5話 疑心 ①
王がまだ幼い王子だった頃、彼は常に窮屈な思いを抱えて生きていた。
父王が病で早くに先立ち、隠居していた祖父カリウスが再び国王として政を執ることとなった。
そのため、母である王妃は義父である前国王に頭が上がらず、我が子を立派な後継者に育て上げようとするあまり、王子に対して異常なまでの執着と苛烈な英才教育を強いるようになったのだ。
その息苦しさに耐えかねた王子は、幼少期、隙を見つけては城を抜け出しては連れ戻されるという日々を繰り返していた。
ある日、うまく護衛を巻いて王都の街へと逃げ出したものの、立ち並ぶ店と人波の中で自分が完全に迷子になったことに気づく。
(ここはどこだ……?)
王子であるプライドから人に助けを求めることもできず、心細さと不安で押し潰されそうになっていた時——声をかけてきたのは、自分より少し幼い少女だった。
母親と一緒に買い物に来ていたというその少女は、ぽつんと立ち尽くす少年に気づき、心配そうに覗き込んできたのだ。
「……迷子なの?」
その言葉に、王子は一瞬カッと頬を赤くした。
「……っ、違う! 自分から逃げ出してきたんだ!」
迷子になったなどと認めたくない少年は、プイッと横を向いて強がってみせた。
「そっか……じゃあ、気をつけてね。バイバイ」
少女があっさりと引き返そうとしたため、少年は慌ててその細い袖を掴んだ。
「お、おい! 置いていくな……!」
(なんなんだよ! 声をかけてきたくせに!)
必死な少年の様子に、少女は驚いたように目を丸くさせたあと、ふわりと柔らかく微笑んだ。
(わたしより年上なのに、なんだか可愛いわね。泣きそうな顔をしているくせに強がって……)
「ふふ、分かったわ。お母様、この子のお家を一緒に探してあげてもいい?」
後ろで静かに佇んでいた優しげな女性——フェリシアの母であるフィーアは、少年の身なりや洗練された仕草から、彼がタダ者ではない……おそらく城から抜け出してきた高貴な身分の子であることに気づいていた。
けれど彼女はそれを咎めたり問いただしたりせず、娘の前では何も言わずに優しく微笑んだ。
「ええ、そうね。一緒にお家を探して差し上げましょう」
こうして、三人で街を歩きながら「はぐれてしまったお連れ様」を探すことになった。
自分が王子であることを隠したかった少年は「連れとはぐれただけだ」と嘘をついたが、二人は気にする様子もなく温かく寄り添ってくれた。
「はぐれないように、手を繋ぎましょう?」
少女——フェリシアが差し出してきた小さな手を、少年は照れくささに顔を赤くしながらも、ぎゅっと握り返した。
(あったかい……)
心細さで、自分のしたことを少し後悔していたはずの少年は、(やっぱり逃げ出して正解だった)と心の中で胸をなで下ろす。
街の屋台で甘い菓子を買ってもらったり、露店の珍しいおもちゃを眺めたりしながら街を歩くうちに、少年の心からは恐怖や寂しさがすっかり消え去っていた。
繋いだ手から伝わってくる温もりと、隣で無邪気に笑うフェリシアの笑顔。
厳格な城では一度も味わったことのない穏やかで温かな時間が、幼い少年の心を優しく解かしていく。
「君……お名前は?」
「わたくしはフェリシア! あなたは?」
「俺は……」
言葉を詰まらせた少年に、フェリシアは優しく微笑みかけた。二人は手を繋ぎながら、すっかり打ち解けて仲良くなっていったのだった。
✴︎ ✴︎ ✴︎
王は、久しぶりにあの時の夢を見た。
『フェリシア……』
——いや、違う。
『アンジェリカ』だ。
そうだ、あの時、自分を助けてくれた少女はアンジェリカだったはずだ。
なぜ、あの忌々しいフェリシアの名などが脳裏に浮かぶのか。
悪夢でも見たかのように険しく眉をひそめ、目覚めたばかりの王は、隣で眠る愛しいアンジェリカの頬にそっと優しく触れた。




