうこ~、あんまり危ない事しちゃダメって言ったよね?」
いつもなら明るく澄んでいるさくらの声が重く淀み、1オクターブくらい低いように聞こえる。もちろんそんなに低くはなってないのだが、また親友を怒らせてしまったと怯えている翔子の耳には、地の底から響いてくるかのように聞こえたのだ。
「あ、あのね……」
弁解というか親友を宥めるための言い訳というかを翔子が口にしようとすると、無線機越しにさくらの様子が変わったのが伝わってくる。怒りにも似たおどろおどろしいものから、親友なんて言葉では足りないくらいの存在である翔子の身を案じる、はかなくか弱い少女のような感じに。
「ホントっ、心配したんだからねぇ………」
緊張の糸が切れたのだろう。さくらはそう言うと嗚咽を漏らす。『震電』の中からでは見てとれないが、本当に泣いているのが分かった。窓の桟から降りて安全な所に座ろうなどと促す声も聞こえてくる。それくらい彼女は今まで危なっかしい所にいたのだった。
「どうして、いつもいつも危険な機動ばっかして、なのにケロッと成功させちゃうのよぉ……」
すっかり涙声のさくらがある意味理不尽な事を言う。試験飛行は成功させなければ自分の命がないのだから、どんなに危ない機動であっても必死で成功させようと頑張るのはどんなパイロットだって同じである。ただ翔子の場合は極めて高度、というか普通のパイロットじゃ出来ない(むしろやらない)ような機動まであっさりこなしてしまうものだから、言葉足らずに言うとさくらの放った言葉のようになるのだけど、取りようによっては失敗を望んでいるようにも取れる言葉だ。もちろんさくらがそんな風に考える訳がないから悪く捉える者などどこにもいないが、思わず揚げ足を取って心の中で吹き出してしまった者はいるかも知れない。
「さくら、ホントゴメンだから落ち着いて、もう泣くのはやめよ? 今から真っ直ぐ基地に帰るから…」
「泣いてなんてないもぉんっ!」
思いっきり涙声で叫び、さくらは宥める翔子の言葉を遮った。でも翔子の言葉のトーンで親友の反省が本気である事は分かる。ただ彼女の体の事を考えると素直に受け入れる事が出来ない。翔子はこれからも無茶をし続ける事だろう。それこそ自分だけでなく誰が何と言おうとも。だったらそれを止められないまでも諫め続けられる存在でいようと思うさくらであった。形振りや体裁なんて構わずに。一時的な効果しかないのだとしても。
「それじゃ早く帰ってきなさい。話の続きはお昼でも食べながらねぇ」
まだ涙声ながらもさくらは落ち着いた声でそう言った。叫んだ事により少しはスッキリしたのだろうか。その様子に翔子も少しホッとして返事をすると、『青雲』『試製連山』両機に帰還しようと声をかけ、『震電』の高度を下げ始めた。
その『震電』の後ろに続く形で『青雲』『試製連山』も基地を周回しながら高度を下げていく。降下の途中で話を聞くとこの『試製連山』は今日から成田基地に配備され、1日も早く「試製」の文字が取れるよう571試験飛行隊で試験が行われるらしい。もちろん今日のように敵機役としても活躍していく事だろう。
「私は中島(飛行機)の太田工場に帰らないといけないのだがね」
百武元大尉は少し淋しそうに言った。その他の搭乗員も半数は一緒に帰るとの事。まあ『試製連山』の完成度を高めるには1人でも多くこの機体の事を良く知る者が、開発の最前線に固まっていた方が都合いいだろうから仕方ない事だが。
翔子が残念だというと元大尉も同感だと言いながら、
「もっとも私は開発部門のテストパイロットだから、本来模擬空戦の敵機役をやる必要なんてないのだが、成田基地の時任少将から頼まれて断れなかっただけなんだ。それでも君みたいな面白いパイロットに出会えた事は良かったと思えるが」
と本音を語ってくる。それだけ本心から残念だと思ってくれているのだろうと翔子は感じ取った。ので少しでも長く一緒にいられるようある提案をしてみる。
「それじゃせめてお昼くらい一緒に食べません? さくら…ってのはさっき私を叱ってくれた親友なんですけど、その子と同席でも良ければどうですか。もちろん中佐達もご一緒に」
「君みたいな魅力的な女性からのお誘いは嬉しいが、大丈夫なのか? その、さくらさんと言ったか? その子と楽しい食事の約束をしたばかりだろ。そこに我々が加わってよいものやら」
「そうよ~、翔子。他の人を誘う事で、私が大人しくしてると思ったら大間違いだからね~」
ずっと翔子達の会話を聞いていたさくらが突然話に入ってくる。すっかり涙声からは回復したようだが、翔子を責めるように敢えて意地悪そうな声音で。
「まあ今日のお昼をご馳走してくれたら少しは手加減してあげるけど。もちろん同席する人全員分。佐官サマの給料ならそれくらい大丈夫よね」
「そんなご無体な~。確かに昨日はさくらがお昼奢ってくれたけど、お代わり分は自分で出したよ? 私達に元大尉、中佐達2人の5人分も払えって言うの?」
「何言ってるの。隊長や本庄さん達、それに『連山』の他の搭乗員の人や交信の記録を頑張ってくれた岡崎少尉に整備の伍長達も入れれば軽~く10人を超えるんじゃない?」
「勘弁して、さくら~~」
今度は翔子が泣きたくなる番だった。もちろんさくらにそこまで意地悪するつもりはなく、本気で奢らせるつもりなんて更々ない。ただちょくちょく脅し文句を口にしておく事で、今後あまり無茶な事をさせないための抑止効果を狙って言っているだけだった。がそんな事には考えが及ばない翔子からしたら、財布がスッカラカンになる恐怖より、さくらがまだ怒っている事の方が恐かった。
「ほらほら、早く帰っておいで。食堂の方は私が予約しておくから♪」
「ホント勘弁してーーっ」
無線を通して翔子の絶叫が成田基地や『青雲』達に響き渡る。高度は既に着陸準備を考える所まで下がってきており、どこかに飛んで逃げる訳にもいかない。ので翔子は半泣きのまま更に高度を下げていくしかなかったのだった。
次話へ続く──
お話自体はまだ続きますが、とりあえず第一六章はここで終わりとしたいと思います。
part1から6まで足してみたら、800字詰めのページ換算で合計77ページ超となってしまい、普通の文庫本なら80ページを軽く超えてしまい、この章だけで短編1本分くらいになるのです。
流石に1つの章をこれ以上のボリュームにするわけにもいかないので、次話は第一七章といたします。本来流れとしてはもう少し同じ章に閉じこめたかったのですが限界でしょう。現時点でも3つ程度の章に分けたいくらいなんですから。
なので以前書いた事は忘れて、第一七章以降もお付き合いください。よろしくお願いします。




