13話 救母③ フェリシア
お父様が吐き捨てるように言い捨てて部屋から去っていくと、頭上からお母様の優しい声が降ってきた。
「フェリシア……怖かったでしょう? もう出てきて大丈夫よ」
お父様との激しい言い合いのせいだろう。お母様の顔色は、また少し悪くなっていた。
わたしはベッドの下から這い出ると、震えるお母様の体に自分も小さく震えながら抱きついた。
胸がキュッとなるような懐かしい温もりにホッと息をつきながら、「お母様……お父様と、離縁するの?」と小さな声で尋ねた。
お母様は、わたしをぎゅっと力強く抱きしめ返してくれた。
「ごめんなさいね、フェリシア。……あなたを連れて、実家へ帰ろうと思うの」
ああ……お母様は、ずっとベッドで体調を崩して寝込んでいても、すべてに気づいていたのだ。
お父様がお母様付きの忠実なメイドや使用人たちを次々と解雇したことも、体に毒となる怪しげな薬を飲まされていたことも。そして、自分の知らない場所に別の家庭を作っていたことも……。
ただ、体が弱り切ってどうしようもなく、今までは耐えて諦めるしかなかったのだ。
わたしが助け出さなくても、お母様はしっかり自分の意志で、お父様から離れる道を選んでくれていた。
「お母様……今度は、ずっと一緒?」
「ずっと? ええ、そうね」
(あ……! しまったわ、間違えたわ……!)
思わず、前世の記憶を持ち出して口走ってしまった。
けれど、今度こそお母様と一緒に、緑豊かな辺境の地でお祖父様やお祖母様、伯父様や従兄弟たちと仲良く暮らせるのだ。
これなら……わたしは二度と王妃にならずに済むし、アンジェリカたちに酷い目に遭わされることもない。
二度目の人生で、彼らと関わることなく幸せに暮らせるのなら、復讐なんてどうでもいい。
わたしは……いいえ、わたくしはもう、王妃になどならずにお母様と静かに幸せになるのだ。
✴︎ ✴︎ ✴︎
胸にこみ上げる温もりの中で、わたくしは一度目の人生の記憶を思い出していた。
一度目の人生で、わたくしは王立学院に通い、常に全学年で首位の優秀な成績を収めていた。
家族から見放され、冷遇されていても……心のどこかで、やっぱりお父様の愛情を求めていたのだ。
だからこそ公爵家の令嬢として、勉強も作法も、語学もダンスも、血の滲むような努力を重ねてすべて完璧に修めた。
ただ、お父様に認めてほしかった。
ほんの少しだけでもいいから、わたくしに温かな目を向けてほしかった。
けれど、その死に物狂いの努力が、当時の国王陛下——あのお優しかったお義祖父様の目に留まり、わたくしはあの愚かな王(当時は王太子)の婚約者に選ばれてしまったのだ。
それは本来なら、公爵家にとっても最大の誉れであり、喜ばしいはずのことだった。
けれど、すべては間違いだった。
アンジェリカは、ずっと王太子殿下に思いを寄せていた。
その愛らしい異母妹の恋路を邪魔した悪者として、わたくしは惨めにも祭り上げられたのだ。
努力を褒められることなど一度もなく、屋敷に帰ったわたくしを待っていたのは、お父様の激しい怒号だった。
『お前は妹の大切な思いを踏み躙って、何が楽しいのだ!!』
バチン、と鈍い音が響き、わたくしの頬は真っ赤に腫れ上がった。
床に倒れお父様を呆然としながら見上げたことを思い出す。
王太子殿下の耳にも、アンジェリカや周りの手によって、わたくしの歪められた悪い噂ばかりが吹き込まれていた。
初めての顔合わせの時、殿下が向けた瞳は、まるで冷ややかな害虫でも見るかのような蔑みに満ちていた。
そうして始まった婚約期間から結婚生活に至るまで、わたくしが彼から愛されることなどただの一度もなかった。
前国王陛下だけは、『フェリシア、君の有能さと誠実さ、そして真っ直ぐで綺麗な心はこの国に必要だ』と深く気に入ってくださり、結婚を後押ししてくださった。
けれど、王太子の母である王妃様は違った。
わたくしの仕事の完璧さは認めつつも、決して笑わず、感情を殺して淡々と公務をこなす姿が気に食わないと嫌悪していた。
自分より優秀なのが気に入らなかったようだ。
愛する優秀な息子には、もっと可憐で華やかな、愛嬌のある令嬢こそがふさわしいと信じて疑わなかったのだ。
その隙を突くように、アンジェリカは王太子殿下へと忍び寄った。
「わたくしは……側妃としてでも構いません。ただ、殿下のお側でお支えできれば、それだけで幸せなのです……」
人前でそうやって儚げに涙をこぼし、少しずつ王太子の心を奪っていったアンジェリカ。
最初から、わたくしの居場所なんてどこにもなかったのだ——。




