7話 父娘
「フェリシア!!」
怒号とともにフェリシアの自室へ強引に押し入ってきたのは、実の父であるスタートレッド公爵だった。
(お父様……そろそろだと思っていたわ)
本来であれば、たとえ実の父親であろうと王妃の私人室へ許可なく押し入ることなどできるはずがない。
だが、すでに王からの命によって、フェリシアの警護にあたる近衛騎士は取り払われていた。
残されていたのは最低限の数まで減らされた侍女たちだけ。
けれど、その残った侍女たちは皆、冷血と揶揄されるフェリシアの本当の優しさと苦悩を知り、心から彼女を敬愛する者たちだった。
王のあまりにも理不尽な仕打ちに内心で激しい憤りを覚えつつも、我が物顔で現れては王妃を罵倒する公爵に対し、彼女たちは何も言えず、ただ黙って息を殺し、心配そうにフェリシアの様子を窺うことしかできなかった。
部屋に入るやいなや、公爵は目に入ったフェリシアに向かって怒鳴り上げた。
「この愚か者が! アンジェリカに毒を盛るなど、よくもまあそんな浅ましい真似をしてくれたものだ!」
執務机の前に佇むフェリシアに駆け寄るやいなや、父は問答無用でその腕を振り上げた。
――バチンッ!
乾いた鋭い音が部屋に響き渡り、フェリシアの白い頬が大きく弾かれた。
「……っ」
激しい衝撃に顔を背けながらも、フェリシアは内心で(またか……)と静かにため息を漏らした。
赤く腫れ上がった頬の裏側、口の中にはじわりと鉄の味が染み出していく。
同じ血が流れている実の娘だというのに、なぜ父はここまで自分を忌み嫌うのだろう。
幼い頃からの鞭打ち、冷遇、そして今日の暴力。胸の奥を刺すのは激痛よりも、もはや消えることのない深い諦めと、どこまでも冷たい寂しさだけだった。
「お前のような可愛げのない、毒婦のような娘を生んだ覚えはない! 動かぬ証拠が揃い次第、お前など公爵家からも除籍して牢へぶち込んでやるからな!」
怒りに任せて捨て台詞を吐き捨てると、父は踵を返して嵐のように去っていった。
「王妃様……! お顔を見せてくださいませ!」
公爵の手前、動くことすら許されなかった侍女たちが、耐えかねたように駆け寄ってくる。
真っ赤に腫れ上がったフェリシアの頬を氷で冷やしながら、ある侍女が悔しそうに涙を浮かべ、声を震わせた。
「なぜ、実のお父親様でありながらこのような酷いことをなさるのでしょうか……! 王妃様は何も悪いことなどされていないのに……っ」
「……いいのよ、ありがとう。みんなには嫌な思いをさせてしまってごめんなさいね」
自分を心から心配してくれる彼女たちの温もりに、フェリシアはかすかに口元を緩め、静かに首を振った。
肉体の痛みなど、もう疾うに慣れてしまっている。
——慣れないのは、こうした人の純粋な温もりや優しさだ。
どう向き合えばいいのか分からず戸惑いながらも、その温かさにフェリシアの心は密かに救われていた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
翌日。
「お姉様、ごきげんよう。体調はいかがかしら?」
可憐で可愛らしい声を響かせてフェリシアの部屋を訪れたのは、昨日まで毒で倒れていたはずのアンジェリカだった。
その腕には、生まれたばかりの幼い王子を抱いている。
当然のように連れてきた近衛騎士たちの、フェリシアに向ける警戒の視線はあまりにも凄まじいものだった。
(これほど警戒するくらいなら、初めから来させなければいいのに……)
フェリシアは嫌な顔ひとつせず、ただ黙って彼女を受け入れるしかなかった。
毒を盛られた重病人とは到底思えぬほど健康的な笑みを浮かべ、アンジェリカはすり寄るようにフェリシアへ近づいてくる。
もちろん王子である息子を態々見せつけるために。
「あら……その頬、どうなさったの? まるでどなたかに打たれたようですわ。まあ、お可哀想に……」
痛ましそうに口元を押さえてみせるが、その瞳には隠しきれない優越感が渦巻いている。
父である公爵が昨夜フェリシアを怒鳴りつけ、手をあげたことなど、当然知った上での白々しい言葉だ。
「けれど、自業自得というものではありませんこと? わたくしは、お姉様を信じていたのに……あんな酷いことをなさるなんて……」
しおらしく悲しそうな顔をするアンジェリカを、連れてきた護衛の騎士たちも哀れみと心配の目で見つめている。
(相変わらずアンジェリカは、男たちの庇護欲をそそるのが本当に上手ね)
心の中で冷ややかに感心するフェリシアに、アンジェリカはさらにそっと近寄り、耳元で静かに囁いた。
「陛下も、お父様も、もうお姉様のことなんて誰も信じておられませんわ。近いうちに正妃の座を追われ、暗い場所へ行かれることになるのでしょうね。……ふふ、可哀想なお姉様。あなたに幸せが訪れることなんて、永遠にないのよ」
あからさまな侮辱の言葉と蔑みの視線。
アンジェリカは、フェリシアが取り乱し、泣き叫び、絶望に顔を歪める姿を期待して目を輝かせていた。
——だが。
「……アンジェリカ様。お体が無事で何よりですわ」
フェリシアは眉ひとつ動かさず、背筋をすっと伸ばしたまま、まるで他人事のように淡々と返した。
その瞳には、怒りも、悲しみも、絶望すらも宿っていない。ただどこまでも静かで、冷え切っていた。
(……なになのよ、その顔は……!?)
泣きついて許しを請う姿を見たかったアンジェリカは、予想とあまりに異なるフェリシアの無反応さに、激しい不快感を覚えて眉をひそめた。
「……強がりを言っていられるのも今だけよ! 膝を折り、地面に頭をこすりつけてわたくしに許しを乞う姿を、楽しみにしていますわ!」
吐き捨てるようにフェリシアの耳元で囁くと、アンジェリカは抱いていた愛らしい息子を誇らしげに見せつけるように抱き直した。
「お姉様……どうぞ、しっかりお体を療養されてくださいね」
先ほどまであれほど辛辣な言葉を吐いていたというのに、護衛たちの前ではいかにも姉を心配する楚々とした妹を演じながら、アンジェリカは部屋を後にした。




