9話 側妃
は? フェリシアが……死んだだと?」
報告に訪れた監視役の騎士に対し、王は眉をひそめて問い返した。
「地下牢に入れて、まだ二ヶ月しか経っていないのだぞ? なぜだ、自殺でもしたのか?」
王の顔には動揺も悲哀もなく、ただ不機嫌そうに淡々と問い詰めるだけだった。
だが、遺体を検分した王宮医師は重い面持ちで頭を下げ、真実を告げた。
「……いいえ、死因は自決ではございません。極度の栄養失調と過労により身体が限界を遥かに超え……衰弱死したものと思われます」
「栄養失調……? バカな、なぜだ! 食事は毎食与えていたはずだろう!?」
王の詰問に、ひざまずく監視役の騎士たちは顔を見合わせ、ガタガタと酷く震え出した。
——彼らがフェリシアに与えていたのは、家畜の餌と変わらぬ腐りかけた残飯と泥水だけ。
元より地下牢は、繊細な貴族令嬢が耐えられる環境ではない。それにもかかわらず、フェリシアは一度として不満や悲鳴を漏らすことなく、淡々と渡された莫大な公務を処理し続けていたのだ。
だからこそ看守たちは「何をしても反抗しない女だ」と嵩にかかり、不当な不遇を強め……最後には一線を超えて乱暴に及んだのだ。
(もし……あの女に暴行を加えたことまで発覚したら……!)
騎士たちが恐怖で血の気を引き絞らせていたその時、王宮医師が静かに、だがはっきりと追加の報告を口にした。
「……さらに申し上げます。フェリシア様の御遺体には……無数の打撲痕、そして暴行を受けられた明白な痕跡が残されておりました。亡くなられる直前まで、酷い陵辱を受けられていたのは確実でございます」
——静寂が落ちた。
次の瞬間、王の顔から完全に血の気が引いた。
「なっ………………なんだと……!?」
自分が冷遇するのはいい。正妃の座から降ろし、地下牢で罪を償わせるのも『正義』だと思っていた。
だが——なぜ、ただの看守に過ぎない下衆どもが、かつて正妃であった彼女を傷つけ、汚すことが許されるというのだ!?
「貴様ら……ッ!! 俺の許可なく、何という真似をしてくれたのだ!!」
怒りを爆発させた王は、ひざまずく騎士たちの顔面を容赦なく蹴り飛ばし、狂ったように殴りつけた。
「調べろ! この二ヶ月間、地下牢で何が行われていたのか、すべて洗い直せ!!」
王の狂気じみた命令により徹底的な取り調べが始まると、看守たちの口から次々と恐ろしい事実が吐き出された。
そしてその取り調べの過程で、フェリシアを死に追いやった『本当の黒幕』の存在までが白日のもとに晒されることとなったのだ。
——「フェリシアに食事を与えるな」「どれほど痛めつけても構わない」と裏で命じていたのは、他でもないアンジェリカだった。
「あり得ない!アンジェリカは天使のような女性だ!いい加減なことを言うな!」
✴︎ ✴︎ ✴︎
その頃。
そうした裏での怒号と混乱など露知らず、アンジェリカは豪華な私室で、愛らしい息子を抱き上げながらクスクスと愉しげに嗤っていた。
「ふふふ……あははは! お姉様、あなたに幸せなんて一生与えてあげないわ。公爵家の令嬢の座も、この国の王妃の地位も、そして陛下からの愛も……すべて、すべてわたくしのものよ!」
フェリシアが陵辱され死んだ。
ああ、やっと………わたくしの前から消えていなくなった。
幼い頃の記憶が、アンジェリカの脳裏に鮮やかに蘇る。
日陰の存在だった頃。父が自分たちの存在を隠し、正妻であるフィーアと、自分と同い年のフェリシアと三人で仲睦まじく笑い合っている姿を、不遇の闇から嫉妬に震えて見つめていたあの頃。
(同じ父の娘なのに、どうしてあの子だけが日当たりの良い場所で愛されているの……? 憎い、殺したいほど憎い……!)
その激しい嫉妬と憎悪こそが、アンジェリカの原動行のすべてだった。
やがて母セリアナが父の愛を勝ち取り、本邸へ乗り込んで以降、フェリシアを徹底的に痛めつけ、絶望へ突き落とすことだけがアンジェリカの生き甲斐となっていった。
人前では可憐で、誰からも愛される慈愛の妹。
(わたくしは、世界中のすべての人に愛されるために生まれたのよ!)
けれど、その甘い仮面の下には、フェリシアの人生を壊し尽くすことだけに執着する、醜い悪魔の顔が隠されていた。
そしてその凶悪な本性を共有していたのは、唯一、実の母であるセリアナだけだった。
母娘は結託して正妻フィーアを自殺へと追い込み、最後はフェリシアすらも地下牢で衰弱死させたのだ。
王も、実の父である公爵も——二人の演じる可憐な嘘と巧みな甘言にまんまと惑わされ、知らず知らずのうちにフェリシアを蔑み、忌み嫌うようになっていった。
(ふふ……もう邪魔者は誰もいないわ)
これからは自分たち母娘が、この国の絶対的な存在。
すべての人々に傅かれ、あらゆる富と名誉を独り占めできるのだ。
長い時間をかけて、フェリシアを苦しめ抜いてきた。
なのに、フェリシアは表情を変えない。それがまた腹立たしくてさらに彼女を追い詰めた。
感情を殺したあの不気味なほど淡々とした顔。そんなフェリシアが唯一、悔しそうにわずかに眉を顰める瞬間——それこそが、王がアンジェリカを甘やかし、愛でている時だった。
だからこそアンジェリカは、あえてフェリシアの目の前で王に甘えて見せつけ、愛を浴びるように仕向けてきたのだ。
(あのにっくき顔をもう見られないと思うと少し寂しいけれど……ふふ、十分すぎるほど絶望させてやったわ)
下衆な男たちに陵辱され、暗い地下牢の底で冷たく果てた惨めな女。
そう考えるだけで背筋がゾクゾクする。
愛らしいアンジェリカの顔は歪み、勝ち誇った愚かな笑みを浮かべたままで、可愛らしい息子の頬を撫でた。




